第20話 (十)一寸の虫の魂
(十)一寸の虫の魂
播磨の脇坂家の剣術指南、白川半蔵は、眼の不柔な妹の千鶴と、二人で暮らしていた。剣術指南とはゆえ、譜代でない白川家は微禄で、使用人も雇はず、今は小さい頃、熱病で視力を失った、妹の千鶴が、不柔な目で家事を引き継いでいた。
そんな盲目の千鶴を、魚屋の鎌吉が、何かと手助けしてくれ、毎朝、千鶴に声をかけ、買い物なども頼まれてくれた。
「千鶴様、今日は鯖が安く手に入り、持って参りましたが」
「戴きます。鎌吉さん、お母様の容態はどうですか」
「はい、暖かくなって来たので、少し楽になった様です。昨日釣りに行きました。鯉が二匹釣れたので、一匹はこちらに持ってきました。これは商売物ではありません、食べて下さいますか」
「いいのですか戴いて、兄上は生魚が大好きです」
その夜千鶴は、美味しそうに鯉の洗いを食べる兄の半蔵に、鎌吉が、優しくしてくれる事を話した。
「魚屋の鎌吉が、何かと力になって、くれているのは知っていたが、鎌吉も男だ。お前の優しさを、勘違いするかも知れない」
「兄上はいずれ、嫁を迎えられます。千鶴は目が見えませぬ。こんな千鶴を、本気で想って下さるお方が有れば、そのお方が、千鶴の生涯を捧げる方と思っています」
兄の半蔵は、不安は有ったが、町人でも鎌吉の人柄を思うと反対できず、何も言わなかった。
翌日訪れた鎌吉に、千鶴は思い切って言った。
「鎌吉さん、一度お母様を、お見舞いしたいと思っています」
「その様なことをして戴いたら、兄上様に叱られます」
「兄上には、お許しを戴きます。連れて行って下さい、約束ですよ」
言っては見たが、千鶴は不安だった。目の見えぬ自分が、鎌吉に付き纏っていれば、鎌吉さんのお母様は、どう思われるだろう。
「本当に来て下さるのですか、汚い所ですが母が喜びます」
そう言って鎌吉は(明日迎えに来ます)と言って喜んで帰って行った。そのよ千鶴は、兄の半蔵に、見舞いに行きたいと告げると、兄は心配そうだったが、許してくれた。
次の日、迎えに来た鎌吉に手を引かれた千鶴は、久ぶりに城下に出た。鎌吉は、姫の手を引く下男の様に腰をひき、丁重に千鶴を支えた。行き交う人は皆、振り返ったが、鎌吉は夢心地だった。
鎌吉の母のお葉は、武家の娘が見舞いに来てくれると聞き、朝から落ち着かなかった。見舞いに来てくれる、という事は、鎌吉に気が?、まさか武家のお姫様が?、そんなはずはない。いや目が不柔と聞いている。無い話ではない。
今度は、目の見えぬ嫁を貰らえば、鎌吉は苦労するのではと心配になってきた。だが、こちらよりも向こう様が、この様な貧乏に、苦労するのが解っていて、なぜ目の見えない娘を?、それとも顔や体の形が、ずいぶん悪いのか?。お葉は気が気で無かったが、その時、入り口で鎌吉の声がした。
「お母さん、来てもらったぞ」
病の身を起こし、出迎えたお葉は、鎌吉の斜め後ろに立つ千鶴を見た。そこには場違いなほど清楚で美しい、武家娘が立っていた。
「白川千鶴と申します。ご気分は如何ですか」
「よく来て下された。今日はとても気分がよい」
母のお葉は、自分の品の無い顔を見られるのが、恥ずかしかったが、千鶴の目が見えぬのを思い出し、ほっとした時、
「お母様、千鶴には、お母様のお顔が見えませぬ、失礼とは思いますが、お顔に触らせて戴いて、よろしいでしょうか」
突然でお葉は驚いた。顔を見られずに助かったと思った矢先だった。千鶴の柔らかく暖かい、手のぬくもりを感じ、なんとも言い様のない幸福感が伝わってきた。
翌日、千鶴の家を訪れた鎌吉が、見舞いの礼を言った。
「見舞って戴いて母さんは、急に元気になった様に思います」
「本当ですか、それなら又、連れて行って下さい」
「でも、もう来ない方が、・・・母さんが勘違いします」
「お母様は、何んと勘違い、なされたのです。話して下さい」
「笑はないで下さい。母さんは、一度見舞いに来て戴いただけの千鶴様が、私の嫁に来てくれる気が、有るのだと勘違いして、喜んでいるのです。私が千鶴様は優しいから、心配して来て下されたと、なんど言っても解ってくれません」
「一度お会いしただけですが私は、お母様に気に入って、戴いたと思いました。お母様は、感違されたのでは有りませぬ。鎌吉さんは、目の見えぬ私など迎えれば、生涯、苦労すると思っているのでしょう。鎌吉さんの優しさを感違したのは私です」
千鶴にも鎌吉が、自分に想いを寄せてくれ、いるのは解っていたが、少し拗ねて見せた。鎌吉は夢を見ているのではと思った。
「それで本当に良いのですか、魚屋の嫁で、それに兄上様がお叱りになられるのでは」
「鎌吉さんはよほど、兄上が苦手なのですね。兄上はきっと、祝って下さいます」
鎌吉は耳を疑った。そうして我が家に向かって走った。
「あの人が俺らの嫁に、あの厳格で怖そうな兄上様が、お許し下さる。嫁の来てなど、無いと思っていた俺の家に」
数日後千鶴は、再度、鎌吉の家を訪れた。
「お母様、私などには、魚屋のお店番は、勤まらないでしょうか」
「貴女は心配しなくて良い。鎌吉も、武家のお姫様を嫁に迎えるからは、それだけの覚悟をして働くでしょう」
「眼の見えぬ私でも、何もせず、人形の様な毎日は辛いです」
「店は私が身体を壊して閉めました。だが、お前様が手伝ってくれるなら、私も店は開けたい」
千鶴は自分の居場所が出来たと思った。兄は優しかったが、兄も三十だ、すぐ妻も迎えなければならない。それから五日ほど過ぎた日、千鶴は兄と昼食を食べていた。
「兄上、鎌吉さんがこの所、来てくれませぬ」
「どうしたのだ、喧嘩でもしたのか」
「いいえ、この間、お母様とお店を出す話をしました。その時は元気でおられたのに、お母様のお体の調子でも?、」
「それは心配だ。今日は俺も休みだ。一度母御に会って、お前のことを頼みたい。食事が終えたら伺おう。」
兄に手を引かれ町に出た千鶴だったが、鎌吉の母が心配で、楽しんでは居れなかった。鎌吉の家の前に来た時、様子が違うのに気がついた。家の前に近所の人が集まっていた。まさかお母様がと、嫌な予感がした。半蔵が近所の人に尋ねると。
「貴方が千鶴様のお兄様ですか、大変な事になりました。鎌吉が役人に連れて行かれ、母親も役人に蹴られ、もう永くはない。何も悪い事などしていないのに」
聞いていた千鶴は愕然とした。その人たちの話では、鎌吉の家の向い側に、按摩さんが住んで居て、その按摩の市が、先日仕事で訪れた料亭で、金子を盗んだと訴えられ、役人が捕えにきた。市は自分は盗っていないと言い切り、、柱にしがみついて離さなかった。
そんな市を役人が、十手や棒で殴り続けた。
「鎌吉の母さんが、止めに入ると、役人は母さんに、殴る蹴るの乱暴を始め、鎌吉が止めに入ると刀を抜いた。鎌吉は魚の担ぎ棒で応戦して、お役人に大怪我をさせてしまった。鎌吉は捕えられ、蹴られた母は、今日、明日の命です」
聞き終わった千鶴は、力が抜け倒れそうになった。兄に手を引かれ、お葉の枕元に着くと、お葉は弱々しく口を開いた。
「すまんのう千鶴、お店番を訓えると言ったのに・・・鎌吉はお役人に、大怪我をさせてしまった、もう帰れない。ごめんなあ千鶴さん」
お葉はもう、永くはないと思われた。
「お母さん、千鶴の兄の半蔵で御座る。鎌吉殿の罪状が軽くなる様、番所に掛け合います。気を確かに持って、待っていて下さい」
「それはいけない。その様な事をなされては、兄上様にも災いが必ず及びます。恐ろしい、御役人たちです。あなた方に災難が及ぶのは、鎌吉も望みません。私を千鶴様の母と思って下さるなら、もう私たちに関わらず、千鶴をお守りください」
「お母様、めしいの私が頼めば、会わせて下さると思います」
そう言って二人は、この母と別れ、近所の人に、持ち合わせていた金子を渡し、医者を頼むと、急いで番所に向かった。




