第2話
「わかった、後ほど貴様が、飛び上がるほど驚く褒美を付けて、雪をうぬに取らす」
数ヶ月後、姫は右門に嫁いできた。この頃には雪のお腹が、少し目だち、式は身内だけの質素なもので、家老職を賜る者の娘の婚礼には異例のことだった。先のお家騒動は、まだくすぶっていて、軽輩の右門に姫を嫁がせ、騒動の圏外に姫を置きたい親心だと、人は思っていた。数ヵ月後に男児が生まれ、又三郎と名付けられ、こうして又三郎の波乱に飛んだ人生は、生まれる前から始まっていた。
深窓に育った雪姫だが、下級武士の妻女の役に、驚くほど早く順応した。雪姫は、人も羨む貞淑で賢母を貫いた
赤石は右門の優れた応用力に気ずき、藩の普請奉行の配下に入れた。右門はすぐ頭角を現し、技術面での責任者となった。
部下を持つ事を許された右門は、釣り仲間の浪人の倅、伝八朗を部下に迎えた。伝八朗の父は、夢だった倅の仕官が叶い、安心したのか、先日この世を去り、伝八郎は母と二人で暮らして居た。
仕官して家を開けることが多くなった伝八郎は、病いがちな母を一人残して気がかりだったが、雪様が良く母を見舞ってくれ助かっていた。両家はまるで一つの家族の様に助け合い、幸せな日々が続いていた。
その頃、分家の国光君の、狂気じみた挑発が又始り、お家騒動が再燃していた。恩人である右門夫妻の、今に至った経緯は、伝八朗も聞き心配していた。ある日、何か不吉な予感がして不安を覚え、伝八朗は右門の家を覗きに行った、予感は当たった。
「助けて!誰か助けて!」
家の中から必死で助けを呼ぶ雪様の声が聞こえた。驚いて家に飛び込むと、五歳に成った又三郎を庇い、必死に二人の賊に、小太刀で立ち向かう雪の姿が映った。伝八朗は間髪いれず、いきなり賊の背後から斬りつけた。
賊の倒れるのを見届けた雪も、崩れるように倒れた。慌てて抱き起こした伝八朗は、斬り刻まれた雪を見て、良くぞここまで又三郎を守り、持ち堪えたと思うほど、無残な姿だった。
「又三郎は、又三郎は大丈夫ですか伝八郎、又三郎を頼みます---」
「又三郎様は大丈夫です、気を確かに、こ奴等は何者です」
「く、国光君の手の者・・」
これが又三郎の母、雪姫の最後の言葉だった。一方右門は、工事現場で悲報を聞き、我が家に向い走った。玄関を入り、奥の間に入ると、雪が無残な姿で寝かされていた。顔に見覚えの有る、伝八朗の手ぬぐいが掛けられ、取除くと、雪は顔にも多数の向かい傷を負っていて、思わず眼をそらした。
又三郎はどこに?、相手は又三郎も狙っている。相手は藩主を支えるご家老を攻め倦み、手を引かせ様と、娘の雪や又三郎まで狙っていたのだ。右門は何とか気を静めようと勤めた。
伝八朗の手ぬぐいが残されていた。又三郎は伝八朗が、連れて逃げてくれたと思う様に努力した。早く伝八朗に会い、又三郎の安否を聞きたいが、無残な雪の遺体を一人残すのは忍びない。
一方、伝八朗は家で気を揉んでいた。襲ったのは国光君の手先とわかったが、恩師右門様に代わって、雪様の無念を晴らすべきか迷っていた。右門様は、代々浪人の自分を、取り立ててくれた恩人だ。雪様も、病身の母を、良く見舞って下された。
警護の厚い国光君を斬る事は、右門様には無理だ。
伝八朗は右門に代わり、国光君を斬って、恩人の無念を晴らし、腹掻き切って死にたかった。だが自分には病身の母上がいる。後に残る母に、どの様な惨い災いが及ぶかと思うと、決断の時は刻々と過ぎて行った。早く決行しなければ、又三郎様や右門様も危ない。そんな伝八朗の苦悩を見た、母の佳子が気丈に言った。
「伝八郎、お前は又三郎様を連れ、他国に逃れなさい」
「母上も来て下さい。ここに残れば母上に惨い災いが及びます」
「病身の母に、それは叶いませぬ。母の事は心配無用、この様な事が起きるのは、母も右門殿も予期していました。その時が来れば右門様が、母が少しも苦しまぬ様、亡くなられた父上の所に連れて逝くと、約束して下さいました」
「母上が、そこまで決心されたのなら、私の腹は決まりました。
五年前、佐脇十兵衛と言う剣客を、父上がお助けになりました。佐脇殿は恩返しにと、道場では学べぬ剣と兵法を、繰り返し私に授けて下さった。今こそ佐脇様から授けられた兵法を生かし、母上や右門さまが、見ていて下さる内に国光君を討ち、雪様のご無念を晴らし、伝八朗は腹掻き斬って果てます」
「伝八郎よく言った。だが腹を斬るのは許さぬ。たとえどの様な姑息な手を使ってでも、あの残忍な人でなしの国光君を、討ち漏らしては成りませぬぞ」
「国光君を成敗すれば、お家騒動は治まりますか」
「騒動は治まると思う。だが分家は、ご子息が跡を継ぎ残る。狂気な分家の家来達や、深く事情を知らぬ家臣は、殿の弟君を斬ったお前えや右門様を、逆恨みして、国光君の仇として執拗に狙うだろう。藩を救って恨まれて、お前はバカバカしいだろうが、藩のために国光を斬るのでは無い。恩ある右門様に代わって、又三郎様の母、雪様の無念を晴らすのだ」
「はい、日が暮れたらすぐ、向山の我が家の小屋に行き、又三郎様を小屋に隠し、国光君を討ち、又三郎様を連れ旅立ちます」
伝八郎は、母がこれほど強い人だと知らなかった。病身で優しく、人と争うことなど思いも寄らぬ母が、これほど強い人とは。
「母上、私はこれから右門様に訳を話し、そのまま向山に参ります。事が終れば合図に、向山の小屋に火を放ちます」
そう言って立ち上がる伝八郎に、母は有るだけの金子と握り飯を持たせ、もう今生で会う事の無い倅に、「伝八郎さらばだ」、と気丈に見送った。
そのころ右門は、一人だけで雪の通夜をしていた。又三郎は伝八朗に隠まわれているだろうか。不安に耐えられず、伝八朗の家に行こうかと思った時、裏口で伝八朗の押し殺した様な声がした。
「伝八朗です。又三郎様も連れて参りました、相談が有ります」
「又三郎は無事か、良かった。だが又三郎は又狙われる」
「それも心配です。私は悔しくて、国光君を、このままにして置くことは堪えられませぬ。国光君を斬り貴方や母上を連れ、どこか知らない土地で、静かに暮らせたらと願いましたが、病身の母に、それは叶いませぬ。私は今夜、国光君の屋敷に夜討ちをかけ、母上や貴方が見ていて下さる内に、雪姫様のご無念を晴らし、江戸に逃れます」
「そうか、良く言ってくれた伝八郎。雪の仇は、某が討たねば成らぬ事だが、私では返り討ちにされるのが関の山、手馴れのお主なら、成し遂げる事が出来る様な気がする。たとえ主君に刃向かう国光君でも、主君の弟を斬れば、もう此の地では生きては行けぬが、お前一人なら江戸に行けば、何とか生きて行けるだろう。辛いが母御は私が連れて逝く、ただ雪が、命に代えて守った幼い又三郎を道ずれにするのが、不憫でならぬ。今の俺と佳子殿には、お前だけでも生き抜いてくれる事だけが希望だ」
「又三郎様も伝八朗が連れて参ります。又三郎様が独り立ち出来るまで、たとえ物乞いに成り下がってでも、必ず又三郎様を守ります」
それを聞いた右門の顔が輝いた。
「そうしてくれるか、これで思い残す事は無い。雪の元え逝ったら、又三郎はきっと、俺達より長生きすると伝えられる。だが伝八郎、無事国光君を討つ事が出来ても、子連の追われ旅は、武士にとって死ぬより辛い、屈辱な旅になるだろう。国光派の者達も、お主を仇と追うだろう。もう俺には用は無い。金子は全部持ってゆけ」
そう言って今度は又三郎にむかい。
「又三郎、今から父の言うことを良く聞くのだぞ。城から母を殺した奴等が、お前を殺しに来る。父は奴等と戦って死ぬ。お前は伝八朗が守ってくれる。すぐ伝八朗と旅に出るのだ。泣いてはならぬ」
幼い又三郎にも、父の様子から、どうしても避けられぬ危難が迫っている事を感じ取ったのか、嫌と言わなかった。
「伝八朗、早く行け、事が済めば早く城下を離れるのだ」
「決行は夜明け前になります、無事に本懐を遂げれば、向山の小屋に火を放します。僅かな間ですが、母を頼みます」
そう言って伝八郎は、恩人の右門に別れを告げ、又三郎を背負うと、向山に向かった。




