第19話
五日後、有馬家の、城下外れの山中の隠れ場に三人はいた。
「弓には自身が有る。俺にも手伝わせて下され」
漁師の三郎が言ってくれたが断わった。三郎には老いた母が居る。
隠れ場に来て十日が過ぎても、波太郎からの知らせは無かった。
半月が過ぎ、焦りが出始めた頃だった。
波太郎が飛び込んできた。重光の後ろ盾となった、隣国の城主との、詰めの打ち合わせのため、重光君が、隣国に向い出発したとの、知らせだった。
「姫、すぐ後を追いましょう。供侍と小者まで入れると多勢ですが、真剣で、本気で斬り合える者は十名ほどです」
「ご苦労でした。この先、どの様になるか解らないので、又三郎に、お礼を渡しておきます。又三郎、そなたは、我が家には関係の無い者、この様な事で、死んではなりませぬぞ」
凜は残った二十二両を又三郎に渡した。この場合、流れ者に大金を、先払いすればどうなるか、燐にも分っているだろう。
「又三郎様が姫を、お守り下されば、私は重光様に突進出来ます」
「波太郎、心配するでない。わらわも武門の娘です。敵にわらわを斬らせて、その隙に重光を討ちなさい」
又三郎には此の二人は、死に場所を求めている様に思えた。
「奴等の一行は夕刻、国境付近まで行くだろう。重光を討った後、逃げる事を考えると、襲撃は国境の辺りが良いと思う」
凛に異存は無かった。残り飯を握り、急いで一行の後を追うと、昼過ぎには一行を追い越し、七つ時には国境近くに居た。
街道が山中に入り、道幅が狭くなった所を、襲撃場所に決めた。
「途中に一行が泊まれる宿は無かった、必ず今日中に、ここを通る。
道端の茂みに隠れ、重光の籠が、目の前に来た時が勝負だ。波太郎殿は、重光を討つ事だけを考えるのだ。重光は駕籠だ、竹槍を用意しておくと有利だぞ、邪魔する奴は私が斬る」
燐は取り乱す事も無く、真剣に又三郎の指示を聞いていた。
「凛様は彼等にとって姫君だ。すぐに向かって来る者は、居ないだろう。燐様も家臣の彼等に、刃を向けてはなりませぬ。亡き父上に代わり、堂々と事の成り行きを、見極めてくだされ」
又三郎の調子の良い話を聞いていると、重光を討つのも夢でない様な気が、凜はしてきた。
「波太郎殿は、重光さえ討ち果たせば、他の事は考えず。凛様を連れ、間道伝いに隠れ家に戻ってくれ、あの隠れ場なら三郎が、食い物も運んでくれる」
又三郎の指示に、波太郎も異存は無かった。(奴等の様子を見てきます)波太郎が出て行くと燐が、諭す様に言った。
「又三郎、そなたを最後まで、付き合わせてしまいました。重光を討つ事が叶っても、相手は多勢です。手馴れのそなたでも、燐を守って斬り抜けることは出来ませぬ。燐に構わず生きて板橋に行き、必ず道場を再興するのです」
その時、見張りに出ていた波太郎が駆け込んで来た。
「奴等は、半里ほどの所まで来ています」
波太郎は、手ごろな竹を切り竹槍を作った。又三郎が用意してきた握り飯を慌てて食べ始めた。凛はこんな時でも腹の空く、又三郎の頭には、この世で苦になる事など、無いだろうと思った。
そして決戦の時は来た。
「来ました。騎馬の一人は、次席家老の神崎様です。重光の籠を守る供侍の四人は、若君を挑発して斬った、若君の敵です」
凛にとって神崎は、爺さまの様な人だった。行列が目の前に指しかかり、旅なれぬ一行は疲れた様子で、道端に潜む三人に気付く様子もなかった。
竹槍を突き出せば、届く所に憎き重光が来た。(討てる)、凛と波太郎が飛び出そうとした、その一瞬早く、又三郎が警護の供侍に襲いかかった。余りの不意打ちに供侍は、刀の覆いを取る間もなく、二人が斬られた。
重光は何事かと、籠の戸を不用意に開け顔を出した。その機を逃さず波太郎の竹槍は、国光の顔に、まるで田楽の様に突き刺り、後頭部に突き抜けた。一行は此の奇襲に呆然として居た。やっと刀を抜いた他の供侍も、大将の凄惨な死に様と、先に斬られ、のたうち回る仲間の姿を見て怯えた。その心の隙を突き又三郎は、若君の仇の、残った二人を斬った。その時、凛の声が響き渡った。
「みんな刀を納めなさい。凛は父母と、兄上の仇は討ちました。もう、そなた達と、これ以上殺し合うのは嫌です。お城は上げます。燐はこの地から消えます。追わないでください」
そう言って、立ち去ろうとする三人を、我に返った残りの者が、追をうとした時、(待て)と大きな声がした。馬上の次席家老、神埼の声だった。
「城代の重光様の死んだ今、身供を城代と思って聞いてくれ。姫は殿や奥方、それに若君の仇討ちを、立派に果たされた。私は重光様の思い壷にはまり、姫様を見捨てた。
そう言って神埼は、馬からおり路上に正座した。
「姫様、爺の身勝手な願いをお聞き届け下され。重光様の死んだ今、姫様に去られたら、主君の血筋は居なくなり、後継ぎの無いこの藩は、必ずお上に取り上げられ、家臣とその家族は路頭に迷います」
いつの間にか一同、神埼に習って路上に正座していた。 「今さら姫に縋れる義理ではござらぬが、爺のしわ腹にかけて、お願いします。お城に帰って下され」
「有難う爺、でも、もう遅いのです。凛が生き恥を晒すのに耐えられず、自ら果てようとした時、この波太郎が言いました。(殿の仇は私が必ず討うちます。生きて見届けて下さいと)、落ちぶれた凛に尽くしても、何の報いも無いのが解っていて波太郎は、重光の放った刺客から、何度も燐を守ってくれました。手慣でもない波太郎が、よくぞ、生き残ってくれたと思うほどです。先ほど行列が見えてきて、死を覚悟したとき凜は、あの世で波太郎と添い遂げたいと思いました。その思いは今も変わりませぬ」
凛は爺の苦渋の選択も今なら解った。だが、足軽の波太郎と契れば、叶えられない夢と、燐には解っていた。それまで黙っていた波太郎が口を挟んだ。
「凜様、それはなりませぬ。神崎様が姫や家臣のために、命を賭けて、お願いされているのです。波太郎は姫の為とわゆえ、ご家老を手に掛けたのです。死んでお詫びする他、有りませぬ」
今度は神崎が、この場にいる者達に向かって言った。
「皆に聞いて貰いたい。この老いぼれ神崎の、遺言と思って聞いてくれ。波太郎殿の今は亡き母御は、由緒ある家で生まれ、行儀見習の奉公先で、その美貌を若殿に見初められ、波太郎を身ごもった。
その御家の重臣たちは、後々火種となる事を恐れ、暗に母子を追放した。その頃、今は亡き我が殿は、公儀の役職に着かれた時だった。若年の殿は、慣れぬ役職に戸惑って居られたが、その時、手を差し伸べて下さったのが、波太郎殿の母上の、お父上だった。その後、男児を生んだ娘に、危難の及ぶのを案じた、その父は、我が殿に波太郎母子を頼むと、お預けになった。殿は某に、波太郎殿と、その母御を託された。某は波太郎殿を、しかるべき役職に就いて戴こうと思ったが、母上の藤絵殿は硬く辞退され、目立たぬ足軽を望まれ、住まいも足軽屋敷を望まれた」。。
そこまで話した神崎は、遠い昔を忍ぶ様にひと息をついた。
「今この事実を知っているのは、某ししか居ない。波太郎殿を姫の婿に向かえ、此の藩を継いで貰っても、決して恥じない血筋だ。それに理不尽と知っていても、誰も恐れて手の出せなかった重光様を、僅か一人の助っ人で、見事に討ち果たし、姫を守って下された。波太郎殿ほど姫の婿として、ふさわしい人は他に居ない。今、お二人に跡目を継いで頂だかなければ、必ず藩は取り潰される」
凛は波太郎の生い立ちを初めて聞いた。藩を見限り、新しい人生を歩もうとしている凛を、引き止めるため、神崎が、必死に演じた嘘かも知れない。だがこのとき居合わせた家来一同、誰一人、異を唱える者はいなかった。
凛の行く末を見届けた又三郎は、静かにその場を離れ様とした。それを見た凛が叫んだ。
「又三郎!この地に残って波太郎を助けなさい!」
「私には板橋で、果さなければ成らぬ定めが有る。それに私が斬った、この者達にも家族は居る。私はその者達の恨みも、背負って行かなければ、ならない」




