第15話
源十朗と二人になってわずか半月、北陸道に入った頃から源十朗の膝の痛みが激しくなった。老いの目立ち出した源十朗には、路銀を稼ぎながらの旅は限界なのか。
「少し早いが宿を取ります」
三国街道と追分る所で又三郎が伝えると、源十朗が素直にうなずいた。宿に付くと又三郎は一人で町に出た。もう源十朗に無理はさせられない。清次が患うまでは、斬り死にはしても病で死ぬことなど考えた事もなかった。
宿を出た又三郎は、多少あぶない仕事でも引き受け、稼ぎたかった。又三郎が飲食街を歩いていると、客引きらしい男が声をかけてきた。
「お若いお武家様、いい子がいます、寄っていって下さいよ」
「だめだ、持ち合わせが、少ししか無い」
又三郎が断るが、強引に連れ込まれた。店に入ると他に客は無く、女が三人居て酒を勧めたが、又三郎が飲めぬと断ると女達は勝手に飲み始めた。又三郎は飲み屋に来ることは無かったが、法外な飲み代を求める、性質の悪い飲み屋の有る事は聞いていた。この店がその様な店なら獲物にしても、訴えられる事も無いだろう。又三郎は不敵にも、店主の変な求めを期待して、
「もう帰る、これだけだが、取っておいて下され」
小銭を置いて又三郎が立ち上がると、やはり奥から浪人くずれと思われる男が表れ、引き込みの男が出口を塞いで言った。
「お客さん、冗談を言っては困りますよ。金がなければ刀を置いて行きなさいよ」
「無礼な!、お前が無理に連れ込んだのだ、私に責任は無い」
「舐めるな若造、金も刀も置いて行け、嫌ならこうしてやる」
言うが早いか浪人崩れの男が、又三郎を蹴り倒し、身ぐるみを剥ごうと不用意に又三郎に近づいた。又三郎は峰を返して浪人の脇腹を、倒れたままの姿勢で激しく打つと浪人崩れは、簡単に伸びてしまった。
又三郎は足を大袈裟に引きずり、客引きの男に迫った。
「蹴られた足が折れた。当分旅は出来ぬ。宿代に三両だせ」
出し渋る男の尻を激しく打つと、これが有り金だと二両を差し出した。又三郎は相手と刀も合わさず、二両を巻き上げ、危なげなく宿に帰ると、源十朗に二両を差し出し、安心してゆっくり養生する様に言った。
「俺を心配してくれるのは有難いが、まともな仕事を探せ」
「私は貴方達から、生き抜く術を教わった。心配せず早く良くなって一緒に板橋に行こう。明日は医者を呼びます」
「医者を呼んでくれるか、医者は初めてだ怖い。医者を拒むと心配
していた又三郎は、ほっとした。源十朗が父の残した板橋の道場の、
成り染を話してくれた。
「父上は浪人が、武士の埃を失わず生き抜く為には、剣で身を立てる外、無いと考え、苦しい修行に堪え食う物も食わず、自分の道場を持った。あの様な貧乏な道場でも父上にとって、夢の彼方の城だった。頼む又三郎、あの父上の築いた城を、もう一度、蘇らせてくれ」
源十朗は父の残した道場を何度も又三郎に頼んだ。それはまるで、遺言の様に聞こえ、不吉な予感がした。
翌日来た医者に容態を聞くと、口止めされていると言って、何も聞けなかったが、良くないことはわかった。当分はこの宿を出ることは出来ないだろうと思い、仕事を探しに宿を出た。
探し疲れ、宿に帰った時は日が暮れていた。部屋に入って、寝ているはずの源十朗が居ないのに気が付き、慌てて探しに飛び出した。清次が消えた時と、まったく同じだ。又三郎はまず、宿の前の通りを右に向かって走った。町の外れまで来たが見当たらず、慌てて逆の方に走り、宿の前を通り過ぎ飯屋の前に来たとき、道端にしゃがみ込む源十朗が目に入った。その姿は目を疑うほど弱々しかった。又三郎は何故か哀れで、声を掛けずらく様子を見ていると、向いの飯屋の中から怒鳴り声と、女の泣き叫ぶ声が聞こえていた。
しばらくして飯屋の中から十手持ちらしい男が、十歳ぐらいの男の子の髪を掴み、引きずる様に出てきた。母親らしい女が必死に許しを乞うている。又三郎はこの母子に見覚えがあった。
五日ほど前、源十朗の膝の痛みがひどく、又三郎の肩に掴まり、やっと歩いていたが、又三郎は大変だった。その時、片方の肩をこの母親が支えてくれ、この子が荷物を持ってくれ有り難かった。だが文無しの又三郎は、この貧しい母子に一文のお礼も出来なかった。又三郎はあの時ほど、貧乏が辛いと思った事は無かった。
「この餓鬼め、二度と只食、出来ない様にしてやる」
と目明しは非情に子供を蹴り続けた。
「許してやって下さい、もう二日も何も食べていないのです」
哀願する母を目明しは、情け容赦なく蹴った。小柄な母は鞠の様に転げ、源十朗の膝で止った。睨みつける源十朗に、
「なんだその目は乞食浪人め、行き倒れなら山え行け汚い」
吐き捨てる様に言って、又母親を蹴ろうとする目明しの足を、源
十朗が、鞘のままの太刀で払った。
不意を突かれた目明しは勢いよくに倒れ、怒り狂い、十手で殴りかかったが、源十朗の太刀が閃き、目明しは血吹ぶき上げ倒れた。即死だった。又三郎は源十朗が気が狂ったと思った。
この様な人目の中で十手持ちを斬ることは、冷静な源十朗のすることでない。その上、足の悪い今、逃げることは出来ない。まるで自殺行為だ。助けられた母子は、余りの事の成り行きに呆然と突っ立っていた。源十朗は、昨夜、又三郎から預かった二両の、医者代を払った残り、一両三分が入った紙入れを、その母親に差し出した。
「これを持ってすぐ、この宿場を出なさい」
放心状態の母親は信じられない様に、彼女にとって大金の入った紙入れを握りしめた。
「早く行かないと、お前達も飛び散りを喰う」
源十朗は立ち上がり、足を引きずりながら、町外れの方に歩き出した。そのうしろ姿に母親は、仏でも拝むように手を合わせて去って行った。源十朗の背後から又三郎が近ずくと源十朗は驚き、人目を気遣う様に「来るな」と目顔で覚し背おむけた。源十朗の言いたいことは、又三郎にも良くわかっていた。すぐ大勢の捕り方が来る、足の悪い源十朗を連れて逃げても、逃げ切れない事を。それでも又三郎は、源十朗を見捨てて逃げる事は出来なかった。少し離れて付いていた又三郎が、人目の無い所で声をかけると。
「又三郎、甘いぞ!、早く板橋へ行ってくれ、頼む」
最後は哀願する様に言った。それでも離れぬ又三郎に、
「又三郎、武士の情けだ、早く板橋え行ってくれ。最後ぐらいは武士らしく終らせてくれ、頼む」
源十朗がそこまで言った時、後ろから駆けてくる三人の人影が見えた。身を隠した又三郎の前で、三人の同心らしい男が立ち止まり、その内の一人が、足を引き摺り前を行く源十朗を見て言った。
「なんだ老いぼれか、手ごたえの有る奴を斬れると思ったのに」
それを聞いた、若い同心らしい一人が言った。
「私に任せて下さい。これ位なら一人で充分だ」
年の若い同心が刀を抜くと、源十朗に背後から近づいて行く。
「あいつ、まだ人を斬ったことが無かったな。これは見物だそ」
同心達は初めから捕らえる気は無い。面白半分に斬り捨てる気だ。それを聞いた又三郎は、飛び出して叩き斬ってやりたい衝動に駆られたが、それを源十朗が喜ばない事はわかっていた。それに老いたとは故、死に場所を探す源十朗が、遅れを取るとも思えなかった。
若い同心には、源十朗の力量を見る目は無く、歩くのもやっとの老人と侮り、斬り付けた。源十朗はその太刀を払い流すように避け、返す刀は泳いだ相手の脇腹を斬った。
「あ!やられた。こやつ使えるぞ」
後の二人が慌てて刀を抜き、今度は用心して迫った。源十朗は切っ先をさげたまま動かない。間合いが詰まった、その瞬間、源十朗の太刀が跳ね上がり、相手の一人は倒したが、残った一人の太刀を受け膝をついた源十朗に止どめを振り下ろす相手の胴に、源十朗の剣が深く食い込んだが、深手を負った源十朗も地面に尻を落とした。思わず駆け寄った又三郎を見て、源十朗は慌てた。
「お前、まだ居たのか、今度は藩から大勢来るぞ!」
それでも立ち去らぬ又三郎を見て言った。
「又三郎、俺がこの様な体で生き長らえれば、お前も供倒れだ。そんな甘いことでは、板橋の道場は守れぬぞ」
そう言い残すと源十朗は、自ら白刃を首に当て引いていた。
あっ!と言う間の事だった。その時、新たな捕り方が近づいて来るのが見えた。せめて遺体だけでも葬って上げたかったが、源十朗がそれを望ま無いのはわかっていた。
遺体を残し、一人立ち去る又三郎は、溜まらなく淋しかった。物心ついた頃から、流浪の旅は続いていたが、いつも気強い仲間がいた。化け物の様に強いと思っていた、源十朗や伝八朗、清次が死んだ。強いのは剣だけではなかった。腐った物を食べても滋養だけを残して、毒は小便で流してしまう様な男達だった。
又三郎はつくづく、人の命の儚なさを思い知らされた。自分がいつまで生きるか解らないが人の一生など、一瞬の幻の様に思え虚しかった。それならば自分も、この男達のように生き、死にたいと思った




