第14話 {七}生き様と死に様
{七}生き様と死に様
また一年が過ぎ又三郎達は、奥州は盛岡の外れにいた。伝八朗と源十朗は気が進まない様子だったが、博徒の喧嘩の助っ人に雇われ居なかった。又三郎は昨夜泊まった空き小屋のそばで、清次から剣の手ほどきを受けていた。清次は重点だけを的確に授けてくれた。
異色の天才、清次に仕込まれた又三郎の剣は、今では伝八朗達を凌ぐほどに成っていた。夜がふけても伝八郎達は帰らないので心配だったが、若い二人は睡魔に勝てず、寝ることにした。
どれほど眠ったか、源十朗の呼ぶ声に目が覚めた。清次と慌てて外に出ると、源十朗に抱きかかえられた伝八朗の姿が有り、深手を負っているのが一目でわかった。
小屋に寝かされた伝八朗は、そのまま気を失った。傷を調べた源十朗の顔に、明らかな落胆の表情が表われた。
「思ったより深手だ、朝まで持たぬかも知れぬ」
そう源十朗が呟いた時、気を失っていると思っていた伝八朗が、弱々しいがはっきりと話した。
「しょせん流れ者の死ぬ時は、野垂れ死にと思っていたが、お主らに看取られ本望だ。・・雪姫様、貴女が命に代えてお守りになった又三郎様も、二十歳になりました。・・もう、いいですか・・右門様・。伝八郎は、又三郎の父の名を言ったのが最後だった。
「朝まで少しだが寝ておけ」
源十朗はそう言って自分も横になった。又三郎は目を閉じると、幼いい頃、伝八朗に背負われ、旅を続けていた頃が思い出された。大きく成るに連れ伝八郎は、芋盗人や、うなぎ捕り、剣術も厳しく仕込んでくれた。芋盗人は嫌だったが、今思えば苛酷な無宿渡世で生き残る術を授けてくれていたのだ。あの化け物の様に強い伝八朗が不覚を、と思っている間に深い眠りに入っていった。
翌朝、目が覚めた時には、小屋の中には伝八朗だけが寝かされていて、胸に組まれた手に触ると驚くほど冷たく、あらためて伝八朗の死を実感した。又三郎は初めて悲しみが、吹き出るように湧いてきた。たまらず表に出ると、源十朗と清次が小高い所で穴を掘っている。又三郎が近づくと、源十朗が言った。
「お前は伝八郎の側に居てやれ、おれ達も、すぐ行く」
しばらくして伝八朗の枕元に、又三郎と清次を座らせた源十朗が、
「宿無しの俺達だ、何もしてやれないが、三人で拝もう」
源十朗は仏に手を合わせ、何かぶつぶつ唱えていた。
伝八朗を穴に入れた時、清次が泣いていた。又三郎は慌てて小屋に戻り、残っていた僅かな米を持って戻り、袋なり穴に入れた。
又三郎は辛かった。どうすることも出来ない悲しさを源十朗にぶつけ、なぜ伝八朗を助けなかったと責めた。
「伝八郎から聞いた。伝八郎は死に際の、お前の父上と約束した。
「国光を斬り、又三郎様を連れ逃げます。必ず又三郎様が独り立ち出来るまで、たとえ物乞いに身を落としても必ず守り抜きますと。
五才のお前を連れての追われ旅は、辛かったであろう。だが伝八郎は、お前の父上との約束を守り、お前を育て上げた。あの手馴れの伝八朗が、地回り相手に不覚を取ったのは、約束を果たした気に緩みか。十五年前のあの日、伝八朗は我が母の弔いもせず、お前を連れ旅に出た。伝八朗は妻も娶らず、お前の父上との約束を果たした。・・・・もう母上の元に、気持ち良く返してやってくれ」
聞き終わった又三郎の、およそ涙など似合わぬ冷たい面差しに一筋の涙が流れ落ちた。あの頃、自分は五歳で、詳しい事は何も覚えていない。初めて聞いた己の生い立ち。父の生き様、死に様、伝八朗は何も話さず、恩にも着せず、父との約束を果たして果てた。又三郎の涙は、哀しいだけの涙ではなかった。
そうして又一年、伝八朗を失った又三郎たちは出羽松山を流れる大河に沿って、相変わらず宛ての無い旅を続けていた。このとき又三郎は二十一歳、清次二十六歳の夏だった。
野宿した川原で、源十朗が自分の生い立ちを話してくれた。
「俺の父上は、江戸の板橋宿で道場を持っていた。母は早く死に、
俺は父の手で育てられた。道場は江戸の外れの板橋宿で、そのため門弟がほとんど無く貧乏で、俺は二十歳で家を飛び出し、喧嘩で人を斬り旅に出た。三年前、板橋宿を通った時、父上はもうこの世の人ではなかったが道場は残っていた。気侭に生きてきた俺に、外に悔いはないが、浪人だった父が、食う物も食わず築いたあの道場が、このまま朽ち果てると思うと、それだけが心残りだ」
老いの目立ちだした源十朗が、自分の親不孝を悔いていた。
「俺が捨てた道場を押し付けて悪いが、二人で俺の子として、草薙の姓と、親父の残した道場を継いでくれぬか。道場も食って行くのは難しいが、お主等はあの頃の俺とは違う、もっと強い」
もちろん二人に異存は無かった。この時から宛てのない旅を続けて来た、三人の行く先が、江戸の板橋宿と初めて定まった。三人が、越後との国境まで来た時だった。清次が遅れだした。
「清次の様子がおかしい、今夜は宿に泊まろう」
宿代も、ほとんど無いこの時に、宿に泊まろうと言った源十朗の言葉に、清次の身に何かが?、又三郎は不吉な予感に襲われた。
宿で横になった清次は、目は開いているが身動きもせず、何も食べなかった。それは死期を悟った動物の様で、又三郎の胸を不安がよぎった。又三郎が医者を呼びに行こうとすると、めったに口を利かない清次が(医者は無駄)と一言いった。
それでも清次を医者に診せたかったが、それは甘かった。医者代どころか、今夜の宿代も無い有様だ。その日から毎日、仕事探しの明け暮れだった。
五日ほど過ぎた頃、二人が仕事から帰ると清次が居なく、刀と旅用品を入れた布袋が残っていた。袋の中には清次が、故郷を出る時、恩師から貰った二両が残されていた。
「体の調子がいいので、散歩にでも行ったのだろうか?」
又三郎が不安になって、源十朗んに問いかけると源十朗が、
「それなら良いのだが、清次の病は、そんな甘いものでは・・・」
そう呟く源十朗の様子から又三郎は、清次の身に迫る何かを感じ、慌てて探しに飛び出した。あの体でそう遠くえは行けないだろうと思い、探し回ったが見つからず、宿に帰ったかと慌てて宿に帰ると、源十朗だけが寂しそうに座っていた。
又三郎は源十朗に逆らった事は無かったが、今日は違っていた。
「何をしている、早く清次を探せ」
と言って睨み、また清次を探しに出ていった。次の日も、また次の日も、又三郎は清次を探した。四日目、探し疲れて宿に帰ると、源十朗はまだ仕事から帰っていなかった。少しして帰った源十朗は、疲れた様子で膝が痛むのか、足を引きずっていた。
「清次はもう帰らない。明日宿を出る。清次が医者にも係らず、残して行ったこの二両は、板橋に行けば何かと入用になるだろう。清次と思って使わず、残しておこう」
返事をしない又三郎に、源十朗が悟す様に話した。
「野に生きる動物は、死期を悟ると誰にも邪魔されない所に行って静かに死ぬ。清次もそれを望んで、恩師に貰った綱広の名刀と二両を、俺達に残して消えた。死期を悟った清次は、残った俺達を思い、甘えることなく、医者も断り逝ったのだ」
又三郎は自分の甘さに気が付いた。その夜の宿代も無いのに清次を探し続けた自分に代り、痛めた足を引きずり、武士の誇りも捨て何度も町人に頭を下げ仕事を探し、人足仕事で宿代を稼いでくれた源十朗、潔ぎ良い清次の最後、そんな二人に比べ自分は甘い。又三朗は、自分この人達に支えられ生き残っているのに気が付き、老いの目立ち始めた源十朗に、もうこれ以上、無理をさせてはならぬと思った。清次はよく剣の相手をしてくれた。自分は木刀で、又三郎には真剣を持たせての稽古だった。清次は互角の相手なら、相打ちを覚悟した方が勝つことなど、多くの駆け引きも授けてくれた。その結果、一年が過ぎた頃には又三郎の剣は、恐ろしいまでも冴えを増し、清次も危ないと思ってか、真剣を木刀に替えさせた。
清次は年上だが、稲穂や芋を盗りに行く時も、弟の様に又三郎に付いて来た。そんな清次と、板橋の道場を継ぎ共に苦労をしたかった。二人は清次の消えたこの宿場町に、払い切れない未練心を残し、旅立って行った。




