第13話
「この地、出羽に来た父さんを、棟梁の宗五郎殿は暖かく向かえてくれ、名主に訳を話し、密かに人別帖にも入れてくれた。父さんは母さんと世帯を持ち、目立たぬ様に生きてきた。だが貧乏な家の娘が、由緒ある宮大工の棟梁の倅の嫁に決まれば、大騒ぎになるだろう。もし俺が兇状持ちと解れば、俺を人別帳に入れた名主にも、大変な災いが及ぶ、すまん、お浜、千恵蔵はあきらめてくれ」
「・・ごめんねお父さん。何も知らず我ままばかり言って、でももう大丈夫、千恵ちゃんとは遊びません」
お浜は幼いながら父が諭す様に話した、事の重大さは理解できた。お浜が千恵蔵を避ける様になったのは、この為だった。
話は戻るが、盆踊りの輪を抜け出た二人は、小川の土手に座った。千恵蔵は話したい事は有ったが、何故か言葉が出なかった。
お浜が立ち上がり(千恵ちゃん似会う)と言って、新しい浴衣姿を、誇らしげに見せ(初めて新しいの買ったの)と言った。
「お浜は何を着ても似合うさ、お浜は特別美人だから」
「千恵ちゃんだけね、小さい頃からお浜を、綺麗と思ってくれたの、でも良かった。お別れの夜、千恵ちゃんに見て貰えて」
と寂しそうに呟くお浜に、千恵蔵は驚いた。
「お浜、嫁に行くのか!」
驚いて睨む千恵蔵にお浜は、静かに首を振った、寂しく言った。
「明日、宇都宮に奉公に出るの。もう千恵ちゃんに会えないと思って、勇気出して声をかけたの」
「お浜、行くな!、頼む行かないでくれ」
「有難う千恵ちゃん。でも、私の家は貧乏だから行かなければ、それに十年奉公の約束で前金を受け取ったの、もう引き帰せない、ごめんね」
そう言ってお浜は去っていった。千恵蔵は、お浜が自分を想っていてくれた事を確信した。何とかしなければと思い、そおして自分の気持ちが決まっているのに気がつき、急いで家に帰り、お浜を嫁に欲しいと両親に頼んだ。
「お前が、お浜を好いている事は知っていた。お浜も良い娘御だ。
だが、六代目の宗五郎を継ぐお前の嫁には出来ぬ。伝統を重んじる宮大工の家に生まれた者の定めと、諦めなさい」
「嫌だ、お浜を嫁にして継げない家なら、弟にこの家を譲り私は、お浜を連れ他国に参ります」
それまで黙って聞いていた母の良江が口を開いた。
「私の実家も貧しかった。でも貴方は私を迎えてくれました。義父様もお義母様も快く迎えて下さった。世間の人も、褒める人は有っても蔑む人は居なかったと、私は今も信じています」
妻の正論に押され、言葉を無くした宗五郎が思い切った様に語り出した。
「これは名主と私だけしか知らない、おそらくお浜も知らないと思うが、もう黙っている訳には行かなくなった。お浜の父、長十朗様は元は武士で、京で恩ある人を守って十手持ちを斬った。長十郎様に助けられたその方が、我が家とは長い取引が有り、その縁で長十郎殿を隠まう事になった。私は名主殿にお願いして、長十朗殿を密かに人別帳にも乗せてもらった。その様な訳で私と長十朗様との関係は、世間様には隠し通して来た。だが娘のお浜を此の家の嫁に迎えると釣り合いが取れぬと人様の話題となり、長十郎殿一家が目立ち、凶状持ちを人別帳に加えた名主殿にも、大変な災いが及ぶ事にも成りかねない。おそらく長十朗様も、お許しにならないだろう」
そうは言ったが宗五朗は、思い直した様に言った。
「この家は、お前に継いでほしかったが、お浜ほどの嫁を逃したら、お前は生涯、後悔するだろう。よし、お前は今夜の内に長十郎様に許しを得て、お浜を連れ、この町を出ろ。駆け落ちなら人様は驚くだろうが、良く有る事だ」
宗五郎は妻の良江に、手元にあるだけの金子を用意させた。
「旅に出たらまず、金を盗られぬ様、気を付けろ。業を起こすなら、三年雇われ仕事を学び、一から始めろ」
そう言い残すと、名主に頼んで通行手形を貰ってくる、と言って、宗五郎が出て行った後、今度を母が諭した。
「お父さんは長十郎様に何度も援助を申し出られたが、どれだけ苦しくても長十郎様は、
「私に関わると、お家に災いが及びます。お心使いは無用」
「そう言ってこの家との関わりを世間に隠し、援助を受け入れなかった人です。何度でも、お許しが出るまでお願いするのですよ」
一時後、家族に別れを告げ、千恵蔵がお浜の家の戸を叩いたのは、明け方になっていた。寝ていなかったのか長十郎は、すぐ出てきた。母に教わった様に頼むと長十郎様は以外に、あっさり許して下された。
「私は宗五郎殿に災いの及ぶのを怖れ、お情けを退けて来たが、取り返しのつかない所だった。千恵蔵殿、浜をお頼み申す」
そう言って長十郎様は、若輩の知恵蔵に深々と頭を下げた。そんな二人の会話を陰で聞いていたお浜は、これまで幾度この様な場面を夢見ただろう。・・夢ではない、これは夢では無いのだと、何度も何度も自分に言い聞かせていた。幼い頃、ぼろを纏ったお浜は、他の子供達から汚い臭いと苛められた。そんなお浜を千恵蔵だけは庇ってくれ、お浜が一番綺麗だと言ってくれた。大きく成ってからもお浜は、辛い時には千恵蔵が、きっと助けてくれると夢見て耐えた。
夢は現実となった。長十郎に見送られ、二人が外に出ると真夏とはゆえ、北国の朝は涼しく気持ちが良かった。
お浜との旅は、苦労知らずの千恵蔵には、学ぶ事が多かった。お浜に(かんざし)を買ってやろうとすると、
「贅沢な品を身に付けていると、金持ちだと解り狙われます」
そう言ってお浜は、贅沢は一切しなかった。それでもお浜には、まるで夢を見ている様な、素晴らしい旅だった。
旅に出て二ヶ月後、二人は越後の長岡にいた。長岡の城下は近くを大河が流れ、土木工事が多く、人夫仕事には不柔しなかった。
千恵蔵とお浜は、工事現場で土工と、飯炊きとして働き、三年が過ぎた頃には千恵蔵は、土木業の概要を極めていた。家を出る時、貰ってきた百両から二十両だけを使い、仕事に必要な道具を買い、一人でできる小さな仕事を請負い、お浜を相手に始めた。
初めは仕事は少なかったが、宮大工の父を見て育ったせいか、信用を重視し仕事をした。そのため少し損を出したが、仕事は確実に増えてきた。ニ年が過ぎた頃には、百両の資金は二十両になったが、十人ほどの人も雇い、儲けも出る様に成っていた。
「こうして信濃組が生まれたのだ。この時、千恵蔵親方は、まだ二十六歳だった。古くから信濃組で働く老人が話してくれた。
話しは戻るが、伝八朗と源十朗がこの工事現場に来て、十日が何も無く過ぎた。源十朗が洗濯をしようとしていると、夫を岡っ引の徳松に、拷問で殺された小夜が近づいてきた。
「洗濯は私が致します。これからも私に言い付けて下さい」
「世話をかける。ご主人の事は無念だろうが、岡っ引の徳松には、必ず近々天罰が下るだろう。某の予言は良く当たる」
今の小夜には、源十朗の慰めの言葉にも、何か謎が含まれている様に思えた。だが、源十朗の予言はすぐ当たった。岡っ引の徳松が、信濃組の現場に新しく流れ者の浪人が来ていると聞きつけ、現場に向かっている時だった。
二人の手下を従えた徳松が肩で風切る様に歩くと、行き交う人は皆恐れ、目を伏せ頭をさげた。そんな中、渡世人風の若者二人が、近づいてきた。二人は徳松の恐ろしさを知らぬのか道を譲らない。肩が当たり怒った徳松は、不用意に十手で殴りつけた。その時、思いがけない事が起こった。遊び人風の男は、徳松の十手を一瞬にして奪い、奪った十手で徳松を打ち据えた。なんとこの二人の渡世人は、身なりを変えた、又三郎と清次だった。
徳松の連れている二人の手下は、身形は、下っ引き風だが浪人で、槍の使い手であることは、調べてわかっていた。槍を持ち歩くわけにもゆかず、一間余りの、捕り者用の棒を、先を尖らせ持っていた。
「よくも親分を、貴様ら晒し首になりたいか」
棒を槍代わりに構えて凄む手下の二人に又三郎は、脅えた振りで油断を誘うと、手下も無造作に棒を突き出した。とっさに棒の先を、手の平で払い、胸元に飛び込んだ又三郎と清次は、奪った棒で二人を殴り倒した。拷問の末、小夜の夫をなぶり殺しにした徳松を、純な又三郎と清次は許せなかった。棒の先で徳松の腹を何度も突くと徳松は、泣き喚き苦しんでいる。又三郎は二人の手下に、吐き捨てる様に言った。
「手前等も浪人だろう。同じ浪人を責め殺す、こんな下司の手下とは、見下げた奴だ恥を知れ」
そうは言ったが又三郎は、二人が先ほど突き出した、槍代わりの棒の先には、少しの殺気も鋭さも無かったのを思い出し、この者たちも気が咎め、手加減したのだと気ずき、見逃してやることにした。
徳松が腹を潰され、二日苦しんで死んだ事は夫を責め殺された小夜の耳にも入った。小夜は何も無かった様に作業をしている、源十朗と伝八郎に、思わず手を合わせた。
旅立つ日、千恵蔵がこの地に残れと言ってくれたが、徳松を殺した又三郎と清次が、国境で待っていると告げ旅立った。三人が工事現場の近くを通り過ぎた時だった。前方に月之助の家族が表れ、月之助の母が深々頭を下げ、
「有難とうございました。倅の仇にせめて一太刀と、幾度考えたことでしょう。だが非力な女、返り討ちにされるのが関の山、無念でしたが、孫の行く末を考えると、それも出来ず、死ぬまで此の無念を背負って生きて行かねばならぬと、思っていました」
「良かった。月之助殿が守って下さったのだ」
伝八郎が、子供に近か付き言った。
「お父上は義を重んじる立派な方だった、忘れるな。だから親方が、叔父さん達に頼んで、仇を討って下さったのだ」
そう言って遠ざかる四人を小夜たちは、いつまでも見送っていた。




