第10話
「その様な訳で、俺の現場は岡っ引きの徳松に目を付けられている。貴方がたは早く、この地を去った方が無難だ」
「その様な事情が有るなら、なおさら雇って下され。お浜殿も親方の身を案じておられる。落ちぶれ果てても俺達たちは武士だ、親方から受けた御恩は忘れてはいない」
少し考えていた千恵蔵が、噛んでふくめる様に言い足した。
「徳松は、ただの岡っ引きではない。山神の武蔵に人夫を世話して貰う大金で、手馴れの二人の浪人を子分に、やりたい放題、恐ろしい毒蛇の様な男だ。俺には貴方がたを守る力は無い」
「仏様の様なお主ら夫婦の前では、猫をかぶって御座ったが。長いあいだ裏街道を歩んできた俺達だ。毒蛇の扱いぐらいは充分、心得てござる」
そんな源十朗の頼もしい言葉に答え、雇ってくれる事になった。
「某と伝八郎は現場で働き現場を守る。又三郎と清次は、初めからこの地に居なかった事にして、陰から奴等を叩く。この二人の隠れ家を頼みたい。毒蛇はこの二人が葬る」
これを聞いた千恵蔵は、先ほどまでの苦悩が、薄れ行くのを感じた。この者達が只者でないことは解っていたが、仕事を求め現われた時は、いつも律儀で良く働いてくれた。それだけに今の言葉に重みが有った。
翌日から、隠れ家に身を隠した又三郎と清次は、岡っ引きの徳松の動きを探り始めた。一方、飯場で寝起きする様になった伝八朗と源十朗は、古くから信濃組で働く人たちが、千恵蔵夫婦に恩になった者ばかりだと聞き、あらためて千恵蔵の大きさを知った。
親方の千恵蔵は、出羽の国で宮大工の棟梁を代々している家に生まれた。女房のお浜の家は貧しかったが、二人は子供の頃は良く遊んだ。大きくなるにつれ、美しく成長して行くお浜が自分を避けている様に思え、千恵蔵は嫌はれたと思い込み、声をかけ辛くなり遊ばなくなった。千恵蔵が二十歳になった盆踊りの夜、お浜が久しぶりに声をかけてきた。
「千恵ちゃん、立派になったね、お父さんの後を継ぐの」驚いて振り返ると、そこには新しい浴衣を着たお浜が立っていた。千恵蔵は、年と共に美しくなっていくお浜を、何時も遠くから眺めていた。今夜もお浜の姿を探していて突然、お浜に声をかけられ狼狽して言葉が出なかった。
千恵蔵の戸惑う様子に、何を勘違いしたのかお浜は、
「そうだね、多くの人の見ている所で、お浜なんかが話しかけてはいけないね」
そを言って笑って背を向けた。だがその目が潤んでいるのが千恵蔵には解った。お浜は小さいころ、哀しい時には笑った。そうしてこの様に哀しい眼をして背を向けた。立ち去るお浜の肩が震えているのを見た千恵蔵は、
「お浜、違んだ!と、大声で叫んだ!」
振り返ったお浜は、やはり泣いていた。二人は踊りの輪を抜け、子供の頃、お浜と二人で遊んだ小川に向かって走った。
お浜は小さい時から千恵蔵が好きだった。お浜の家は貧しく、母も早く死に、何時もぼろを纏っていた。近所の子供達が(臭い寄るな)と、お浜を嫌ったが、千恵蔵だけは気にもせず遊んでくれた。.
お浜が十ニ歳になった頃だった。父の長十郎が、(もう千恵蔵と遊ぶな)と言った。なぜと聞くお浜に、長十郎は辛そうに言った。
「千恵蔵はいずれ、由緒ある宮大工の棟梁を継ぐ身だ。嫁は似合いの家から必ず向かえるだろう。いつまでも千恵蔵と遊んでいると、お前の貰い手が無くなる」
「千恵ちゃんは、貧乏など気にする様な人には思えない、なぜ?」
とお浜がしつこく聞き返すと、なぜか父の長十郎が、淋しげな顔をした。そうして思い直した様に語り出した。
「お前にも、死んだ母さんにも話していない事がある。お父さんが京から流れて来たことは知っているだろう。京では親の代からの浪人で仕事も無かった。無職ゆえ何か事が有るごとに、目明しの源三に取り調べられ辱めを受けた。父さんが二十五に成った時、妹が嫁ぎ両親は死んだ。一人になった俺は仕事も無く、嫁も貰えず、生きる気力も失いかけていた。そんなある日、地回りに絡まれていた、{石徳}の主人を助けたのが縁で雇われ、自分でも気付かなかった石造の才を認められ、まるで生まれ変わった様な楽しい毎日が続いた。父さんは、石仏を彫らせたら、京で右に出る者の無い主人の訓えを受け、又、誰にも優しい、菩薩の様な奥様に励まされ、石仏を彫ることに没頭した。
武士にこだわり、浪人を続けて来た日々が、悔やまれるほど父さんは満たされた。そんなある日、人気の無い所で、これまで何度も苦しめられた目明しの源三を見つけ、その源三に思いがけない人が近づいて来た。あの優しい石徳の奥様だった。奥様は金子の様な物を差し出し、何か源三に哀願している様だった。
父さんには奥様が、源三に何か弱みを握られ、脅されている事が一目でわかった。源三が帰り、父さんが近づくと」
「恥ずかしい所を見られてしまったね、でも心配しないでね」
「源三は蛇の様に恐ろしい男です。奴に狙われたら逃れることは出来ない。話は私がつけます。貴方がた御夫婦は、表だって動いてはなりませぬぞ。このとき父さんは、源三に激しい怒りをおぼえた。たとえ我が身に代えても奥様を、いや石徳を守ろうと思った」
「長十郎さん、私は九歳で両親を失い、十四歳で売られ、それからは人には言えない、恥ずかしい毎日を送ってきました。そんな私が、ひょんな事から主人に見初められ、まさかの本妻に迎えられました。ご両親も私を暖かく迎えて下さった。私にも、あの源三に睨まれれば、石徳が潰れるまで逃れられない事はわかります。私はたとえこの身に代えても、石徳は守らねばなりませぬ。十日後、娘の琴絵が嫁ぎます。琴絵を見送ったあと、私は、どこか遠くへ参ります。源三が恐ろしい男と知っておられるなら短気を起こさず、どうか後に残る主人を、お願いします」
「奥様は、誰にも話せない悲しい過去を、父さんにだけ話して下さった。父さんはこの時、捨てたはずの武士の血が蘇った。俺にとって石徳は、かけがえの無い主君であり、お城だった」
翌朝、伝家の長刀を腰に、家を出た長十朗は、番所を出る源三の後を付け、先回りして、人眼も気にせず正面から源三に挑んだ。
「なんだ若造、刀を差して。町人になったくせに」
そう言って源三は、まさか長十朗が、自分の命を狙っているとも知らず近づいて来た。
「無礼者、目明しの分際で叩き斬ってやる」
「おい乞食浪人、気でも狂ったか、十手持ちを斬れば獄門、逃げても兇状持ち、痩せ浪人に、この俺様を斬る度胸が有るか」
「父さんは食って行くのが精一杯で、剣の修行はしなかった。だが今、この源三を打ち損じたら奥様も救えず、俺も死ぬより辛い目に合わされる。絶対失敗は出来ぬと思い、源三の不意を付き、逃がさぬ様、いきなり源三の足を払った」
あなどって油断していた源三は、いきなり膝を斬られ、計り知れない恐怖を感じ慌てた。
「待て、待ってくれ、俺が悪かった」
「いつの間にか人だかりが出来たが、源三を斬って腹を斬るつもりの俺には、気にならなかった」
長十郎は命乞いをする源三を非情に斬り続けた。手慣れなら、足に傷を負った源三を仕留めるのは、簡単だろうが、長十朗は手間取った。源三も剣術の下手糞な相手に斬られる事が、これほど恐ろしい事とは知らなかった。脳天を狙い振り下ろした一太刀は、耳と頬を削ぎ落とし、十手を持つ手を狙った二太刀目は、指を三本落とした。結局、初めに斬った、膝の出血が止まらず息絶えた。




