6.古の王
「――アハハハハッ!!! 逃げてばかりじゃ勝てないヨ!!!」
狼の猛攻から逃げ回るケット・シーに対して、狼はそう言って笑う。
追尾してくる無数の光弾を、ケット・シーは間一髪で避けつつ攻撃のタイミングを窺う。
ウォルスもまた、狼からの光弾と鉤爪による攻撃を剣でいなしつつ、攻撃の隙を窺う。
狼がウォルスとケット・シーの動きに合わせて、ステップを踏むように位置取りをする。
その隙に合わせてウォルスはケット・シーに目線で合図を送り、挟み撃ちを仕掛ける。
ウォルスの剣とケット・シーの双刃が狼の胴体を直撃する。
だが、狼はふたりの攻撃を身を捩っていなし、致命傷を負わせる程の威力を与えられない。
一方、狼との戦闘に参加することができないリベルティナは、どうにもならないもどかしさを抱えていた。
言ってしまえば家庭内の問題なのに、一番母に近かったリベルティナではなく、一応血が繋がっているとはいえ他人である彼らにその決着を任せて見守ることしかできない自分が歯痒い。
ウォルスやケット・シーの為に何か出来ることはないだろうか。
けれど、リベルティナは今まで一度だって戦闘をしたことなんてない。妖が見えるようになったのだって、つい最近の出来事なのに。
それでも、リベルティナの中のもやもやは消えない。
リベルティナは自分自身の両手のひらに視線を落とした。
戦闘経験がなくたって、囮くらいにはなれるんじゃないだろうか。
そう覚悟を決めたリベルティナの両手が、ぱちりと煌めいた気がした。
「――ウォルスさん……っ!」
ひらりと狼の攻撃をかわして、リベルティナの近くに降り立ったウォルスにリベルティナは声を掛けた。
「――っ、リベルティナ?」
「ウォルスさん。私も、戦います!」
「はぁ!?」
絶賛戦闘中の状況で、そう言いだしたリベルティナにウォルスは理解不能と言いたげな声を上げた。
ウォルスが視線を上げるとケット・シーが狼を引き付けておいてくれているお陰で、どうやらこちら側に意識は向いていないようだ。
ウォルスは背中越しにリベルティナを守る形でリベルティナと話をする。
「戦うって、おまえ……! 戦闘経験のないヤツが相手取る敵じゃねえって!!!」
「それは、そうかもしれませんけど……っ! でも、このまま何の力にもなれないのは嫌です! せめて、囮くらいはやらせてください!」
「はあ!?!!?」
突拍子もないことを言い出したリベルティナに、ウォルスは困惑した。
確かに今のウォルスはケット・シーに力を一部貸している状態で、今の戦況を顧みるに力の差は五分五分だ。
あの狼にこの状態で勝つには、確かに戦況を撹乱できる存在が必要だ。
だが、リベルティナにその役を買って出させるわけにはいかない。守護の対象を危険に晒すなんて言語道断だ。
「ばかっ! 囮なんて買って出るんじゃねぇ!」
「じゃあ、どうしたらいいんですか!?」
いいから大人しくしてろ、とリベルティナに対して言い放とうとしたウォルスはハッとした。
まっすぐな、覚悟の決まったリベルティナの顔。その瞳は今にも咲きほころんだかのような紅の薔薇の色をしていた。
リベルティナの中で眠っていた力が本格的に目覚めようとしている。その事実にウォルスは思考を周巡させた。
今の戦況を改めて整理するにあたり、力の差は五分五分。どちらが勝っても負けてもおかしくない状況である。
更にウォルスはケット・シーに自身の力を一部貸している状態であり、万全とはいえない。
だが、もしケット・シーに貸している力がウォルスに戻ってきて、なおかつケット・シーの能力が劣らないという状況になるのなら……?
ウォルスは改めてリベルティナの目を見た。鮮やかな紅色の瞳。それは紛うことなく、ロゼの真名と力を受け継ぐ者の決意の瞳だった。
「……わかった。だが、囮をするのはやめてくれ」
「ウォルスさん……!」
リベルティナはまっすぐな瞳でウォルスを見た。
背中越しに振り返ったウォルスの、紅色の瞳とかちあう。
「……リベルティナ、俺は今ケット・シーに力の一部を貸している状態だ。だから、ケット・シーに貸している力の接続先をおまえに変える。おまえはケット・シーに、主人として力を与えてやってくれ」
「ケット・シーに……。わかりました、やってみます!」
リベルティナが頷く。
ウォルスはリベルティナの手にケット・シーと繋がっていた妖力の糸を託す。
目に見えない妖力の糸がリベルティナの手に渡り、リベルティナの手の中でじんわりとした温かみを与える。
それまでとは違う力の波長に、狼との攻防をしていたケット・シーがひらりとウォルスの側に降り立つ。
「ウォルス殿、これは……?」
「……力の接続を変えた。直系じゃない俺の力よりも、直系にあたるリベルティナの妖力の方が馴染みがいいはずだ」
ウォルスの説明にケット・シーは思わず後ろを振り返る。
ロゼの血を受け継いだ証である紅薔薇の色の瞳をしたリベルティナが、ケット・シーを見て頷いた。
「フン……、いまさらそんなヒヨッコが加わったところで、何が変わる……?」
こちらの状況を察した狼が、フンと鼻で笑う。
「……変わるさ。ロゼの力をなめるなよっ!」
ウォルスの言葉を皮切りに、両者が動く。
俊敏に叩き込まれる狼の拳を、跳ねるようにしてかわす。
ひらりと空中を舞うようにケット・シーが身を翻し、瞬時に発動させた魔法陣から光弾を放ちつつ尾の剣で追撃を行う。
ケット・シーの攻撃を後ろに飛ぶようにしてかわした狼の背に、その動きを読んでいたウォルスが剣で切りつける。
息の合った攻撃に狼は一度体勢を立て直そうと跳躍する。
ケット・シーは狼に合わせて一度後退をし、二又に分かれた尾で新たな魔法陣を描く。
ウォルスの力では扱うことができそうもなかった、強力な陣を素早く描いていく。
狼はその大技に対処しようと足を踏み出す。が、その足首にはいつの間にか光の鎖が。
「……っ!」
ケット・シーが吼える。
咆哮を合図に、魔法陣から光線のような魔法が放たれる。
ケット・シーの攻撃をモロに喰らった狼はその身を宙に投げ出し、吹き飛ばされる。
だが倒れるまでにはいかない。狼が着地点を探そうと視線を動かした時、上空には剣を向けたウォルスが。
「――古代魔法、刻結界封印!」
ウォルスの手にした剣がキラリと輝く。
空中で身動きの取れない狼のその体に、ウォルスは剣を突き立てた。
刹那、周囲から性質の違う光の鎖がどこからか飛んできて、幾重にも狼の体を拘束する。
王家にしか扱えない封印術でその身を拘束された狼はなす術なく倒れ伏した。
「――クッ、……いつの間に、結界を……」
「念には念を、ってやつだ」
ウォルスは狼の前に立つと、静かにその手を翳す。
リベルティナの母に憑りついているこの狼を、封印ごと引き剝がすためだ。
「……ッ、さすがは、齢13にして、軍神と恐れられたソーンクラウン家の王子……。我が主君を封印した……、おまえの母親と、瓜二つ……」
狼の瞳に、かつて主君を封印した存在とが、被る。
ウォルスは何も言わないまま、狼の妖力を封印ごと引っ掴み、引き抜くようにしてリベルティナの母親から狼を引き剥がす。
パリンッ、というガラスが割れるような音と共に閃光が走り、倒れ伏していた狼は消え、そこには金髪の女性が。
「――お母さんっ……!」
元の姿を取り戻した母に、リベルティナは駆け寄った。
肩を揺すってみるも、反応がない。戸惑うリベルティナに姿が元に戻ったケット、シーが側に駆け寄ってくる。
ケット・シーがそっとリベルティナの母親の様子を確認すると、まだ息はある。
「……大丈夫でございまする。ただ、気を失っているだけでございまする」
ケット・シーの言葉にリベルティナはホッと安心して頷く。
その様子をウォルスは静かに見つめた後、手にしている狼の封印をその手で握り壊した後、彼女の母親を介抱するべく側へと寄ったのであった。
――――・――――・――――
リベルティナの母親を二階にある彼女の母親の自室へと運び、ベッドへと寝かせた一同はふぅ、と一息ついた。
リベルティナの母親からは規則正しい寝息が聞こえ、容体が安定しているのが窺えた。
リベルティナは改めて助けてくれたウォルスに向かってかしこまり、頭を下げた。
「ウォルスさん、私と、私の母を助けていただき、ありがとうございます」
「え? いや、別に俺はそんな大層なことしてねぇよ。……たまたま通りかかったら困ってるヤツがいたから助けた、それだけだ」
そう言って肩を竦めるウォルスに、母の顔色を見ていたケット・シーが横入りする。
「いやいや……、ウォルス殿はどこからどう見てもリベルティナ殿の後を追って、すとーかーというやつをしていたでございまするよ?」
「はぁ!? 人聞きの悪いことを言うな! そりゃ、確かに追っては来たが……、そういう意味じゃねぇだろ……っ!」
すっかりいつも通りに言い合うふたりの姿に、リベルティナはどこかおかしくてふふっ、と笑った。
「だーっ、もういいっ! 俺は帰るからな」
「えっ、帰っちゃうんですか?」
「えっ、ってなんだよ、えっ、って……。……だいたい、退魔士としての俺の役目は終わってるだろ。後は親子水入らずで看病してやれよ」
ウォルスにそう言われ、リベルティナは母を振り返る。
いつもは恐ろしくてまともに顔なんて見たことなかったけれど、こうして寝ている顔を見ていると疲れた顔色でやつれているのが分かる。
そうとう消耗していたのだろう。リベルティナは静かにベッドに眠る母の元へと寄ったのだった。
ウォルスはリベルティナ一家の様子を見届けると、静かに背を向けて階下へと降りる。
仇は討った。リベルティナもまた、縛られるものが無くなった。
これ以上彼らにしてやれることはもう無いだろう。それに、自身の役目も、もう……。
ウォルスが家の玄関に辿り着いた時、フッと体から力が抜けた。
ガックリと玄関の床に膝をついて自身の手を見ると、薄っすらと向こうが透けて見えるのが分かった。
どうやら妖としての身ももうもたないらしい。役目を終えた自分には丁度いいと壁に背を預けて空を見上げると、ウォルスを追ってきたケット・シーがウォルスに声を掛けた。
「う、ウォルス殿……! その体は、一体……!?」
驚き戸惑うケット・シーにウォルスは息を吐きながら目線をやると、静かに話をする。
「……どうやら俺の役目はここまでのようだ……。ケット・シー、おまえの主人に伝えておいてくれ。……後は、自分の力で頑張れってな……」
「……嫌ですよ、そんなこと!」
返事を返したのはケット・シーではない。
見るとケット・シーの向こう、玄関に続く廊にリベルティナが立っていた。
「……リベルティナ」
「ウォルスさん、消えちゃうんですか……? どうして……!?」
「どうして……って、言われてもなぁ……」
これが宿命だった、としか言いようがない。
妖がこの世から消える理由、それはこの世においての役目――心残りが無くなったことに他ならない。
ウォルスは仇であるあの狼を討った。後は後世の世代に次の代を渡していくだけだ。
それを果たすには、ウォルスそのものの存在がこの世から消える必要がある。
それを理解しているウォルスはどうしようもないこの状況に儚く笑った。
「……リベルティナ。俺は、おまえと居れてなんだかんだ楽しかったぜ……」
「そんな……、お別れみたいなこと言わないでください! 絶対、ウォルスさんを助ける方法が何か……!」
「つってもなぁ……」
そう言って困ったように肩を竦めるウォルスに、リベルティナは首を横に振る。
「嫌ですよ、消えるなんて……。居なくなっちゃうなんて……! だって私、まだウォルスさんに助けてもらったお礼も、恩も、何一つ返せてない……っ! お願いだからっ、居なくならないで……っ」
いつの間にか、リベルティナの頬を涙が伝っていた。
変えようの無い未来に、どうにか足掻きたくてリベルティナは考えた。
だが、ろくにいい考えは浮かんでこない。ウォルスに消えて欲しくない思いだけが涙と共に溢れだしていく。
「……私っ、ウォルスさんだけが頼りなのに……! 居なくなっちゃったら、どうしたらいいんですか……っ!?」
「……安心しろ、リベルティナ。……おまえにはもう、ひとりでやっていけるだけの力がある……、俺が、保証してやる」
ウォルスの励ましにも、リベルティナはイヤイヤと首を振った。
そして、手の甲で涙を拭った瞬間、ふとある事を思い出した。
それは昔どこかで聞いた、おとぎ話のおまじない。
――縁を結ぶ、口付けを。
頭の片隅にささやくように響いたその台詞を、リベルティナは静かに噛み締めた。
一か八か、リベルティナはそのおまじないに掛けてみようと。
深呼吸をして消えかかっているウォルスに近づき、側で膝を折ったリベルティナはすっかり菫色に戻った瞳で動けないウォルスの唇に、自身の唇を落としたのだった。




