4.母に憑りつく妖
「――す、すみません、ウォルスさん……! 唐突なお願いで……!」
宿に出勤するなり、リベルティナは雇い主であるウォルスにそう申し出た。
というのも、先日母への定例報告の連絡をした際、どうにもリベルティナの様子が怪しいとのことで急遽帰還命令が出てしまったのだ。
リベルティナがどれほど大丈夫だと母を説得しようと試みても、母は頑として一度帰ってこいの一点張り。
果ては1週間以内に帰らないなら警備隊に捜索依頼を出すと脅されてしまったのだ。
母に強く出れないリベルティナは渋々その条件を吞むしかなく、実家へ帰らなければならないのだった。
問題はリベルティナが働いているという事実。
働いているということは、急にお休みをもらうとそこで働いている人に迷惑がかかるということ。
リベルティナの場合は現状ウォルスしかいないが、だからといって軽く流していいことではない。
リベルティナはウォルスに申し訳ないという感情と、母に会いたくない気持ちでいっぱいで、気分が沈んだ。
「――……なるほど、ね。……最初に面接した時から事情はあるとは思っていたが、そこまでだったとはな」
「はい……。すみません、ご迷惑をおかけして……」
しゅん、としょげるリベルティナに、ウォルスはうぅむ、と考え込んだ。
(ケット・シーの話から悪い妖に憑りつかれているとは聞いていたが……、彼女のこの怯えよう、そして守護霊の力までも消耗させる程の妖、か……。……相当厄介なモノに憑りつかれているな……)
過保護なのは結構。親というものは自分の子供に対してそれなりに愛情はあるものだ。
だが、やり過ぎということもある。ましてやその原因が妖となれば、普通の人に対処は難しいだろう。
それにリベルティナが守護霊を見えるようになったのはつい1か月前のことだ。彼女の親が妖に憑りつかれているなど、知る由も無いだろう。
「……まあ、正直なところ俺がおまえに何かしてやれることはない。おまえの実家に行って俺が説得を試みても、話が余計こじれるだけだろうしな。……悪いが、気を付けて実家に帰れとしか言いようがない」
「……そう、ですよね……。すみません、心配させてしまって……! あ、でも、ほら……! 私には守護霊のケット・シーがいますし!」
そう言って空元気でにっこり笑ったリベルティナは足元に控えていたケット・シーを見てニコッと笑った。
肝心のケット・シーはというと、これまたぎょっとした表情で驚いてリベルティナを涙目で見上げていた。
「……まあ、そうだな。守ってくれる騎士がいるんだから大丈夫か」
ウォルスもそれに乗っかってみると、ケット・シーはますます涙目になりながら小さく「……ひどいでございまする!」と嘆いていた。
そんな軽いやりとりをして、宿の営業を開始したのだった。
――――・――――・――――
深夜、宿の営業を終了して数刻が過ぎた頃。
翌日には実家に帰らねばならないリベルティナが眠るベッドの前に、そこに居るはずのないウォルスが静かに佇んでいた。
「……ぅ、ウォルス殿……?」
一体どうやって、鍵もないのに部屋へと入ったのだろうか。
驚き固まるケット・シーに、ウォルスは唇に人差し指を当ててしぃーっと言った。
その瞳は不可思議にも、赤く妖しく輝いていた。
ウォルスはリベルティナを起こさないように静かに彼女の額に手を伸ばすと、指先で何かのまじないを描いていく。
うっすらと赤い輝きを伴う光はすっとリベルティナの額に溶け込むように落ちていき、その輝きを消失させる。
「ウォルス殿……!」
小声でケット・シーはウォルスを呼んだ。
だがウォルスはケット・シーのことを無視するように、リベルティナが眠るベッドから離れて玄関へと向かった。
「ま、まってくださいでございまする……っ、ウォルス殿……!」
ウォルスは一言も発さず、静かに振り返った。
ウォルスを追うケット・シーは急に立ち止まったウォルスにぶつかりそうになりながらも、じっとその赤い瞳を見上げた。
「……安心しろ。おまえが心配するようなまじないはしていない」
「そ、そうでございまするか……。拙者、安心したでございまする……。って、そうじゃなくて……っ! う、ウォルス殿、まさか、あなた様は……、妖、なのでございまするか……!?」
驚きつつもウォルスの正体を知ろうと尋ねるケット・シーに、ウォルスはただ目を細めた。
赤く輝く瞳が一際強い光を放ち、きらりと煌めく。
「……誰にも言うなよ、ロゼの真名を持つ者の守護霊」
「……!」
その時、ケット・シーはなぜだか心臓を鷲掴みにされたような言い知れない恐怖を感じた。
ウォルスはただ者ではない。それは薄々勘づいていたことではあったが、まさか、真名を知られているとは思わなかったからだ。
彼は一体何者なのであろうか、尋ねようと伸ばした手が空を掴む。
既にウォルスはケット・シーの目の前から姿を消し、玄関にはケット・シーだけが残された。
ケット・シーは空を握った手を見つめると、確信に近い疑いをウォルスが居るであろう部屋の方へと向けた。
「……ウォルス殿……。……一族の真名を、知っているということは……、あなた様は、そんな、まさか……。……我らの、王、なのでございまするか……?」
ケット・シーの問いに答える者は誰も居ない。
――――・――――・――――
翌日。沈んだ気分のリベルティナとは対照的に、天気は快晴。
ついに戻ってきてしまった実家に、リベルティナは足が竦む。
一日に1回の報告の時でさえ億劫な気持ちであったものが、顔を合わせるとなると更に増長される。
だが、帰らなければ更にややこしい事態になってしまうだろう。リベルティナは意を決して実家の玄関に手を掛けた。
重厚な木の扉が静かに押し開かれ、リベルティナを中へと案内する。
ドラジェ家。それは由緒正しいそれなりに歴史ある家である。
かつて愛する妻のために建てられたという、昔ながらの伝統的な煉瓦造りの家はもはや何年前に建てられたのか分からない程、歴史が古いらしい。
そんな実家は数年毎の補修を繰り返して、今の美しい外観を保っていた。
だが、そんな誰もが憧れる邸宅に住んでいたリベルティナの顔は暗い。
「ただいま~……」
一応玄関にて声を掛けてみる。
だが、居るはずの母からの返事がない。
リベルティナは母が既に町の警備隊に捜索依頼を出しに行ってしまったのかと不安に思う。
そっと自分の足元に控えている守護霊のケット・シーに視線を送ると、ケット・シーはこくんと静かに頷くと家の中へと駆けていく。
リベルティナはいつ、どこで現れてリベルティナに小言を言い出すか分からない母の存在を警戒しながら、荷物を置きに二階にある自室へと向かう。
家の階段を上り、上がった先にある自室の扉を開けるとそこは家を出る前と変わらないかつての自室があった。
シンプルなデザインではあるものの質の良い白のテーブルとソファ。
黒檀の木で作られた重厚なクローゼットと同じ材質のベッド。
そのどれもが塵ひとつ積もっていない様子が、リベルティナに自身がここに戻って来たという事実を改めて突きつけた。
まるで約1か月、ひとり暮らしをしていたことが夢だったかのように感じてしまう程、リベルティナの足は震えた。
リベルティナはひとまず、手にしていた荷物を置くと母を探すために自室を出た。
この時間なら、母はリビングに居るはずだ。
どこから現れるか分からない母の存在に怯えながらも、顔を見せないと意味がないリベルティナは恐る恐る階段を降りてリビングへと向かう。
「……お母さ~ん……?」
恐る恐る声を掛けてみるものの、やはり返事はない。
これはいよいよ、本当に警備隊に捜索依頼を出しに行ってしまったのだろうかと不安になったところで、リビングへと辿り着いた。
そっと顔を覗かせると、母がリビングのソファに座っているのが窺えた。
リビングの入り口に背を向けるように座っている母の姿に、リベルティナは母がまだ家にいた事に安心しつつも、やはり背筋に緊張が走る。
「……お母さん、帰ったよ」
「……おかえり、リベルティナ。……遅かったじゃない」
母はリベルティナの方を一切見ず、振り向かずにそう言った。
「ご、ごめんなさい……。ちょっと寝坊しちゃって……」
寝坊なんて嘘だ。
本当はここに帰りたくなくて、足が竦んでいたなんて口が裂けても言えない。
「……そう。……ひとり暮らしを始めてから、少し気が緩んでいるんじゃない?」
「そ、そんなことないよ……! ちゃんと、お母さんの言う通り仕事も見つけたし、報告も……!」
弁明しようとしたリベルティナの視界に、ソファから立ち上がる母の姿が映った。
母の背が、リベルティナにはゆらりとどこか蜃気楼のように揺れて見えた。
思わず言葉を詰めたリベルティナの前に、母がゆっくりと歩んでくる。
リベルティナとは対照的な、鮮やかな金色の髪。少しだけやつれたような顔色の母の菫色の瞳に映るは、怯えた娘の姿。
「そう……。……そうね。……確かに私の言いつけをちゃんと守っていたわね……」
母が静かに怒りを湛える雰囲気を感じ取ったリベルティナは身を縮める。
母は自分が言い出した言いつけを守っていた娘に対して、どこか不満を抱えている様子で声を低くして話す。
「……でもね、リベルティナ。私は、不安なのよ」
「不安……?」
「そう……。だってね、あなたはこの家を離れてからとても楽しそうじゃない」
「……?」
リベルティナは母の言葉に首を傾げた。
自分の娘が楽しそうにしていて、なにが気に入らないのだろうか。
「……ねえ、リベルティナ。もしかしてあなた、悪い人たちとつるんでいるんじゃないでしょうね?」
「そ、そんなことないよ……!」
「そう? あなたが働いているっていう宿も、危ない場所なんじゃない?」
「……、ちがうよ。そんなんじゃない」
リベルティナは母の言葉にドキリとした。
母には確かに宿で清掃の仕事をしているとは伝えてあるが、そこが連れ込み宿であるということは伏せてある。
母が知るはずのない話を持ち出してきたことで、リベルティナは動揺した。
「……そうかしら? リベルティナ。すぐに人の話を否定するのはあなたの悪い癖ね」
「ちがうよ、お母さん……! 私、本当にそういうことしてないってば……っ!」
リベルティナの言葉に母は頬に手を添えて、暗い目をリベルティナに向けた。
「リベルティナ。お母さんね、心配してるのよ」
「心配? ……どんな?」
「それはもちろん。大切に育ててきた娘が変なことに巻き込まれていたら困るじゃない。……だっテ、ヨウヤク、ココマデ育テテキタのに……」
母の姿が、再び蜃気楼のように揺らぐ。
今度はさっきよりも強く、ぐらりと。
リベルティナは二段階も低くくぐもった母の声に息をのんで、目の前に立つ母を見上げた。
数回瞬きをしたリベルティナの視界には、いつもの母の姿はなく、歪んだ大きな狼のような存在が立ちはだかっていた。
狼は人のように二つ足で立ち、どこか禍々しさを纏った金色の体毛をしていた。
そしてリベルティナを見下ろしながら、大きく裂けた口で笑い、赤黒い縦長の瞳孔を持った目を向けてきた。
「……っ! あ、あなた、だれっ!?」
思わず叫ぶようにして尋ねてしまったリベルティナに、狼はフンと鼻で笑った。
「誰、なんて悲しいなァ……。リベルティナ、君の、お母さんダというのに……」
「ち、ちがう……っ!」
否定するリベルティナに、何がおかしいのか狼はゲラゲラと笑った。
「アハハハハッ! 思ったよりも早ク見えてくれてウレシイよ! ずーっと、君のお母さんに憑りついていたのに、見えていないのが悲しかったんだァ……!」
狼の言葉に、リベルティナはハッとした。
幼少の頃、少しづつリベルティナに対して当たりが強くなっていった母。
父が単身赴任で家に帰ることが少なくなってからの出来事だったため、リベルティナは成長する過程で娘が心配なあまり過保護になっただけだと思いこもうとしていた過去を、リベルティナは思い出した。
「あーァ。君のお父さんは中々隙が無かったよネェ……。さすが、ロゼの真名を受け継ぐ子孫なだけあるよ。……仕方なく狙いを君に変えたのに、君ってば全然見えていなかったし、本当に力を受け継いでるのか疑っちゃったァ……」
「なにを、言ってるの……?」
力……?
リベルティナにはこの狼の言うことが理解できなかった。
ロゼの真名を受け継ぐ子孫? リベルティナは誰からもそんな話を聞いたことなんてなかった。
「まァでも、君を外に出すことは正解だったみたいダ。こうも早く効果が現れるなんテねぇ……。逃げられたら困るから、管理するのが大変だったケド、ちゃんと戻ってきてくれたし……、今はあの目障りな守護霊も居ないみたいだし、ネ……」
狼に言われて、リベルティナはハッとして辺りを見回した。
ケット・シーが側に居ない。これは非常にまずい状況なのでは……。
狼がずるり、と舌なめずりをする。リベルティナは思わず後退りをした。
「ほんとに、困ってたんだよネェ……。君のお父さんと入れ替わりで君に憑くし、殺しても戻ってくるんだもの……。デモ、これでようやく主君を復活させられそうだよ……っ!」
「……っ!」
狼のその台詞で、リベルティナは思い出した。なぜあの時初めて見えたケット・シーが懐かしく感じたのか。
確か、リベルティナが昔飼っていた子猫も、ハチワレの模様だった。そして、この狼が言う通り、父が単身赴任で家を離れてから入れ替わるようにしてやってきた子猫であったことを。
だが、その事実を知ったところでリベルティナにはどうすることもできない。
リベルティナがその事実に気付いた頃にはもう、狼は既に床を蹴り、リベルティナに襲い掛かろうとその牙を剥いていた。
なす術のないリベルティナは咄嗟に頭を庇うようにして身構えるしかなかった――。




