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3.名も無き守護霊


 リベルティナがひとり暮らしを始めて、一週間が経とうとしていた。

 一日1回、母親に状況報告をしなければならないのがネックではあるが、それ以外はそれなりにやれている、と自負している。

 出勤時間はお昼からなので、時間の余る午前は家事をするのが習慣化し始めていた。


「ベーコンを切ったら次は卵を……、あれ?」


 朝食を作っている最中のリベルティナは、まな板に切り終わったベーコンを乗せた状態で食糧庫から卵を取り出そうと視線をずらして気付いた。

 まな板の側に卵が二個、転がっている。いつの間に食糧庫から卵を取り出したのだろうか。

 リベルティナは首を傾げて疑問を感じながらもフライパンにベーコンと卵を並べて火にかけていく。

 じゅわじゅわと肉の油が溶け出して卵に火が入る音がしたところで、盛り付け用の皿を取ろうとして手を伸ばす。


「……どうぞ」

「ありがと。……?」


 皿を取ろうとして伸ばした手にはいつの間にやら盛り付ける用の皿が乗っていた。

 今、自分は自らの意思で皿を手に取っただろうか。

 違和感に気付いたリベルティナは室内をぐるりと見回して見るものの、そこには自分以外誰も居ない。

 疲れて短期的な記憶が失われているのだろうか。慣れない初めてのひとり暮らしで疲れているのだと、そう決めつけたリベルティナは気を取り直してリビングに作った朝食を運ぶ。

 リビングは急ごしらえで用意したため、今のところ寝るための簡素なベッドとローテーブル、クローゼット位しかない。

 そんな質素とも言える室内は今のリベルティナには合っていると、そんな気がしていた。

 自己主張のない家具に囲まれて摂る朝食は、ひとり暮らしを始めたての気分がして新鮮だ。

 今まではだだっ広いダイニングで朝食をひとり寂しく摂るか、母に睨まれながらの食事だったため息が詰まった。

 リベルティナがささやかな自由を噛み締めながら朝食を摂ろうと両手を合わせたところで、目の前からふと視線を感じた。

 そっと目線をその視線の方へと向けると、見たこともない猫のような小動物がじっとリベルティナの方を見つめていた。

 猫のような小動物のようなそのナニカはリベルティナの視線に気付くと、ぴしっとかしこまってこう話しかけてきた。


「お、おはようございまする、我が主様!」

「しゃ、……しゃべった~!?!!?」



 ――――・――――・――――



 太陽が天中に差し掛かろうとしている早朝。

 昼過ぎからの副業である宿の営業に向けて睡眠を取っているウォルスの安眠を、けたたましく鳴り響く来客用の呼び鈴が妨げた。

 最初こそ居留守を使いこもうとしたウォルスだったが、呼び鈴だけでなく部屋の扉をドンドンと叩く音、「居るのは分かってるんですよ、ウォルスさん!」という少女の声に我慢ならず、ついにウォルスは扉を開けてしまった。


「……なに、朝っぱらから……」

「ウォルスさん! ……朝っぱらって、もうお昼前ですよ?」


 ウォルスの言葉にきょとんとするリベルティナを前に、ウォルスはふあ~、と大きなあくびをした。


「……って、そうじゃなくて……っ! ウォルスさんっ、私の部屋に、ヘンなのが!」

「はぁ? ヘンなの?」


 そう言ってリベルティナが指した方向に目線を向けると、そこにはおどおどして焦った様子の守護霊が。


「い、いや……っ、拙者、決して怪しいモノではなく……っ。ぅ、ウォルス殿っ、どうかご説明を~……!」


 ウォルスの存在に気付いた猫の守護霊が、涙目になりながらウォルスを見上げる。

 目の前の惨状にウォルスは手で目元を覆っては、はぁ~……、と深いため息を吐いたのだった。


 所変わって、リベルティナの部屋。

 突如リベルティナの目の前に現れた謎の生命体について、どうやらウォルスは知っているとのことでリベルティナは詳しく説明を聞くためにウォルスと謎の二足歩行の猫のような生命体をリビングへと招き入れた。

 さっきのドタバタで食べ損ねた朝食をキッチンへと下げながら、一応客人として簡単に茶を淹れるとそれを持ってリビングへと向かう。

 ウォルス、リベルティナ、そして謎の生命体がリビングにあるローテーブルを囲むようにして、互いに席に着く。


「……え~っと、それで……、ウォルスさん。この生き物はなんですか……?」

「何って言われても……、おまえの守護霊」

「守護霊……っ!?」


 守護霊、と言われてもリベルティナにはピンとこない。

 なにせ今までそんな霊的なあれやこれらとは縁遠かったのだ。

 そりゃあ、大昔はそういった魔法的な力を人類は使えたとかなんとかいう歴史はあるものの、リベルティナとしてはそういったものは知識として知っているだけであり、身近に存在した訳ではない。

 そんな、守護霊だとかいわれてもリベルティナとしては夢でも見ているのではないかと思い始める。


「あの……、これ、夢とかじゃないですよね……?」

「……んな訳。……正真正銘、こいつはおまえに憑りついてる守護霊だよ」

「えぇ~……」


 リベルティナは信じられないといった眼差しで謎の生命体、もとい守護霊を見つめた。

 見た目はまるっきり二足歩行の猫。だが人間のように一応服を着ているらしい。

 ハチワレ模様の守護霊はそんなリベルティナの眼差しに少しだけしょんぼりとし、話を始めた。


「……面目ない。拙者、主様を守る守護霊なのではあるのですが、今ではすっかり力も弱ってしまい……、このような姿に……」

「そ、そうなんだ……」


 そう言ってしょげる猫の守護霊に、リベルティナはどこか懐かしさのようなものを感じた。

 そういえば幼い頃に短い間だったけれど、猫を飼っていた記憶が頭の隅に過る。


「で、ですが……! 守護霊として主様を守る覚悟は一人前でございまする!」


 しょげていた守護霊はぐっと小さな拳を握ると、リベルティナをじっと見上げた。


「あ、あの~、主って、もしかして、私……?」

「はいっ、さようでございまする! 拙者、主様の幼少の頃からお仕えしておりまする。ゆえに、以後お見知りおきを……」

「は、はぁ……」


 ぺこりと床に膝をついて頭を下げる守護霊に、リベルティナも思わず頭を下げた。

 そして、ふと思った疑問を投げた。


「あっ……、幼少の頃からって。……私、今まであなたのこと見えてなかったんだけど、どうして今になって……?」


 考えてみれば不思議だ。

 今まで自分自身に守護霊が憑りついているなんて知らなかった。それが、どうして今になって見えるようになってしまったのだろうか。


「そ、それはきっと、ウォルス殿の強いお力に影響を受けて……!」

「あー! いやいやいや、待て……っ! それは、あれだ。おまえの力が弱ってるから、ほら……!」


 不自然にも会話に乱入してきたウォルスに対して、リベルティナの守護霊はぶんぶんと首を横に振った。


「いやいやいや……! 拙者には分かるでございまするよ!? ウォルス殿の並々ならぬお力が!」

「だーっ! ちがう! 違うから!!」


 そんなふたりの応酬(おうしゅう)を眺めながら、リベルティナはふとある疑問を抱いた。

 守護霊だというのなら、どうしてウォルスには普通に見えていて、しかも一切動じていないのだろうか。


「……あの~、少しいいですか……?」

「……なに?」

「……ウォルスさんはどうして、普通にこの子が見えているんですか?」


 リベルティナの問いにウォルスはハッとした。

 普通の人ならば見えるはずのない守護霊が見えている事実を、どうリベルティナに説明しようか焦る。


「……え!? あ、いや、まぁ~……、体質というか、なんというか……」

「主様! ウォルス殿は非常にお力の強い退魔士的な、霊媒師的なアレなんでありまするよ!」

「あーもうっ! おまえは黙ってろ……っ!」


 守護霊の説明に頭を抱えるウォルスに、リベルティナは小首を傾げた。


「……そうなんですか、ウォルスさん?」

「……ッチ。ああそうだよ。俺は本業で退魔士やってる。宿の方は副業なわけ。……別に、隠してた訳じゃねぇけど」

「そうなんですね! ……あっ、だから宿の営業時間が短いんですね!」


 リベルティナは合点がいったと、納得したように頷く。

 そんなパズルのピースがぴったりと合った風で、どこか嬉しそうなリベルティナにウォルスは不貞腐れた様子でそっぽを向いた。


「あー、はいはい。……俺のことはどうでもいいだろ。……で、リベルティナ。おまえはこの守護霊をどうしたい?」


 そう言ってウォルスは守護霊に向けて睨みを利かせた。

 おまえ如き、簡単に消せるんだぞという牽制を込めた眼差しに守護霊はびくっと体を震わせた。


「ど、どうしたいっていわれましても……。一応守護霊ですし……。……悪いものではないんでしょう?」

「……まぁ、そうだな」


 ウォルスの答えにリベルティナはう~んと考え込んだ。

 悪いものではないのならこのままで大丈夫だと思う。それに、守護っていう位だから今までリベルティナを守ってくれていたかもしれない存在なのだ。


「そうですね……。このまま放置でいいと思います」

「あ、主様~……!」

「あ、でも。私のことを『主様』って呼ぶのはやめてほしいです。私にそんな資格はないので」

「えぇ~……!? そ、それでは拙者はなんとお呼びすればよいのでありまするか~!?」


 守護霊の嘆きにリベルティナは至極まともに返事をした。


「普通にリベルティナで大丈夫」

「う、うぅ~……。主様を呼び捨てで呼ぶなど、騎士の名折れ……! せ、せめて、敬称を付けさせてはくれませぬか……!」

「敬称……」


 まあ、それくらいならいっか、とリベルティナは頷いた。


「……ところで、私はあなたのことをなんて呼べばいいの? 守護霊じゃなんか申し訳ないし……」

「せ、拙者のことでありまするか……!?」


 守護霊の問いにリベルティナは頷いた。

 守護霊は守護霊かもしれないが、それはあくまで種族名のようなものでずっとそれで呼ばれるのは癪に障るのでは、とリベルティナは考えた。

 自分だって、ずっと『おい人間!』と呼ばれればなんだか釈然としない。


「うぅ~……、リベルティナ殿が拙者のことを……! し、しかし……、拙者には名などござらぬ、しがない守護霊にございまする……!」

「えっ、名前がないんですか……!?」


 驚いたリベルティナにウォルスが静かに補足を付け足した。


「……基本的に守護霊に名前はない。そもそも守護霊というのは先祖の霊だからだ」

「先祖……」

「はい……っ。拙者、リベルティナ殿の先祖……。即ち、亡くなった者たちの集合体のような存在なのでございまする……!」

「え、えぇ~!?!!?」


 衝撃的な事実にリベルティナは驚いた。


(守護霊ってそうだったの~……っ!?)


 ずっと一体だけだと思っていた守護霊の正体が、まさか集合体だったなんて……。


「……ゆえに、リベルティナ殿。どうか、拙者のことは自由にお呼びいただければと……」

「え~……、自由にって……」


 困ったリベルティナが助けを求めるためにウォルスの方へと視線を向けたが、ウォルスは静かに首を横に振るだけだった。

 困ったリベルティナはう~んと考え込んだ後、仕方なく呼ぶ名前を決めた。


「ん~……、じゃあ……、猫の妖精(ケット・シー)で」

「……ずいぶん安直だな。リベルティナ、本当にそれでいいのか?」


 ウォルスが不安げにリベルティナにそう尋ねた。

 リベルティナ自身、ものすごく安直だとは思う。


(だって、なんにも思いつかなかったんだもん……!)


 そう心の中で嘆く中、守護霊がじっとリベルティナの方を見上げていることに気が付いた。

 やっぱり安直過ぎただろうか……。


「……け、ケット・シー……! なんと素晴らしい言葉の響き……!」


 守護霊は瞳をキラキラさせてリベルティナを見つめ、嬉しそうにぎゅっと両手を握っていた。


「……ほ、本人が嬉しそうですし、いいんじゃないでしょうか……?」

「……あっそ」


 そう言って再びそっぽを向いたウォルスに苦笑いをし、リベルティナはテーブルに視線を向けた。

 話に夢中になっていて気付いていなかったが、いつの間にか皆に出したカップの中身が空になっている。

 リベルティナは追加でお茶を淹れてこようと思い、立ち上がりキッチンへと向かった。

 その隙を見て、リベルティナの守護霊であるケット・シーは改まってウォルスの方へと向き直る。


「……ウォルス殿」

「なに?」

「此度の協力、非常に感謝致す」

「はあ……?」


 一体何のことだと首を傾げたウォルスに、ケット・シーは静かに頭を下げた。


「ウォルス殿のおかげで、我が主であるリベルティナ殿は非常に生き生きしております……! 初めてそちらにお伺いした時には依頼を断られてしまい落胆しておりましたが……、やはり拙者が見込んだ通りのお方……! 我らをお助けしてくださり、ありがとうございまする……!」

「……別に俺は何もしていない。ただ約束を守っているだけだ。……言っただろ、見れる範囲でなら守ってやるって」

「ウォルス殿……! どうか、我が主でありまするリベルティナ殿を、どうかよろしくおねがいいたしまする……!」


 そう言っていつかの日と同じように深々と頭を下げるケット・シーをウォルスは無言で見つめた。

 そしてウォルスの部屋と同じく、リビングにひとつしかない窓の外へと視線を向けると軽く息をついたのだった。

 窓の外では、曇りひとつない青空を小鳥たちが自由に羽を広げて飛び回っていた。


 

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