1.一か八かの出たとこ勝負
時は数刻前に戻る。
リベルティナ・ローズ・ドラジェは嘘みたいに晴れた空を見上げ、はぁー、と深くため息をついた。
(またダメだった……。期限は今日までなのに……)
リベルティナは俗に言うところの箱入り娘であった。
というのも、リベルティナの母は非常に厳しい人で、何をするにも母にお伺いを立てないといけないし、少しでも母の思っていることと違うことをすると叱られる。
そんな日々に嫌気が差して、ついに先日ひとり立ちをする決心をしたのだ。
だが、そんなリベルティナに執着するかのように母はある条件を提示してきたのだ。
それが、『家を出てから3日以内に職を見つけること』『1日に1回は母親に連絡をすること』だった。
今日は町に出て丁度3日目――家を出てから4日が経とうとしていた。
(今日までにどこか職を見つけなければまたあの場所に戻らなければならない……。それだけは絶対に嫌だ)
母の顔が頭に過ったリベルティナはぶんぶんと首を振って母の虚像を振り払う。
そして、視界に飛びこんできた建物と出会った。
「……連れ込み、宿?」
いくら箱入り娘のリベルティナといえど、その言葉が何を意味しているのかは知っている。
だが、ここなら、もしかしたらという謎の自信がふいにリベルティナに沸き起こった。
こうして、リベルティナはひょんなことから突発的に連れ込み宿の面接を受けることとなったのだった。
「――だから、お願いします! 何でもしますから!」
リベルティナは目の前に座る黒髪の男性に向けてめいっぱいに頭を下げた。
リベルティナを宿で働かせるか否か、それはくたびれたシャツを着たこの男性にかかっている。
リベルティナにはもう後がない。基本的に、職に就くにはアポイントメント――事前に連絡をするのが普通だ。
だが、そんなことをしている暇はリベルティナにはなかった。期限は3日と短い。
男性からの返事が無い中、リベルティナは恐る恐る男性の様子を頭を下げつつ上目で見た。
男性は手入れしていないのだろう、ボサボサの伸びきった黒髪を横髪だけ後ろでまとめた頭を抱えて手元の資料――リベルティナが書いた経歴書を眺めたりリベルティナを横目で見たりして非常に悩んでいた。
やっぱりダメだろうか……、とリベルティナが落ち込みかけたその時、ふとリベルティナはあるどうでもよさげな事に気付いた。
(……? どこを見ているんだろう……?)
男性は時折、リベルティナの方を見ている様子でこちらを見ていたが、よくよく観察してみるとどうやらリベルティナの左隣、リベルティナの足元付近をやたら気にしているような気がした。
リベルティナもまた男性に悟られないように自身の左隣、足元付近に目線を向けてみたがそこには何も無い、ただ床の木目が視界に映るばかりであった。
リベルティナの頭に疑問符が浮かんだところで、男性の視線に気を取られてぼけっとしていたリベルティナに、ふいに声が掛けられた。
「……リベルティナ・ローズ・ドラジェ。お前の気持ちはよーくわかった」
「は、はい……」
神妙な面持ちでリベルティナに言葉を伝える男性に、リベルティナは一抹の不安を感じた。
やはり、ここもダメなのだろうか……。
「……だが、見たところ君は成人して間もない。大方親元を離れてすぐなのだろう? だとしたら、こんな場所じゃなくてもっとまともな仕事に就くことだってできるはずだ」
「はい……」
男性の言葉にリベルティナはぎゅっと拳を握った。
やっぱりダメだった。そりゃそうだろう。経歴書は嘘偽りなく書いてある。
誰がどう見てもリベルティナがひとり立ちをしてすぐだということには気が付くだろう。
そんな右も左も分からないかもしれない人間をそう安々と働かせてくれる場所ではないと、リベルティナは少しだけ冷静になった頭で思った。
だが、覚悟はしていたがやはり現実を突きつけられると心にくるものがある。
リベルティナは母の元に戻りたくない気持ちと悔しさで、無意識にも歯を食いしばった。
「……だが、まあ、そうだな……。……その様子だと何か訳ありなんだろう? こんな場所の面接にそこまで必死になる若者はそういない」
「……? ぇ、はぁ……」
一応、リベルティナの必死さは伝わったのだろうか。
リベルティナはあまり言いたくない家庭事情を察してくれた様子の男性に少しだけ安心感を覚えた。
リベルティナの事情を認めてはくれたのだろう。だとしたら、ここでは働けなくともなにか手立てをしてくれるかもしれない。
そうリベルティナの頭に考えが浮かんだところで、リベルティナは心の中で頭を横に振った。
そんな都合のいい話があるわけない。そう期待してしまうのは傲慢だろう。
リベルティナの目の前の男性は非常に嫌そうな表情をしながらも、話を続けた。
「……本来ならこんなことは認めたくはないが……、まあ、しかたない。ここで働くことを認める」
「……へ? い、いいんですか……?」
「……例外だ」
リベルティナは耳を疑った。だって、絶対に断られると思ったからだ。
本当にいいのだろうか。いや、リベルティナとしては嬉しいのだけれど。
男性の言葉が信じられず、拍子抜けしたように呆けるリベルティナに男性は椅子から立ち上がりながら話を進める。
「いいか、本来ここみたいな業種はまともなヤツが選ぶ仕事じゃない。裏でどんなヤツと繋がってるか分からないからな……」
リベルティナの視界に男性の薄汚れたズボンとくたびれたブーツが映る。リベルティナは思わず顔を上げた。
男性の不思議な色合いの瞳とかち合う。青色とも紫色ともとれる不思議な輝きを伴うその瞳に惹き込まれそうになった刹那、男性がふっと一瞬だけ左下に目線を落とした。
「……だから、そう簡単に何でもするなんて言うな。あっという間に食いモノにされるぞ」
低く艶のある耳に心地の良い声でそう言われ、リベルティナはドキリとした。
もしかしたらこの人もそういう世界の住人なのだろうかと警戒して身が固まる。
だが、今更引き下がれない。他に職が見つかる希望もない。
こうなってしまったからには仕方がないと、リベルティナは腹を括った。
――――・――――・――――
「――じゃあ、さっそくだが仕事を教える。……っつっても、やってもらうのは掃除だけだけどな」
そう言って男性はどこからか色んな物を手にしてリベルティナに手渡してきた。
ひとつひとつ手に取って確認してみる。割烹着みたいなエプロンに長手袋、頭巾とマスク……。
身につけるものはそれくらいで、後は箒やらバケツやら雑巾やら……。
これを使えっていうことなのだろうか。
リベルティナは恐らくそういうことなのだろうと踏んで、ひとまず手渡された装備を身につけた。
「……いいか、掃除中は絶対にその装備を脱ぐな。それと、勤務中は絶対に女だって客に知られるな」
「は、はぁ……。あの、どうして女だって知られちゃいけないんですか……?」
「そりゃあ、おまえ。……ここにはどんな客が来るか分からんだろう? 自衛だ、自衛」
「はぁ……」
この男性は庶民向けとは言っていたが、そこまでこういった場所の民度はヤバいものなのだろうか。
今までろくに外の世界を知らなかったリベルティナにとって、それは未知の領域であるがゆえに予想もつかない。
ここはひとまず、この男性の指示に従うべきだろう。リベルティナはそう思った。
「じゃあ、本格的に教えていくぞ。まずは部屋に向かう前に今渡した掃除用具を、ここのカートの中に突っ込んで部屋の前まで押していく。カートの手持ち部分に全部屋の鍵をつけてあるから、部屋番号と同じ番号の鍵を探して部屋の鍵を開けてから掃除開始だ」
「あの……」
男性がリベルティナを連れながらそう説明する中、リベルティナは思い切って声を掛けてみた。
そういえば、リベルティナはまだこの男性の名前をきいていない。
「……なに?」
「……すみません、あの、あなたのことはなんと呼べば……?」
リベルティナはおずおずと尋ねた。
話の腰を折ってしまって申し訳ない気持ちもあるが、このまま大人しく説明を受けていたら聞きそびれてしまうのではという不安もあったからだ。
男性はリベルティナの問いに一瞬詰まったが、小さくため息をつくとリベルティナの問いに答えた。
「……ウォルス」
「ぇ……?」
「ウォルスだ。……まぁ、好きに呼べばいい」
「ウォルス、さん……」
リベルティナは男性の名前を覚えるためにそう呟いた。
そうこうしている内に、ウォルスは部屋の鍵を開けて仕事の説明をするためにリベルティナを導いた。
室内は簡素な作りで、2、3着ほどの衣類しか掛けられないような簡易のクローゼットに、人がぎりぎりふたり横並びにねられそうなベッド。
ベッドの横は浴室だろう、これまた質素な扉が壁に張り付いていた。
ウォルスは部屋に入ってすぐ、入り口の真正面にある窓の分厚いカーテンを開けた。
「……まず、部屋に入ったら換気のために窓を開ける。んで、ベッドの枕とシーツを交換。床はザッと箒で掃くだけでいい。浴室エリアは相当汚れていない限りお湯を全体にかけてくれるだけで十分だ。最後にゴミ箱のゴミを纏めて捨てて終了」
リベルティナはウォルスに指示された通りに掃除を進めていく。
部屋の換気、ベッドからシーツを剥いで枕と共に部屋の前に配備したカートに放り込んで代わりの新しいものと交換。
浴室はザッとお湯をかけて終了、床を箒で掃いてゴミを纏めて撤収。
最初こそウォルスに手伝ってもらいながら教わっていたリベルティナだったが、3部屋目を終える頃にはすっかり掃除の手順を覚えてしまった。
ウォルスにもそのことが伝わったのか、交換したシーツやらを洗濯室に持っていく際にウォルスがこう言った。
「……だいぶ慣れてきたみたいだな。思ったより飲み込みが早くてなにより」
「は、はぁ……」
褒められているのだろうか。リベルティナはそう疑問に思い首を傾げた。
リベルティナとしては物覚えはどちらかというと遅い方だと思うし、掃除ができたくらいで褒められてもいまいちピンとこない。
「この調子だともうひとりで仕事を任せられそうだな。……よし、それじゃあ掃除の仕事はおまえに任せるから、何かあったら呼んでくれ。俺はフロント作業に入るから」
「えっ……!? は、はい、わかりました……!」
いきなり放り出されたかのように仕事を任され、リベルティナは驚いた声を上げてしまったがそれはそうかと冷静になった。
掃除くらい、誰にだってできる仕事だ。そりゃあ手順を覚えたとあらば手分けして作業を分担した方がいいに決まっている。
「……じゃあ、俺はフロントに行くから。今のうちに何か聞きたいこととかあるか?」
「い、いえ、大丈夫です」
洗濯室で回収したシーツやらを仕分けした後、ウォルスはリベルティナに向かってそうきいた。
リベルティナとしては今のところ思い当たる質問や疑問点がみあたらなかったので、ひとまずは首を横に振っておく。
「……ま、後で何かききたくなったらいつでも言ってくれたらいい。どうせ滅多に客は来ないし、繁盛されても困るしな」
「はぁ……」
ウォルスは返答に困るような言葉を吐いて去っていった。
リベルティナは本当に大丈夫なのか不安に思いながらも、ひとまず実家に帰らなくて済む現実に安心して息とついたのだった。




