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6.変わりゆく潮流−1

 明るいうちに家の方向に向かって乗るへいちくは違和感だらけで、そわそわしている。窓の外では、まだ青々とした田んぼが途切れることなく広がっている。日が傾きはじめた空の下、苗が風に揺れる様子は、まるでさざなみのようだった。スマホの画面は消えたまま。気づけば窓の外を見ている自分がいた。


 何気ない景色にさえ、汐のことを重ねてしまう自分に気づく。満潮時の汐との出会いが、この町の見え方を少しずつ変えていっているのかもしれない。


 そろそろ田植えの時期で、水を張っていたり、泥を掘り返していたり。そろそろ穂香の家の田植えを手伝う時期だなぁと思っていたら、早速その通知が来た。


『来週の日曜日になったけど、来れそう? 集会ありそう?』


 確認してすぐ、間髪入れずに返信した。


『行くわ』


 絶対もう行ってやんねぇ。汐のことなんかもう知らねぇ。


 体育祭のときのこともあるから気まずいといえば気まずいが、穂香はあれからいつもどおり接してくれるから、変わらず楽だった。


 高い空に手を伸ばして、大きくあくびをひとつ。


 六月の日差しはもう夏のそれで、長袖を着ないと真っ赤になってしまう。野球帽を被って首にタオルを巻いても、隙間から侵入してきた日光で部分的に真っ赤になった。穂香がそのたくましい背中で田植え機のエンジンを紐で引っ張って回す穂香。いつもの穂香なのに、今日はなんだか違って見える。


 ゆっくり田んぼに入っていく田植え機の後ろに、順番に苗を並べ、返ってくるのを待ってまた苗を補充。ずぶずぶと足を前に出す。引き上げるたびに泥の吸引力と戦う。それの繰り返し。


 初夏の日差しが田んぼの水面に反射して、まばゆい光の帯を作る。苗を植えるたびに広がる波紋は、まるで時を刻むように、規則正しく繰り返される。穂香の背中から垂れる汗が水面に落ちる度に、小さな輪が広がる。その輪は次第に大きくなって、やがて消えていく。どこか汐との関係に似ている気がしたが、汗を拭ってかき消した。


 よく耕されている柔らかそうな泥の上に、リズムよく並べられる苗。時々風が吹いてもちっとも涼しくない。俺が苗をのせ台に滑り込ませる間、穂香はペットボトルの麦茶をぐいっと飲んでプハーッと息を吐き、ニカッと笑ってまたたくましい背中で植えに行った。


 泥水が長靴の中に染み込んで冷たい。田んぼの水面に映る空は、まだらな藍色。苗をのせ台に滑り込ませていると、穂香の背中から滴り落ちる汗が、田んぼの水面に波紋を描いた。


 小さな波紋が広がっては消えていく。 その一つ一つが、これまで見ないふりをしてきた想いのよう。 穂香はいつも、そうやって静かに波紋を広げ続けていた。 気付かないふりをしていただけで、本当は見えていたのに。


 小さい頃から、なんとなくずっと一緒にいた穂香。近すぎる存在に恋愛感情なんて全く起きなかった。確かにビジュアルが良くてスタイルが良ければ違っていたのかもしれないが、お世辞にもそうとは言えない。でも、確かに愛嬌はあるような気がしなくもない。


「睦ちゃんお疲れ! 水しっかり飲んで、倒れんようにね!」

「穂香もなー」


 田植えの合間の休憩時、穂香がペットボトルの麦茶を差し出してくる。その仕草が妙に色っぽく見えて、思わず目を逸らしてしまう。昔から見慣れているはずの光景なのに、なぜか今日は違って見える。たぶん、汐のことばかり考えているせいだ。そう自分に言い聞かせても、穂香の存在が、やけに気になって仕方がない。


 だけども。親指を上げた腕も太くて格好良いんよ。どうやって女を意識すれば良いのか。やっぱり無理だ。


 お昼、穂香の家でお昼をごちそうになった。白米に、唐揚げに、タッパーに入れられた色んな手作りのおかずが、どんどん目の前に並んでいく。それをできる限り口の中に放り込んでは、穂香のお母さんとおばあちゃんに喜ばれた。小さい頃からの繋がりだからか、他人の家なのに全然緊張しない。親父さんでさえ、俺には優しく接してくれる。


 本当だったら、穂香と一緒になって。俺も田植え機やコンバインを運転できるようになって。穂香の親父さんやお母さんにもよくしてもらえて。農家として婿養子に入るのが既定路線なのだろう。もしかしたらその道もアリなのかもしれない。汐なんて出会ってから半年いってないし。穂香とはもうほぼ十八年くらい一緒にいるわけで。でも、恋愛的に好きでもない穂香と一緒になることを考えるのは、正しいことなのだろうか。


 食べ終わって縁側でひと休みしているところに、穂香が食後の果物を持ってきた。


「最近集会のほうはどう? うまくいっちょう?」


「あー……実は、もう行くのやめたんよ」


「なんで? 長野さんにフラレたっちゃろ」


「しゃあしいわ!」


「え、図星?」


「いや、なんか、行橋のための声を出しとるんじゃなくて、汐の応援がただしたいだけだって言うのが気に食わんみたいちゃ」


「ふーん、なんか贅沢ちゃね。応援してもらえるだけありがたいやろ」


「まぁ、確かに汐の言う通りっちゃ。行橋の人らのための抗議活動やけん、行橋の町に対しての想いというか気持ちが入っとらんのはおかしいんよな」


 と、自分で言いながらも、ふと思う。俺自身が今まで散々つまらないと思ってきた行橋という町や俺自身の高校生活のつまらなさを町のせいにしてたことって、本当に町のせいだったのだろうか。もしかしたら行橋という町に対して、自分で自分の目を閉じてしまっているのではないかという疑問が、心の片隅でむくむくと頭を持ち上げ始めていた。


「しゃあないやん。私ら犀川の人間なんじゃけ行橋市民でもあるまいし」


「そうやけど。汐も学校で白い目向けられたり、大の大人から罵詈雑言受けとったりさ、なんかほっとけんのよ」


「そんなの長野さんが自分で選んだ道やん?」


「でも、女子高生に全責任負わせて矢面に立たせるって、ずるくない?」


「……さっきから気づいちょう?」


「なにが?」


「睦ちゃん、ずっと長野さんのフォローしちょう。長野さんの事を考えて、長野さんのことを思って喋っとる。睦ちゃん、やっぱ集会出らんと。長野さんの応援に行きたいーって、隠しきれとらんよ」


「そんなことないわ!」


 そんなことない。汐のことなんか、しっかり忘れようと思って、それでわざわざこうして穂香の家を手伝っているのに。汐のことを忘れるために、穂香の方を見ようとしているのに。


「今、長野さんのことを忘れるために田植えの手伝いに来たのにーとか思ったっちゃろ」


「……なんで分かるのよ」


「睦ちゃんのことはなんでも分かるっちゃ。長野さんのことを忘れようとしとる時点で、忘れられとらんけんね」


 そうかもしれない。忘れようとするほど、強く心のなかに残ってしまう。汐の存在は俺の中で、半年間で知らず知らずぬうちにそんなに膨らんでいたのだ。


「じゃあ……どうすりゃいいんやか? もう汐からも嫌われたやろうし」


「しゃあしいわぁ。私は睦ちゃんのお母さんじゃないちゃ。……いいよ。相談乗っちゃるわ」


 藁をもすがる思いで、穂香にこれまでの経緯をできるだけ説明してみた。汐が潮の満ち引きによって人格が大きく変わること。満潮時の汐が可愛くて爽やかで、そういうところに惹かれること。逆に干潮時の汐には惹かれないこと。行橋市が進めている潮力発電所兼防波堤の建造が進むごとに、満潮時の汐で居られる時間が少なくなること。だからこそ反対運動に参加していること。汐は、俺が満潮時の汐だけのために反対運動に参加して、行橋の町も干潮時の汐も見ていないから、そこに不満があるらしいこと。幼馴染だからなのかどうかは分からないが、何でも話せてしまう。


「睦ちゃんも、なかなか難しい道を選んだねぇ」


「選んだっていうか、はまったっていうか。そもそも穂香があの牡蠣小屋に連れてってくれてからすべてが始まったわけだしさ」


「ホンマよね、私のほうが難しい道を自分で選んでしまっとっちゃね」


「で、どうすりゃいいんやか?」


「いやツッコんでや! ホンマ長野さんのことしか考えとらんよね」


「ああ、ごめんごめん。なんか、ね。すまんね」


「はいはい。ならどうしようかね。いっつも行橋で会っとっちゃろ? たまにはこっち側に連れてきたりしたらどうやか」


「犀川に連れていけるところなんかないっちゃ」


「田川とかまで行けばええやん。三井寺とか、デートにはうってつけっちゃろ」


「ああ、よく見るやつな。実際行ったことないしな。良いかもな。で、そっからどうすればいいやか」


「うーん。どうすればいいって言われても、その前に睦ちゃんはどうしたいと?」


「どうしたいって……汐と仲直りしたい」


「仲直り? なんか違うんやない?」


「え?」


「仲直りっていうのは、お互いが歩み寄ることちゃ。でも睦ちゃんは、満潮の時の長野さんだけを見ようとしとっちゃろ。これって歩み寄りっち言わんやろ」


「……確かに」


「長野さんは言ったんやろ? 行橋のこと全然考えとらんって。でもこれ、長野さんも一緒よね」


「なんで?」


「睦ちゃん、満潮の時の長野さんは行橋の良いとこだけ見せようとしとったやん。でも干潮の時の長野さんは、行橋の本当の姿も見せようっちしとったんやろ? 同じやないと? 睦ちゃんが満潮の時の長野さんだけ見ようとするのと、行橋の良いとこだけ見ようとするのと」


「……そっか」


「だから、お互い様。お互いに、見せたいものを見せるし、見せたくないものは隠す。それだけ。三井寺に行くんやったら、ただのデートやなくて、長野さんの全部を見ようとする気持ちで行かんと」


「全部を、見る、か」


「うん。良いとこも悪いとこも、全部ひっくるめて長野さんなんやし。行橋も一緒やん?良いところも悪いところも、全部ひっくるめて行橋よ。ちゃんと見守ってあげんと」


 遠くの山並みを見つめる穂香が、呆れたように微笑んでいる。


「この町には、声を上げる人と、黙って受け入れる人がおるやろ。でも、本当は必要ちゃ。どっちでもない、見守る人が」


「見守る人、か」


「見守るっていうんは、逃げとるんじゃないと。この町の変化も、睦ちゃんの変化も、長野さんの苦しみも、全部見届けるために、わたしはここにおらんといかんのよ」


 夕陽に照らされた穂香の横顔が、まるで大人のように見えた。


「そっか……」


「そうよ。今は長野さんのこと考えな」


 まっすぐな穂香の言葉に、俺は何も言えなくなった。


 汐の全部を見ようとしない俺に、穂香は全部を見せてくれていた。


 それが一番大事だったんだ。穂香が手本を示してくれて、隠れていた次の道筋が見えたような気がした。


「睦ちゃんのためを思って言うんやけど」


 いつもの明るい声とは少し違う、掠れた声だった。


「長野さんも長野さんやけど、睦ちゃんも睦ちゃんで、自分の気持ちに正直じゃないんよね。見たいものだけ見て、見たくないものから目を背けて。私だってそう。ずっとそばにおって、でも友達以上にはなれんって分かっとって。それでも諦められんかった」


 穂香の瞳が潤んでいる。首に掛けていたタオルで汗を拭うフリをして、こっそり目頭を押さえていた。そんなふうにされると思わなかったから、良い反応の返し方がわからない。慰めるのも違うし、ふざけてみるのはもっと違う。自分がこんな穂香にしてしまっているのに、自分のせいじゃないと言い聞かせたかった。そこで俺は改めて、逃げてばっかりだなって、反省した。


「やけん分かるんよ。人の気持ちっち、そう単純じゃないち。好きな人のことも、自分の気持ちも、町のことも。全部ひっくるめて受け入れんと、前に進めんのよ」


 汐を受け入れて、自分を受け入れて、行橋を受け入れる。受け入れるって、なんだ?

 どうすれば、受け入れるっていうことになるんだろうか。


「しゃあしいのう」


 穂香は深いため息をついて、また普段の明るい調子に戻った。結局自分は目の前のことから逃げてばかりだ。しゃあしい、のひと言で簡単に片付けようとしている。そんな自分が、本当は一番しゃあしいのかもしれない。


「ホンマ、相談される身にもなってよね。あー、なんで敵に塩を送ってしまうんやろか」


 その「敵」という言葉にウッとなったが、いつものようにスルーした。考えすぎると疲れるから。


 泥の生々しい匂いと、早苗の青々しい香りが立ち込める。


 長靴を履き替えながら、ふと思う。これほど近くにいる存在なのに、どこか遠く感じるたくましい背中。穂香の軽やかな足取りについていくと、水面に映る空が、まぶしいほど青かった。泥にまみれた長靴を洗いながら、穂香の笑顔が、どこか儚く見えた。


 ふと思う。なぜいつも穂香と一緒にいるのだろう。なぜいつも穂香が隣にいるのだろう。でも、そんな疑問はすぐに頭から追い払った。穂香の存在は、空気のように当たり前すぎて、考える必要もない。そう、考えないようにしている。


 腰を上げて午後も頑張ろう。やっぱり穂香は頼りになる幼馴染だ。だけど、ちょっとだけ申し訳無さも残った。



 反対運動に対する匿名の投稿は、日に日に攻撃的になっていった。


 汐がはじめた、平和的で綺麗な海の写真でさえも悪口の餌食になっていた。


『黙って立ち退け』『お前の店なんかどうでもいい』


 穂香が心配してスマホの画面を見せてくれるまで気づかないふりをしていたのに。余計な心配は逆に迷惑だ。


『新興宗教も関与している』『暴力団の後ろ盾があるらしい』なんて、誰がこんなことを信じるんだというデマがどんどん溢れて出てきている。


 これだけ書かれて、汐は大丈夫だろうか。気を病んだりしないだろうか。汐のことが心配になって、早速メッセージを送ったが、未読スルーされた。学校で話しかけるか、集会に参加するか、どちらか選ばないと。


 出した答えは、やっぱり集会への参加だった。次の日曜日、また始発のバスに乗って、箕島方面の工事現場に直行した。


 現場では日々景色が変わっていく。コンクリートの型枠が並び、重機が土を掘り返す。変わりゆく風景を目の当たりにしながら、俺たちも少しずつ変わっていた。最初は興味のなかった町への想いが芽生え、当たり前だと思っていた関係性が揺らぎ始める。この町が変わるのを止められないように、俺たちの心も確実に変化していた。


 変化の中心には、やっぱり汐がいた。だが、今日の集会は、なんだか不穏だった。


 工事車両の前に座り込む汐たちと、強制排除を試みる警備員たち。スマホを向ける野次馬の群れ。外部から来た連中も一緒になって座り込んでいる。


「汐、何やってんだよ! こんなことやめろって! 汐らしくないって!」


 慌てて無理やり汐を起こそうとした瞬間、汐と目があった。干潮時の汐が、いつものドギツい目で威嚇してくる。だけどそれは必死とは違う感じがして、なんだか焦っているみたいだった。


「邪魔すんな! もう来なくて良いって言っただろ! なんで来てんだよ! 睦もそっちに寝返るのかよ!」


「そっちってどっちだよ。寝返るとか、何のことだよ。もっと穏やかに話し合いたいから声を上げてた汐が、なんでこんな無茶苦茶してんだよ!」


「うっさい! みんな、ただ声を上げるだけじゃ足りない! みんなで工事現場の前に座り込もう!」


 汐が必死の形相で叫んでいる。平和的な抗議を続けてきたはずの汐が、悲鳴のように声を張り上げている。過激すぎる提案に驚いたが、追い詰められているのは理解できた。 時間が無い。穏やかに時間をかけている場合じゃない。


「やめろって! 捕まったらタダじゃすまねぇぞ! 何やってんだよ!」


「誰も見向きもしないから! 居ない者として扱われてるから! あたしは幽霊なんかじゃないんだよ!」


 その叫びには、単なる抗議以上の意味が込められているような気がした。まるで自分の存在証明をするかのような必死さ。それは工事への反対というより、誰かへの呼びかけのようにも聞こえた。


「あたしはここにいる! ここで生きてるんだよ! ここに小さい頃から住んでる、当事者なんだよ! 外から来た部外者が邪魔してんじゃねえよ!」


 ひどい言い様だ。せっかく全部を受け入れようと、こっちから歩み寄ってるのに。県外から来た人たちと何かあったのだろうか。この前の商工会議所での一件から、亀裂が深まっている気がする。


 あのとき言い争っていたオジサンやオバサンが、スマホで動画を撮ってバカにしている。その時、スマホの画面に次々と通知が届いた。増え続ける通知。座り込みの様子が拡散され、コメント欄で炎上していた。誹謗中傷の嵐の中で、干潮時の汐が画面越しに睨みつけてきた。


「汐、見ろって。ライブ配信されてんだよ! 冷静になれって!」


「だから関係ない部外者は黙れって!」


 完全に冷静さを欠いている。焦りすぎて暴走しているように見える。何を言っても無駄だと思い、逃げるようにその場を離れた。


 蝉の声が木々を震わせ、アスファルトからの照り返しが容赦なく照りつける。工事車両のタイヤが溶けそうな路面を這うように進み、その振動が地面を揺らす。汐の焦りは、この夏の暑さとともに、日に日に募っていった。


 汐は、学校を休むようになった。学校中で動画が拡散され、町中が汐のアンチになったような錯覚を起こすほどだった。最初は地元の匿名アカウントから始まった誹謗中傷が、次第に大きな渦となっていく。


『邪魔するな』『迷惑な連中』『地元の恥』『こんな暇人が居るから行橋は発展しない』


 コメント欄は荒れ放題だった。たまに現れる応援の声は、すぐに誹謗中傷の波に飲み込まれていく。もちろんそこに映っていた俺も白い目で見られ、廊下を歩くだけでヒソヒソ話をされた。


「あんな運動してるやつと一緒のクラスとか最悪」

「転校すればいいのに」

「長野さんって、あの不思議ちゃんでしょ?」

「またなんかやらかしたらしいよ」

「うちの親が市役所なんだけど、迷惑してるって」

「前から思ってたんだけど、あの目の色、普通じゃないよね」

「あ、私も気になってた! 藍色っていうか、透き通ってるっていうか」

「朝のほうが透明感あるよね。昼になるとなんか濁るというか」

「ほんとに宇宙人なんじゃないの?」

「関わらないほうがいいよ」


 耳に入る言葉の一つ一つが、波のように次から次へとのしかかってくる。けれどそれはヒソヒソ話で成り立っている学校の廊下かネット上の話で、町中で声を上げる地元住民はほとんどいなかった。誰も積極的に賛成はしない。けれど、誰も積極的には止めようともしない。関心を持たないことが、この町の暗黙の了解のように思えた。


 耳に入る噂話は日に日にエスカレートしていく。


「朝と昼で人が全然違うから不思議ちゃんなんだよ」

「動画の時の長野さんは、普段学校で見る長野さんと全然違うよね」

「もしかして二重人格? それともサイコパス? 怖いわ」

「双子説あるんじゃね? 本当にそっくりな二人が交互に学校に来てたりして」

「ここに来て宇宙人説が信憑性を帯びてきたかも!?」


 汐の二面性が、悪い方向で学校中で噂になり始めていた。


 あの穂香でさえ一緒に登下校はしたくなかったのか、それからしばらくは、行きも帰りも一人ぼっちだった。


 みんな、見たいところだけ見て、信じたいことだけ信じる。


 俺も、おんなじだった。


 懸念していたことは現実を帯びてきた。廊下で情報通の穂香から、緊急職員会議が開かれたそうだと聞かされた。声を上げる事自体に違法性はないが、工事の邪魔をしようと座り込んだのがまずかったらしい。しかもそれを動画に撮られて拡散されたのが余計にまずかった。学校としても、とうとう見過ごせなくなってきたのかもしれない。


「睦ちゃん知っちょう? 長野さん、停学も検討されちょうみたいよ?」


 聞いていないふりをして、さらりと流した。だが、そんな大事なことを真っ先に教えてくれる穂香の気遣いが、不思議とどこか嬉しかった。


 だが、停学なんて冗談じゃない。汐が停学を検討されているなら、俺だって立場が危うい。推薦は元々もらえるような頭はないけど、内申点に響いたらどうしようかと気が気でない。


 それでも、汐の気持ちだって、本当はちょっと分かる気がする。あと二ヶ月も無いのに、抗議活動は内側で揉めていて、工事は何事もなく進んでいく。追い詰められて、焦ってあんな行動になったに違いない。焦りも不安も募るばかりだが、満潮時の汐を守るためにはもう止まることは出来ない。


 夕暮れ時、遠くで聞こえる工事現場の騒音と子どもたちの下校時の声が重なり合う。新しい道路を作るための作業員が、古びた自販機で飲み物を買っている。この町は、確実に変化し始めていた。


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