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5.寄せる波−1

 校舎裏で体育祭が盛り上がる中、その輪に入れず階段に座ってサボっていた。


 自分の言動で、汐を傷つけてしまった。汐を傷つけてしまった後悔が、重たい鎖のように体を縛る。初夏の風が校庭から届けてくれる歓声が、どこか遠くで響いているように感じられた。


「こんなところで何しとん?」


 聞き慣れた声に顔を上げると、そこには穂香が立っていた。日差しを背に受けて、その姿が一瞬、眩しく見えた。


「睦ちゃんの出番、もうはじまるのにおらんけ、探しに来たちゃ」


「ああ、ごめん。すぐ戻るわ」


「なんがあった?」


 自分のダサさをさらけ出すのが怖くて、黙り込んでしまった。でも、幼い頃から一緒にいた穂香なら、きっと分かってくれるはず。そう思った瞬間、堰を切ったように言葉が溢れ出した。


「人を好きになったらさ、その人の全部を受け入れんといけんのんかね?」


 風が階段を吹き抜けていく。穂香はしばらく黙って、周りを見回した。向こうで盛り上がっている応援団の掛け声が耳に届いた。


「睦ちゃんは覚えちょう? 小学校の運動会の時」


「いや、特には」


「私、かけっこ前に転んで、膝擦りむいたことあったやろ」


「あー、そうだっけ?」


「そう。でも睦ちゃんは、私が転んだことなんて気にせんかった。むしろ『穂香は強いけん大丈夫』って。でも本当は、めっちゃ痛かったんよ」


「あー、なんかそんなのあったかも」


「『穂香は強い』『穂香はたくましい』『穂香は男らしい』。睦ちゃんがそう言うけん、私もそうせんといかんって思っとった。でも、本当はそうやって見られるのが、ちょっと寂しかったりもして」


「なんかごめん」


「ま、本当に好きなら、全部を受け入れたくなるんじゃない? 強がっちょうとこも、弱いとこも、女の子らしいとこも。相手のことを、まるごと好きになれるっちゃない?」


「ゆうことは、好きじゃないっち言うことなんかね?」


「どうなんやか。それは一人の人として好きなんじゃなくて、なんか自分にとって都合が良い存在として見たいんかもね」


 都合の良い存在として見たい。そうなのかもしれない。可愛くて綺麗で爽やかで元気な汐を見るだけで幸せな気分になる。だから、自分が幸せな気分になるためにいる存在として汐のことを見ているのかもしれない。穂香の言葉で、自分の中の歪みがクリアになったような気がした。


「睦ちゃん、長野さんと付き合うとっちゃろ?」


「いやいやいや、付き合うとかそんなの全然よ。告白とかも全然ないし」


「それは睦ちゃんから言ってみらんと」


「ああ、まあ、そっか」


「しゃあしいなぁ。……告白は、こうやってするっちゃ」


「え?」


 突然、穂香の声色が変わった。この感じ、もしかして。いつもの明るさは影を潜め、どこか切なさを帯びている。


「私はずっと、待っとった。ずっと横におったのに、全然こっちになびかんで、気になる人ができるたびに報告されて。そのたびにどんな気持ちだったか」


 その言葉に、今まで見ないようにしていた真実が、波のように押し寄せてきた。たくましい背中で前を歩き、いつも導いてくれていた穂香。その背中にどんな想いが隠されていたのか、見ようとしなかった。 いや、見えていたのに、見ないふりをしていた。


「ずっと、ずっと待っとったんよ。その人の全部を受け入れるっていうことは、こういうことっちゃ」


 その言葉を口にしながら、穂香は相変わらず明るく笑っていた。でも、その笑顔は少し痛々しく、まるで自分に課した役割を演じているかのように見えた。それは、汐の笑顔と、どこか重なって見えた。


 見たくないものから目を背け、見えているはずのものから目を逸らす。そうやって自分を守ってきた。けれど、その防御が、大切な人を傷つけていた。


 たくましくて男らしい、名前だけ可愛い穂香。いつも横にいて、なんだかんだフォローしてくれて、いつも俺のことをよく見てくれていた。汐のことを自分に都合の良い面だけみていた俺は、穂香のことを少しも見ていなかった。穂香のことを、いつの間にか当たり前に隣にいる存在としか考えていなかった。自分しか守ろうとしていなかったし、自分さえも守れていなかった。


「ごめん、色々。今まで全部ごめん」


「謝らんでいいんよ。勝手に期待しとったのはこっちやけ」


 穂香の声は小刻みに震えているように聞こえた。


「睦ちゃんのことはなんでも知っちょうけん。私を女として見てないのも知っちょうし、長野さんのことが気になっちょうのも知っちょうし。いいよ、長野さん可愛くて綺麗で不思議ちゃんやけ好きになって当然よ」


「穂香……」


 複雑な気持ちだ。汐は外見的に好みだが、あのドギツい干潮時の汐は苦手だ。だけど、穂香みたいに俺の全部を受け入れてくれる人はいないだろう。だけど、申し訳ないが女の子として見られない以上、好きの対象にはできない。


「いいよ、勝手に待っちょうけん。こっち向くの」


「ごめん、穂香」


 いても立ってもいられず、気付いたときには穂香を抱きしめていた。好きとか嫌いとかそんなことはどうでも良くて、ただ目の前で泣きそうな顔をしている穂香のためになりたくて、それだけの行動だった。穂香は抵抗せず、ゆっくりと腕の中に溶けていった。


「やっとこっち見てくれたね」


 鼻水をすする穂香に、思わず周りに誰もいないか再確認する。


「今、周りに誰もおらんか確認したやろ。睦ちゃんのことはなんでも分かるんやけんね」


「すごいな、穂香は」


「睦ちゃんは見たいものしか見とらんけんね」


「え?」


「睦ちゃんは、自分の都合の悪いものは見えんようになっちょうけんね。ま、私が言うのもなんやけど」


 穂香は苦笑いを浮かべる。なんかムカつくけど、妙にグサッと来た。


「でも、大丈夫。ほんまは見えちょうけん。睦ちゃんっち昔から人の気持ちに寄り添えるけん、周りのことよく見えとる。でも、見えすぎてそれ全部にエネルギー使おうとするけん、そのせいで傷ついたりもしよったやん?」


「え?」


「え、覚えとらんの? 小学校五年か六年くらいの時から、睦ちゃん自身がエネルギー使い果たして疲れきって。それから人と距離を置くようになったやん。で、気付いたら何も見ようとせんようになったし、全部に対してしゃあしいって言うようになって。ほんまよ、その頃からよね、睦ちゃんがしゃあしいって毎日のように言い始めたの」


「それはその……反抗期だよ、多分」


「自分で言い訳しないの! もう。でも……今は違うやん? 長野さんと関わるようになって、長野さんにエネルギー使えちょうやん?」


 たしかにそうかもしれない。初めて会ったときから、汐には無意識のうちに自分の内なるエネルギーのようなものを使えるように、使いたいと思えるようになっていた気がする。


「睦ちゃんは本来、見える人やしエネルギー使える人やけん、大丈夫よ。ま、それを私には使ってくれんけどねー」


「……ごめん」


「もういいよ。さ、行こ? 出番教えに来たのに、なんでこんな事になったんかね?」


 無理やり笑顔を作って先導する穂香の背中が、春の青空の下で小刻みに震えていた。

 


 穂香の気持ちを聞いても、汐から都合の良いところしか見ていないと言われても、結局俺は何も変わらず、日曜日の集会に参加していた。今日はやたらと人数が多く、標準語での会話が多く聞かれる。


「睦、おはよう! いつもありがとうね!」


 これは……満潮時の汐、だよな? この前の一件から、疑わずにはいられない。今日の満潮は朝六時半、次に干潮に切り替わるのは、正午ジャスト。今朝はいつもどおり、汐と平穏に過ごせそうだ。昼になったらさっさと帰ろう。干潮時の汐とは、あの日以来ちょっと気まずい。


「おはよう汐。今日はなんか賑やかじゃない? 勧誘に成功したん?」


「なんか、環境活動に興味を持っている市民活動の団体? みたいな方々が、今日から一緒に抗議運動に参加してくれるみたいで。すごいよね。全国から集まってくれてるみたいよ」


 本当にすごいのは、この運動を引っ張っている若きリーダーとしての汐に間違いない。


「綺麗な海を、汚すなー!」


 汐の声に、本気で共鳴した。それは単なる満潮時の汐への好意からではない この町の、この海の、そしてこの場所でしか見られない何かを、守りたいと思う自分がいる。


 最初は藍色の瞳に魅了されただけだった。でも、誰も声を上げない町で、たった一人で立ち上がる姿に、俺にはない強さを見た。理想を追いかける純粋さが、いつしかこの町を諦めかけていた自分を大きく揺さぶった。気付いたときには、そんな俺が町のために声を上げるようになっていた。


 それぞれが手作りの団扇やプラカードを持って、汐たちの後方支援を行っている。声の厚みは先週までの数倍増しで、現場の作業員もこちらをちらほら振り返り始めた。ようやく耳を傾いてくれるようになったのだと感じた。自分の声が相手に届くことの喜びを、得たような気がした。


 しかし、気になることが増えていた。汐が干潮時から満潮時に変わるタイミングが、以前より不規則になってきているような気がする。潮の満ち引きの時間は毎日少しずつずれていくと聞いていたが、それにしても変化が激しい。それに、満潮時の汐の言動にも、どこか違和感を覚えるようになっていた。


 いつもの爽やかさの中に、時折見せる悲しげな表情。まるで演技をしているかのような不自然さ。だが、そんな疑問が頭をよぎっても、すぐに打ち消してしまう。疑いたくないという気持ちが、違和感を無視させてしまうのだ。


 そんな中、時々汐は独り言のように『ごめんね』とつぶやいていた。しかもその時の影が妙に色濃く見えて、怪しげに映っている。なんでそんなことを言っているのだろう、なんでそんなに重苦しい雰囲気があるのだろうと思ったが、それ以上気に留めることはなかった。


 人数が増えたおかげで、三グループに分かれて交代しながら声出しができるようになり、半日間ずっと声を出す必要がなくなった。これがかなり楽で、体力も持つようになったし、なにより交代時の声の掛け合いがチームプレーをしている感じがして気持ちよかった。もしかして、これが青春なのかもしれないと思った。


「汐おつかれ! やっぱぜんぜん違うな!」


「おつかれ! そうだね! でも、やっぱりだいぶ年上の人が集まってるから、もっと細かく休憩入れないといけないかもね」


 いつの間にか汐が抗議活動のリーダーとして、大勢を率いているような立場になっていた。自分のことであり、実家にも関係し、好きな町のため。まっすぐにただその声を届けたいという強い意志が、活動をここまで大きくしたのだろう。


 週を追うごとに、見知らぬ顔が増えていった。スマホのフラッシュが光る度に、汐の存在は少しずつ町の外へと広がっていく。知らない誰かの中で、汐の物語は紡がれ始めていた。噂が噂を呼び、毎週末、集まる人数は倍々に増えていった。行橋駅からのマイクロバスも毎回定員オーバーで、駅前にはタクシーの長蛇の列ができるようになった。



 今日も盛り上がる抗議活動が一段落して、干潮時の潮が気まずそうに近づいてきた。


「あの、よかったら手伝ってくれない?」

「お店? いいけど……珍しいね」


 何やら訳アリっぽいが、頑なに教えてくれなかった。


 汐のお父様は黙々と牡蠣を剥き続けていた。単純作業だが、その手の動きには、何代も受け継がれてきた技と誇りが感じられた。


 牡蠣がたくさん入った缶を運んでは記録をつけるだけの単純労働。でもたしかにこれは腰に来そう。毎年、穂香の家の手伝いで米袋を担いで運んで回ったのを思い出す。


 黄色と紫の夕暮れ。薄暗くなりかけた牡蠣小屋の厨房で、閉店後の片付けを手伝う。食器を洗い、床を拭き、調理器具を整理する。


「あ、その牡蠣の殻、ちょっと待って。処分の仕方があるの」


 汐が丁寧に教えてくれる。一つ一つの作業に意味があるようで、その手つきには無駄がない。片付けの合間、厨房の外から両親の声が聞こえてきた。


「あの子、最近元気になってきたわね」


「ああ。あんなに大きな声出せるようになるなんて」


「この町で商売を続けてきて良かったと思うわ。でも、あの子の将来を考えると……」


 母親の言葉が途切れる。汐の手の動きが一瞬止まる。何か汐に隠し事をしているのだろうか、さらに声が小さくなって、それ以上は何も聞こえなかった。汐は汐で聞こえていないふりを続けて、黙々と片付けに没頭していた。


 壁に掛かった古びた写真に目が留まる。若かりし日の汐の父が、まだ幼い汐を抱きかかえている写真。開店当時の店の前で撮られた家族写真。すべてがこの場所との思い出だ。だけど、汐の表情は緊張しているのかどこか浮かない表情で、干潮時の汐の原点を見たような気がした。


 最後の片付けを終えて店の裏に出ると、汐の父が煙草を吸っていた。


「お疲れ様。手伝ってくれてありがとう」


 父親は煙草の煙を潮風に溶かしながら、ポツリと語り始めた。


「うちの店もな、もう三代目になるっちゃ。汐のひいじいちゃんが始めてねぇ」


 遠くの海を見つめながら、父親は続ける。


「最初は小さな屋台からっち聞いちょう。おじいちゃんの代で今の建物になって、ここらの人に愛されとったっち。俺の代で、ようやく県外の人にも認められるようになったちゃ」


 煙草の火が赤く明滅する。


「この辺りはね、昔から海が穏やかでね。牡蠣の育ちがええんやけどね」


 ため息をつく父親の横顔が、疲れているように見える。


「汐にはまだ言えとらんちゃけど、実はうち、引っ越すことに決めたっちゃ。けど、汐はあんなに一生懸命声を出しちょうけん、なかなか言い出しにくうてなぁ。汐、この場所に特別な想いがあるみたいちゃ。小さい頃から、あの浜辺で遊ぶのが好きやったけん」


 父親の視線の先には、あの黒ずんだ流木が見える。それに向かって祈り続ける汐の寂しげな背中が思い起こされる。


「抗議活動を始めてから、汐は生き生きとしてきて、でも、たまに見かけるんよ。誰もおらんと思って、あの浜辺で泣いてる姿を」


 煙草の灰が風に舞う。その言葉に、胸が締め付けられる。


「応援はしとるんよ。でも、現実問題として、そろそろおしまいにせんといけんっちゃ」


 すっかり片付いた店内に戻ると、汐が最後の確認をしていた。話したかったことは、結局聞けないままだ。ただ、閉店の札を掛ける汐の肩が、時々小刻みに震えているのが見えた。本当は汐も薄々気付いているのかもしれない。このお店がなくなって、この海から離れなければならないことを。


 牡蠣小屋を後にする時、振り返ると汐のご両親が手を振ってくれていた。夕陽に照らされた二人が、まるで海の波のように揺れている。その姿がどこか儚く見えた。


 応援はするが、現実は見ないといけない。


 勢いづいてきた今だからこそ、きちんと現実も見ていないといけないのかもしれない。



 そのまま汐が行橋市内のお店まで牡蠣を配達するというので、同行することになった。


 商店街は相変わらずの殺風景。だが、シャッター街の隙間に、こぼれる夕陽の温かさをはじめて感じた。


 逆にコンビニは大繁盛で、コンビニ弁当が手に入らなくなっていった。それまで抗議活動の参加者に振る舞われていた昼食の弁当は確保できなくなり、各自が用意しなければならなくなったからだ。交代制になってからは半日ごとに交代したり、一時間ごとに交代したりと様々だったが、とにかく一日中抗議活動ができるようになった。その影響か、解散後の駅前の飲み屋街は盛況で、町は思わぬ形で活気を取り戻した。


「シオちゃんがそのままお店も手伝ってくれたら良いのに〜」


「ママ、私まだ一八歳になってないから、ここでは働けないよ」


 一緒に抗議活動を盛り上げるスナックのママさんと汐がやけに仲良さそうで、勝手に心配になる。まだ汐の名前も知らなかった頃、この飲み屋街に溶け込む大人っぽい汐を見かけたこともあったなぁと、不意に思い出した。


「優しそうな彼氏さんも見つけたのね〜うらやましい〜」


「ママ、この人はそういうんじゃないから。じゃ、ここでね。今日もありがとう!」


 ああ、そういうんじゃないのか。そういうんじゃないよな。まだな。まだ、な。


 そういう関係になれたら良いのに、と気付いたら考えるようになっていた。でも一方で、それは満潮時の汐に対しての思いであって、干潮時の汐に対してではなかった。だからこそこうして抗議活動に参加しているわけだけど、どうしてもこの前の干潮時の汐からのひと言が正論すぎてまだ刺さったものを引っこ抜けない。


「睦、ごめんね。こんな時間まで配達を手伝わせちゃって」


「ああ、全然平気。今ちょうど満潮時の汐と一緒に居られて、嬉しいからさ」


「本当? じゃあ、良かった」


 自転車の後ろに空の一斗缶をいくつも乗せて、飲み屋街から行橋駅まで一緒に歩いた。汐が飲み屋街に溶け込まないように、ちょっと早足で歩くと、汐もペースを合わせて歩いてくれた。


「睦、なんか急ぎの用事でもあった?」


「別にないけど」


「じゃあ、なんで、こんなに、早足なわけ?」


「あ、ごめん」


 気付いたらちょっとした小走りになっていた。気持ちが急いている。


「汐がさ、この飲み屋街に染まってほしくないなって、思っただけ」


「え、なんで?」


「なんとなく」


 元気で明るくて柔らかくて、清廉潔白な満潮時の汐のイメージとあまりにもかけ離れた場所だから。って言ったら、干潮時の汐に都合の良いところばかり見てるって言われそうで、口から出る直前で我慢した。


「でもさ、なんか安心したんだよね。汐が飲み屋街に溶け込みそうなところ見たことあるからさ。秘密のバイトっていうか、おっさんとかの隣でお酒飲んでたりするのかなぁって、勝手に想像しちゃってたらさ。まさかオイスターバーに牡蠣の配達したり、居酒屋から前回配達分の缶を回収したりしててさ。なんか、安心したんだよ」


「安心、か。私のことを買い過ぎだよ」


「そうかなぁ? 満潮時の汐は、俺の中ではそんな感じなんだけどな」


 汐はひと言、ありがと、と呟いて、駅前の信号機のところで手を振ってくれた。本当は簑島まで俺が送らないといけなかったのに、わざわざ駅まで送ってもらうなんて。そういう関係じゃないって暗に言われているような気がして、なんだかモヤる。


「てかさ、汐の妹さんってどんな感じ? 似てる?」


「……そんなこと、聞かないでよ」


 汐の声が震えた。何かを抑え込むような声色。地雷を踏んでしまったかも。空気を変えるために、何でも良いから場を和ませようと思った。


「ごめん。別に、ただの話題だから。……あ、そうだ、この前さ、色々抗議活動のこと考えてみたんだけどさ、駅前でも声を張り上げてみたりとか、どうかなって。なんなら今から一緒にやってみる? 仲間が増えるかもしれないし! ね! せーの、潮力発電所の建設、反対!」


 誰も振り向かない通りで、声が虚しく響く。見ないふりをする町の人々。それがなんだか、見たくないものから目を背ける自分と重なって見えて、急に恥ずかしくなった。


「みんな興味持ってないみたいだよ」


「そ、そっか……ごめん」


「じゃ、帰るね」


 また飲み屋街の方向に自転車を漕いでいく汐の背中が見えなくなるまで見守り、駅の明かりの中に歩を進めた。結局変な空気で解散してしまい、後味は悪かった。


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