2.満ち引く再会
目の前にあの少女がいる。
牡蠣小屋の裏の海で出会ったまんま。鼻と頬が赤く、寒そうにしている。
「あの、なにか?」
片時も目を離せないという言葉がぴったりなほど、本当に瞬くすらも惜しいほど見入ってしまう。牡蠣ではなく、彼女を。
「あ、えっと……それ……」
「え、これですか?」
ゴミ箱の中を指さすと、怪訝な顔をされた。それもまた良き。
「そう、それそれ。それでいいんで、焼いてもらえません?」
「いや、これはもう売り物ではないんで……」
「どうしても! お願いします! なんでもするので!」
どう考えても不審者。だけど、なぜか冷静になれない。落とされた牡蠣がもったいなさすぎて、そしてなんとかして少女との接点が欲しくて、思わず口から出た言葉だった。
ひと呼吸おいて、少女が口を開いた。
「……なんでも?」
「なんでも!」
「じゃあ……」
そういってゴミ袋から数個の殻を取り出し、誰にもバレないようにこっそりと網の上の殻に混ぜた。炭火がパチパチして、コンプレッサーは元気にゴンゴン言っている。あの子が軍手をつけて殻をひっくり返すと、やがて破裂したように殻の底が開いた。中の出汁がぐつぐつしている。お客様に提供するのとは別に、隠すように皿に乗せたあと、ノールックで俺に渡してきた。受け取ろうとすると、さっと手を引かれた。
「あとで連絡するから、QRコード出して。出さないとあげないから。なんでも言うこと聞くって、言ったよね?」
言われるがままスマホを取り出し、自分のSNSのQRコードを表示させる。連絡先をゲットできるなんてラッキー。牡蠣を受け取って、しめしめとその場を離れようと振り返ったところで、穂香と目が合った。
「ふーん。そういうことなんだぁ」
「そういうことってなんだよ」
「別にぃ? 女の子そそのかして、タダで牡蠣もふんだくったんでしょう?」
「言い方悪いなぁ。俺はただゴミになりそうな可愛そうな牡蠣を救ってあげたの。エコなの。環境に優しいの」
「言い訳ばっかり。一個もらい」
「あ、取んなや!」
「抜け駆けは許しません」
「しゃあしいのう」
穂香に一個ふんだくられて、一緒に食べ終わったあと、またいつものように一緒にへいちくに乗って、それぞれの駅に向かった。行橋駅の端っこにある平成筑豊鉄道専用の改札を通って、既に停まっている一両編成に乗り込むと、暖房が効いていてほわほわした気持ちになった。
帰って晩御飯も済ませた頃、あの少女らしき人からメッセージが届いた。名前はさんずいに夕日の夕で……なんて読むんだろう。でも、なんだか夕日が海に沈んでいるみたいできれいな名前だ。新しい出会いということもあり、そわそわする。
メッセージの内容はとてもシンプルで、来週の日曜日、指定された場所に来いという内容だった。指定されたのは蓑島の川を挟んで向かい側の、なにもない埋立地。そんなところで一体何があるのだろうかと思ったが、考えようによってはデートのお誘いでもあるわけで。迷うことなく行くことにした。
日曜日が待ち遠しい。なぜかわからないけど。
潮の満ち引きのように、人を導く力が彼女にはあった。
到着したのは、工事現場だった。
まだ何もない埋立地に、まばらだが人が集まっている。布で口元を隠して、冬の海風に耳がやられないようにフードをかぶっている人々。そんな中で、手にプラカードを持たされた。
「潮力発電所の建設、反対! 防波堤建設、反対! 綺麗な海を、汚すな!」
周りの老人に合わせて口パクしながら、覚えた部分だけを繰り返す。
「てめぇ休んでんじゃねえよ! もっと声張り上げろよ!」
うわぁ、激しい人もいるんだなぁと思ったが、よく見たらあの牡蠣小屋の少女だった。
さすがにドン引きだ。関わらないほうが良い人だったのかもしれない。
「景観を損ねる開発は、悪だー! コストの負担を住民に、押し付けるなー! 海洋生態系への影響を、考えろー!」
元気のない怒号が、始まったばかりの工事現場に虚しく響く。こんなことをしていてもどうせ工事は中止にならないし、賛成派からは白い目で見られるだけだ。出る杭は打たれる。だったら出ないほうがマシだ。
牡蠣小屋のあの子は思っていたような可愛らしい感じとは程遠いし、こんなのに参加しても無駄だ。昼休みに弁当が配られるそうだから、それだけもらってバックレよう。
体力が続かないのか、老人がほとんどを占めている反対運動は、早めの昼休憩を取らないといけないほど、早くも限界を迎えそうだった。
「はい、おつかれ! ありがとうね、参加してくれて」
牡蠣小屋のあの子が優しい笑顔で弁当を渡してくれた。着崩していたのをきっちり直して、背筋を伸ばして完璧な笑顔を振りまいている。さっきまでの激しい彼女の様子とは別物で、逆に怖い。
「まさか本当に来てくれるとはね。真面目だね」
綺麗な子に褒められて、一気に怖さが吹っ飛んだ。男って単純だな。
「ねえ君、あの名前、なんていうの? 読み方わかんなくて」
「睦。女みたいで嫌なんだけどね」
「あれで『ちか』って読むんだ! 和睦とか、親睦って感じだから『ぼく』って読むんだと思ってた。あだ名とかボクちゃんなのかなぁって、思ってた」
「あー、そのパターンは初めてかも。そもそも読めないっていうのがほとんどだったし。でもボクちゃんは嫌だなぁ」
「なんで? かわいいじゃん。じゃあ、チカちゃんだね!」
「それも女みたいで嫌だ。てかそっちは? そっちもそっちで読めないんだけど」
「汐。男みたいで嫌なんだけどね」
「あれで『うしお』って読むんだぁ。夕方の夕のイメージが強すぎて、ユウかと思った」
「あー、そのほうが良いかも。でもね、ユウとは読まなくて、セキって読めるんだって。なんかそれもビミョーだなって。妹のほうが可愛らしい名前で……あ、いや、これはあれだけど。でもなんか、似てるね」
「……かもな」
汐、か。名前を聞けただけでも一歩前進。というか、俺は何を期待してしまっているのだろう。その瞬間、寂しげな表情を浮かべた汐。ほんの一瞬だけだったから見間違いかもしれない。その完璧で文句のつけようのない微笑みが、強がりでなければ良いと思った。
「ていうか、始まっちゃったね。工事」
「まぁ、そう、だな」
興味ないけどね。でもあんな熱心に声を張り上げていた汐に対してそんなこと口が避けても言えない。
「まぁ見て分かる通り、参加者の多くは年配の人で、若者はほとんどいないんだよね」
「だから、俺を誘ったってこと?」
「まぁ、それもある。もっと若い人に広めたいんだけどね」
汐はわかりやすく肩を落とした。そんな姿を見せられたら、励まさないと気が済まなくなってしまう。どうすれば良いんだろう。俺だって興味ないわけだし。
「まぁ、SNSの活用とか? 綺麗な海の写真とか載せてみる? 工事で失われる景色をアピールする〜みたいな」
そんなんで効果あるのか? と自分でも自分を信じられないが、それっぽい回答としては良いほうだろう。
「良いかもね! あんまりSNSとかやってなかったんだけど、これから毎日更新して、綺麗な海とか撮ってみようかな! ありがと!」
こんなんで良いのだろうか。喜んでくれたなら良いけど。
「うまくいけば良いね」
心にも思っていないことでもスラスラ言えてしまう。気持ちが入っていないほど、流暢になれる。でも、汐が素直に俺の意見を取り入れてくれて、なんだかちょっと嬉しかった。認められたような気がした。こんな俺でも、少しは役に立つことがあるんだな。
「この工事が終わる頃には、ここの海はもう死んでしまう。そうなったら、うちの牡蠣はもう終わり。ちょっと前までは観光資源にしようって色々してくれてたのに、市長が変わってから路線がガラッと変わっちゃってさ。昔ながらののんびりとした風景とそれを活かした観光よりも、コンクリートだらけの先進技術の方向に転換したんだよね」
確かに行橋を観光地として魅力的にするには現時点ではエネルギーが足りない。しかも防災の必要性は上がっているし公共事業を増やして雇用創出するのも納得できる。どっちもメリットとデメリットがあって、どっちも悪気はないんだろうけど、難しい問題だ。
「みんなで一生懸命声を張り上げて、声を届けないとね。これから毎週あるから、絶対来てね。約束ね!」
勢いに負けてウンウンと頷いてしまった。その日はそれで解散に。老人たちの体力がもたないから、今後も朝一番で抗議活動をして、お昼で解散ということになった。汐と約束してしまった手前、これからも参加し続けないといけない。あんな綺麗な顔にお願いされたら誰だって頷いてしまう。白濁の寒空の下、老朽化した護岸の向こう側に積み上がっていく灰色の資材を背景に、汐だけが今日も色づいて見えた。
それから毎週日曜日の朝は、わざわざへいちくに乗って行橋駅まで行き、太陽交通バスの簑島線に乗り込んで抗議活動に参加するようになった。さすがに毎回サイクルトレインで自転車をわざわざ持ち込むのも面倒だし、なにより寒い。だからマイクロバスのような小さな車内で老人たちに囲まれながら、わざわざ出向くのだ。油膜でぼんやりと濁った日差しをカーテンで遮る。ゴルフの打ちっぱなしの手前で降りて、橋をわたって工事現場に向かう時間には、もう現地の住民たちのコールがはじまっていた。
「睦! 遅かったじゃねぇかよ! 寝坊かぁ?」
あれからちょうど一週間。朝から激しい、というか凶暴な汐に圧倒され、ヘコヘコ謝ってから混ざり込んだ。どう考えてもその綺麗な顔には似合わない乱暴な口調。髪をかきあげ、猫背でラフな格好をしている。一瞬別人かと思ったが、他に同年代の若い人はいないし、何より俺の名前を知っているのだからきっと本人だろう。
「潮力発電所の建設、反対! 防波堤建設、反対! 綺麗な海を、汚すな!」
いつもと同じ文言に、正直飽きてきた。さすがにもう全部覚えてしまった。これは新しい形の洗脳なのかもしれないと思うほど、毎週頭に叩き込まれる反対運動の文言。この土地と同じく、みんな何も変えようとしないし、変わろうとしない。自分に危害が加わろうとしないと、誰も動きたがらない。ま、俺も同じだけど。
抗議活動はやはりその日によってバラバラだが、十一時には早めに撤収することが多かった。体力も気力も使うから仕方ないのだろう。参加者も、最初と比べたら多少減ってきている気がする。
しかし逆に増えるものもある。それは参加者同士で交換するプレゼント。汐からは牡蠣が配られ、他にも米、文旦などの農産物や干し柿など、なんでも配られる。最近では汐に会いに来るのと参加賞目当てに来ているようなものだ。もしかしたら俺と同じような人もいるのかもしれない。
「汐ちゃん、なんか変わったっちゃね」
とある年配の参加者が話しかけてきた。地元の方だろうか、手には小分けにされたお菓子をコンビニ袋の中に入れて配っているようだ。
「変わったって?」
「そう、なんていうか……朝と昼で人が違うみたい。私だけかしら?」
その言葉に、思わず身構えてしまう。確かに、黒髪ロングの優等生っぽい時と、さっきみたいなドギツい猫背の不良っぽさは相反する気がする。
「……気のせい、じゃないですか?」
「うーん、まぁ、そうかもね。でも、朝は強気なのに、お昼過ぎると急に優しくなったり大丈夫かしらねぇ?」
話を遮るように、近くで声を張り上げる人たちの掛け声が響いた。そして汐もどこからか現れて声をかけてきて、その年配の参加者は気まずいのか人混みに隠れていった。
「おつかれ! はい、今日の分ね!」
朝と昼でこんなに性格が違うものかなと違和感を覚えるほど、昼間の汐は雰囲気からして爽やかで良い子だ。この子どもみたいな純粋な笑顔の破壊力を上げるために、わざと朝はキツいイメージを植え付けられているのかもしれない。しらんけど。
「あんたみたいな若者が声上げて、えらいねぇ」
周りの年配の方々から褒められている汐。だが汐は目を伏せ、あまりうれしくなさそうに見えた。普通は認められたら嬉しいはずなのに。
「もう慣れた?」
話をはぐらかすように俺に話を振ってきた。後ろめたいことでもあるのだろうか。
もっと堂々と受け止めれば良いのに。
「慣れすぎたかも。ちょっと飽きてきたくらい」
「え、それは逆に困るなぁ。こんなに毎週熱心に参加してくれてるんだもん」
汐を見たいから来てるとか、言えない。
「まぁでもさ、やっぱ自分が住んでいる町のことだし、この町のピンチは自分自身のピンチでもあると思うんだよね。睦もそう思わない?」
「思わないかも。この町自体、興味ないし」
「そんなこと言ってる場合じゃないよ。夏休み中には工事が始まるんだから」
「え? そんな早いの?」
「うん、早ければ八月。遅くても秋までには着工するって」
「マジか、そんな差し迫ってたのかぁ」
「だから今のうちに出来ることななんでもしないと! 行橋にいるのに行橋が嫌いな人を更生させるとか! ね!」
「いや嫌いっていうか、どうでもいいっていうか」
「どうでもよくない! わかった。こうなったらもう、行橋を好きになってもらわないと気がすまない! 同じ志を持ってもらわないと、本当の抗議活動にはならない!」
ちょっと朝イチの片鱗が見えて、冷や汗が背中を伝う。真剣さは十分伝わってくる。でもそれは、抗議活動で発散してくれればいいのに。
「このあと、暇?」
「まぁ、なんか食って帰ろうかなぁと……」
「じゃあ、今日から私が行橋を案内してあげる! まずは行橋の町を好きになってもらって、それから抗議活動の中心になってもらうから! いいよね!?」
なんか恐ろしい結末を耳にしたような気がするが、勢いに圧倒されてウンウンと頷くしかなかった。逆に考えれば、毎週日曜日は綺麗な女の子と必ずデートができるという解釈もできるし、これはラッキーなのかもしれない。
「じゃあ……まずはお昼食べに行こう! 何食べたい?」
「別にな――」
「そうだなぁ、カレーならあそこだし、定食ならあそこだし、あ、でも今日はハンバーガーの気分だから、ハンバーガーね!」
聞いてきたのに何ひとつこっちの意見は聞かないのか。子どもみたいな無邪気さだから見過ごすけど。
汐がスマホを取り出した。ロック画面に目が留まる。白い砂浜で貝殻を手に持つ二人の小さな女の子。
「それって汐の写真?」
「え? あ、いや別になんでもないよ」
慌ててスマホをポケットにしまう汐。別に何もなければ教えてくれても良いのに。その仕草には、どこか後ろめたさが漂っていた。海の方を眺めて、視線をあえて外しているように見える。
「そんなに恥ずかしがらなくても。てか何見てんの?」
「潮位。見とかないと」
「潮位?」
「あ……ああ、うん、忘れて」
「いやいやいや、思いっきり言ってたじゃん。潮位って。え、なんで見てんの?」
「……知りたい?」
「知りたい!」
「満潮の時は、わたしはわたしになれるから、かな」
「ん? どういうこと?」
「秘密だよっ」
そのまま歩き出した汐に、慌ててついていく。満潮の時、わたしはわたしになれる? その言葉の意味を考えながら、ふと横顔を見ると、汐の表情が一瞬だけ歪んだような気がした。まるで誰かの仮面をつけているみたいに。目を擦ってもう一度こっそり横目で見ると、元の爽やかな笑顔がそこにあった。気のせい、か。
簑島から今川沿いを昇って、市役所から行橋駅の方に膨らんでから到着したのは、ゆめタウンだった。
「仕方ないじゃん。バスが行けるところまでしか行けないんだから」
「だとしても行橋の魅力がどうのこうの言ってるのに、ゆめタウンて」
「ほら、一階にフードコートがあって、美味しいものいっぱいあるじゃん?」
「行橋ならではのものはないけどな」
「じゃあ、一階のお土産屋さんコーナーで……」
「福岡ならではのものはあるけど、行橋の魅力じゃないけどな。あと腹持ちしないし」
「じゃあ、じゃあ、テイクアウトできる唐揚げとかお寿司とか買って、目の前の大きい橋で食べようよ! 今川は行橋を代表する川でしょう? それか、川を超えてドンキとかある方に行く?」
「コスタでしょ。いつも学校行くときそこで降りるから。もういいよ。結局、行橋に魅力とかないんよ。大人しくフードコートでチェーンの味を満喫して満足するしかないんよ」
行橋のメインストリート沿いは、全国展開しているチェーン店しかない。日本の郊外の景色はどこも同じ。突出しているものは行橋にはないのだ。
「じゃあ、駅まで戻って、そこで昼からやってる定食屋さんでも行こう!」
「行橋のものを使ってるお店なの?」
「そうじゃないけど。でも、美味しいから!」
「まぁ、お腹すいてるからそれでもいいけど」
ゆめタウンから行橋駅までバスに乗り、飲み屋街の方に向かって歩いていく。今川沿いの桜並木が、まだ固い蕾を抱えている。そういえば汐が前に飲み屋街の方に自転車で向かっていたことを思い出した。あれは一体なんだったのだろう。妙に大人っぽくて、どちらかというといつもの朝イチのドギツい汐のほうと雰囲気が似ていたような気がする。
飲み屋街の中にある食堂は、外からは開いているかどうかさえ怪しかった。人っ子一人いない、ザ・寂れた町って感じの自称繁華街。昼飯を済ませてから、接骨院帰りのおじいちゃんとしかすれ違わないまま、行橋駅に戻った。
「これで行橋を好きになれっていうのはちょっと……難しくない?」
「まだまだこれからよ! 今からね、植物園に行くから!」
「植物園かぁ。興味ないしなぁ」
田んぼと山に囲まれているせいか、植物を見に行くためにわざわざ時間と体力を使う人の気がしれない。行橋駅から徒歩二十五分。住宅街をひたすらまっすぐ歩いていくと、そこにはたしかに『ゆくはし植物園』とあった。
「ただのホームセンターの園芸コーナーのデッカイ版じゃん」
「いいじゃん、こんなにたくさん花や珍しい植物があるの、他にないよ? 行橋では」
行橋ではそうだけど。それは暗に行橋をディスってしまっていないか?
日曜日の午後ともあって、一応人はいるようだ、でも、デートで来たと言うより買い出しに来ている人のほうが多い気がする。田舎だから土地が安いのか、一軒家に暮らしている人が多く、庭先に植える花を物色しているおばさまがほとんどだ。そんな優雅で、自分の世界観を楽しんで過ごしている人がほとんどだから、町がどう変わろうとも関係ないのだろうと思った。
結局、汐もあの牡蠣小屋のそばに植えるために花を物色していただけだった。なんでこんな買い物につきあわされているのだろう。なんのためにここにいるのだろうと、冷静になってしまう自分がいる。帰りたい。つまらない。この町は。
「ごめん、今日はもう、帰っていい?」
「え、なんで? これからだよ!」
「いいよもう。どうせコスタまで歩いて、適当にぶらついて、百均とか回って帰るだけだろうし。それ以外ないじゃん? この町。だから帰る。テレビ見てたほうが楽しめるわ」
「ああ……ごめん、なんか連れ回しちゃって。もうちょっと、色々考えてみるね。絶対、行橋のこと好きになってもらいたいから! この町には、魅力的なものがたくさんあるの。でも、みんなそれを見ようとしない」
なぜか汐が俺のことを語っているようでムカついた。
「……しゃあしいのう」
小声でぼそっとこぼれた。もう汐の反応も見ずに、帰路についた。なんかスッキリしないけど、仕方ないと自分に言い聞かせながら、ひたすら早足で歩いていた。
土手道。刈り取られて腐った草の臭さに、思わず鼻が逃げる。
吐き出した息は白く濁り、冬の空気に溶けていった。吐き出した塊が、いつの間にか形を失っていった。