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4.

 町が機関銃の照準の向こうへと消えていくと、道は緩やかに南へ弧を描き始めた。

 草原に水の涸れた跡らしい砂の池が目立ち始めた。

 そのそばには騎馬民族のテントの残骸があり、腐って大きく脹らんだ死体と小さく脹らんだ死体がいくつか転がっていた。一番小さく脹らんだ死体は地面に立てられた槍の先に刺さっていた。

シロがやったんだ。間違いない」コトフが言った。

「わしらの仲間じゃないって絶対の保証はない」

「なぜ?」

「こいつらは神を信じていた」

 コトフは罰が悪そうに、手帳をめくって何かを書きつけ始めた。

「神を信じているなら」と、殺し屋。「〈女司教〉だって神を信じていますよね?」

 シムツは唾を吐いた。「シロは旧国王派の軍隊だからな。たぶん天使を信じているはずだ。ところが、騎馬民族も天使を信じている。違いはな、シロどもの天使は人間から翼が生えてるが、騎馬民族の天使は馬から翼が生えている。これだけでも赤ん坊を串刺しにする大義名分になるんだ」

「とんでもないところに来ちゃったな」

「世界は火だるまになってもまだマッチをすりながら転がってる。ここは特等席だ」

「同志! 世界は確実に良くなっているんだ!」

「あの紫色に脹らんだフーセンどもに言ってやるといい。世界は良くなっているってな」

 そう言われると、コトフはぐうの音も出なかった。


 機関銃馬車はもともとはビール工場の馬車だった。

 ただしビール樽を運ぶのではなくて、コメディアンを乗せて、ビールを宣伝するための馬車だった。

 だから、涙色のペンキで塗り潰すまで、この馬車は愉快な顔のついたビアジョッキの絵が何十と描いてあったのだ。

「ビールを飲むやつの気が知れねえ」と、シムツ。

「どうして?」

「薄くて苦いだけだ」

「これについてはわたしも同志シムツに賛成かな」

「あの苦さが味になっているんだけどな。それにこんなふうに暑い日に冷たいビールを飲むことは救世主になって生きたまま焼かれるよりもずっと気分がいいと思うんだけど」

「酒はマッチを投げたら燃えるくらいのもんじゃないといけない。火酒ってのは意味があっての言葉だ」

 草原に石像が目立ち始めた。丸っこい女性の石像や折れた剣を手にした戦士の像が牧草の海に点々としていた。シムツはまだ日は高いが、ここでひと休憩して、馬たちに牧草を食わせてやろうと提案し、コトフはシムツの専門家としての知識を信じて、休憩を認めた。たとえコトフが反対してもシムツは休憩するつもりだったが。

 栗毛と葦毛とぶちはアルファルファを熱心に食べ始め、殺し屋たちは樽のなかの水を飲んだ。すっかり生ぬるかったが、それでも水は水だった。

 コトフはまわりにある石の像を見て、簡単なスケッチを取っていた。彼の見解では像は人柱の印らしい。つまり、石像ひとつに人間ひとりが埋められた計算だ。コトフは無神論者だったから、こうした野蛮な信仰のにおいを嗅ぐと、世界が自分にひれ伏した気になって幸せになれた。シムツはそれを知っていて、祈りの文句を唱えたり、神が約束する天国の話をしょっちゅう持ちかけた。

 殺し屋は神について……そこまでしっかりとした考えを持っていたわけではない。いるかもしれないし、いないかもしれない。いると考えるのは怠慢で愚かだが、この宇宙のどこかに人間よりもはるかに高次な知的存在はいないと断言するのは傲慢だった。

 ただ、神がいようといまいと確かなことは神は人間がどうなろうと気にはしていないということだ。意地悪でそうしているのではない。他にも気にしないといけないことが多すぎるのだ。

 さっきの町で手に入れたパンを食べながら、狂ったように平らな草原を眺めていると、〈女司教〉は本当にこんな場所にいるのだろうかと怪しくなってきた。あまりにも広すぎた。ただ、〈女司教〉はある種のカリスマをまとっている。つまり、通過した地点に狂信者を大量に残しているから、それをたどれば、いずれ追いつけるかもしれない。確率は六分四分。こっちのほうが有利だった。機関銃があるし、レバーアクション式のカービン銃もあった。座席のそばに立てかけたカービン銃を手に取ると、レバーを動かして、装填されていた三〇・三〇弾を七発全部吐き出させた。そして、丸い頭をした弾をひとつずつ立たせて、ひとつずつ弾倉に押し込んだ。弾を押し込むとき、弾倉のスプリングを感じる。最後の一発を押し込むと、人を殺すことはこの世で最も簡単なことのように思えた。〈女司教〉を見つける。頭に一発。バン!

 機関銃馬車がまた走り出した。ちっち、と舌を鳴らしながらシムツが馬を御す横で、コトフは殺し屋から借りた飛び出しナイフをいじっていた。コトフは二十歳かそこらの生涯のなかで、この手の飛び出しナイフを見たことがなかった。ボタンを押して、カチッと鳴るなり刃が飛び出してくるのを見て、おー、と声をあげていた。

「折りたたみの刃物はみんな軸が弱えんだよな」シムツが言った。

「おっしゃる通り」

「魚の頭を落とすのも、ハヤみてえな雑魚なら問題ねえが、鱒の頭を落とすのはちょっと苦労する。それに木は削れねえ。従兄弟のチモがそんな感じのナイフで杭にする木を削ってたら、ナイフの軸が壊れて、人差し指を縦に裂いちまった」

「では、このナイフは何のためのナイフなんだろう?」

「人を刺すためのナイフだよ」殺し屋はこたえた。

「人を刺すため?」コトフはぎょっとした。人を刺すことは革命的にありえないみたいに。

「小さいからボディチェックで見過ごされることがよくある」

「その、同志、わたしには分からないんだが、どうして、きみはその人を刺すんだい?」

「どこかの酒場で静かにビールを飲んでいたら、しゃぶれよ、とか無礼なことを言ってくるやつがいるとする。ぼくはそれを無視する。すると、そういうやつはビール瓶をカウンターに叩きつけて、即席の凶器を作り上げる。割れた瓶は非常に危険な武器だ。主要な強国が割れた瓶を戦争に使うことを禁ずる条約を結んだほうがいいくらい危険だ。だって、割れたガラスには切れ味はまちまちだけど切っ先が五個くらいある、そして、ガラス。刺すと同時に人間の体に微細なガラス片をいくつも混ぜていく。こうした危険から自分を自分の責任で守るとき、非常に都合がいいのが、この飛び出しナイフなんだ」

 巨大建築物は遠くからでも見れば分かる。地平線に、最初は蚊トンボくらいの大きさだが、少しずつ大きくなっていくのだ。

 石像の点在する草原を進んでいく。それは巨大な門であるらしい。門が単独で存在しているのは変な気分だ。たいていは壁と一緒に存在するものだが、この門は他に何もない。門の柱は真四角で、巨大な人間が彫り込まれていた――高さ百メートルを超える門の下からてっぺんまでを使って。その石像の凹凸に長い時間をかけて、植物が根を生やしていて、門全体は緑につまみ食いされていた。

 かなり近づくと、像の窪みにできた緑のひとつひとつがちょっとした木立くらいに立派に生えていることが分かった。

 シムツがコトフにたずねた。

「変な門だなあ。あれも人柱か?」

「あれはおそらく凱旋門だよ」

「ガイセンモン?」

「戦争に勝ったときにつくる大きな記念建築だ」

「なんだ、人柱の親玉じゃねえか」

 機関銃馬車は門をくぐった。ちょうど正午だから、門の影は真下に落ちていた。葬式みたいな涼しさがあった。門の内側には小さな名前がびっしり書いてあったが、どうやら戦死者の名前のようだ。死人の名前を凱旋門に刻んでおけば、貸し借りなしになると思った将軍がいたらしい。

「ストップ!」

 殺し屋が声をたて、シムツは手綱を引いた。葦毛が後ろ足で立ち上がった。

「なんだ?」

「あれ、見て」

 殺し屋の指差した先に、道の端のそばに何か白い棒のようなものが一本、置いてあった。

「絶対に前に進まないで」

 そう言ってから、殺し屋はカービン銃を手に取って、来た道を戻り、凱旋門を南側からまわり込むと、草のなかに伏せた。そして、風が草をそよがせたタイミングで少しずつ進んでいった。

 進むたびに体の下で葉が潰れる、青いにおいがした。

 道のギリギリまで生えている、ブリヤン草の影から、例の白い棒を見た。

 思った通り、人間の二の腕の骨だった。

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