3.
機関銃馬車は東へ進み、西日が殺し屋へもろにかかるようになってきた。
ひとつの雲もない、オレンジの光のみ。
腕章のそばで手をかざしてみると、黒は藤色に上塗りされた。
夕日のなかでマッチをすると、太陽の欠片が手に入った。
機関銃馬車の影は進む道を地平まで伸びていて、村や人家は見えない。
太陽が沈み、インク色の空の底に残っていた赤紫の残照が全て地平線に吸い取られると、数万の星が電気のスイッチを押したみたいに光り出した。
星光に蒼褪めた道でシムツは並足で走らせて、やがて機関銃馬車は泉のそばで止まった。
泉がつくった池からバケツで水を汲んで、頭からかぶり、風が服を乾かす十五分のあいだ、泉の上の平石に三人で寝そべった。
「なあ、同志コトフ。あの星はいくつある?」
「三百五十七個だね」
殺し屋は泉から携帯コンロのそばに戻り、食事をつくることにした。ランチョンミートの缶詰を開けて念入りに刻み、飴色玉ねぎの缶詰を開けて念入りに刻み、茹でポテトの缶詰を開けて念入りに刻んだ。豆の缶詰も開けたが、これは刻まなかった。
コトフとシムツの声がした。
「あ! 缶切りがない!」
親切な殺し屋は喜びとともに缶切りを貸したが、この刃を人間の顔に突き刺してねじり、筋肉の筋とは逆の方向に思い切り引いたことがあるのは言わないでおいた。
殺し屋は刻んだ小口の食材を人造ラードをひいたフライパンにぶち込み、小さな穴のあいた缶に入れてある塩コショウを念入りにふった。ケチャップの気分ではなかった。塩とコショウでさっぱりいきたかった。
シムツとコトフはそれぞれのフライパンにひと財産もののケチャップをドポドポ入れていた。ふたりはマカロニを入れていたから、ケチャップを入れるのは当然のことだった。
人造ラードのおかげでランチョンミートやポテトの表面がかりッとしていた。ケチャップを入れなくてよかった。
翌朝、全ての生き物の睡眠を邪魔するという大いなる悪意とともに太陽が東からあらわれた。世界が燃えだし、睡眠の次に絶命したのは星たちだった。色あせ忘れ去られるように死んでいった星たちは太陽が西に沈むとともに蘇る、黙示録的な生き方をしていた。
草が燃え、道が燃え、羽虫が燃えた。
「ある取引所で」と、殺し屋が話し出した。「冷静なやり手で知られた仲買人が取引の最中、パンツ一枚になって踊り出したんだ。歌ってもいたけど、口に出せない卑猥な言葉を休むことなく連呼してた。で、結局、その人は警備員に連れ出された。服と一緒に」
「それで?」と、シムツ。
「この朝焼けと仲買人がそっくりなんだ」
「どう、そっくりなんだい、同志?」
「つまり、朝焼けと同様、仲買人は全てを燃やしたい衝動にかられたってこと。でも、男にはマッチの一本もなかった。煙草を吸わない人だから。そこで、彼は彼のキャリアと社会的地位を燃やすことで妥協したんだ」
シムツが煙草を噛みだした。
「前に騎兵の指揮官に男爵ってやつがいた。本当に男爵なんだが、なぜか黒にいた。そいつは物を燃やすのが好きなやつだった。最初は捕虜や百姓を燃やしていたが、我慢のきかないやつで、遊牧民のテントや馬を燃やすようになった。それでも足りなくなると、神さまを燃やした。遊牧民どものな。その神さまってのが藁でつくった不細工でちっぽけな人形で、こんなもん崇めてご利益があるのか怪しいもんだったが、燃やした」
「それで?」
「それで終わりだ」
「神さまを燃やした祟りで――」
「頼むよ、同志! 祟りなんて聖職者たちのでっち上げだ」
「――今までした悪いことの帳尻合わせとして自分が燃えたりしなかったの?」
「してない。元気にしてるよ。やつは司令官に出世した。やつとやつの騎兵隊はいまもどこかで誰かを燃やしてる」
ありがたいことだ。殺し屋は心のなかで手を合わせた。こういう悪党が死なずにいるから、殺し屋は稼ぐことができる。
地平線がふわふわしてきた。白く柔らかい穂のような花をつけるパンパスグラスが見渡す限り繁茂していたのだ。
道が人間の背丈よりも高いパンパスグラスのなかに入ると、まったく視界が利かなくなった。道はくねくね曲がり始めた。鳥の鳴き声も種類が豊富になり、悪意すら感じる騒がしい声が草のすれる音を圧倒して、ギャアギャアあらゆる方向から飛んできた。まるで開店前のスーパーマーケットに並ぶおばちゃんたちの列に強引に割り込んだ騎馬警官になった気分だ。
パンパスグラスを抜けると、また視界が開け、小さな町が見えた。
塩でできたような正方形の建物が道沿いに並び、建物と建物のあいだには路地があった。表通りにも路地にも人はほとんどいなかった。たまに見かける人びとは男なら白いシャツに黒のスラックス、女なら白いブラウスに黒のスカートをつけていて、背丈や体格も似ていて、見分けがつかなかった。町の住人たちは殺し屋たちから目をそらし、機関銃馬車がそこにあることなどてんで知らないふうを通した。
そのうち、機関銃馬車は出入り口の上に〈事務所〉と書かれた建物の前に止まった。
他の建物と同じ、白くて、正方形で窓はなく、あったとしてもひどく小さく、戸口にはドアのかわりにふたつに切った垂れ幕が下がっていて、わずかな風にも軽々とゆれ、端をひらつかせた。
「ちょっと入ってみるよ」コトフが言った。
シムツは心配そうな顔をして、殺し屋にいっしょに行くように言った。
「ここに何日いるかきかれて、三百五十七日とこたえられたら面倒だからな」
事務所のなかはこざっぱりとしたテーブルと椅子があって、書物を入れる棚が小さな窓際に立っていた。家具什器は植物性繊維を圧縮して作った板が使われていて、最初は薄い褐色だが、使い込むほど色が抜けていくようだ。
背の高い、教師風の男が戸口に背を向けて立っていた。彼は壁に時計をつけようとしていた。それはカフェの丸いトレイくらいの円盤で、中央には砂時計がつけてあった。
「その時計は五分で砂が落ち切るんだ」教師風の男が言った。「砂時計は回転装置にはめ込まれていて、もうすぐ落ち切るから分かるんだけど――」
砂が落ち切ると、砂時計をはめ込まれた小さな円盤が回転した。そのとき、左側の回転メーターの数字は06のまま静止、右側の回転メーターの数字はカチッと音と立てて、06から07に変わった。
そして、砂が流れ落ちていく。
「6時7分。きみたちの時計では12時35分ということになる。そろそろ昼食だ。それで、何の用だい?」
「珍しい時計ですね」
と、殺し屋が言うと、教師風の男は歌を誉められたように嬉しそうな顔で言った。
「この町では1日を12時間、1時間を12分に設定している」
「秒はないんですか?」
「ない」
「いつから、この素晴らしい時間制度を?」
「わたしの曽祖父のそのまた曽祖父の、まあ、途方もないくらい昔だよ。この町ができたころからの話だ。この町がいつごろできたか、知っているものがいないんだ。町の歴史書にも最初のページにはただこう書いてあるだけなんだ。〈とんでもない昔、町がつくられる〉。だから、この時間制度もとんでもない昔からある」
「あなたはさっきぼくらの時間で時刻をこたえてくれましたね?」
「勉強したんだ。いろいろな時間制度が知りたくて。秒というのは良くないね。人間を過度に縛り過ぎる。1分を3600秒に設定した恐るべき人びともいるくらいだから、わたしたちは幸せものだ」
「あの、失礼します」と、コトフが割って入った。「この町はどちらの陣営ですか?」
「陣営? この町はこの町だよ。どこにも属していない。ただ、ときどききみたちのような人たちが来ることもある。彼らもきくんだ。この町はどっちの陣営か、と」
「〈女司教〉がこの町に来たことは?」
「その人たちだよ。この町がどちらの陣営かたずねたのは」
「それでさっきのこたえをしたんですか? よく、ただで済みましたね」
「済まなかったよ。町は焼かれたし、住民も大勢殺された。でも、わたしのような生き残りがいたから、協力して町を再建できた。そうしたら、また焼かれて、殺された」
「えーと」と、殺し屋。「武器を手に取って殺そうとか考えなかったんですか?」
「なぜ?」
「だって、相手を殺せば、町は焼かれないし、住民も殺されずに済むわけですよね?」
「そうだね」
「じゃあ、武器を手に取って、先に殺せばいいんじゃないですか? 先手必勝です」
「だが、わたしには彼らを、あるいは彼女らを殺す理由がない」
「町を焼かれて、住民が殺されているんですよ。それって十分な理由じゃないんですか?」
「町を焼かせて、愛する家族や友人たちを殺させるだけで、憎悪に心を明け渡さずに済むなら、安いものだと思うよ」
「みんな同じ考えなんですか?」
「だいたいそうだと思う。もちろん、そうでない人も住んでいるけど」
殺し屋は馬車の機関銃を下ろして、この教師風の男に与え、使い方を教えたい衝動と戦った。弾が詰まったときの対処法や冷却水がなくなったときの最後の手段、上から下へ撃ちおろすときに知っておくべき七つのコツも全部教えたかった。そんなことをしても男が機関銃を使わないことは分かりきっていたが、猛烈に試したかった。この男はある種の狂人だ。
「それで」と、教師風の男。「この町を焼くのかい?」
コトフがとんでもないと首をふった。「そんなこと、わたしたちはしませんよ! ねえ?」
殺し屋もウンウンウンとうなずいた。
「それはよかった。町も焼かれないで済むなら、そっちのほうがいいし、住民も殺されずに済むなら、そっちのほうがいい」
「ぼくが殺すのは〈女司教〉です」
ターゲットの名前をあげると、教師風の男は哀し気な顔をした。本当に誰にも死んでほしくないのだ。
「何か伝えることは?」
「今からでも間に合うから、全てに優しくなろう。そう伝えてほしい」
「わかりました」
「ありがとう」
外に出ると、シムツが三百五十七回の失敗を気にしている様子で馭者台に座っていたが、殺し屋たちの顔を見ると、もっとシャレにならない出来事がおきたのだと思い、きくのが怖くなった。
「恐ろしいことがあったわけじゃないんだ、同志」コトフが言った。「平和は命よりも大切だと断言できる、輝かしい人びとのひとりに会ったんだ」
町の表通りをだく足で進むと、市場のような場所に出た。パンや工芸品を売る屋台が少しあるだけで、人は少なかった。
客は金属片を渡すことなく、商品を受け取っていた。
「我々が目指すべき社会だ」コトフが言った。「結局、金銭は権威を生み、権威は圧政を生むんだからね」
「ただの共食いじゃねえか」シムツが言った。
「言いたいのは食い逃げってこと?」殺し屋がたずねた。
「いや、共食いであってる。カネもモノも渡さないで生きようとしたら、待ってるのは共食いだ」
「同志、そんなことはないよ。誰もが自由に必要なパンを必要な分だけとる。社会の理想だ」
「んじゃ、同志コトフよ。わしの質問にこたえてもらおうじゃねえか。もし、誰かがその自由にとれるパンをよ、全部とっちまって、欲しかったら、おれの家来になれ、なんて言い出したら、そいつはどうするね?」
「話し合うよ」
「話し合っても分からんやつだったら? あんたの後ろにいまにも飢え死にしそうなガキだのメスだのが何人もいたら? あんたの手に銃があったら?」
「それは、その……」
「ぼくなら使うね」と、殺し屋がコトフに助け舟を出した。
「な? だから、共食いってんだ」




