12.
白く冷たい光の平原。どこまでも広がる火薬の原料。
雲のない空の青と染みのない硝石の白。
「こんな世界があったとはなあ」シムツが感心した様子で言った。「見ろ。本当に青と白しかない。ここじゃ黒なんておよびじゃないんだ」
「全部、革命の財産だ」
「こいつを掘るつもりか?」
「もちろんだよ、同志」
二本のまっすぐな線が道と平野を区切っている。人工的に刻まれたらしい線は少しの狂いもない直線を描いている。
「誰もこれを切り出したことがないみたいだ」殺し屋はこの土地に住む人間の無欲さに感心した。「白軍だって財源は必要だろうにね」
「今日は死ぬにはいい日だな、ってか」
白軍の騎兵が横隊陣形で近づいてきた。最初は鉛筆で引いたような線だったのが、少しずつ大きくなってきた。七十騎の兵士たち、白い天使の旗に集った狂信者たち。その陣形から讃美歌がきこえてきた。その美しい調べはこの世界にあまりにも似合い過ぎた。このときばかりは神を信じるのは危険だった。神が実在するなら、この世界の異物である殺し屋たちを除去するために雷や地割れ、津波と手段を選ばないだろう。
「くそっ、まずい!」シムツが叫んだ。
「同志、何があったんだ?」
「馬が道の外に出たがらない」
葦毛の尻に鞭を撃っても、馬たちは天使の騎兵たちに心を奪われたみたいにまっすぐのみを見つめ続けている。讃美歌が耳に入り、獣性を失わせ、新しく授けられた聖性が旗のもとに集うことを命じているのだ。
「まっすぐには走れる?」殺し屋がたずねた。
「ああ」
「じゃあ、そのまま駆け足で。突撃させて」
「こっちは蜂の巣だぞ」
「敵の横隊を突破すれば、こっちは機関銃で後ろから薙ぎ倒せる」
シムツとコトフは殺し屋が、たったいまあらわれたみたいに見つめた。そのうち、お互いを見合うとうなずき、シムツが前に並ぶ三つの馬の尻に突撃の合図で鞭を飛ばし、コトフは持ち歩いている書類カバンを足元に置いて、どこかに飛んでいかないよう強く踏みつけた。
「そこにいて」
少女を横に座らせると、殺し屋は馬車の右側によりかかり、予備の三〇・三〇弾をポケットにいれ、カービン銃を構えた。
讃美歌が響いてきた。複雑な和音のなかに銃弾が混じるようになり、側板で弾が跳ね返った。涙色の塗料が削れて、ビール会社の持ち物だったときのジョッキの絵が見える。
騎兵たちは白い上衣、赤い筋の入った青い騎兵ズボン、王国の金の紋章の入った白い帽子をかぶり、カービン銃を手にしていたが、それらは五発の挿弾子で素早く装填ができる新しいタイプのレバーアクションライフルだった。
ライフル弾が唸るように飛んできて、コトフが叫んだ。
「頭を撃たれた!」
「耳たぶがなくなっただけだ! しっかりつかまれ!」
シムツがいっそう激しく鞭を打ち、馬たちはそれを聖域への鍵と受け取って、讃美歌へと走っていく。
殺し屋は少女を立たせて、〈女司教〉はいるかたずねたが、少女は首をふった。
軍曹の徽章をつけた騎兵がサーベルを高く掲げて、バスの歌声を響かせている。殺し屋はその喉を狙って、撃った。軍曹は馬の尻の上をもんどり打って倒れた。
さらに隣のテノールを撃つと、テノールは胸を押さえて馬の首にもたれかかり、動かなくなった。
「それ、ぶち! 走れ、走れ! 葦毛、さぼるんじゃねえ! 走れ!」
シムツが叫んでいる。馬を励ます舌打ちの音はどんどん鋭くなっていた。
「走れ、走れ! ぶつかってやれ! 耳を食いちぎってやれ!」
騎兵の横隊が近づいている。こっちの馬と同様、白軍の馬たちも半狂乱になっていた。
少女が殺し屋の肩を激しく叩いた。
その指差した先――十一時の方向に〈女司教〉がいた。短く切った黒髪に白銀の胸当てをつけ、天使の旗を手に熱にうなされたように叫んでいた――捧げよ! 捧げよ! 捧げよ!
殺し屋が狙いをつけた瞬間だった。
シムツの叫びと馬を鞭打つ手が止まり、ぐらりと車外へ倒れかけた。
殺し屋とコトフが咄嗟につかんだが、シムツの顔は真ん中からえぐれて、剥き出しの頭蓋には形の崩れた弾丸がめり込んでいた。
コトフは咄嗟に手を放し、殺し屋はむしろ外に押し出した。
シムツの死骸は馬車の外に落ちて、転がった。
「馬を御して!」
殺し屋が叫ぶ。
コトフは足で蹴って、身を馭者席に移した。書類カバンが飛んでいて、真っ白い文書が手品の鳩みたいに羽ばたいていった。
殺し屋が〈女司教〉を狙ったが、親衛隊の印を胸につけた騎兵がかばった。親衛隊騎兵は鐙に足がひっかかったまま、肉が削げるほど激しく引きずられていった。
ダダダダダダダ!
少女が発射ボタンを押し込んでいた。既に背中を向けた騎兵たちが次々と落馬していく。
ダダダダダダダダダダ!
馬の首がちぎれ、硝石の世界に赤黒い染みが広がっていく。
ダダダダダダダダダダダダダダダダ!
少女が小さな体を目いっぱい使って、機関銃を振りまわしている。人間と馬を一緒くたになぎ倒す。
殺し屋はつぶやいた。
「今からでも間に合うから、全てに優しくなろう」
轟音がした。機関銃馬車が傾き、そのまま殺し屋は外に投げ出された。
コトフが足をつかんで引きずっている。
ぼくは死んだのかな?
あ、違う。ぼくはカービン銃を手にしてる。
足から引っぱれってぼくが言ったのか?
騎兵がひとり、サーベルをふりまわして、飛んでくる。
銃床を肩でためて引き金を絞ると、顔が破裂して赤い霧になった。
次の弾を装填しようとして、弾が切れた。
ポケットの弾もない。
動きが止まって、足が鈍い麻痺のなかで踵から硝石の上に落ちた。
何かにとびかかっている。
手榴弾が回転している。
その上にコトフがかぶさった。
目が戻ってきたが、耳はずっとキーンと鳴りっぱなしになっている。
〈女司教〉が天使の旗を手に立っている。
硝石から跳ね返った光が銀の胸当てに集まって、神々しく見える。
「あなた宛てに伝言を頼まれたんだけど……忘れちゃった」
〈女司教〉は旗を逆さにして振り上げた。旗の先端には尖らせた銀が固定してあった。
パン!
旗は殺し屋の顔のすぐ横に刺さった。
膝をついた〈女司教〉が口から血を吐き、横に倒れた。
三二口径を両手でしっかり、素人くさく持っている少女が立っていた。