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10.

 麦畑が点々と見えてきた。

 機械を使わず、奴隷も使わず、一家族で面倒見切れるくらいの広さの畑だ。赤い穂をつけ、風になびいて、ガサガサとこすれる音が周囲からきこえてくる。

 畑のそばには必ずスレート葺きの平屋があり、農具を立てかけた壁には年寄りたちが煙草を吸いながら、昔話にあせた花を咲かせていた。

「あんたたち、この先に行くのか?」年寄りがシムツにたずねた。

「何かあるのか?」

「何もないんだよ。ひどい土地でな。土が腐ってるから植物が育たない。町はいくつかあったけど、みんな潰れちまったよ。水も腐ってる。それに盗賊が出る。ろくでもない土地だよ」

 シムツは馭者台を降りると、近くの黒土をひとつまみ、口にした。

「甘い。ここはこんなにいい土なのに」

「植物学者が来てから、こんなふうになった」

「学者ってのはろくなことしねえもんな。雪のなかに綿の種を植えろと言った馬鹿を知っている。大学の教授だって言ってたが、雪のなかで種が芽吹けるなんて、本気で信じてたのかな。今に思えば、わしらをからかっていたのかもしれん」

「どのみち、学者はクズだよ」

「いや、同志」と、コトフが口をはさむ。「その教授は綿の種の獲得形質について言っていたのかもしれない」

「なんか分からないことを言ったな。でも、そのカクトクケーシツがどんなに優れた肥やしでも、雪のなかで植物は芽を出さん。こんなこと、赤ん坊でも知ってることだ。そっちの嬢ちゃんはどう思うね」

 殺し屋は代わりに言った。「この子は口がきけないんだよ」

「そっちの子じゃなくて、あんた」

「ぼく?」

「そうそう」

「はぁ。まあ、コトフが言うのは、雪のなかに芽吹かせるための能力を綿の種が持っていたら、芽は出るってことだけど、どうやったらそんな能力がつくのかな。種に寒中水泳でもさせる?」

 農夫とシムツがゲラゲラ笑った。

「わかったよ」と、コトフ。「でも、革命は前進を貴ぶんだ。生まれながらのものではなく、実際に生き、その過程で正当な努力のもと得られたものは革命の本領なんだ」

 配給食と飲み水を多めに用意して、機関銃馬車を走らせた。

 いくつか勾配を乗り越えて、丘を回り込むと、問題の土地に入った。

 そこは鳥一羽飛ばない見捨てられた土地だった。

 砂から生えた貧弱なヒエがいまにも倒れそうになっていて、ねっとりとした池の水には錆が浮いていた。褐色の草原はどこまでも続いている。家畜の頭蓋骨や崩れた壁、渇いた土に眠る墓の群れ、ヒビが入った枯れ川床がある。人はひとりも見かけなかったし、ネズミでさえ、ここで生きていけるかは怪しかった。

 青い空から降る陽光は他の場所よりも強く照っていて、日除け帽をかぶっていても目がまわりそうだった。シムツの吐いた唾は砂に落ちると、ぽつっと小さな穴を開け、あっという間に乾いた黒い塊になってしまった。

 口のなかが砂でざらつき、三十年間放っておかれた家に入ったような、埃とカビのにおいがした。

 水を少しずつ口にし、殺風景な空っぽの草原を進むと、町が見えてきた。

 乾ききった石の建物はどれも廃墟で、人が去ってから何十年も経過しているようだった。

 道沿いの建物に〈事務所〉の看板が傾いていた。

 馬車が止まると、殺し屋はひとりで偵察するといい、カービン銃をつかんだ。

 ドアはふれただけで倒れた。なかはハンカチを顔に巻かないといけないくらい埃っぽかった。

 事務用の机。椅子。引き出しが全部抜けた書類キャビネット。〈町の創始者〉と刻印された絵画用の細い金属プレートがあったが、肝心の絵はなかった。ここを捨てるとき、持って行ったのだろう。

 奥はキッチンになっていて、歩くと埃が舞い上がった。扉の外れた空っぽの食物庫があり、壊れたランプが転がっていた。

 裏口から出ると、細い路地があり、広場につながっていた。盾と剣の騎士像があり、廃屋に囲まれている。

 小さな反射光が殺し屋の目を射た。

 すぐにカービン銃を構え、廃屋の二階を撃った。

 手製の狙撃銃を抱えた盗賊が落ちて、首が折れる音がする。

 すぐ広場のあちこちで銃声と硝煙が吐き出され、二発が殺し屋の足元で跳ねた。

 盗賊たちが一斉にあらわれた。廃屋の影から姿を見せたのは、ぼろをまとって、べたついた髪をふり乱した悪鬼のような男たちだった。垢まみれの髭面に目をぎらつかせ、制式のボルトアクション・ライフルを手にし、腰に結んだ縄には挿弾子を入れた箱が引っかかっていた。

 殺し屋は後ろを向きながら、すり足で素早くジグザグに下がり、一発撃った。

 弾は庭の柵に隠れて、殺し屋を狙った盗賊の胸骨真下に飛び込んだ。盗賊はほとんど真っ黒な血を吐いて柵によりかかって、柵ごと倒れた。

 殺し屋を路地の壁からサーベルを振り上げた大男があらわれたが、殺し屋は慣れたもので素早く方向を変えながら、膝撃ちの姿勢を取り、三発撃った。ぐしゃぐしゃに裂けた股間を押さえながら苦痛に顔を歪めると、味方がでたらめに放った弾丸が大男の首を撃ち抜き、弱弱しくふった剣を落としながら、殺し屋に覆いかぶさった。

「あー……やばい」

 カービン銃が投げ出され、動くことができない。盗賊たちのうち、ひとりだけ銃剣をつけたやつがいて、戦場の興奮で目が血走って、赫怒した口から白い泡を吹いている。

「キェエエエエエ!!!」

 三二口径を七発撃った。脚を裂き、胴を穿ったがひるむ様子がない。トランス状態に入った銃剣男は脛の骨が丸出しになっていても走ることをやめなかった。

 赤い錆が残った薄汚い銃剣の切っ先にはギラギラした太陽の光が燃えている——植物を枯らし、川を干し、家畜を狂わせ、人間を消滅させた容赦ない太陽の光が、銃剣によって、赤錆と一緒に殺し屋の体に入ろうとしていた。

 ダダダダダダダ! けたたましい銃声がして、銃剣男の顔が、首が、腹が血煙となって消える。↓

 コトフが走ってくる。殺し屋はコトフの手伝いで大男の体から逃れると、カービン銃を拾って、涙色の

機関銃馬車へ頭を下げつつ、飛び込んだ。

「出せ! 出せ! 出せ!」

 と、殺し屋は銀行強盗したばかりのギャングみたいに叫んだ。

 体が後部座席で逆さまになっていた。何とか椅子に座りなおすと、機関銃を撃っているのはあの少女だと分かった。下から狙って絞り込むような照準の取り方を見ると、きっと白軍でも機関銃を使っていたのだろう。

「まったくなんて厄日だよ!」シムツが言った。「野蛮人どもが!」

「集中農業制度だ!」コトフはこの場の誰も理解していない解決法を叫んだ。「この土地を救うのはそれしかない!」

「野蛮人ども!」

「あのー」

「なんだ!」

「あいつらはたぶん野蛮人じゃないと思う」

「じゃあ、あれはなんだ?」

「脱走兵」

 殺し屋は大男の腕章を見せた。黒い腕章。黒軍の印だ。

「白い腕章も見た。それにあいつらの撃ってきたライフルは軍用だったし、弾薬ポーチもそう」

「なんてこった!」シムツが唾を吐いた。「このいかれた戦争は何がどうなってんだ? 戦争をやめたら、ああなるしかないってのかよ!」

「当然だよ、同志シムツ。義務から逃れた人間にまともな未来が待っているはずがないじゃないか」

「何言ってやがる、このスカタン! この場合の義務ってのはなんだよ?」

「ぼくが〈女司教〉を仕留める手伝いをすること」

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