58.これは罰?それとも……
「まぼ、ろし……?」
「いいえ、本物ですよ」
ミラは椅子ごとずれてエレノアの顔のあたりに。ユーリはエレノアの腕のあたりで膝立ちになった。
「すみません。遅くなりました」
「魔物は?」
「クリストフ様が加勢してくださったんです。それで何とか」
「流石ね」
「ええ。ははっ、やっぱあの人には敵わないな」
ユーリはそう言って気恥ずかしそうに、それでいて何処か誇らしげな表情で笑った。慕っているのが見て取れる。クリストフのことを。心の底から。
「そうかなぁ~? アンタと小姑様だったら、どっこいどっこいなんじゃない?」
「全然違いますよ。何言ってんですか」
ユーリとミラがじゃれつき始める。姉弟のようなやり取りは相変わらずで、見つめるエレノアの表情も一層やわらかなものになっていく。
(あら……傷、が……)
ユーリの額――右端のあたりに傷が出来ていた。幅1センチ以下、長さ5センチ程度の切り傷であるようだ。それなりに深い。適切に処置しなければ痕になってしまうだろう。
(せめて……これだけでも)
エレノアの手がその傷に向かって伸びていく。
「…………」
ユーリと目が合う。彼はほんの一瞬だけ表情を硬くしたが、結局何も言わずに目を閉じた。大人しく治療を受けるつもりでいるようだ。
「そのまま楽に……していて……」
「……はい」
エレノアは術式を展開していく。手元には緑の光が灯った。だが――ここにきて迷いが生じる。惜しいのだ。ユーリと過ごすこの時間が。
(もっと……貴方と。……せめて最期のこの時だけは……)
エレノアは逡巡した後に治療の手を止めた。
「ごめんなさい。あとで別の方に――っ!」
下げかけた手をぎゅっと握られる。ユーリだ。彼は笑っていた。挑発的でもあり、悪戯っぽくもある目で。そう。エレノアが魅せられて止まないあの目だ。
「どうして止めたんですか?」
「……野暮なこと聞かないで」
「教えて」
強請ってくる。ひしひしと伝わってきた。彼の子供のような無邪気さ、それと頑固さが。
(敵わないわね)
エレノアは観念して小声で白状する。
「貴方と少しでも長くいたいからよ」
「ははっ!」
「酷いわ。笑うなんて」
「ごめんなさい。つい」
握った手はそのままに額を撫でてくる。目にかかる髪を避けてくれているようだ。エレノアはあまりの心地よさにふっと口元を緩めた。
「約束、ちゃんと覚えてますか?」
エレノアは頷いた。そして、乾いた唇に力を込めて――答える。
「貴方を……待つ」
「ええ。待っていてください。俺が必ず……っ、迎えに行きますから」
ユーリの栗色の瞳が濡れていく。けれど、決して零さない。笑顔を保ち続けてくれている。
「俺の心は永遠に貴方のものです」
「わたくしの……心も……」
「ええ、分かっていますよ」
エレノアは頷いた。視界が白くぼやけていく。ユーリの顔も――もう見えない。
「エラ、愛しています」
「わたくし、も。愛している……わ……」
「……っ、……エラ――」
遂には視界が真っ白に。何も感じなくなった。体温も、声も、何もかも。まさに無だ。
(これが死。……っ!)
不意に浮遊感を覚えた。恐る恐る目を開けてみれば、眼下にはユーリとミラの姿が。その二人の視線の先には、安らかに眠るエレノアの姿があった。
(意識だけが抜け落ちてしまったのかしら? わたくしは死んでしまった……のよね?)
今度は視界を何かが掠めた。淡く輝くそれは羽であるようだ。そういえば背中に違和感がある。
(っ! これは)
エレノアの背には白い翼が生えていた。
(それに……これはカソック? ヴェールまでちゃんと被ってる)
そう。今のエレノアは聖女の装いに翼が生えた状態で宙に浮いていた。
(訳が分からない。これにはいったい何の意味が――)
「……っ、……エラ……」
「いいよ、ユーリ。もう泣いていいんだよ」
「……っ、……くっ……」
ミラに促されたことで、ユーリは漸く涙を流した。エレノアの手を握ったまま。堰を切ったように。それでも声は抑えていた。『光の勝利』に影を落としてはならない。そんなエレノアの思いを汲んでのことなのだろう。
(ユーリ……)
せめてその涙を拭ってあげたい。しかしながら、そんな細やかな願いすら叶うことはないようだ。
『あっ……』
通り抜けてしまう。ユーリの体を。いや、触れられないどころの話ではない。気付いていないのだ。ユーリもミラも。エレノアの存在に。こんなに近くにいるのに。
(これは罰なのかしら)
神の世界を想像してしまったから。いや、思えば心当たりがあり過ぎる。教えに背いたのは一度や二度のことではない。
(当然の報いね。でも……)
幸福な罰、とも思えた。意思の疎通は出来ずともこうして傍にいることが出来るのだから。
『見守っているわ。ずっと。……神がお許しくださる限り』




