55.選択
ユーリが出立してから3日の時が過ぎた。未だエレノアの元には魔物討伐の報は届いていない。
王都から戦場のある古代樹の森までは馬車で10日ほどかかるが、近年開発された『転移装置』を駆使すれば1時間足らずで辿り着くことが出来る。
故に移動ではなく、討伐それ自体に時間を要していることが見て取れた。
(ミラが抜けた穴はやはり大きかった……ということかしら)
「祈りましょう。勇士達の無事を。この国の健やかなる未来のために」
王都大司教・セオドアに導かれるまま信徒達が祈りを捧げる。エレノアもそれに続いて祈りを捧げた。
ここはエレノアとユーリが結婚式を行った王都の中心部にある大聖堂。2000席近くあるベンチは平和を祈る者達で埋め尽くされていた。
静かで心地の良い静寂が流れる。赤ん坊であるエルがその静寂を破ることはなかった。彼もまた祈りを捧げているのかもしれない。
「礼拝を終了致します」
秘書官アルバートの号令を受けて信徒達が歌い始める。退堂するセオドアを見送るために。
「っ!」
不意にセオドアの目線がエレノアに向く。その目は皆からの羨望を集める大司教のものではなく、粗暴ながら妹を思いやる兄のものだった。
(心得ております。きちんとお伺いを致しますわ)
セオドアは治療を施そうとしてくれているのだ。『祈り』と呼ばれる聖者独自の魔法を通じて。
(多忙の身でいらっしゃるのに。……わたくしは良い兄を持ちました)
礼拝を終えて信徒達が退出していく。エレノアはそんな信徒達を見送り、人の姿がまばらになったところで立ち上がった。
「アンナ、わたくし達もそろそろ――」
「っ! エレノア様、あれ……」
アンナが目を見開いている。視線は後方、出入口の辺りだ。エレノアは不思議に思いながらも、促されるまま後方に目を向けた。
「っ! クリストフ様」
そこにはエレノアの元婚約者のクリストフと、銀の甲冑姿の騎士の姿があった。よくよく見てみると、騎士の甲冑には土埃や赤い血が付いている。
「っ! そちらの方、お怪我を――」
「あっ! いえ、これは自分のものではありませんので」
(魔物の血は紫色。あれは十中八九人間のものね)
戦場で人間が血を流している。その事実を目の当たりにしたエレノアは、若葉色のドレスの裾をぐっと握り締めた。
「エレノア様、人が……」
「ええ、そうね」
物々しい雰囲気を察してか、あるいはクリストフが手を回したのか、気付けば広い礼拝堂の中にはエレノア、アンナ、エル、クリストフ、そして戦場帰りと思われる騎士のみとなっていた。
「ご無沙汰しております、クリストフ様」
お元気そうで、とはとても言えなかった。横に結わえたブロンドの髪からは艶が失われ、自信と誇りに満ち満ちていたアイスブルーの瞳は暗く沈んでいる。
服装も当然とばかりに軍服ではない。紺色のジャケットの袖はやや余っていて。おそらくは痩せて筋肉が落ちてしまったのだろう。
(何とお声掛けをすれば……)
出来ることなら寄り添いたい。突破口を開く手伝いをしたいのだが、気ばかりが急いて言葉が出てこない。
「それが君とヤツの子か」
意外にもクリストフの方から声を掛けてきた。エレノアは驚きながらも笑顔で応える。
「ええ。ルーベンと言います」
「ヤツに似なくて良かったな。いい忘れ形見になる」
空気が張り詰める。息を呑むアンナ。一方のエレノアはふっと脱力して。
「ご存知でしたの」
「エドワード殿下からお伺いした」
「……そうですか」
エレノアは余命僅かであることは秘匿としていた。王国の、光の勝利に影を落としたくなかったからだ。
けれど、仲間や限られた人物にだけはその真実を明かしていた。その中には、王太子・エドワードも含まれている。
「嬉々としてお話になられていたぞ。『あの女は間もなく死ぬ』とな」
「なっ……」
「それはそれは大層な嫌われようですこと」
「邪魔だからな」
「邪魔?」
「……死ぬ行く君には知る必要のないことだ」
「~~っ、酷い」
「ただ、今の君にも一つだけ果たせる役割がある」
これが本題なのだろう。戦場帰りの騎士を伴ってきたことから、大方察しはつくが。
「戦場で治療にあたれってことですか?」
アンナがギッと睨みつける。黒い猫のような吊り上がった目で、目の前にいるクリストフを。
クリストフは英雄と称される者の一人で、なおかつ公爵家の次期当主だ。
本来であれば、主人であるエレノアはアンナのこの不敬を許してはならないのだが……彼女の真意を思うと何も言えなくなってしまう。
「お言葉ですが、エレノア様にはもう誰かを治すような力は――」
「私は殿下からお話を伺ったと言ったはずだ」
「っ!」
「……なるほど」
王太子・エドワードは『慧眼』と呼ばれる特殊な目を有している。詳細は不明だが、その目は対象の素養や現状をも見通すことが出来るのだという。
(どうやらわたくしは相当お邪魔なようね)
エドワードの母親である女王は、彼についてこう語っていた。
『憖、力を見通せるだけに心が見えぬのが不安でならぬのです。それで疑って、試したりしてね。当然、相手方からは不信を買い、信頼を築けずにいる。……とにかく不器用なのですよ、あの子は』
そんなエドワードにとってユーリは数少ない気の置けない友人。心の支えなのだろう。にもかかわらず、エレノアが帰還 ⇒ 結婚したことで共に過ごせる時間が激減してしまった。
(その不安とお寂しさを思えば無理からぬこと)
とはいえ、叶うことならユーリ以外にも目を向けて欲しいと思う。
(例えばそう……アデル様とか)
アデル・フォーサイス。ルイスの妹で、現在最も王太子妃の座に近いとされている女性だ。
彼女は幼い頃からずっとエドワードのことを思い続けている。
エドワードは彼女のその思いに気付いているが、未だ信じ切れずにいる。エレノアの目にはそう映っていた。
(いつの日にか、きっと……)
「出来るんだろ? 重傷者の治療も。その消えかけの命さえ惜しむような真似をしなければ」
クリストフが核心を付いてくる。これもまたエドワードから、慧眼から得た情報なのだろう。エレノアは観念して白旗をあげる。
「ええ。程度にもよりますが、ある程度は」
「っ!? えっ、エレノア様――」
「結構。君、話してやれ」
クリストフは後ろに立つ騎士に目をやった。
それを受けて騎士は、かなり萎縮した様子で深々と頭を下げる。
「瘴気を放つ魔物が現れたのです」
「瘴気?」
「闇属性の魔力を多分に含んだ霧よ。吸入することで、肉体を内側から破壊してしまうと言われているの」
「そっ、そんなものが!?」
「はい。伝承は誠でございました。高名な治癒術師の方でも手に負えず。やはり、聖者聖女様の『祈り』でなければ……」
「そんな……っ」
アンナが狼狽えるのも無理はない。聖者聖女はこの国には五人しかいない。
クリストフの義父、クリストフの妻・シャロン、エレノアの父・ガブリエル、先程礼拝を取り仕切っていたセオドア、そして――エレノアだけなのだ。
クリストフの義父とエレノアの父は聖教の首脳。セオドアは王都守護の要であるため、派遣は現実的ではない。
可能性があるとすればクリストフの妻・シャロンではあるが、彼女には次世代の勇者、聖者聖女を産む役割が残されている。
「~~っ、お願いします! 聖女・エレノア様! どうか、仲間を……っ、国のため戦う勇士達をお救いください!」
堪り兼ねた様子で騎士が懇願する。ボタボタと涙が零れ落ちて、白い大理石の床を濡らしていく。
こうしている今も彼の大切な仲間が苦しんでいる。命を落とす者もいるのかもしれない。
この名もなき騎士は、そんな彼らを救うためにここに来たのだ。その心情は察するに余り有るものがある。
「ふざけないで!」
不意に誰かが激高した。エレノアのメイド・アンナだ。わなわなと肩を震わせて、名もなき騎士を睨みつけている。
「アナタ……さっきの話聞いてました? エレノア様はもう……っ、力を使ったら死んじゃうんですよ……?」
「それは……っ」
「エレノア様に死ねって言うんですか!!!」
「アンナ、お止しなさい」
「けど、だって! ……~~っ、そういうことじゃないですか!!」
アンナの黒い瞳から大粒の涙が零れ落ちる。流れた涙は頬を伝って、彼女が抱き抱えるエルのもとへ。
「あぅ? わぅ!」
「坊ちゃん……」
何も知る由のないエルは無邪気に笑う。アンナはそんなエルを見て一層胸を痛めたのか、ぎゅっと彼を抱き締めた。
「さぁ、どちらを選ぶ?」
クリストフは、アンナに抱かれたエルとエレノアを交互に見た。
アンナは不快感と憤りから一層表情を歪めたが、エレノアはそれには続かず――静かに微笑みを浮かべる。




