53.新しい命
式から約1年後――エレノアは元気な男の子を産んだ。
顔立ちは幼い頃のエレノアにとてもよく似ている。ミルキーブロンドの髪、瑠璃色の瞳、睫毛はずしりと重たく、目尻はくったりと垂れ下がっている。
父親・ユーリとの共通点は瞳の色だけだ。
エレノアと瓜二つの容姿に、ユーリの瞳がのっている。その事実に触れる度、彼との間に命を授かったのだと実感。エレノアの心をじんわりと温めた。
「レイ、お願い。一度だけでいいから」
「お断りしま――」
「大丈夫だよ。似たような頭をしてるんだし、仲良くやれるって」
「まぁ? ふふふっ」
「あ? ビル、テメェふざけてんのか?」
笑顔で応えるビルの胸には、エレノアとユーリの子の姿があった。
赤ん坊はビルのことが大層気に入ったらしく、彼に向かってきゃっきゃと腕を伸ばしている。
産後2か月が経とうというこの日、ユーリの育ての親であり、師でもあるレイとビルが祝いに駆けつけてくれた。レイは魔法の、ビルは剣の師にあたる。
レイは現在40歳。服装は馴染みの黒い革製のジャケット、パンツ、ブーツスタイル。褐色肌に黒髪坊主頭、彫の深い顔立ちも相まってワイルドな印象を与える。
一方のビルは現在31歳。クリーム色のチュニックに、オリーブのパンツ。チョコレートブランのやわらかな髪に、目尻が垂れ下がった萌黄色の瞳が目を惹く。一見すると虫も殺せなさそうな柔和な印象の男性だが、その腰にはしっかりとサーベルをさしていた。
「……師匠、俺からも頼むよ」
「あ? ユーリ、お前まで何を――」
レイはユーリと目を合わせるなり、ぎょっとして言葉を呑んだ。彼が涙目になっていたからだ。事情を知るエレノアは、そんな彼に対してぎこちない笑顔を向ける。
「はい、レイおじちゃんだよ~」
「っ! おい――」
ビルがレイの胸に赤ん坊を押し付ける。逃げ場を失ったレイは、渋々といった様子で赤ん坊を抱き上げた。
「…………あうっ! わぅ!」
赤ん坊は変わらず上機嫌だ。レイは安堵したのかほっと息をつく。
「髪型は関係なさそうだね」
「いや、髪型だろ」
「ふふっ、はいはい」
「あ゛? ……ちっ――」
「何でだよ!!!」
ユーリが叫んだ。その声はしっとりと湿っている。泣いているのだ。彼は項垂れて頭を抱える。
「俺、これでも結構子供に人気あるんですよ? なのに何で……」
「はぁ? ははっ、何だお前自分のガキに嫌われてんのか?」
「っ! ぐっ……」
「へぇ~?」
レイは赤ん坊を抱えたままユーリのもとへ。ビルがしたのと同じ要領で赤ん坊を受け渡そうとするが。
「う゛えぇえ!!! うぅ!!! あ゛あ゛ぁ!!!!」
赤ん坊は泣き出してしまった。ユーリの勝気な栗色の瞳が絶望に染まっていく。
「はっはっはっは!! すっげぇ嫌われようだな、おい!」
「うっせぇ!!!」
「不思議ねぇ~……」
エレノアの目から見ても、ユーリは子供ウケが良かった。結婚式の時も文字通りモテモテで、カーライルの親戚筋は勿論、他所の家の子供達との間でも取り合いになった程だ。
にもかかわらず、この子はユーリにだけ心を開かない。
(粗暴なセオドアお兄様相手でさえ、笑顔を見せていたのに)
エレノアが小首をかしげると扉がノックされた。メイドのアンナが応対すると、扉の向こうから2メートル近い大男が姿を現す。
紺色の正装姿の彼の名はルイス・フォーサイス。エレノアの妹分であるミラの夫で、勇者・ハーヴィーを父に持つ辺境伯子息。年齢は23。重騎士仕込みの屈強な肉体とは裏腹に、顔のパーツは鼻以外はすべて下がり調子。赤茶色の外はねのセンター分けの髪型がよく似合う気弱な印象の青年だ。
そんな彼・ルイスは赤ん坊の姿を認めるなり蕩けるような笑顔を浮かべた。
(子供がお好きなのね)
微笑ましく思っていると、ルイスがとんでもないことを口にし出す。
「それ、たぶん嘘泣きですよ」
「「「「!!?」」」」
エレノア達に限らず、部屋に控えていたメイドや執事達もが驚愕する。
「どうして、そう思うの?」
エレノアに代わってビルが疑問を投げかけた。ルイスは微笑みを湛えたまま赤ん坊に近付き、そっと彼の顔を覗き込む。
「涙も出ていないし、それに……ふふっ、ユーリのことを見ているから」
「俺を?」
「うん。ちらちらってね。嫌いで嫌いで仕方がないのなら、その感情に支配されて手一杯になる。君を見る余裕なんてないだろうから」
ルイスが抱いたためか、赤ん坊は泣き止んだ。ユーリは嬉しい反面、やはりどうにも腑に落ちないといった様子で、きゅっと唇を引き結ぶ。
「嘘泣きはね、感情の顕れとも言われてるんだ」
「喜怒哀楽があるってことか?」
「全部ではないとは思うけど……少なくとも喜びと照れはあるのかもね」
「おいおい、コイツはまだ2か月のガキだぞ」
「ええ、なので相当早いですね。この子は賢くて、感受性が豊かで、それでいて……ふふっ、ユーリが大好き」
「……拗らせ過ぎだろ」
「……師匠やミシェルのヤローの血を色濃く感じるな」
レイの言う師匠と言うのは、エレノアの叔父・エルヴェのことだ。生前は王国最強の魔術師と評されていた。
ミシェルはエレノアの実の兄、カーライル家の嫡子。王国騎士団・聖教支部――通称『聖騎士団』の参謀長を務めている。
どちらもその道に置いては『才人』と評される程の逸材だが、性格にはやや難ありとされている。
(わたくしには、よく分からないけれど……)
「ねえ、レイ」
「……何か?」
「この子の愛称、『エル』としてもよろしいかしら?」
エルはレイの師匠・エルヴェの愛称だ。その名を聞けば、否応なしに彼を想起することになるだろうと思い、訊ねることにした。
当のレイはといえば、大きく目を見開き――表情を歪ませる。
「俺にお構いなく。まぁ……ますますあの人に似そうなので、正直気は進みませんが」
「貴方を心底困らせる日がくるかもしれないわね?」
「止してください。縁起でもない――」
「えっ、エラ! コイツの名前! 決まったんですか!?」
割り込むようにしてユーリが問いかけてくる。そう。この子の名前はまだ決まっていなかったのだ。
ユーリは期待に胸を躍らせてか、栗色の瞳を爛々と輝かせている。その事実に少しほっとした自身の存在に気付いて、エレノアは微苦笑を浮かべた。
「あっ、もしかしてパパイヤとかですか?」
ビルの渾身のボケに、ユーリ以外の者達が肩を震わせて大笑いをする。部屋に控えていた従者達も含めて。
「……先生、マジで怒りますよ」
「ははっ、ごめんごめん」
エレノアは笑いで溢れ出た涙を拭いつつ、我が子をルイスから受け取り――そっと抱き上げる。
「ルーベン」
「……ルーベン?」
「『神の書』の編纂者。聖教の歴史に名を刻む偉大なるお方の名です」
侯爵家・カーライルは三大聖教一族だ。故に子息令嬢達には天使や聖教の偉人由来の名が付けられている。
かく言うエレノアもそう。彼女の名の由来は『博愛の天使』だ。
「加えて『その子を見よ。息子を見よ』という由来を持ちます」
ルーベンには『聖者』の Ω の血が流れている。だが、必ずしも発現するわけではない。どちらかと言えばその確率はかなり低いと言える。
現に当代のカーライルにおいて、本流・傍流を含めて聖者聖女はエレノアとセオドアの2人だけ。彼らの誕生から30年以上経つが、未だ次なる聖者聖女は確認されていないほどだ。
だから、この名を付けた。気休めにしかならないかもしれないが、少しでもルーベンの心を守ることに繋がれば、胸を張るきっかけになればとそう願って。
「素敵な名前ですね」
ユーリはしっかりとエレノアの真意を汲んでくれたようだ。彼の栗色の瞳に力が籠る。この子を、ルーベンを守ろうと誓いを立ててくれているのかもしれない。
「ユーリもすっかりお父さんだね」
どうやらルイスも同じ印象を抱いたようだ。我に返った様子のユーリは少々気恥ずかしさそうに紅髪を掻いた。
「まぁ、前途多難だけど。なぁ、エル?」
ユーリがエルの頬を突くと、エルは瞬時に不満げな声を上げた。けれど、もうユーリがヘコむことはない。ルイスのお陰だ。
(ああ……もっと見ていたかったな。誰よりも近くで。時には笑って、時には泣いて)
エレノアの残る寿命は半年。せめて少しでも長くこの平穏な日々が続いてほしい。そう切に願った。
――しかしながら、運命は無情だ。エルが生まれて1か月も経たない頃、超大型魔族の襲来の報が王都中を駆け巡ることになる。




