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麒淵②―麒淵と聖樹の実―

「少しばかり、昔話をしてもいいかのう」


 紺樹をじっと見つめていた麒淵が、おもむろに口を開いた。ついでに、小さな手で茶を勧める。


(昔話? いや、麒淵のことだ。こんな時に俺の質問を誤魔化したいがために、昔を語るようなことはしないだろう)


 紺樹はできるかぎり軽い調子で頷いた。

 守霊である麒淵が淹れた貴重な茶は、ある意味酒よりも強く人を酔わすものだ。甘いがしつこさはなく、体を熱くする。

 紺樹が杯に口をつけるのを見届けて、麒淵は口を開く。


「始まりの一族は、その強大な力とアゥマを使役する祖だった」


 麒淵の静かな声が岩を鳴らす。一斉にそわそわとし始めたアゥマを、麒淵が「こら」とたしなめる。沸いてきた光はしょんぼりという表現が似合う様子で煌めきを鎮めた。


「そう怒るなよ。アゥマとて、始祖の話は心躍るのだろう。心はなくとも、感情に呼応するのがアゥマだ」


 紺樹は、めそめそと寄ってきた魔道光を撫でる。

 魔道光はアゥマが空気中の色んなものと混ざって人にも可視できるようになった存在だ。アゥマそのものは同義ではないが、心葉堂の溜まりではひどく似通っている。

 それでも眉間の皺をとらない麒淵に変わり、紺樹が続きを紡ぐ。


「始まりの一族と呼ばれる彼らは聖樹の意思を引き継ぎ、世界の汚染を浄化することを願い、人々にアゥマの制御方法を伝え歩いていた。なのに、次第に人々はその純粋な想いや力を悪用し始めた」


 正直、麒淵が始まりの一族の話を始めたことには面食らった。けれど、紺樹としても懐かしくもあり、興味がある話だ。

 紺樹の言葉を受け、麒淵が瞼を伏せた。


「あぁ、じゃから弾圧と奴隷化から逃れた一族の生き残りは聖樹の地――いつしか人々から桃源郷と呼ばれるようになった土地に戻り、外界との接触を避けだしたのじゃ。全てから切り離された強力な結界に守られ、桃源郷はある意味で幸せな時間を紡いだ」


 麒淵だって、実際の桃源郷は知らない。

 全ての守霊が恋い焦がれる土地でありながら、守霊は絶対に訪れることは不可能なのだ。なぜなら、禁忌の術を使った場合を除き、守霊は生まれた土地に縛られる。

 そこに白龍が辿り着いたと聞いた時、麒淵はどれだけ心が躍ったか。


(それは今、関係ないか)


 麒淵は沸き上がる感情を抑え込み、杯を煽る。


「近年、長の元に異端な容姿でありながら始まりの一族最強の力を授かった黒龍と、一族で最もアゥマとの共鳴する力を与えられた桃香が生まれた。聖樹の子である守霊はこぞって喜んだものよ。聖樹の愛しい一族が愛した者の姿と、近しい者たちが生まれたと」


 麒淵は感嘆の息を吐く。当時を思い出したのだろう。ほんのり色づいた頬がやわりと持ち上げられた。

 けれどすぐに頬が強ばってしまう。


「あの子らは知らんから。わしも知らんかったのだ。聖樹が愛した本当の子の姿を」


 苦々しく吐き捨てられた声。麒淵にしては珍しい部類のものだ。

 麒淵のあまりの痛々しい様子を見かねて、紺樹が「その話はまた聞くとして」と口を開く。


「桃香様を、クコ皇国弐の溜まりの跡継ぎである白龍がかっさらってしまった。桃源郷外に出ることが許されなかった、代々長の家柄である桃香様を。そういうことだろう?」


 麒淵はもの悲しい表情を浮かべたまま遠くを見つめた。


「二人の間に生まれた子どもに特異な点がなかったのと、長が白龍の人柄と思想を徐々に理解し始めたのもあり、里の者の中には新しい時代がきたと喜ぶものさえ出たようじゃな。黒龍の話によると」

「心葉堂も初代は始まりの一族の者だったと聞いているが、本当か? だから、長もお二人の婚姻ある程度認めておられたと、黒龍様に聞いたことがある」


 紺樹の問いかけに、麒淵は小さく頷く。

 そうして。

 何度も口を開閉して、ようやく絞り出すように「あの子は」と零した。


「あの子は始まりの一族の中でも特別な家系じゃった。そして――聖樹の血を色濃く引き継いでもおった。勇敢で思いやりがあって、自己犠牲的。それでいて本当はひどく寂しがり屋」


 紺樹の瞳が大きく見開く。


(前半はともかく、先ほどから麒淵はまるで聖樹が人間だったかのように語っている。聖樹の子というのは、まだ比喩とも捉えることが可能だが)


 聖樹は汚染から世界を救った存在だ。

 始まりの一族どころか、生きとし生けるもの全ての母とも表現できる。けれど、血や人格表現まで深まれば別の話だ。

 アゥマは血、血はアゥマと称される世の中だが、麒淵の口ぶりは心葉堂や黒龍・桃香を語るのと同じ色をのせている。


「そう。すべての血が濃い初代は我に近すぎた。心も存在も。だから、我も近くに寄りすぎた。溜まりの守霊である我が、いつの間にか、()()になっていた。なってしまっていた」


 麒淵はきつく唇を噛む。八重歯が刺さっているにも関わらず、零れるのは仄かな煌めき。

 震える体は小さくとも、紺樹には己と同じほどのものにみえた。


「初代を」


 紺樹は勝手に発せられた言葉を、掌で押しこんだ。

 けれど、紺樹から出る音を予想していたのだろう。麒淵は、ふはっと笑った。

 紺樹としては麒淵に気を遣って飲み込んだことなのにと、口の端が落ちてしまう。それなのに、麒淵が泣き笑いするものだから。いや、もちろん表面上は困ったように眉毛を下げているだけのだけど。聞かせてくれと言う懇願よりも、口にして良いのだと頭を撫でられた気がして、紺樹は、


「初代を想う麒淵は、まるで蒼を想う俺の鏡だ。届くはずなのに、掴むのは罪とされる」


零してしまっていた。蹲って胸元を握る。握っても、痛む心臓は潰せない。

 紺樹の目の前にいるのは子人だが、視えるのは自分よりも年上の男性だ。


「すまない。麒淵、続けてくれ」


 紺樹は『おかしなことを言って』とは口にしたくなかった。だから、短くだけ謝って先を促した。

 麒淵はやはり小さく笑った後、軽く膝を叩いた。


「まぁ、ようするに『同胞』とも言える部分があったからのう。しかし、藍の相手はあかんかった」


 藍の相手。紅と蒼の父親たちのことだ。


「寄りによって、藍を愛した二人は……始まりの一族を王宮に閉じ込め、人体実験を繰り返し成長してきた国の王族だったのだよ。そして、血統でアゥマが可視できる瞳を作り上げた」

「そこに、寄りにもよって始まりの一族の末裔、そして桃源郷生まれの桃香さんの血をひいた藍に、自国の血が混じった子どもを産ませた」

「しかも、紅暁がアゥマ可視の能力を開花させ、蒼月はアゥマの源泉とも共鳴できるほどの潜在能力を持っておる」


 わずかな気配を感じ、紺樹は立ち上がる。

 同時に杯を一気に煽った。心地の良い甘さが喉を通り過ぎ、全身に広がるのがわかった。先ほど飲んだ酒が一気に分解され、頭がすっきりとしていく。

 麒淵が、何代目かの酒にすこぶる弱い茶師のために開発した術だと聞いたことがある。


「だから、()()()()()()()()()()が、クコ皇国に寄越された。心葉堂を監視するために、桃源郷から」


 聖樹の実。

 随分と懐かしい呼称を音にしたと、紺樹は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。


「長たちにとって予想外だったのは、俺がこの首都の門で拾われた際に、記憶を失った状態だったことだろう。ただ、逆に都合が良いとも考えたのだろうな。俺を泳がせて、黒龍様が監視役として師傅や桃香様と会うことを許した。おかしなものだよ。監視役の監視なんてさ。黒龍様は文句など一言も口にしない」

「あやつはそういう奴なのだよ。長の命とはいえ、あやつがやると決めたのなら、それはあやつが信念を持って向き合っていることだからのう。なぁ、紺樹よ」


 麒淵がひどく固い声を紺樹にかけた。

 溜まりから地上にあがる階段の入り口で、紺樹の後方にいる麒淵を振り返ろうと腰を捻る。けれど、魔道の光に邪魔をされてしまう。紺樹の頬にすり寄ってきてくすぐったくて、思わず片目を瞑ってしまった。


紅暁(こうきょう)蒼月(あおつき)を悲しませないでくれよ。白龍(はくろん)黒龍(こくりゅう)も。紺樹を想う人たちを」


 溜まりの階段に歩く足と止め、紺樹はぐっと喉を鳴らした。それは麒淵の言葉が戒めの意味を持つからではない。その裏側に込められた意味は、耳にたこができるほど聞かされている。

 紅暁と蒼月を悲しませるな。

 それはつまり、己も大事にしろという意味だ。


「無理だよ、麒淵」


 紺樹にとって、麒淵の願いはすごく難しい。いっそのこと、二人を『守れ』と言われた方が随分と気が楽なのに。

 魔道府の任務もお上からの命も、紺樹にとっては割と容易な部類に入る。任務を遂行するためにどんな手段もとれる。自分を犠牲にしても、かなりの範囲まで許される。むしろ功績に繋がれば名誉の負傷ともなる。


「俺には絶対にできないことなんだよ」


 壁に手を打ちつけ、紺樹は額を擦りつける。


「たわけが。言葉でこたえずともよい。いざという時、あの子らを前にして紺樹が自分を省みない行動をした後、思いっきり叱ってやるわい。誓いなど求めておらんわ」


 うずくまりかけた紺樹の頭を、通り過ぎざまに小さな手が叩いた。

 紺樹が音を立てて顔をあげると、麒淵はすでに螺旋階段を上り始めていた。飛べるのだから垂直にあがればいいものを、律儀に螺旋にそって飛んでいる。

 その行動の意味を知っている紺樹は、膝を抱えてうずくまった。


「なんじゃ。蒼が答えを見つけて、また先を行かれるのを拗ねておるのか。ほんに厄介だのおぬしの溺愛とやらは」

「ちがっ! 俺がそんな子どもに見えるか⁉」


 紺樹は頬や耳が熱くなるのを感じた。

 麒淵は本当に天然なところがある。


「そうかのう。わしは寂しいぞ? つい最近まで舌っ足らずでせわしなかった蒼が、いっちょまえに職人として、ひとりの人として悩んでいるのは」


 麒淵は不思議だ。

 紺樹の想いを読んでいたかと思うと、深い意味がない場合も多い。人の心に近いようで、守霊であることを持ち出し言い聞かせるように特異な存在であろうとする。


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