麒淵①―調査の裏側―
「それでおめおめと逃げてきたわけかい。わしを巻き込んで」
麒淵の掠れた声が溜まりに響いた。湿った空気がより雰囲気を助長している。
日頃なら紺樹も『そう見せるのも年長者の余裕ですよ』などとうそぶく所だろう。しかし、今日の紺樹には本当に余裕がない。
「うるさいぞ、麒淵。俺はこう見えて割と戸惑っているんだよ」
「なにが『こう見えても』じゃ。まんまだわい」
溜まりの中央部分で日光浴ならぬ溜まり浴をしていた麒淵。満足して、溜まりの淵であぐらをかいている紺樹に近づく。体の動きは幾分か鈍いままだが、眠気は消えたようだ。瞼がすっきりとあげられている。
「白龍師傅と口調は同じなのに、からかいの色がない分お前の方がたちが悪い」
麒淵は紺樹の正面で止まる。そうして深々と落とされたため息に、紺樹はいらっと頬をひくつかせた。
「悪戯と好奇心の権化の白と比べるでない。加えると、遙か昔からわしはこの口調じゃて!」
「クコ皇国の弐の溜まりの守霊麒淵様も、白龍師傅の話題となると形無しか」
紺樹も負けじと鼻先で笑ってやる。腕を組んで尊大な笑みを浮かべる紺樹をどれだけの人が見たことがあるだろうか。それほど、麒淵と紺樹は打ち解けた関係だ。
それはなにも、紺樹が心葉堂の家族の一員だからでも、魔道府の副長として心葉堂に関わることが多いのが理由ではないのだが。
「というか、軽口をききあっている場合か。準備は終わったんだろうな?」
「言わずもがな。いつでも術を施行できるわい」
麒淵は胸を張る。張った後、憂いに帯びた眼差しを溜まりへと向けた。
愛しい相棒に危険な行為をさせる準備が整った。
言いようによっては、彼女が家族を救いたいという願いを叶える手段でもある。けれど、麒淵は手放しに推奨できる方法どころか、むしろ避けたい術だ。
「華憐堂も皇太子も想像つかないだろうな。まさか、こんな侵入方法は」
「あぁ。蒼にこんなことをさせたなど代々の者に知れたら、わしは袋だたきじゃろうな」
ため息をついた麒淵は、実際に袋だたきか問い詰められている場面を想像したのだろう。両腕を抱えて、ぶるりと身を震わせた。おまけに「初代が一番恐ろしい」と歯を鳴らした。
しかし、すぐ真面目な面持ちに変わった。
「しかし、なんとしてでも華憐堂と皇太子が成そうとしていることを、ここで止めなければならぬ。国の陰謀だとかよそ者の悪事などという話ではない。わしは守霊で人間の気持ちはようわからん」
人間の子どもよりもさらに小さな手が、きつく握られる。
「ただ聖樹や溜まりを利用し、命を『作り出す』ような真似事をする残虐極まる諸行を許せぬ」
「麒淵は馬鹿だなぁ。本当に馬鹿だよ」
今度は麒淵が笑われる番だった。紺樹は溜まり中に反響する大声で笑った後も飽き足らず、拳を口にあてくつくつと笑い続ける。
麒淵には紺樹が笑っている理由はわかっている。だから反論せず宙であぐらを掻くだけにした。であるのに、紺樹は麒淵の反応が退屈だと言わんばかりに、ずいっとにやけた顔を近づけてきた。
「今更、説得力が低すぎるんだよ。人間くささでいったら、クコ皇国の守霊のだれよりも飛び抜けているのに。よっ! クコ皇国随一の庶民派守霊!」
「うっさい! お主にだけは言われとうないし、壱の方が人間くさいのを知っておろうに!」
麒淵はがなった後、染まった頬をぷいっと背けた。
たかが魔道府の副長である紺樹が、皇族の中でも限られた者しか足を踏み入れることを許されない守霊を知っているのか。麒淵はもちろん理由を知っている。紺樹は特殊な存在だから。
「そうやって、自分の存在を、己に自覚させるのはやめいと何度も注意しておろうが」
麒淵は紺樹の正体を知っている。初めて蒼に紺樹を紹介された瞬間に彼の正体を見抜いていた。
麒淵が睨んでも、紺樹は曖昧に笑うだけだ。余計に腹が立つ。
「自覚しないと駄目なんだよ。まるで自分が普通の人間だと錯覚してしまう」
「紺樹は普通――いや、普通というにはかなり捻くれておるし、魔道も白ほど桁はずれじゃが、昔から蒼に関して人一倍嫉妬深いから、普通ではないのかも?」
麒淵は首を捻りだした。本気で悩んでいる調子で体ごと傾けだしたのを見て、紺樹は苦笑してしまう。
麒淵としては面白くなかった。小さな頬をめいっぱい膨らませて両手を激しく動かし出した。こういう仕草は間違いなく蒼に引き継がれていると、紺樹は思った。
「なんじゃ、華憐堂の萌黄を気にかけておるとは聞いておったが……人情でもわき、手助けでもしたくなりおったか」
「少なからず、萌黄の中身に思うところはあるさ」
紺樹はすくりと立ち上がり長包を叩いた。石埃はすぐさま空気に溶けていった。
「けれど、単なる同情だよ。任務に支障はきたさない。店に通っていたのは魔道府の任務だし、休日に彼女に付き合ったことで蒼にも会えたし――彼女の正体が害になる証拠も掴んだ」
紺樹は円卓に置いてある魔道書を手に取る。
見た目の重厚感よりもかなり軽い。紺樹は特性の、古今東西の魔道・魔術・魔法の術を閉じ込めた書物だ。紺樹のアゥマにだけ反応するようにあらかじめ術式を敷いてある。
「あの神木には可愛そうなことをしたのう。穢れに犯されるのを知りながら見過ごしてしまった」
「気にするな、とは言えないが。わずかに残っていた部分を再生させた芽が、順調に育っている」
「そうか。それならばわしもできる限りのことはしよう。物取りに貢献してくれた褒美をたっぷりやらねばのう」
事は心葉堂一同が浅葱の店に焚染札を買いに行った時に遡る。ちょうど紺樹と蘇芳が華憐堂で偵察のために丹茶を購入した後だ。
この時、紺樹はすでに華憐堂の状態を把握しており、休日とはいえなにか情報を得られないものかと街に出ていたのだ。
そもそも、今回の物取りは多くの場合と逆なのだ。
確たる情報はあるが、全てを明るみにはできない。だから、いかに真実を隠しつつ捕り物の大義となる情報を集められるかが勝負となる。
魔道府自体で言うなら疑惑は溜まりの定期報告の数字が魔道府に降りてこないことから始まった。理由は明白だ。魔道府長官やツテをつかえば虚偽の報告などすぐにばれる。
だからこそ華憐堂の秘密を隠したい一味は、情報を下ろさなかったのだろう。
利権狙いの者は知らないが、少なくとも、中心にいる華憐堂と皇太子はあくまでも時間稼ぎができれば良いと考えているような拙さがある。
ということはつまり、国絡みというよりも権力ある者の私欲で事が動いているというのが魔道府長官と白龍の意見だった。
紺樹もそれを踏まえて、個人を前面にだして華憐堂に近づいた。養母の容態の悪さをネタに。孤児である身の上を踏まえ、養母が亡くなれば身を引き裂かれる思いだと告げた時、萌黄と店主は明らかに目を潤ませていた。
ただ、湯庵という店守は、個人的な事情という点に至極不満げだったが。
「職人の会合にも顔を出さぬ店主。萌黄への態度を見ても、湯庵が実質権力を握っているのは明白じゃった」
考え込んだ紺樹の心の内を見透かして、麒淵がぽつりと零した。
「だが、未だにいまいち腑に落ちない点がある」
「あの店守か」
「あぁ。萌黄が店主の願いにより蘇生術を施されているのは、ほぼほぼ確定している。アゥマの保有量と魔道を考慮しても、術者は間違いなく店守ではなく店主だ。であるのに、あの力関係は……」
いやと、紺樹は小さく頭を振る。
「華憐堂の足跡は師傅や黒龍様が全て回収してくる。俺が考えるべきは他にあるな」
紺樹からしたら、それは信頼ではなく揺るぎようのない事実なのだ。
それはさておき、ぶらつく中で会った蒼の親友の真赭が言葉を濁らせ濁らせながらも蒼の落ち込みについて話してくれたことに、紺樹は内心焦った。
(華憐堂を訪れた時は皇子である蘇芳を連れていた。あくまでも仕事だった。まさかソレを蒼に目撃されていた上に、落ち込ませていたなんて)
私用ならば事前に蒼に説明することもできるが、極秘任務絡みだ。
(昔とは違う。紺樹が知らないところで落ち込み、立ち直って成長していく蒼)
紺樹が蒼の落ち込みを知るのは彼女が立ち直った時だったけれど、正直嬉しさと寂しさの半々だった。
「紺樹?」
麒淵の問いかけに、紺樹は顔をあげた。そこで初めて魔道書を通り越して、どこかを睨んでいたことを自覚した。
紺樹は気を取り直し、左手で抱える魔道書をめくる。水気の多い溜まりだからだろう。すんなりとめくれてくれるのはありがたいが、いつもより水分を含んだ重さが抵抗力にも感じられてしまう。
「これは大事な証拠だ。すでに邪気を醸し出していた萌黄が、邪を祓う札や道具を作る界隈に立ち寄った。彼女についた浄化の意味を持つ花びらは腐れ落ち、萌黄自らが神木を枯らしたのを翁の陰が見た」
「その花びらの一枚を紺樹が保管しておる、と。もう一枚は白龍が調査に持ち出していたな。萌黄の中身のアゥマを閉じ込めて」
「白龍師傅と黒龍様だ。件の溜まりを見つけたとして、花びらをどう活用するのか興味深い。できれば立ち会いたかったよ」
紺樹が魔道書のとある項で手を止めた。
保管魔道の陣が描かれた場所からは、一枚の枯れて茶色く汚れた花弁が一枚映し出された。花びらは禍々しいアゥマを放っている。同時に、麒淵と紺樹にはひどくもの悲しさも感じられた。
――タスケテ アゲテ――
感覚を研ぎ澄ませると、アゥマの音が聞こえる気がした。少なくとも麒淵には、はっきりと聞こえていた。
「腐れ落ちる魂と肉体の願い」
麒淵は耳を傾け、紺樹は知らぬふりをする。
それはどちらが悪いと言える反応ではない。背負うモノが違うから。
「だいたい、いくら過去に始まりの一族も噛んでいるとはいえ、よく桃源郷の次期長となられる黒龍様が魔道府に手を貸してくださったな」
ふと紺樹は抱いていた疑問を麒淵にぶつけてみた。これまでも似たようなことを尋ねてきたが、その度のらりくらりと交わされてしまっているのだ。
顔に影を作った麒淵を見て、紺樹は小さく息を吐いた。期待半分だったのもあり、今回も応えては貰えぬかと肩竦める程度だった。
落胆のため息ではなく、やはりという納得の苦笑だ。




