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紺樹と蒼⑥―紺樹の本音―

 はっとなり、紺樹は焦って白龍を見る。

 けれど、彼もどういうわけか微笑んでいるじゃないか。


(意味不明だ)


 苛々と無性に腹がたって、紺樹は吐き捨てるように声を絞り出していた。


「なにが、よかったんだよ。気持ち悪く笑うなよ。うまいって言われて満足しただろ? もう帰れよ」

「まだだめ。はい、おかわりです」

「はっ?」


 ぴょんと椅子を飛び降りた蒼は、白龍に手渡された茶壺を傾けてくる。あまりに自然な動きに、紺樹も反射的に杯を伸ばしていた。

 怪訝に眉をひそめる紺樹の横に、蒼は座り直す。


「はい、飲んで」

「おっおう」


 蒼の真剣な眼差しに気圧され、紺樹はぐいっと茶をあおった。

 喉はとても熱かったが、やっぱりじわりと体の中があったくなる。そうして、また嫌だと思った。

 蒼は顎に手をあてて、紺樹を色んな角度から見てくる。


「だから、うまいってば」


 紺樹が若干やわらかく言っても、蒼は不満げにものすごい表情を浮かべた。


「そんなわけないの。だってさ、あおは浄練が好きだけど、まだおいしくは淹れられないもん。こじゅおにいちゃんはお茶が好きだなぁって、飲むところみてわかったから。あおのおちゃがおいしいー! って思うかなぁって」

「はっ?」


 さっきから自分は間抜けな声ばかり発している。紺樹は一生分の抜けた声を出している気がしてうんざりとした。自分に。

 というか、目の前の幼子は一体なにがしたいのかと内心で頭を抱える。思いっきり息を吐くと、目の前に真っ白な塊が生まれた。


(うん? 白い、息?)


 そう言えばと、紺樹は己の頬に手を当てる。手が熱いせいか、あまり体温を感じない。ということは、つまり――。

 押し黙った紺樹にかわって白龍が大きく笑った。大きな手が蒼ではなく紺樹の頭を撫でた。


「蒼、どうやら紺樹はとんでもなく賢いが、驚く位にぶいらしいぞ。率直に聞いてみろ」

「にぶいとかわかんないよ。だって、あおはこじゅおにいちゃんにあったかくなって欲しかっただけだよ? おにいちゃんの心も体もさむいさむいって言ってたから、アゥマにどうしたらこじゅおにいちゃんが一番ふわぁってなれるか聞いただけだもん」


 がつんと頭を殴られた気がした。

 ひとつは、蒼の行動をうがっていたこと。どうせ短絡的に自分が大好きな両親をまねたいとか、茶葉店を自慢に思って紺樹に茶を飲ませるという行為に満足しているのだろうと。だから一言上手いと告げれば満足すると思っていた。


「そうじゃったかのう」

「もう! だから、おじいにもきえんにも聞いただよ! あおじゃまだ体をあっためるお茶と添え物はわかんないもん。浄練はおしえてーっていえばアゥマが応えてくれるけど」


 もうひとつは、自分の感覚だ。紺樹は気づいてしまった。散々気持ち悪いと思って拒絶していた感覚が、実は自分が求めていたものだと。

 理屈を重んじる紺樹だからこそ、アゥマを読まれて現実を見せられた。だってそうだろう。本能を突きつけられたら反論のしようがない。だからこそ認めたくなかった。


「いやな、蒼。どっちかと言わなくとも、浄練の方が難しいじゃが」

「あおだってしってるよう! でも。うー、いいの! 今日はこじゅおにいちゃんがもうぽかぽかなら!」


 紺樹は込み上げてくる笑いを堪えるのに必死だった。

 

(だってそうだろう)


 この幼子は自分をあたためたいがためだけに、橋向こうの心葉堂に戻り、とっておきの茶瓶と道具を腹に抱え、土砂降りの中、その道を往復したのだ。背と腹に荷物を背負い。

 白龍が途中で抱えるのをやめたと言っていたが、間違いなく孫を試してのことだろう。白龍の発言や行動の端々に、彼が孫に対しても癖があるのはわかる。


「いや。あったかくなるだけなら、あそこの豚まんでもよかった。白龍師傅は教えてくれなかったのか?」


 だから、紺樹も意地悪く蒼を困らせたくなった。自分に色んな感情を見せて欲しいと思った。

 変な安心感があったのかもしれない。自分の隣にいる少女が表面上の言葉で紺樹を嫌わないという。

 いや、むしろ願望に近かった。そんな存在がいるなら、紺樹は一歩進める気がした。


「おじいは関係ないよ。あおはこじゅおにいちゃんのアゥマが、お茶がいいって騒いでいたから――うぅ、でも、そうなのかな。えぇ? こじゅおにいちゃんのアゥマがお茶がいいって言ってた気がしたのに」


 紺樹の底意地悪い発言にも、蒼は真剣に腕を組んで悩み始めた。


「なら、とんちんかんあおだったなぁ。こじゅおにいちゃんがいちばんはやくあったくなれたらよかったのに」


 紺樹は馬鹿みたいにぽかんと口を開ける。けれど、どうしてか納得していた。そうして、ようやく納得している自分を受け入れられた。

 あのぬくもりを拒絶していた理由も少しだけ理解する。まだ紺樹は全部を受け止めきれぬ子どもだけれど。


「あったかくなった。もう、すごく熱い。驚くくらい、熱いよ」


 紺樹はふはっと息を零していた。もしかしたら、初めてかもしれなかった。こんなにも穏やかな気持ちで笑ったのは。

 なのに、幼子は紺樹のわずかな嘘を見抜くように紺樹の頬をつねってきた。

 蒼の据わった目も冷えた指先にも、紺樹は口元が緩むのがわかった。可愛くないのに可愛いと思った。


「まだ、ぽかぽかとはちがうよー。あおのお茶じゃまだだめだめだぁ」

「じゃあ、うちに呼べば良いじゃないか。母さんが今日はおやつ代わりに、昼過ぎなのに宴会するってはりきってる。家に着くころには風呂もわいているよ」


 むくれた蒼をなだめるように、突如現れた少年。

 反射的に紺樹は立ち上がっていた。

 紺樹が全力の警戒心を纏っているにも関わらず、階段下で傘をさしている少年は動じることはなかった。

 傘を後ろに倒した少年。真紅の長い前髪から覗くのは、蒼と同じ牡丹色の瞳だった。


「くれないおにいちゃん!」


 少年に気がつくと蒼は椅子から飛び降りていた。雨具を纏っていないにも関わらず、軒下に駆けていく。

 蒼を抱き留めた少年は苦笑しながらも傘を畳んで、東屋に入ってきた。


「まったく。おじいと蒼の組み合わせはこれだから。客人をうちに呼ぶのにあと一刻はかかるような空気だよ」

「へへっ。でもくれないおにいちゃんがついてきてくれるって、あおわかってたから大丈夫だもん」


 蒼は紅の首に腕を回しぶら下がっている。祖父に甘えるよりも遠慮がない。本当に兄が大好きなのだろう。表情が見えなくとも声だけで幸せな笑みを浮かべているのがわかる。

 一方、少年もしょうがないという呆れ顔をしているが、蒼を見る目はどこまでも優しい。


「あのね! くれないおにいちゃんは、ほんとうはこうきょうっていうの。でもむずかしくて

あおは舌をかんじゃうの。だから、キレイな髪とおなじくれないってよんでるの!」


 蒼と紺樹の真ん中ほどの年齢だろう。蒼は少年に絡みついたまま、一生懸命に紺樹を見上げてきた。踊る手足が可愛い。

 紺樹も見覚えがある真紅の髪をもつ少年は軽く頭を下げた。


(彼は心葉堂の長男の紅暁。学院でも評判だ。弐の溜まりの跡継ぎであるのに偉ぶらず、年不相応な落ち着きを持っているとか。平等過ぎて冷たいとさえ言われている)


 紺樹は噂など当てにならないと思った。

 確かに目の前の紅も大人びている。けれど、蒼に対してどこまでも甘い視線と仕草でいたり、紺樹を前に緊張しているのがわかる。

 蒼には兄でいるのに、ちょっとでも紺樹と目があうと緊張した面持ちで背を伸ばす。


(弐の溜まりの白龍師傅の孫であるのにな。いや――)


 いい加減、自分でもわかっている。そうではないのだ。

 きっと、自分がこの生い立ちである以上、嫉妬も穿った価値観も消えない。

 だからいいと少しは思えた。沸き上がる気持ち悪さを受け入れられたから。


「おちびは舌っ足らずっぽいからな。俺の名も呼びにくいだろう」


 紺樹からした軽い発言だった。間をつなぐだけの。

 けれど蒼は違ったらしい。紅に抱きついたまま、うんうんと唸りだしてしまった。


「うぅ、ばれてたか。じゃあ、こじゅおにいちゃんはどんな字をかくの?」


 紅暁の首からゆっくりと腕を離した蒼。人差し指を弾ませて唇を尖らせた。


(本気でおちびの照れどころがわからん)


 身を屈めて紺樹は思った。二つの視線が注がれているのに気がついて、紺樹は視線をあげた。頭上にあったのは自分を哀れみながらも同意するような目つきだった。

 ついでに、なぜか謝られた気がした。こんなに視線で会話をしたのは初めての紺樹はひたすら動揺してしまう。


「俺は色の紺と樹を組み合わせているんだ」


 気を取り直し、紺樹は石床に指を走らせた。


「紺か。あおとおそろいの色だね! じゃあさ、こんおにいちゃんってよんでいい?」


 正直、昨日までの紺樹なら冗談じゃないと怒っていただろう。義理とはいえ両親がつけてくれた名前だ。一文字たりとも歪むなと。

 だが、今は違う。


「どうせなら『紺』とでも呼んでくれ。蒼は俺を兄なんて呼ぶたまじゃないだろう?」


 兄とは呼ばれたくなかった。生まれてくる命が怖いから。

 蒼は紺樹の思惑など知らずに快諾した。


「じゃあ、こんくんって呼ぶね!」


 呼ばれて、どうしてかひどく安堵した。今までとは違う環境の異なる呼び名だったからだろうか。紺樹は静かに目を閉じた。

 さすがに紅暁は学院の先輩である彼を君呼びすることはなかった。けれど、紺樹の再三の願い出により紺兄と呼ぶことになる。蒼が修行から帰る前までは。


 その日から、紺樹は心葉堂に足繁く通うこととなった。



✿✿✿



「紺君、色々覚えていすぎだよ。綺麗な思い出になっているどころか、間抜けな私の発言まで鮮明だ」


 語り終えて酒を煽った紺樹に、蒼は苦みたっぷりに返した。声がくぐもっているのは、膝を抱えて肩掛けを頭から被っているせいだ。不格好なてるてる坊主とも言える。

 紺樹としては、そんな蒼がとても可愛いと思う。日頃は精一杯背伸びする蒼が、幼い自分に悶える姿は堪らない。


「蒼のことなら大抵は覚えている自信があるよ」


 紺樹は杯を傍らに置いて、蒼の頭を撫でた。


「そんな自信いりません!」


 随分とはっきり否定されたものだ。しかも、蒼の声は静かな空間では部屋中に響き渡ったではないか。

 麒淵は目こそ覚まさなかったが、小さく身じろぎした。

 紺樹はわざと寂しげな表情を作り、蒼の顔を覗き込む。


「本当か?」


 蒼の反応は照れ隠しだと理解していても、悔しいものだ。だから、少々困らせてみようかと思ったのだが……。結果的に怯んだのは紺樹の方だった。


「しらないっ」


 蒼は肩掛けと膝の隙間から紺樹を見上げてくる。その視線に、紺樹の心臓はずくずくと痛む。知らない女性を目の前にしているような気がして。

 淡藤色の水気を含んだ髪が白く艶やかな頬をなぞっている。泣いて痛々しい目の赤ささえ、牡丹色の瞳の一部と思えた。細い息の白ささえ、艶めいて見える。


(そうやって、君は大人になっていくんだな。今は無防備に俺にも見せてくれるその姿。それを、いつか独占する男が現れる)


 紺樹が視線を逸らすより先に、蒼がふいっと顔を背けた。正直、ありがたかった。

 だって、そうだろう。

 紺樹は膝上の拳をきつく握った。唇ならば傷がついてしまう。蒼は目ざとく手を伸ばしてくるだろう。


(自分から距離を置いているのに、なんて自分勝手なんだ)


 紺樹にとって蒼は出会った頃からずっと対等以上の存在であり、心の支えだ。最初は確かに面白くて自分にないモノを心に持っている蒼に憧れたのもあるだろう。

 けれど、心葉堂と――蒼と積み重ねた年月は、紺樹の中に様々な感情を芽生えさせた。

 特に、蒼が十四歳を過ぎ、クコ皇国を離れて二年間修行に出るとなった時、紺樹は確かな想いを自覚した。

 だから酔っ払った蒼の唇に応えた自分を激しく後悔したのだ。幸い、蒼はすっかり忘れているけれど。


(身分とか年の差とか、そんな障害じゃない。本人同士の気持ちとか、片思いとか、そういう問題じゃないんだ。俺たちは存在そのものが違うから)


 鏡がなくとも、今、紺樹は自分の顔がどんな表情をしているのかが容易に想像できた。暗鬱な陰影がかすめているだろう。


「なぁ、蒼」


 一度躊躇したあと、真っ赤に耳を染めてうずくまる蒼の頭を撫でた。びくりと大きく跳ねたあと、蒼は「うーーーん」と随分間延びした声を出した。呆れとも安堵ともとれるため息。

 蒼は紺樹をずるいとか意図が読めないだとか拗ねる。けれど、紺樹からしたら蒼の方がよっぽど摩訶不思議だ。


「蒼はいつも人の気持ちに寄り添ってくれる。それは何も茶師としてだけじゃない。方法が茶を介しているだけで。十六歳の俺が意地悪で近くで売っている饅頭の方が早く体があったまったと言っても、衝撃を受けるどころか『とんちんかん蒼だった』なんて考え込んでいた」

「そんな明確な言葉まで……」


 誉めているのに、蒼はうぅっと唸り声をあげてしまった。より膝に顔を沈めたようだ。

 ここで『俺はすごく可愛くって、思い出す度に元気になる』と付け加えようものなら、子ども扱いしていると怒りだし堂々巡りになってしまうのは想像に難くない。

 紺樹は出しかけた言葉を「悪い、わるい」という謝罪に変える。


「言いたいのは、つまり、蒼はいつも目の前にいる相手、いなくても依頼主の心にいる渡したい相手への想いをまっすぐ見ている。アゥマにだってそうだ。共鳴力がすごいのは血だけじゃない。君がアゥマと人っていう存在に真摯に向き合い語りかけるからだよ」


 紺樹の柔らかい声がいったん止む。口にしている内容と同じくらい、いやそれ以上に柔らかくてあたたかいと思った声。いつもどこかしらに含まれている悪戯めいた意図も、誤魔化すような色も全くない。


 だからだろう。蒼は思わず顔をあげていた。

 目があった紺樹は、少しばかり照れくさそうな微笑みを浮かべた。


(私が知っている、二番目に好きになった紺君だ。一番最初は意地悪なのに寂しげな紺樹お兄ちゃん、二番目はあったくて人の良いところを見つけるのが得意な紺君。三番目は――)


 それが恋という甘い音でなくても、蒼にとったらとても大切な好きの気持ちを抱いた声だ。

 懐かしさともどかしさが入り交じった気持ちが、蒼の胸に沸き上がってくる。

 そして、紺樹が言いたいこともわかって瞳が陰る。


「でも、私はやっぱり無力だ。頑張っても追いつきたい人に追いつけない。寄り添いたい人に寄り添えない。助けたい人を――助けられないどころか何もできないお荷物だ」


 愚痴を言うつもりなどなかった。蒼は言ってしまった直後、紺樹から視線を逸らした。


「両親の死に目にあえず、きちんとお別れができなかったと、今でも後悔しているんだろ?」


 いつもの紺樹なら間違いなく、聞き流して欲しいという蒼の言葉なき要望に応えただろう。優しくて甘やかす存在として。


「今日は『そんなことはない』と否定することも、『周囲の人間が聞いたら悲しむ』とも言わない」


 紺樹の大きな手が、膝を抱えていた蒼の手を握る。茶や暖房器具の効果かだろう。蒼の手は思ったより冷えてはいなかったが、いつものぬくもりとはほど遠い。

 紺樹は自分の手がわずかに震えているのではないかと錯覚する。本当ならもっと早くに言ってやれば蒼は今頃丹茶でも評判だっただろう。その成長を手助けしなかったのは、紺樹のエゴだ。


「ましてや、藍さんや橙さんが聞いたら悲しむなんて、言わない。心葉堂をよく知る人たちは間違いなく、お二人は自分たちのことで蒼が後悔することを喜ばないのはわかっているけど」


 蒼は顔を背けたままだ。でも、握られている手に力が込められた。どんどん冷たくなっていくのがわかる。

 いっそのこと自分の体温が全部蒼に流れてしまえばいいと、紺樹は思った。そうすれば、蒼が暖まる。それと同時に、彼女が自分の両手を握ってくれるのがわかるから。なんて朝霞だと苦笑しながら、紺樹は空いた手を柔らかいモノに添える。


「遺書でも無い限り、お二人が死ぬ際の気持ちなんて知り得ないんだ。遺書があったって、それが真実だって誰がわかるんだろうな。どんな形で自分に対する気持ちを向けられても、なぜ直接告げてくれなかったのかと悔やむし、聞き出せなかった自分を責めるだろう」


 相変わらずどしゃぶりの外とは違い、顔を上げた蒼は夕立前のようだった。今にも泣き出しそうな顔で紺樹を見上げてくる。


「突然の日常の中、次の日にはいなくなる人だって同じだ。あぁすればよかった、こうすれば良かったと自分を責める。だから、毎日後悔しないように生きればよかったのになんて言うのは詭弁だと、俺は思う。だってそうだろう。確かに後悔は減るかもしれないけれど、なくなることなんてないんだ」


 大好きな人を亡くすことに大団円などないと、紺樹は思う。老衰だって不慮の事故だって。


「じゃあ、じゃあどうすれば良かったの? 私、作れないの。前に進めないの。わかってるんだよ。自分が丹茶を作れても作れなくても、お父さんやお母さんの死とは無関係だって。でも、私がこれからだれかを助けたら――」


 叫びかけた蒼が絶望の色濃い表情で固まった。


「俺はこれからひどいことを言う」


 紺樹が強引に蒼の顔をあげる。牡丹色の瞳には絶望が宿っている。


(それでも、蒼がこの壁を乗り越えない限り、華憐堂が抱える真実を目の当たりにした時、彼女は足を止めてしまうだろう)


 大好きな人を亡くすという共通点だけを見た曖昧な優しさは邪魔だ。

 その点だけでいうと紅暁は安心できる。彼の闇も深いけれど、その分なにを守り、なにを切り捨てるかを、恐ろしいほどに理解しているから。


「自分で自分を許せない? 白龍師傅や紅暁に申し訳ない?」


 紺樹は、自分の冷徹な声にぞっとした。紺樹が最も大事に思う少女に対しても氷のような発言をぶつけられる自分に。

 恐ろしくて止めたいのに、紺樹の唇は明確に動く。

 だから思った。


(自分は所詮、作りモノなのだ)


 華憐堂の萌黄を責めることも、心葉堂を想うことも許されないと自覚する。


「普段は人のためにあれという茶師なのに、自分の気持ちばかりを優先していて怖いか」


 紺樹は自分でもこれ以上ないくらい冷徹さだと思った。それでも平静でいられるのは、魔道府副長としての自分に切り替わっているからだろうか。


「怖いと、思う。っていうか、うん、怖いよ」


 けれど、紺樹のそんな考えはあっさりと砕かれた。


「わかった。ちょっとだけ時間をちょうだい? 私、ちゃんと考えてみる」

「えっ?」


 蒼の予想外の応えに、紺樹は間の抜けた返事をしてしまった。


「ずっと逃げていたことと向き合いたい。じゃないと、私、弱いままだ。あっ! 別にね、今までちっとも考えてなかったわけじゃないの! でも、せっかく、紺君がくれた機会だから!」

「どうして、ひどいことを言うなんて怒らないんだ? こんな状況で」


 紺樹は目を皿のようにして尋ねていた。さすがの紺樹も、蒼からの多少の非難は覚悟していたのだ。それでも離す気はなくて、彼女を落ち着かせるなんて名目で手を握り、逃げることを奪った。

 驚きのあまり緩んだ手を蒼はぎゅぅぅっと握ってきた。


「紺君が、私を傷つけたいだけの言葉をいうはずないもん。私がずっと逃げてて、みんなが見逃してくれてた理由。それに紺君が向き合って言ってくれた言葉だから。私、ちゃんと考えたいの。それに……あの、えっと」


 きりっと眉毛をあげて身を乗り出した蒼。だが、凛としたのは一瞬だった。すぐに真っ赤になって空いた手で髪をいじり出す。

 口をあけている紺樹をよそに、蒼は真っ赤になりながらもしゃっきりと背を伸ばした。


「私は、そーいう紺君が一番好きだから! 誤魔化しがない紺君! そんな紺君に言われて向き合わない私じゃないよ!」


 そうして、爆弾発言をしてくれたのだ。

 言わずもがな。紺樹は眩暈を起こした。


「じゃあ、私は夕飯の準備でもしますか!」

「あっ、うん、それじゃあ、俺は麒淵を溜まりにつれていくな」

「了解! 私も一人でちゃんと考えるね。麒淵が起きたら戻ってきてね」


 眼下で、両手で握り拳を作っている蒼はとんでもなく魅力的な姿をしている。なにより、可愛い表情で紺樹への信頼を語る唇は果実のように色づいている。

 紺樹は背を丸めて小脇に麒淵を抱えた。人ならざる守霊も寝ている時はずしりと重みがあるのか。紺樹はやるせない思いで敷居をまたいだ。



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