紺樹と蒼⑤―こじゅおにいちゃんのために―
「おじい、だめ。早くいれなきゃ」
蒼は紺樹と白龍を交互にみて首を傾げたあと、白龍の額をぺちんと叩いた。
「ほいほい。気がきかなくてすまんのう。蒼も口調が藍に似てきたのう」
白龍が苦笑を浮かべ、蒼を地面に下ろした。
どこから引っ張り出してきたのか。蒼は踏み台に乗って円卓の上に箱をのせた。開けられた蓋の下から現れたのは――茶道具だった。
まず取り出されたのは硝子に蝶が描かれた湯釜だ。煮沸器の上に乗せられた湯釜の中にはすでに水が入っている。
「心葉堂のお水です。煮沸器の中に、アゥマの魔道石を入れて火をつけます」
蒼がやたらと説明的な口調で、しかも会話よりも流ちょうな調子で話し始めた。
紺樹が目をしばたかせると、隣に腰掛けた白龍がくつくつと喉を震わせた。相変わらず背を伸ばしている紺樹に腕をまわし、白龍が囁いた。
「あれは両親やわしの真似なのだよ。料理教室を傍観しているような気持ちで見守って欲しい。浄化の術を学び始めて間もないゆえ、許してやってくれ」
白龍は言って、さらに笑いを深めた。
紺樹は「はぁ」と曖昧に息を吐くことしかできなかった。
「よしっ。次はね、茶盤だ。茶則と茶壺と茶杯も出さなきゃ。おちつけーおちつけー」
紺樹といえば、取り出されたモノに目をむいていた。愛らしくゆっくりとした仕草にではない。
(心葉堂と言えば、クコ皇国随一の茶葉店、いや弐の溜まりだぞ? 極上の浄練を施された茶葉と同時に、その溜まりの水は随一だと聞く。こんな子どもに扱わせていいものか)
そうこうしている内に煮沸器が役目を終えて、茶釜が露を纏い湯気をあげた。
蒼はアゥマを打ち込まれた極上の瓶を取り出した。紺樹にもその瓶がとんでもない浄化能力を持っていると一目でわかった。
思わずあがりかけた腰。すぐさまやんわりと制された。
「師傅、あの瓶の作成者は一体!」
「あの子じゃよ」
「はっ?」
無礼なのを忘れ、紺樹は吐き出していた。
白龍は至極楽しそうに、にんまりと笑った。
「わしの孫が作ったのだよ。本人曰く試作品らしいが、とっておきの茶葉を入れておいたらしい。わしにも大好きな両親や兄にも飲ませなんだ茶葉じゃ」
「なぜ、そんな茶葉を俺なんかに……?」
それは何の含みもない紺樹の疑問だった。
(師傅にも、幼子の兄にも飲ませなかった茶葉を、どうして初対面の己に淹れるのか意味が不明だ)
白龍は疑問には答えず、腰元の陶器を掲げた。携帯用の酒瓶だ。きゅぽんといい音がして栓が跳ねる。紺樹としても、どちらかというと酒の方が飲みたい気分だ。
「あれを見てもこちらを飲みたいと思うか?」
目の前には円卓を挟んで少女がいる。その少女の様子に紺樹は息を飲んだ。無数の光に囲まれ、ガラスの茶壺に向き合う蒼。光が風のように蒼の衣服や髪を舞あげる。
あまりにも神秘的な光景に見とれている紺樹は蒼と目があった。
あった瞬間、全身に電撃が流れた。それは雷のように激しいものではなく、とても静かで、けれど強いもの。
自覚した直後、全身がじわじわと温かくなっていくのを感じた。
「ほんとはね、茶葉をこじゅおにいちゃん用に浄練・調整するんだけど。いそがなきゃだから、今日はお茶にちょくせつするね? そんでもって、こじゅおにいちゃんはいいよって思ってくれるとうれしいな」
紺樹が返事するより前に、蒼の小さな唇が詠唱を口ずさみ始める。許しをこう割に強引だと苦笑が浮かんだ。
浄練を行う方法は様々だが、初級者は呪文を振るわせてアゥマと共鳴をはかる。蒼もどこか辿々しい調子だが、アゥマに語りかけている。
特筆することといえば、すぐ茶壺の周りが煌めき出したことだろう。
(へぇ。鳴くのが下手なウグイスみたいだが、さすがは心葉堂の者か)
感心したのも束の間、すぐに紺樹の中に黒い感情が広がっていく。
所詮は生まれなのだと。
よりにもよって紺樹が今一番逃げたい現実を突きつけられた気がした。
強く噛みすぎたのだろう。下唇から血の味がにじみ広がる。
「もういいか――」
自分の太股を強く掴んで叫びかけたのと同時、紺樹の目の前に金平糖のような光が現れた。それは爪先ほどのつぼみが開花するように、みっつよっつと増えていく。単純に綺麗とは表現できない様々な色が混じり合っている。
(これは浄化よりも高度な浄練……だ)
浄練には二種類ある。
まずは純粋に物質や空間を浄化するもの。元々けがれが世界を覆った際、命を救うために聖樹が浄化物質である『アゥマ』を生み出したのだ。根本的な力といえる。
もうひとつは、けがれがほとんどなくなった近代に発展した、趣の意味が濃い能力。特に茶や酒の、護符や武器など使用者の性質にそうものに関して広まっている。娯楽の面が強いと思われがちだが、個人のアゥマ――つまりは特定の状態や能力を読む必要があるため、実はかなり高度な技術を要する。
(さっき師傅はおちびが術を覚えて間もないと言っていた。嘘だろ)
それは紺樹の苛立ちを助長する事実であるにも関わらず、どうしてかもう怒りも苛立ちも沸いてこない。
むしろ心地よささえ覚え、瞼が落ちてきた。
(……あったかい。冷えた体に染みこんでくるようなアゥマだ)
金平糖のような魔道光をひとつ、掌にのせる。いや、持ち上げた手に光りの方から乗ってきたのだ。驚くことに、光は紺樹の掌でころころを転がりはじめた。それが合図になったように、周囲で様子をうかがうように浮かんでいた光も一斉に紺樹にはりついてきた。
魔道光はアゥマに人が共鳴をして認知できるようになる現象のひとつだ。魔道陣の光はこれだ。
「なっなんだ⁉」
「ははっ! 何度見ても蒼の浄練は面白い。まるで魔道光というかアゥマに感情があるように思えるわい」
白龍の笑いに答えるように、紺樹の周りの光は一層煌めいた。
ふらふらと一つの光が白龍の方へと向かっていく。
(あぁ、やはり。そっちにいくのか)
より強い力の方へ。そう考えて、紺樹は慌てて手で口を覆った。
(何を考えているんだ。ただの光に)
けれど、紺樹が羞恥に染まる前に愛らしい声が鳴った。
「もう、おじいってば! アゥマをゆうわくしないでよ!」
それまで神秘的な雰囲気を纏っていた蒼が、まんじゅうさながらに両頬を膨らませた。
思わず、その頬が美味しそうだと思ったのと、幼子に似合わない言葉に紺樹はぷっと噴き出してしまう。
すると不思議なことに白龍に近寄りかけていた光が戻ってきた。まるで、あせあせと慌てているように見えた。
「おじいは蒼が誘惑なんて単語を知っていることに動揺してしまったぞ」
「おじいってば、あおがくれないおにいちゃんと特訓しているのじゃまするでしょ。おにいちゃんが言ってたもん。おじいはわざとあおが共鳴のためにだしている魔道をひっぱってるって」
「やれやれ。聡明な孫たちをもって、おじいは嬉しいやら悲しいやらじゃ」
白龍はちっとも悲しさなどない様子で肩をすぼめた。
軽快なやり取りをしている祖父と孫をよそに、紺樹はうとりと船をこぎ出していた。
(なんだろう。すごく眠たい。いや、眠れる気がする)
紺樹に張り付いていた光はじわじわと染みこんでくる感覚に変っていた。
そうして入り込んできたモノは深層を射貫くようであり、けれど決して無理矢理ではなく紺樹の真ん中に触れる。言葉なく体内のアゥマを介して語りかけられるようなどこまでも不思議な感覚だ。
「よし! 浄練完了!」
うっとりと瞼を何度か落としかけた紺樹の耳に元気な声が響き渡った。
寝ぼけ眼のような状態で蒼を見ると、腰に手をあてて仁王立ちしている。
「さぁ、ぐぐいっとどうぞ」
まるで酒を勧めるような言い方と舌っ足らずの差に、紺樹は声を上げて笑ってしまった。擦った瞼に痛みはなかった。
「なんだ、それ。ははっ。おちびは随分とオヤジ臭いな」
それまでは紺樹が始終不機嫌そうにしかめっ面をしていたからだろう。突然、屈託なく笑い出したことに驚いたのか、蒼は大きな目をぱちくりと瞬かせた。
そんな蒼に紺樹の笑いはさらに深くなる。震える手から茶を零さないように必死になる。妙な部分に頑張っている自分に、また、妙な笑いが込み上げてきた。
「なんだ、おちび。俺が笑っているのが奇妙か?」
あまりに無遠慮に見上げてくる蒼に、紺樹は意地悪い様子で口の端をあげた。
怯えると思った蒼は口元をむずむずと波打ちだした。そうして、紺樹の腰元を掴んできた。
「ううん。なんかさ、へへっ、うへへ」
蒼はにっかりと笑った後、手足をばたつかせた。
小さな手が服から離れたことに、紺樹はえも言われぬ感情を抱く。ただ、その正体を直視はしたくないと思った。
「もぉー、なんかむずむずしてやだなぁー」
柔らかそうな頬をむにむにと持ち上げていた蒼だが、嫌だと口にしてすぐ、はっとして真顔になってしまった。そうして、大人顔負けに腕を組みながらうなり始めた。
「あの、白龍師傅。俺はついに愛想を尽かされましたかね」
「ほぅ。おぬし、蒼に愛想尽かされたくないか」
思わぬ問い返しを数秒ほど頭の中で繰り返した後、紺樹は耳まで染まった。
動けなくて、ただ体温が上がって目が潤んでいく。自分がとんでもなく恥ずかしいことを口にした気がして、逃げ出したくなる。
(だって、おかしいだろっ!)
会ったばかりの幼子に少しばかり優しくされたからといってほだされるほど、紺樹は純粋でも初心でもない。可能性があるとしたら、純真さにあてられただけだ。
「違います。白龍師傅のお孫さんに無礼を働いたかと考えただけで」
なのに、しどろもどろな言い訳だけが出てくる。普段の紺樹なら、ヘタをすれば目上の人に悪印象を抱かれるような発言はしない。けれど、今はしまったと舌を打つよりも羞恥が増しただけだった。
横目に蒼を映すと……蒼はふんわりと、はにかんだ。
「こじゅおにいちゃんの笑顔はくすぐったいね。あったかいけどつんつんしてて、でもここがうへへってなるの」
蒼は胸元を押さえる。いつの間にか雨具を脱いでいる藤色の上着に小さな手を添え。
その純粋な笑顔が――怖いと思った。
自分とは住む世界が違う愛に包まれて育ってきたような存在が。前ならいっそ物知らずと冷めた目を向けられた。なのに、今はただただ恐怖がわき上がってくる。
「じゃあ、いただくよ」
紺樹は沸き上がる感情を無視して茶杯に鼻先を近づける。
甘い香りがした。鼻を離すと色とりどりの花や実が入っているのがわかった。恐らく生薬だろう。食や茶に興味が薄い紺樹にもわかる。ここ数ヶ月、日に日に憔悴していく紺樹を気遣って、屋敷の者が用意してくれていたから。
(毒への耐性もつけているせいだろう。正直なところ、薬と毒の区別などつかなくなっている)
鮮やかな茶を前に紺樹の瞳は曇っていく。目の前の茶に彩りがあるほど紺樹の心は濁る。
すんと鼻を鳴らすと、やはり甘い香りがした。冷たい空気のせいもあってか、より濃いと思えた。
(クコの実、菊花、ナツメ、リュウガン、クルミ)
閉じた瞼の裏に五種類の実が映し出された。
基盤は黒豆茶だろう。いわゆる八宝茶だ。疲労感や眼精疲労に効くと耳にしている。
はたして自分に効果があるだろうかと紺樹は睫を伏せる。
「瓶が蒼のお手製というたが、これもそうじゃよ。心葉堂に戻り、即座に蒼がおぬしを思って調合した。まぁ、ちょっとばかりじじいが手伝ったが。さて、これを天性と称するか、蒼の性格ゆえにと思うかはお主に任せる」
そんな紺樹に白龍が笑いかけてきた。
「……貴方はずるい」
祖父を全面に出された言い方されたら、後者だと選択するように導かれているようなものだ。
紺樹は茶杯を持つのとは反対の手で、己の膝をきつく握った。
それでも、典型的な調合だと突っぱねられなかった。紺樹はただ目の前の茶を飲みたいと思ったのは間違いない事実だから。
「いただきます」
口をつける。まず、茶杯が唇にすっと馴染んだ。この雨の中なのに冷たいと感じなかったのだ。状況によって杯の温度を調整するのも茶師の腕だという。趣を重視する場面なら冷えた杯と熱い茶の差を楽しむのも風流だ。
あくまでも紺樹を気遣うような加減に目元がひくつく。
(嫌だ。あぁ、なんて嫌なんだ。見透かすな)
乾いた喉に流し込んだ茶は熱くて、でも不思議と舌や口内が焼かれることはなかった。
一気に飲み干した割に、茶は紺樹の口内に熱を広げた後はすんなりと喉を流れ込んでいった。冷えた歯には少々刺激的だったが。
(味は可もなく不可もなし)
茶が喉から流れ込み、食道を落ちていくのを感じる。ただ体内の消化器官へ向かっているだけなのに……どうしてか、皮膚の内側までぬくもりが広がっていった。
(なんだよ、これ。気持ち悪い!)
まるでぬくもりが末端まで走って行っているようだ。熱と呼ぶほど熱くはない。撫でるようで眠気を誘う、まどろみに近い。
うとりと体が船をこぐ。
熱い茶を飲み、息をはくのも癒やされるのもわかる。けど、これはなんだ。
「しそ茶の方がよかったかな?」
紺樹が目を擦る横で、蒼は体が倒れそうなくらい腕を組み考え込んでいた。紺樹とは反対側に。爪先で押せば簡単に椅子から転げ落ちそうだ。
紺樹の胸には色んな感情が込み上げていた。気持ち悪さと、心地よさと、苦しさ。それと、理性。
「いや、うまいよ」
紺樹は柔らかく微笑んだ。自分でもびっくりするくらい。
(官舎からじゃない。ここから早く去りたいから)
幼子が望む言葉を言えば蒼は照れくさそうに笑うと思って、苦みの強い味の感想を述べた。礼でも述べてさっさとどこかに行きたい。
「えっ? えぇ? えー?」
だから、今度こそ本当に思考回路が固まった。
目の前の蒼はひどく驚いている。そうして、再び腕を組んで唸り始めた。加えると、梅干しでも食べたかのようにしょっぱい顔をしている。
「おかしいなぁ。おじい、あおってば浄練失敗しちゃったのかも」
「そうか。蒼が相手に魔道で触れられる状態の浄練に失敗するなんぞ、おじいは初めてみた」
「あおは、だめだめだぁ。また、きえんにぼうそうするなーっておこられちゃうよ! 今日はちゃんと、こじゅおにいちゃんのアゥマと仲良くふにふにできた気がしたのにぃ」
恐らく麒淵という人物の口まねなのだろう。蒼は「たはー!」っと両手で額を叩いて東屋を取り囲む柵にもたれこんだ。
(少なからず思っていたが、おちびはとても愛らしい外見と反して、随分と、なんというか親父くさいところがある)
紺樹はなんと反応していいのか戸惑ってしまう。初めて目の当たりにする子どもでもあるが、なにより繕いが受け流される。
逆に弐の溜まりの令嬢がこんな性格で大丈夫なのだろうかと心配する程だ。
「そこが蒼の魅力じゃよ」
幼子をじっと見つめていた紺樹の肩を、白龍が激しく叩いた。
穏やかな口調とは反して、遠慮のない叩き方に紺樹はむせてしまう。
「――っ、えぇ、はい」
人の心を読まないで欲しいと肩をすぼめるのと同時に、蒼はきっと普段から紺樹と同じようなことを言われることが多いのだろうとわかった。
残念な子を見るような視線を孫に向けたにも関わらず、白龍は機嫌を損ねるどころか上機嫌な様子で紺樹を見る。
「蒼よ。あるいは、紺樹に蒼の思いが伝わっていないかじゃが」
「ひぇっ!」
なんだこれ。
今度こそ笑いを堪えきれず、紺樹は全身を震わせて口を覆う。震えすぎて右手の茶杯から茶が零れそうだ。
当の蒼は至極真剣だ。飛び上がって両頬を押さえて絶望の表情で紺樹の手元を見ている。
「おじいどうしよう!」
数秒後には真っ青になった蒼に、さすがの紺樹も笑っていられなくなった。
けれど、紺樹は子どもを慰める術など知らない。
そんな紺樹の心など知らず、紺樹の膝に倒れ込んで反対側にいる祖父と話し始めた蒼。白龍は紺樹が困っていると諫めながらも悪戯な表情を浮かべている。
(若干冷えているとはいえ、幼子の高い体温が遠慮なしにうつってきて居心地がわる――って、あれ?)
茶を飲み干して、紺樹はふと疑問に思った。
自分の空いた手を握ったあと、何を思ったのか、白龍に向けて伸びている蒼の手を握っていた。紅葉みたいな手は当然とても柔らかかった。普段触れることのない感触だ。
小さいのに、どうしてかひどく安心できた。込み上げてきた感情に紺樹は苦みを覚える。
(小さくて弱い者を守りたいという保護欲は、人間の本能だ。っていうか、俺にもそんな感情があったなんて驚きだ)
蒼という個に対して情がわいている訳ではない。
紺樹は言い訳がましく苦笑を浮かべる。紺樹が手を離しかけると、指先をきゅっと握られた。
本当に指先だけだった。なんなら紺樹が少し動けば抜けてしまう位の。なのに……その弱い力と反する強い眼差しに紺樹は動けなくなった。じぃっと見上げてくる蒼に舌打ちを返す。
「よかった」
なのに、蒼はへらりと笑った。泣き出すかべそをかくと思ったのに。




