亡国④―任務の経緯―
ずずっと、珈琲をすする音がやけに大きく響く。
口を閉じれば、口内に苦みと熱が広がり、そして喉を滑り落ちていくと全身がじわじわと暖まっていくのがわかった。
「冷えた全身にしみるのう」
「あぁ、あたたまる」
二人の口から同時にほぅっと息が落ちた。それでまた、珈琲の香りが鼻から体内に戻ってくる。
「話が長くなりそうだな。もう少し火を強めておくか。じっとしていると寒くてかなわない」
黒龍の言葉に反抗するように、煮水器の火はあっという間に消えてしまった。
白龍と黒龍の周囲には、蛍のようでありもっと強い丸い魔道光がいくつも浮いているので真っ暗闇ということはない。
それでも、目前から火が消えたことにより急激に体温が下がっていく気がするから不思議だ。
「燃料不足であったか」
「ちょうどよい」
白龍は皮鞄から一枚の綺麗な手巾を取り出した。甚だ白龍には似合わない小ぶりな花が、黄色の糸で刺繍されている。布は鮮やかな黄緑色系統だ。
「福寿草か。蒼にでも貰ってきたのか」
黒龍の問いに、白龍は端正な眉を下げた。その表情のまま、ふわりと布を中へ放る。宙で広がった手巾は思いの外大きく――不思議な香りが広がった。
いくらなんでもひらりと落ちてくるであろう布は、やけに滞空時間が長い。代わりにと、ひらりと花びらが一枚先に落ちる。地面に落ちたそれは、随分と枯れていて元の色は判別つかない。
(思った通り、かろうじて残っておるアゥマの欠片が寄って、布と花びらに纏わり付いておる)
すぐ地面に触れた花びらと異なり、手巾はまるで白龍の手に戻るのを嫌がっているようだ。
それでも、絹の手巾は白龍の手元に戻ってきた。それが理であるように。
「紅が萌黄という娘に貰った品だ」
その白龍の一言で、花びらと手巾を交互に見つめていた黒龍の眉間に皺が寄った。
「例の不気味な娘にまつわる物か」
「黒よ、知っておるか。福寿草の花言葉の違う意味を」
「なんだ、藪から棒に。花言葉など知らぬわ。というか、なにがちょうど良かったのだ」
予想に違わぬ答えを返してくる黒龍。
そんな仏頂面の黒龍に向かって、白龍はにかりと笑って見せた。
「いや、燃やせば多少の足しになるかと」
「……白よ。いや、やめておく。いくらお前でも孫が想われ人に貰い受けた品を、怪しげなアゥマと花びらをつけて旅先にまでわざわざ持ってきて、ただ燃料にするような外道ではないと――願う。けれど、せめて事のあらましを説明してからにしろ」
黒龍はひどく疲れた表情で片手を振った。ぽつりと付け足された『願う』という呟きに、白龍は心地よさを覚える。
理想像を押しつけられるなんざ真っ平ごめんだが、黒龍のものは嫌いではない。最低限、人として道理を持ってくれと呆れられているのと、願われているのが。
「さて。そもそも、どこまで黒に話したかのう」
白龍は言いながら、手絹を小さく折りたたんだ。そうして、あぐらを掻いた片腿にのせた。花びらの方は急激にひからびて、触れれば壊れてしまいそうだったので、白龍はそのままにしておくことにした。
黒龍はわずかな違和感を覚えたが、敢えて指摘することもなく珈琲を口にし息を吐く。
「どこまでも何も、俺が聞いたのは件のアゥマが持つ性質の結論と、蒼や紅が危ない。それに、魔道府が得た状況報告だけだ」
黒龍は呆れ顔で特殊な珈琲の灰色の入れ物を両手で握った。冷たい息の白さと、珈琲の湯気が混じり合う。文句ついでにと、尻下の岩肌が気になったのか。
黒龍は入れ物を片手に持ち替え、鞄を下に敷いた。
「では最初から話しておく。本来であれば国の最高機密だが、黒には協力してもらっているのだし、魔道府長官とて、わしがお前に説明せずにはおられんのは承知のうえだからのう」
「それなら心配いらぬと言っただろう」
黒龍は白龍が言葉を紡ぐ前に口を開く。
「俺の所にも、白から連絡が入るより前にホーラの召喚獣から短い一言の手紙が届いた」
式神や使い魔は主に付き従う存在だ。一方、魔道府長官が使う『召喚獣』はその場限りの契約で召還することが可能である。つまりは、足が着きにくいのだ。
これが魔道府長官の強みのひとつでもある。足が着かなかったことを盾にとられて材料にされても、悪魔の証明というやつになるだけだ。
「ほぅ、なんと記されていたか」
白龍が尋ねれば……黒龍はひどく疲れた顔で珈琲をつぎ足した。
「ただ一言。『白を全面的によろしくなのです』と。なんぞ、ふざけた絵付きだったぞ」
次の瞬間、白龍の爆笑が木霊していた。
かろうじて珈琲がはいった入れ物を地面に置いているが、腹を抱えて体を丸めている。笑い過ぎで呼吸がままならない。喉がひゅーひゅーと鳴り、言葉を発しようとするとむせた。
(まったく! あいつは、ほんに人をおちょくりおるわい。しかし、変に理由をつけることも、仰々しく説明することもない。その短文こそ信頼の証し。黒にしても――わしにしても。いい加減な上辺には同じものを、信頼には信頼を返すのをあやつは身をもって知っておる)
白龍は溢れる笑い涙を拭い、黒龍に向き直る。片手で腹を抱えたまま。お互いの旧知である魔道府長官の性格を熟知している黒龍は、それ以上の文句を口にしなかった。
「だから、よろしくしてくれるのか? わしはてっきり親友と義弟枠かと」
「やかましいっ! さっさと経緯を話せ!」
黒龍が耳まで染めて火石を投げつけてきた。
下手をすれば大けがになる行為だが……。相手が全く当てる気でないのを承知している白龍は、軽く肩をすくめただけだった。
「では、わしの耳に華憐堂の話が入ってきたところから話そう。そうだな。あれはまだ、街が多くの家族を失った悲しみを引きずっておる時だった。災害と言えば良いのか、人災なのか。わしにも未だにわからぬ」
「白よ」
「おっと、干渉に浸っておる訳ではないぞ? 何が言いたいかというとな、いくらそんな悲しみに反して代がわり等で街中がてんやわんやだった状態だったとは言え、クコ皇国の首都、しかも中央通りが急に更地になったのだ」
白龍は一度珈琲を口に含むと深く息を吐き、続けた。
白龍が魔道府長官に呼び出されたのは、更地にあった建物が取り壊されるという噂を聞いてすぐだった。その土地は半年ほど前にとある金持ちが購入したと、噂でもちきりだった。
元々は老舗宝石堂が門を構えていた。貴族の客も多かったが、老若男女が好む幅の広い客層が特徴だった。
古来より宝石は存在そのものに魔除けや浄化の力が込められている。加えて店のアゥマ使いは浄化能力がぴかいちだった。
長年極上の宝石を並べていた場所だ。店はもちろんのこと、土地自体も溜まり級の澄んだアゥマで満ちている。ちなみに中央通りには溜まりが存在しない。そのため、浄練された品を購入し取り扱う飲食店がほとんどなのだ。その宝石堂も、街外れにある伍の溜まりで浄練されたものを中央通りの店で販売していた。
ここで重要なのは国の伍の称号を持つ有力溜まりの家であって、有能な者がいた繁盛しきりの店が潰れたという点だ。
白龍はそこまで一息で話し、珈琲のおかわりを杯に注ごうと手を伸ばす。けれど、煮水器の上にあった小さなヤカンはとても軽かった。
不満げにヤカンを下ろすと、すぐに濃い琥珀色の水が入った小瓶が突きつけられた。
「なんだ、任務中に酒を出すなぞ珍しい」
「気付程度だ」
自分の瓶に口をつけた黒龍は、白龍と目線を合わせない。どうしてか――集まってきている怪しい魔道の力を睨み上げている。
怪しいが祓うほど濁ってもいない。そこに黒龍も戸惑っているのだろう。事情を全て把握している白龍は勝手にそんな風に思った。




