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亡国②―羨望—

 淡い光が白龍たちの数歩先だけを照らす。


「おぬしの言うように、わしは藍や橙が決めた未来に異論はなかったよ。ただ、わしは初めて確かな地位が欲しいと思った。結局、愛する者たちを隣国から守ったのは国力だったからのう」


 事実だけを聞いた時はそれこそ父親として激昂したものの、あっけらかんと笑う娘を前にしてからは腑に落ちた。この先、どうするかを決めるのは娘と彼女を愛している男が決めることだと。娘が後悔していない命を己が憂うのは道理ではないと思った。

 ただ、その娘たちの意志を貫き通すために己に足りないのは権力だと思い知った。


「麒淵にもそう愚痴ったのは数日前だ。だがな、俺はわかった。久方ぶりに国の外に出て、この荒れ果てたかつては国であった今は墓場に成りはてた地を見て」

「ほぅ。では、今はどうなのだ」

「心葉堂は国に縛られるものではないのを、あいつらはわかっておらん。そして、何よりわし自身がそれを思い出した。いつの間にか縛られていたのはわしだけだったのかもしれぬ」


 眼光鋭い白龍は目の前の同行人さえ見ていない。

 が、黒龍もそれを承知しているようだ。黒龍は老人にしては覇気がありすぎる旧友の背中を見つめる。


「お上をあいつら呼ばわりか」

「さすがの俺でも初めてだ。桃は初っから言うておったがのう」


 白龍の首の皺が、大きく波打つ。その度、先を照らすための明かりが左右に揺れた。


「他にも、わしや街の者がする桃の武勇伝は孫の間でも有名じゃ」

「あいつ……俺が知らぬところで何をしておったのだ。いや、桃らしいと言えばそうなのだが」


 苦々しいぼやきに白龍は笑い声だけを返した。

 白龍は黒龍のこんな声を久しぶりに聞いた。それが嬉しかったのだ。


「蒼が修行中に話しておったこと、どうせお前が話を大きくしたのだとばかり思っておったが」


 大きなため息が長く狭い空間でよく響いた。若干反響しているのが、白龍の笑いのツボを刺激してくる。何歩かの間、実際呼吸を乱し、笑い転げた。

 黒龍はそんな白龍のすねを蹴るわけでもなく、持っている杖で背中を押すのでもなく。ただただ、ばつが悪そうにそっぽを向いていた。


「黒龍。おぬしの妹の桃香は桃源郷(こきょう)の外でも、ずっとあの子であったよ。そして、その血は確かに、藍に、孫たちに引き継がれておる」


 上半身だけ振り返った白龍。笑っているようにも、泣いているようにも思える雰囲気を纏っている。実際のところは、角灯は足下に向けられていて、黒龍からは表情は見て取れないが。

 だが、実年齢が十代半ばであったころからの腐れ縁である黒龍には、手に取るようにわかってしまうのだ。白龍の胸にある感情など。


「その先が下り坂になっておる。緩いとは言え、老人の足だ。こけるなよ」

「なんじゃ、心配してくれるのか」


 今度はしっかりと顔元にあげられた角灯は、悪戯めいた色を浮かべている白龍が映し出されている。ついでに、空いた片手で長いあごひげを撫でている。

 黒龍は先ほどまで纏っていた雰囲気を一変させ、口元をひくつかせた。他の者なら気がつかないだろうけれど、白龍はわずかな筋肉の動きも目に止める。


「馬鹿をいえ。老人を抱えて荒野を歩くなどまっぴらごめんだからな」

「ほうほう。老人でなければ良いと」

「もっとごめんだ! どうせお前は悪びれた様子もなく、一部の婦女子が喜びそうだとか訳のわからぬことを言ってネタにするのだろう! 昔からそうだ! この極限楽天家(ポジティブ)め!」


 場面を想像してしまった黒龍は苦々しく叫んでしまった。ついでに思い出した嫌な記憶から、ブツブツと呟いていた。暗がりでもわかるくらいに青ざめて。

 一方、白龍は若い頃と全く同じ反応をしてみせた黒龍に噴き出してしまう。角灯は掲げたまま、腰に手を当て年相応に落ち着いた笑みを浮かべている。


「外見が二十代青年の若いままだと、気持ちまで若くなるものか。黒よ。お前、昔と全く同じ反応をしておるぞ? ホーラといい、黒龍といい、長寿の一族はほんにおもしろい」


 決して『うらやましい』とは言わない白龍に、黒龍は安堵と少しばかりの寂しさを覚えた。


 黒龍。この男こそ若い姿を保ち長寿であるべきであるのにと思わずにはいられない。それは能力や才能というよりも、白龍の尊敬すべきところは次世代を育てる力と魅力がある部分だと黒龍は考えている。天才的な魔道力を兼ねそえ、独善的である面を持ちながら、人を育て守る心も持つ。


 本来であれば黒龍の妹であり白龍の嫁となった桃香も、長寿の一族だった。だが、古の純血に近い体質を持って生まれた桃香は、桃源郷と呼ばれる地を出ては長く生きられなかった。それでも桃香は選んだのだ。白龍の手を取ることを。



――黒兄様、わたしは故郷を捨てるわけではないの。ただ、この人と生きたいと思えたの――

――ともに生きられるものか。桃源郷にいても、外界に出ても――

――生きられるわよ――

――生きるの意味が、違う……―

――同じよ。白と一緒に笑って、同じものを見て、時には違うことを感じて、ぶつかり合ってもいい。ただ、すごく簡単で、でもきっと難しい。そんなの、当たり前のことだわ――



 黒龍の視界が霞む。

 今でも鮮明に思い出せる妹の言葉。最後まで妹の嫁入りに渋った黒龍を前に、破天荒な妹が穏やかに口にした願いが思い出される。

 黒龍は冷たい岩肌をなぞっていた掌で顔を覆う。すると、とたんに思考が鮮明になった。


(これは――)


 黒龍が顎に手をあて、足を止めていた。干渉を呼び起こす不思議な感覚の正体を見つけた気がして周囲を見渡した。


 いくらなんでも引っ張られすぎだ。


 数歩先を行っていた白龍が目で語った。今はそのことは流しておけ、と。


「話を戻すが。紅も蒼も、今回の件を乗り越えたら、ぐんと大人になるだろう。色んな事を選択し、背負える歳じゃ。フーシオなんざおりて、魔道府の相談役にでもなろうかのう」


 随分と楽しげに笑う白龍。暗闇でもわかるくらい、楽しげに肩が揺れている。


「紅は当の昔に大人だろうに。背負わぬと決めたものをきっぱりとはね除けている。その分……妹への過保護は相変わらず、やっかいな程らしいが」

「安心せい。紅が過保護なのは否定せぬが、純粋に蒼を想う青年に対しては口を挟まぬ。……紺樹関係以外はな」

「それは、紺樹の想い云々ではなく、態度が誠実でなくなったからだろう。自業自得な点もおおかろうに」


 黒龍の語気は突き放すものではなかった。むしろ、苦々しい声は紺樹庇うような口調であるとさえ白龍には思えた。

 白龍の昔なじみであり、白龍の妻である桃香の兄、そして蒼のアゥマ使役の師匠である彼だだ。当然、心葉堂の家族同然である紺樹とも懇意だ。別の事情からよく知った仲でもあるが。


「まったく。紺樹の奴は世渡りが器用なくせに、根本が不器用過ぎる。白の爪先ほどのふてぶてしさがあれば、己の使命と程々にうまく付き合えば、好きなように生きることもできように」

「なんとも失礼な奴じゃのう。せめて半分くらいといえ」


 白龍のぼやきを黒龍は鼻先で笑い飛ばした。

 紺樹が抱える事情を知る者は少ない。ただ、紺樹は白龍や黒龍とひどく似ていて、本当に大事な人には事情を隠す傾向があるのだけは、みな承知している。


「まぁ、若者のことは当人たちに任せればよい」

「そうだな。では、黒龍よ。心葉堂が取りつぶしになったあかつきには、放浪の旅に付き合え」


 白龍はそれが限りなく零に近いと知りつつ、にかりと笑う。だって、そうならない為に二人はここにいるのだから。


「お前が戯言をほざいている間に着いたようだな」


 目と鼻の先には目的の場がひらけた。


「腐れ縁の俺と妹娘の子たちがいて、ある意味一族の分身なる子が共にある」


 少し前から勝手に動く口を自覚していた白龍と黒龍。

 されるがままに、しながら逆に頭は冷静になっていく。ここにいるのが、この二人だから。


「どうだ、皆が個性が強すぎて楽しいと思わぬか。どうだ。ここに眠る術を使えば、わしたちが望むものが全部帰ってくる」

「そうだな」


 重く響く声。


「そうできる俺たちならな」


 黒龍は静かに笑った。漆黒の瞳に薄く膜が張っている。決して零れることはないが、透明な膜は黒龍の目を覆っていく。

 白龍は後ろから聞こえる、かすかに鼻がかった声に微笑む。


「わしは、あの家族と皇太子の願いを生者の傲慢だと割り切ることができんのだ」


 ぽつりと落ちた声に、黒龍は同情も同調もする気はない。


「ちょっ! 黒よっ!」


 白龍の背を思い切り蹴り飛ばしただけ。

 つんのめった白龍がやり過ぎだと文句をつけようと振り返る。持ち上げた角灯に照らし出されたのは、真っ直ぐ白龍を見下ろす漆黒の瞳だった。


「なら言ってやろう。白龍、お前はここにある力を望んでいない。望んだところで、得られるものは所詮、偽物。擬態を望む白龍ではなかろう」


 よろけた白龍は尻餅をついた。後ろに体重をかけたのと同時、光が降り注いだ。

 急激な光に、白龍は空いた手を額にかざす。細めた視界に徐々にだだっぴろい光景が映り込んでくる。

 恐る恐る上がっていく瞼。ついさっきまでは色めいてみていた光景が、ただの風景になっていた。


(だからこそ、わしが黒龍をつれてきた理由を、おぬしは知っているのだな。でなければ、きっとわしはここにある術に引き込まれてしまう)


 白龍は無言で立ち上がり、目の前の光景に姿勢を正す。一歩踏み出した先には、とてつもなく大きな空間が広がっていた。

 そこはかつて溜まり――人の手によって作られ、瞬時に滅んだ溜まりの跡地だ。


「溜まりの底であったであろう場所に、このような陣がひかれているとはな」


 人の願いによりつくられ、人の欲望によって国中のアゥマを吸い上げた魔道陣のあと。地面に残る焦げた線に、白龍と黒龍は息を飲んだ。


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