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亡国①―白龍の妻―

 紺樹がずぶ濡れの蒼を心葉堂に連れ帰った頃、白龍は荒れ果てたとある国――いや、国だった土地の地下深くに立っていた。



 ()()()()に滅んだらしい国は、すでに荒野と化している。

 所々に崩れたレンガや骨が落ちているだけで、人どころか魔物の気配すら全くない。


「浄化の魔道を全身に纏っているが、気を抜けば精神が浸食されてしまうのう」


 浄練によって特別に織られた衣服や装飾を身につけてなお、ここまで意識を持って行かれそうになるのか。白龍は老人にしては張りのある頬を撫でる。額には数滴の汗が浮かんでいる。


「溜まりの水が流れていた脈でさえ、このアゥマの枯渇具合か」


 白龍と、その後ろをついてくる同行人の足音だけが岩肌を鳴らす。


「根こそぎ吸い上げられているか。世界広しといえど、こんな状態はある意味、貴重な場所だのう。けれど、奇妙なアゥマと強烈な思念らしきものは残っておる。蒼が興奮しそうじゃな」


 白龍の皺のある喉が波打つ。あがった口の片端は、孫を見守る祖父と表現するにはいささか悪戯めいた色が濃い。


「ここの不均等(アンバランス)ささえも、あの子にかかれば、ただここに存在するモノへの興味と敬意になってしまうのだろうな」


 白龍の後ろで、同行人が呟いた。白龍とは異なり艶のある若い声だ。けれど、声の温度は白龍よりも祖父らしさを含んでいる。

 白龍は大げさに肩をすくめた。


「紅がそんな蒼を無警戒すぎるとたしなめる姿が浮かぶのう。まったく、外見はわしに似ておるのに、中身は義息の橙と瓜二つだから頭があがらん」

「馬鹿が。昔からお前は唐突に自分に言い聞かせたいことを事実のように口にする」


 同行人が思いっきりという調子でため息をついた。しかも、かなり長い。かつての脈だけに岩の狭い空間でよく響く。


「お前が変な気遣いなどすれば、紅が傷つくだけだろうに。あいつの前では口にするなよ。事実であれ。尊敬する養父に似ているなどお前がわざわざ言えば、紅の心を惑わせるだけだ」


 はんっと、鼻先を鳴らされ白龍は黙るしかなかった。相変わらず、この旧友は容赦がないと。


「紅はお前の外見に、その娘の藍の性格。そして、蒼は外見も性格も――桃にそっくりだと言えばいいものを。何を気にしておるのか」


 苦々しく吐き出され、白龍の角灯(ランタン)を持つ手がわずかに揺れた。

 それは、風来坊でやりたいことだけやってきた白龍が得て失った者たちに、心が揺れたのか。


(わしは……いや、俺は、きっと未だに妻を失った現実に向き合えていないのだろう。孫たちが生まれるより前のことであるのに)


 本当におかしな話だと、白龍自身が思う。


 白龍は若い頃から天才と称され、自分の生きたいようにしてきた。世界最古のひとつとも言われる大国の老舗の一人息子として産まれ、茶とアゥマの才に恵まれた白龍。いや、他にも何でもそつなくこなしてしまう彼は、全てが虚しかった。


(だから、見ぬものに出会う機会を求め、冒険者になった)


 そんな白龍を母は咎め、父は見過ごしてくれた。無謀も無茶も、破天荒なことも存分にしてきた。

 そんな白龍が、桃源郷と呼ばれる地でたった一人の女性に出会い、人生が一変した。まさに一目惚れだった。けれど、のちの妻となる桃香(とうか)にとっては最悪な出会いだった。しかも、当時の白龍も素直になれず、随分とぶつかり合ったものだ。


 こつんとつま先が小石とぶつかり、白龍は我に返った。

 だが、思考は記憶に沈み続ける。今は感慨にふけっている場合ではないのを頭では理解しているのに。まるで何かに誘われているとさえ感じられる。


(桃は故郷を出れば、長く生きられないと知っていたのに。俺が桃源郷にとどまるという説得も聞かず、彼女は俺の故郷へとついてきてくれたのを、やはり嬉しく思った)


 沈黙のまま、手元の角灯だけを頼りに、一人がやっと通れる幅の空間を進んでいく。火系の魔道で先を照らしても良いが、未知の場所ではどんな魔道反応が起こるかわからないからだ。


「俺はすでに妻と娘、義息を失っている。娘の一件で力を欲して、フーシオなんぞになって……孫たちが辛い時に側にいられない。わしはただ、家族を優しく守ってやれれば良かったのに」


 静寂に落ちた一言。岩壁に手をつき、白龍は背を丸める。額と腹がつきそうなほど。

 どれだけそうしていただろう。

 耳が痛むほどの静けさの中、白龍のすぐ後ろからうんざりとしたため息が落とされた。


「いつまでそうしているつもりだ。いいから早く先に進め。お前の演技に付き合っている暇はない。こうしている間にも、紅と蒼が危ない目にあっている可能性が高いのだぞ」

「ぶはっ!」


 若い見た目の同行人の声を諫めるのでもなく、白龍は思い切り吹き出していた。精神年相応に皺を寄せて。


(そう。このノリだ)


 今やクコ皇国の人間ほとんどの者が、白龍を人格者だとか神格化さえしている。

 当然、古い付き合いのものは違うが、どうしても立場というものは大なり小なり付き纏う。実際、今回もフーシオの陰として若者に罠をしかける、かなり胸くそ悪い役割を押し付けてしまった。


「笑うな。俺は冗談を口にしてはおらんし、お前は歳をとっても性悪さは健在すぎる」

「おぬしのその生真面目な突っ込み方は紅そのものじゃな」


 素直な感想を述べれば、同行者――黒龍(こくりゅう)はぷいっとそっぽを向いた。照れ隠しだ。


「そう拗ねるな。さすが黒龍はお見通しだとほめたのだ」


 この同行人は孫たちでさえ知らない白龍の執念深さと性格の極端さを嫌と言うほど承知して、受け止めている。

 そう思って笑ったのだと、白龍は口の端をあげる。


「馬鹿言え、だだ漏れだ。一癖どころか人離れした感覚を持つお前が、己の立場について愁傷なこと考えるか」

「しかり。わしはもう正直フーシオの任も、いざとなればどうでもいいのだよ。ここに来たの半分は好奇心じゃ。悪いか?」

「俺に問うな。大体、ホーラとて此度の件は魔道府長官としてより、歴史狂的な面がちらほらどころかギンギンに出ている。同行すると喚くのを紺樹の奴が諫めねば、どうなっていたか」


 黒龍は心底呆れた口調だ。ただ咎める色はない。


「なんじゃ、物足りんのう。もっと『お前も祖父としての自覚を持て』と叱られるとばかり」

「……もう半分が孫と相棒のためなどと、わかりきっている。それに、恐らく出てくる前に散々相棒――麒淵に零してきたのだろう」


 きっぱりと言いのけた黒龍を、白龍は長い髪を掻き上げながら振り返る。

 角灯に照らされた白龍は、実にすがすがしい顔をしている。牡丹色の瞳は暗闇でも煌めいている。


「そうじゃ。わしはクコ皇国自体になんも執着心もない。まぁ、麒淵をどう連れて行くっていうのはあるが、どうにかなるだろうし、紅と蒼がいればどこででもやり直せると思っている」


 黒龍は白龍の背を見て、あぁこれこそが白龍という人物だと仄かな笑みを浮かべた。しゃんとした姿勢に、どこまでも遠くを見据えたように伸びる背。

 黒龍の口の端がくいっとあがった。


(本当にクコ皇国の連中は白龍という人物を理解しておらん。けれど。はたして、少年時代からの付き合いである自分でさえも理解しているかは、怪しいものだが)


 だからこそ……それだから白龍という男は面白い。

 黒龍の内心を読んだように、白龍は好きに続ける。


「娘の藍が紅を身ごもった時、藍や橙を失った時。そして今回の件で蒼が傷つき、フーシオの家族ということで紅を巻き込んで、この滅んだ土地に来て思ったのだ」


 少しだけ、白龍の声の調子(トーン)が下がった。

 黒龍といえば、わずかに歩調が遅くなった白龍の背中を小突くだけ。

 白龍は勝手に動く口に従う。


「藍が想い合う男と瓜二つの奴によって身籠った」

「ソレは藍蘭の――心葉堂の()()の特性もあった。けれど、藍蘭にとっては何かしらを納得したうえでだったことには違いあるまい。それは欠けていようがいまいが、関係ない」


 本当に。この親友は人が言いにくいことをはっきりと突いてくる。そう、白龍は笑ってしまう。


「まぁ、お前が言わんとしているのは違うだろうが。藍蘭を大事に思う側としては」


 それまで冷淡な声だった黒龍だが、白龍の娘の名前には感情が含まれていた。

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