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失踪②―紺樹の動揺―

 蒼が自分の行動を悔やんだのは、それから一夜明けたのことだった。


 夜通し、蒼は起きて紅の帰宅を待っていた。

 日付を超えた頃には溜まりに行き、ぼんやりとした麒淵と過ごした。溜まりにいると時間を忘れることができる。


「でも、紅は戻ってこない。麒淵も、虚ろだ」


 居てもたってもいられず、蒼は中央通りに走っていた。紅が魔道府に行くなら、必ず人目が多いところを歩いているはず。

 そうして、何刻も走り回り体が芯から冷え切ったころ、店先にいる幸好楼の女将を見つけ声をかけたのだ。


(これ以上、外を歩いていたら本当に危ないかも。さっき街角であった男に人たちが、私に気がついて怖い目で近づいてこようとしていたし。自分はいいけど、怪我でもしたら紅が落ち込む。っていうか、怪我はすでにしてるけども)



✿✿✿


 実際、蒼は街中で襲われかけた。

 何人かは警告程度の魔道で追い払ったが、そもそも蒼は異形のモノ相手にしか、殺傷の意志を持って攻撃魔道を放った経験がない。国の機関に就いている者以外は同じだ。

 だから、どんなに高位なアゥマ使いであっても学院卒ぐらいでは、護身術程度と認識されている。


(さっきも、雄黄さんたちが偶然居合わせたから助かったんだ)


 蒼はぎゅっと手を握りしめる。ずきんと痺れた肩より、心が苦しい。


(鉢合わせた時に攻撃魔道を繰っていたら組敷かれるなんてこと、なかった。手足を押えられて、口を塞がれて。あのままなら、私は――)


 蒼が人間相手だからと怯んだ間に、敵は躊躇なく蒼を殴打して押し倒した。すぐに反撃するべきだったのに、蒼は戦意より恐怖が勝ってしまった。自分を女として見下ろす眼差しに身が竦んだ。

 

 そこで音魔術が全員の鼓膜を揺らした。


 鼓膜が揺れると視界がまわった。

 蒼を押える男に体当たりした男性は、気弱の雄黄だった。がむしゃらに腕を振って、


――蒼茶師に無碍をはたらくならボクが成敗するぞっ!――


と暴れまくったのだ。

 たじろぐ暴漢たちへの決め手は、連れの女性が何人もの男女に杖を向けて『悪は滅せよ』と火球魔道を向けたから。

 実際に衣服や髪は焦げていたので、女性は本気だったのだろう。


――本当の本当に、橋までで良いのかい?――

――あたし、護衛できるくらいの冒険者階級ランクはあるのよ!――


 雄黄と恋人の鈴香は蒼を心葉橋まで送ってくれた。それ以上は迷惑が掛かる可能性を考慮して、蒼がかなりの説得をして橋先で帰ってもらった。

 それでも後ろからこっそりついて来ようとするので、引き返してこれ以上見守られると血反吐を垂れ流して橋の上で死にそうですと脅したのだ。心葉堂の呪いだと実際に咳き込むと、ようやく雄黄は、


――姿が見えなくなるまでは橋を越えず、ここににいるよ――


と譲歩した。鈴香は至極不満げに腕を組んでいたが。


「まったく。久しぶりに再会した恋人たちの癒し時間を犠牲にして。紅ってば戻ったら、お仕置きだ」


 蒼は零れかけた涙をぐっと飲みこんだ。唇を噛んで堪える。

 長い朱色の橋の上、蒼は両腕を組んで灰色の空を見上げた。

 ひゅっと、蒼の喉が鳴る。そのままひゅーひゅーと音を立てて、むせかえってしまった。


「この世界に、たった一人みたい。そんなわけ、ないのに」


 蒼は長い大橋にしんしんと降り注ぐ雪を受けながら、そう思った。ただ静かな世界。花の香りもまんじゅうや茶の匂いもしない。


 あるのは雪だけ。


 それでも。下がっていく体温だけが、確かに蒼がここにいるとわからせてくれた。


「蒼!」


 瞼を閉じかけた時、悲痛な叫びに意識が戻った。

 橋の向こう側――心葉堂がある方から駆け寄ってくるのは三人。雪よりも真っ青な色をした真赭、息を切らせて彼女を追う浅葱、それに――蒼は最後の一人を見て、長い袖で顔を覆った。


(ダメだ。いま、紺君と顔を合わせたら泣いちゃう)


 だから、蒼は思い切り自分の頬を叩いた。


「蒼! どこいってたのよ! 心葉堂にいっても、だれも出ないし!」

「来るのが遅くなってごめんよぉ。うちの一角に外出の自粛令が出されていたからさぁ。ってか、真赭はそんなに走ったら倒れちゃうだろー。体力ないくせに足は速いんだからぁ」

「真赭も浅葱も、心配かけてごめん! そんでもって、ありがと!」


 三人して抱き合う。幼馴染の真赭と浅葱の体温にひどく安心した。

 そして、絶対に会いたくはなかった紺樹が追い付いてきた。


「いやはや。少女たちの触れ合いと友情は見ていてとても癒されますね」


 できれば、その軽口のまま去ってほしいと、蒼は願ってしまう。二人に抱き着いたまま、蒼はできるだけ睨みをきかせて紺樹を見た。

 案の定、紺樹はいつも通り「おや?」なんておどけた調子で首を傾げてくれた。


「白龍様が外に出られたと聞いたの。心葉堂は、蒼は大丈夫?」


 真赭の問いかけに、蒼は横髪をいじる。

 抱き合っていた空間に空気が流れてくると、すっと冷たい風が肌を撫でてくる。鼻先が冷たくて、肌が凍てついて、息が氷る。


「うん、平気。まぁちょっとした問題は発生中だけど」

「麒淵から聞いたよぉ。紅が行方不明なんだろ? ちょっとどころか大ダイだい問題じゃん!

 蒼は興奮する浅葱から一歩下がる。そうしないと、真赭と浅葱の前では見っともなく取り乱してしまいそうだった。

 とはいえ、親友二人には蒼の強がりなどお見通しだったのだろう。声を揃えて「ばかっ!」と頬を引っ張られてしまった。それも「いひゃい、いちゃい」と笑って誤魔化す蒼。


「蒼、おいで。ほらほら。まだ寂しいのなら私にも抱き着いてきてもいいんですよ?」


 なのに、紺樹が両手を広げて蒼を迎えようとする。


(口調は軽いのに……そんな目はやめて欲しいよ。目だけは昔と同じで、甘やかしの色なんて)


 蒼は零れそうなものをぎゅっと全部押しこめる。


「紺兄って、まじで空気読めないよねぇ」

「大丈夫です。空気は読めずとも、蒼の心に寄り添うことだけはできるので」

「それは大丈夫と豪語して良いのでしょうか。いえ、いまは蒼の代わりに突っ込んでいる場合ではありませんでした」


 堪える蒼をおいて、三人はいつも通りのやり取りをする。

 だから、蒼も気が緩んでしまう。

 白龍が不在であり紅も行方知れず。残った蒼がしっかりするべきなのに、取り繕うのは許さないと言わんばかりの空気。


(浄練を見直そうとした時、私は殻に閉じこもって悩んで無茶して、結局みんなに迷惑をかけた。一人前ぶって一人でなんとかしようと暴走した。……頼れる人たちがいるのに)


 何度か手を握って、息を吐いて。蒼はいまだに広げられている紺樹の腕に飛び込んでいた。


「紺君、こんくん」


 広い胸に頬を摺り寄せ、背中を掴んでいた。

 久しぶりにすり寄った胸は、思ったよりも大きくてかたい。

 そうして、このまま寄りかかってしまいたいとさえ思った。


「あっ蒼?」


 蒼の予想外の行動に一番戸惑っているのは紺樹だ。

 いつもは余裕の表情を浮かべている顔と耳元を染め上げ、両手を所在なさげに浮かせる有様だ。

 蒼にそんな紺樹を見上げる余裕はない。たがが外れた蒼は、必死に紺樹にしがみつく。


「紺君。どうしよう、こんくん、まそほ、あさぎ。どうしようっ」


 甘え縋る蒼の声色。

 抱き着けば抱き着いただけ、安心できる気がした。蒼は子どものころのように甘える。

 昔は辛いことがある度、こうして紺樹に抱き着いたものだ。頬をすり寄せれば、紺樹は背を撫でて肩を抱き、頭に大きな手を寄せてくれた。ただ、修行から帰ってきてからは一切なかったけれど。


「いや、あの、蒼? 本当にどうした? えっと、その」


 真っ赤になって、右往左往する紺樹。それでも、いつもとは違う不器用な手つきで蒼の背中を撫でてくれる。時々、戸惑ったように髪に触れる指に、蒼はさらに瞳を湿らせる。

 真赭と浅葱もあんぐりと口をあけ、顔を見合わせている。蒼と紺樹、両方の様子に。


「蒼? どうした?」

「うん、紺君、あのねっ」


 紺樹の呼びかけにしっかり返す蒼。それでも、蒼はひたすらに紺樹にしがみつく。思い切って飛び込んで、押さえがきかなくなってしまって言葉が続かない。

 やがて、蒼を曖昧な瞳で見ていた紺樹が、抱き上げるように蒼を抱きしめた。その腕の力強さに蒼はまた泣いた。昔の紺樹に会えた気がしたから。


「蒼……とりあえず、心葉堂に帰ろう。こんなに冷えて。風邪どころか、肺炎になってしまう」


 蒼を力の限り抱きしめていた紺樹が、ぽつりと呟いた。素の口調で。

 だから、よけいに蒼の涙腺は緩んで、それを堪えようと口を結んでしまう。そして、いっそう紺樹に体を寄せた。

 それに賛同するように、浅葱も手を打った。


「あぁ、うん。紺兄の念願成就になるのかな? ボクたちは帰ろうか」

「なにをバカ言っているのよ、浅葱。蒼が紺さんの行為に素直に従って甘えるのは可笑しいでしょう。紅さんが行方不明だからって、蒼は混乱しているのよ」

「いや。それ、紺兄本人を目の前にして結構ひどい言いようだよねぇ」


 真赭の言い分はまっとうなのだが、浅葱の言うように刺さるモノがある。

 ただし、当の本人たちには全く聞いていないから問題はないのだが。


「蒼。俺も一緒に行くから。家に帰って、あったかい茶を飲もう。それからちゃんと話を聞く」


 紺樹は精いっぱいの理性をもって語りかける。できるだけ柔らかい声を耳に流し込み、掌の熱を送るように背や頭を撫でる。


「わかった」


 肩を押した蒼は、涙をためた瞳で紺樹を見上げてきた。


「紺君が一緒なら、頑張れる。だから、もうちょっとだけこのままで」


 紺樹が保てた精いっぱいの理性がした仕事といえば、真赭と浅葱を魔道府長官の元に走らせることだけだった。


 はたして。


 それが紺樹――魔道府の計算のうちだったとはいえ、実際の蒼を前にした紺樹は己の未熟さに落ち込むしかなかった。

 愛しい年の離れた幼馴染みに、己の仕事を忘れかけたことを。なにより、自分が何をしに訪れたのかを再認識して。


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