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決意

 白磁と旭宇を見送った紅は、蒼に昼食の用意をしようと台所に立っている。

 普段は食欲旺盛な蒼だが、今はかなり食が細くなっている。薬膳粥を作っている最中だ。


「オレの腹が減ってきたな。後で自分用に鶏でも焼くか」


 思わず零れたのは白い息と呟きだった。ついでにと、きゅるるっとやけに元気の良い腹音が響いた。よくよく考えなくても、紅だって昨晩から何も口にしていなかった。

 冷えた空気に、米の炊ける柔らかい香りが漂う。この湯気だけで何杯いけるだろうと、思わず舌なめずりしたくなる。全身に染みこんでくる香りだ。


「米と塩がいい感じに混じり合った香り。うん、簡素ながら、一番食指を刺激される味付けだよな」


 紅は木匙(スプーン)に手を伸ばしかけたが、松の実を口に放り込むことでなんとか堪えた。粥用のものがあまったのだが、これはこれでいける。


(店も閉めているし、事務作業も終わっている。任務を受けたとは言え、いま動くのは得策ではないのは明らかだ。麒淵を元気づけるため、たまには昼から酒瓶の蓋を開けるのも良いかも)


 麒淵は守霊なので飲食の必要はないが、心葉堂の水を使用したものに限り口にする――というよりも味を感じることが可能だ。そして、特に酒は好物と言っても良いだろう。

 紅は酒瓶に手をかけた。そして、思いのほか麒淵を理由にしている自分に気が付く。


「まるで、おじいみたいだ。オレのはやけ酒みたいなもんだけど」


 白龍の秘蔵の酒の瓶を持ち上げて、紅は肩をすくめた。酔ってしまいたいと珍しく思っていることに、苦笑が浮かんだのだ。

 硝子の杯にとろりと酒を垂らす。ほんのり黄金に色づいている。一口含むと、はふりと息を漏れた。


「うん。甘くて薫り高い。あとから甘みが追ってくるのがいい」


 添えように出した漬け物を噛む。しょっぱさがちょうどよく舌で踊る。もう一口と、一気に杯を煽っていた。


「一人で酒を飲むなんて、初めてだな」


 こんな寒い日は、よく祖父や父、それに麒淵と酒を飲んだ。


(男四人衆を見つけた母さんは、拗ねながら一番飲んでいたっけ)


 母が子どもみたいに頬を膨らませ仁王立ちになっている姿が、ありありと思い出される。

 紅が母が外出から帰ってきたら声をかけるつもりだったと言い訳(フォロー)をしても、


――どうかしらねー。まぁ、いいもの。わたしだって蒼が修行から帰ってきたら女二人だけで飲んでやるんだから。女子会ってやつよ!――


と、白龍と麒淵をいじったものだ。そんな時はいつも祖父の白龍よりも麒淵の方が、


――わっワシもまぜろ。蒼に女子的な話は早いからのう。監視せねば――


と慌てたものだ。


(そこに紺兄や翁婆衆が加わった日なんて、翌日みんな真っ青な顔をして。でも、懲りずにまた飲むんだ。旨いつまみと、最後に蒼の茶が飲みたいってお決まり文句を口にして)


 蒼の茶がすこぶる体に効くという理由だけではない。だらしない男性陣にぷりぷり怒りながらも丁寧に茶を淹れてくれる少女の姿に、みんなが癒やされていた。

 ちなみに、母が二日酔いになっている姿を目撃した記憶はない。


「さて。別で煮込んでいた長芋を入れて、もうちょっと炊くか」


 ほくほくと歯で踊り、次にほんのり舌が焼かれる。喉に落ちたあとでさえ、熱と外気の差さえ味にしてくれる。味だけではなく熱を楽しめるのがすごい。

 もはや長芋はこのままツマミとして頬張ってもいいのではと思える。粥とは別に出汁で煮込んでいたさいころ状の長芋は絶品中の絶品だ。

 けれど、そこはぐっと我慢である。


「蒼の好み的にはもうちょっと火にかけてもいいか。クコの実は最後だから――甘いやつだからって、これ以上摘まむのは我慢だな」


 クコ皇国の名でもあるクコの実は、いわずもがな特産品だ。質の良いものはとても甘く、スープや粥、飾りや蒸し料理に使われる。

 ちなみに葉を陰干しにしたクコ茶や酒に漬け込むのも、とても人気がある。心葉堂のクコ茶は、国名を表す高級品として皇族が好むところでもある。


「さて。オレは鳥の皮でも焼くとして。蒼に酒は出せないから、青茶でも用意するか」


 茶葉が陳列された棚に手をかける。店用のとは異なり、かなり雑然としている。

 けれど、心葉堂以外の人間がいうにはとんでもない茶葉の宝庫らしい。紅はその一瓶を手に取り、満足げに頷いた。今日はこれが良いだろうと。


「花茶ほどではないけど、蒼が好きな花の香りがするからな。特にこれは程よい香りだけじゃなくって、実際に甘みもある。普段なら、あいつもオレが飲むべき茶だと笑うだろうけど」


 心葉堂の茶瓶は全て浄化物質が練り込まれている。特注品もあれば、白龍のお手製なんてものまである。

 つまりは、常に最上の状態で保管されているのだ。ただ、あくまでも家庭用の茶葉だ。愛好家が知ればきっとどんな茶葉よりも価値がつくものだろうけれど。


「紅、お客さんだったの? だいぶ前に庭から人の声がしてたよね」


 大きな肩掛けを纏った蒼は、兄の背中にほろりと笑みを零した。

 一方、紅と言えば突然の声にうっかり茶瓶を落としそうになった。もちろん、浮かせた後にしっかりと受け止めはした。


「蒼! お前、幽霊みたいな気配で現れるなよ……」


 大げさに体を跳ねた紅に、蒼は今度こそ声を出して笑った。

 一瞬だけぶすりと拗ねた紅だったが、蒼の調子にすぐさま仕方ないと肩をすくめた。手に持っていた茶葉の瓶を卓に置き、釜の方に歩いていく。


「そんな真っ白な顔色してるんだから、見間違えもするさ」

「色白だと言って欲しいよ」

「白を通り越してるんだよ。でも、熱が下がったなら良かった。匂いにつられてきたか?」


 紅は顔を蒼へと向けているが、手は作業を続ける。

 紅が釜の木蓋をあげると、ふんわりもったりと湯気があがった。

 蒼の喉が鳴る。ぱらりとクコの実が落とされると、さらに香りのとりみが増した気がした。


「お腹すいたのもあるけどさ。だって、ただでさえ広い屋敷なのに、おじいがいなくちゃ寒いもの。紅と一緒にいた方が暖かいかなって」


 深呼吸した蒼は紅の傍に寄ってきて、木匙をひょいっと持ち上げた。紅が注意する前に、粥をすくい上げ頬張ってしまう。


「あっ、ふっ!」


 はふはふと頬を膨らませて、なんとか空気を取り入れようとする蒼。


「んんっ。んー! はふっ!」


 粥とちょっとの長いもを飲み込んだとたん、蒼の顔色がぱぁっと明るくなる。弾む頬は桃色に染まり、青ざめていた唇に紅がさす。

 全部を飲み込む頃には、蒼の全身はひときわ煌めいていた。


「ほうぅぅ。美味しい! 長芋がほふほふって噛む度に甘くなるのがたまらないし、松の実かな? でもなぁ、ナッツみたいだし。っていうか、もはやお粥自体が甘くて最高!」


 だらしなく口端を落とす蒼に、紅はもっと頬を緩めてしまう。

 蒼の手から木匙を奪い、紅はきちんと器に粥をよそってやる。


「ほら。ちゃんと座れって」

「はーい」


 普段は白龍と麒淵がいて、時々紺樹が据わることもある円卓に、今は二人で腰掛ける。


「白に赤がちょこんとのってて、綺麗。セリの青々しさもさわやか」」

「見たまんまだぞ、それ」


 率直すぎる蒼の感想に、紅は眉を垂らした。そして、「いいから食べろよ」と手を合わせる。

 目の前の食材に、茶に、酒に。体に食べ物を取り入れられることに感謝する祈りだ。

 食物自体への気持ちあるが、浄化物質によって食物を不自由なく摂取できることになったことへの感謝が強い。それだけ、アゥマはこの世界に多大の恩恵をこうむっていることを示している。


「いただきます」


 あむりと木匙を口に入れた蒼。どうしてか、涙ぐみながら粥を噛みしめている。

 それを確認した紅も一口頬張った。

 少し煮込み過ぎたのか、粥もどろりとしている。でも、それが余計に旨味を増しているような気がした。


「へへっ。あまいや。なんか、懐かしい味がするね。口の中でどろどろって」


 鼻をすする音がして、すぐさま誤魔化すような咳払いが鳴った。


「私、幼い頃から少しばかり煮込みすぎるお母さんのお粥が大好きだった。お父さんが上手く作ったものよりも、おじいが飯店並の完璧なものを出すよりも」


 ぱくぱくと、口に匙を運んでいた蒼が、ぽつりと零した。

 紅と言えば、その粥を自分が作ったことに不思議な気持ちになった。


「紅の場合、わざとっていうより、心配ごとが多すぎて、ぼうっとしていたのかな?」


 蒼は悪態をつきながらも、俯いた。その拍子に肩掛けがずり落ちた。

 紅は蒼の肩掛けを掴み、しっかりと首元まで包み込む。おまけにと、両の耳に掌をあててくる。


「くすぐったいよ。でも――」


 これは紅の癖のようなものだ。

 昔から蒼が寒い時に耳を押さえているのを見るうちに、蒼が寒いと口にする度、紅や紺がしてくれるようになった仕草だ。


✿✿✿


「……あったかいや」

「蒼が茶を淹れてくれたらもっと良いんだけどな。オレもゆっくり暖まれるわけだし」


 添えた蒼の両の手から逃げるのでもなく、紅は笑った。


(私はこんなお兄ちゃんが大好きで、ちょっとだけずるいと思う)


 蒼にとって紅の甘やかし方は絶妙すぎるのだ。


「あのね……」


 蒼がぎゅっと袖を握れば、紅はきちんと向き合ってくれる。

 蒼は泣きそうになるのを必死で我慢した。


「表の張り紙、ありがとう。それに、臨時休業のことも」


 蒼がぽつりと零せば、ちらりと見上げた紅の瞳が真ん丸と開かれた。

 あぁと蒼は笑う。笑って、やっぱりぼろぼろと涙が零れてしまった。どうしても我慢できなかった。我慢しなきゃと唇を噛むことも、この兄を前にするとあっけなく意思が崩壊してしまうのだ。


(紅は弱い蒼を受け止めてくれるから、駄目だと思う。私はもっと強くなりたい)


 ここ最近色んなことがあって、少しは成長出来たと前向きになっていたのに、あっけなく弱くなってしまう自分が情けない。蒼はそんな自分がとてつもなく嫌で、気が付けば熱が出てしまっていた。


「紅ってば、すごい間抜け面」


 ばれていないと考えていた兄への苦笑が浮かぶ。自分が守られていることへの――喜びでもあり情けなさでもある想いから。

 蒼の苦笑を受け、紅は眉間に皺を寄せた。蒼にはわかる。蒼の言葉に不機嫌になっているのではない。この兄はきっと蒼に隠せなかった自分に対して、憤りを感じているのだろう。


「ごめんね、お兄ちゃん。知らない振りをすれば良かったのに、それは嫌だったの」

「蒼、お前――いや、気が付くやつだよな」


 蒼は自分の周りには、自分を受け止めてくれる人が多すぎる自覚がある。

 けれど、自覚しているからと言って、蒼は自分がその全部から自分を切り離せるほど強くないことも知っている。


(早く、ちゃんと大人になりたい。おじいみたいにいつでも凛として、紅みたく人を――家族を守れる強さが欲しい。紺君も魔道府の副長として頑張っている。真赭だって信念があって大切な人のためなら怖い思いをすることもいとわず、浅葱はいつだって飄飄としている)


 蒼だってないもの強請りなのは重々承知だ。だから、妬むのではなく見習いたいと思っている。ただ、その方法と力量が追い付いていないだけで。

 蒼の手がぎゅっときつく握られる。


「当たり前でしょ。私は当事者だもん。でも、大丈夫」


 蒼は紅の胸に倒れこんだ。全体重をかける蒼に、紅は


「重い」


と一言だけ返してきた。蒼は笑いながら、


「当たり前でしょ。体重かけてるんだから」


と紅の背中を掴んだ。ありったけの力を込めて。


「でも、今は二人だし、ちょっと許して」


 蒼がここまであからさまに紅に甘えるのは珍しい。というか、ここ最近であれば両親が亡くなった直後以来だ。


「まるで、あまえたの蒼に戻ったみたいだ。お前、昔っからオレや紺兄の後を追ってきてたもんな」


 紅の声は、いつになく甘い。取れたての蜂蜜みたいに甘くて、蒼をとろけさせてしまうような音だ。


「いいじゃん。今は、とくべつ」


 むくれながらも、蒼は紅をより一層きつく掴む。

 優しく頭を撫でる手も、背で弾む手も。

 今の蒼にとっては、これが心葉堂に自分がいると感じられるすべてなのだ。


「私、大丈夫。だって、おじいは私たちのために旅立っているのわかるし、紅お兄ちゃんが一緒にいてくれるんだもの。私が頑張らないと」


 蒼は笑う。その分、紅は心の奥がざわめいてしょうがなかった。

 蒼は両親の死に目に立ち会えず、何もできなかった自分を悔いている。生来の明るい性格から普段は表に出すことはない。けれど、顕著に影響は出ている。

 人の命を直接救うことにもなる丹茶の浄練ができなくなっていることだ。


(蒼は最も愛する両親を救えなかった自分に、人の命を救う資格なんてないと思っているんだろう。無意識で。いや、救うことが怖いんだろう。他人を生かしてしまった時、両親を救えなかった事実を突きつけられるから。けれど、そう考える自分を嫌悪するのも蒼だから。進む道がわからないんだろう)


 蒼の小さい背中を柔らかく抱きしめて、それと反するように紅の眼光は鋭くなる。

 改めて紅は決意する。華憐堂への同情心よりも、自分が守りたいと思う人たちのために動くと。


「本当だ。まっ! もっぱらの蒼の仕事は、我が心葉堂の誇りでもある丹茶を作りたいって思えるようになることだな」


 丹茶を作れるようになることよりも、蒼がまた丹茶を作りたいと思えるようになることが大切だ。

 悪戯めかして笑う紅。蒼は少しだけ顔をうつ向かせた後、どんと胸を叩いた。


「もちろんだよ! 私がいつまでもくよくよしていると思ったら大間違いだよ! なんせ、アゥマや茶葉たちがすんごくにぎやかに催促してくるんだから」


 蒼は修行に出るまでも出てからも、一番に考えていたのは茶を飲む人の幸せと救いだ。

 紅は蒼の頭を撫でながら、冷たい空気を吸う。

 

(私は肝心な時に両親の死に目に立ち会えなかった。自分が何かできる可能性があるのに、なにもできなかった。傲慢でもなんでもいい。今度は絶対にいや。無茶だって無謀だってしてみせる)


 だから、理由がわからないことに落ち込んでいる暇はないと、蒼は己を奮い立たせる。


「うん。離れていてもおじいはおじいだし。紅はここにいるし、紺君も翡翠のお姉ちゃんとお兄ちゃんたちもいて、真赭も浅葱もいる。水婆たちもいる。一人じゃないもの」


 その時の蒼は、強く願えていたのだ。一人ではなかったから。


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