白磁副長②―形式上―
紅は暗い足元にランタンを近づける。明かりに照らされている階段は割と急だ。普段ならば目を瞑っていても下りることができる紅だが、今日は後ろの二人を気遣ってゆっくりと足を進める。
「そういえば。白磁様と旭宇さんは先日まで地方を巡られていましたけど……もしかして、今回の一件で呼び戻されてしまいましたか?」
紅の問いかけに返事はなかった。無口な白磁ならともかく旭宇まで何も返答しないというのは珍しい。
紅は足を動かしたまま、ほんの少しだけ首を捻って振り返った。旭宇は見えなかったが、すぐ後ろにいる白磁の表情は見てとれた。何やら渋い表情をしている。
「あっ。いや、仕事の内容を聞いた訳ではなくて、心葉堂のためにならすごく申し訳ないと思いまして」
言葉通りではなかったが、紅は慌てて手を振った。
「紅、だいじょーぶだって! 白磁副長だって顔は怖くて必要以上に口を聞かないからって、別に怒っている訳じゃないのわかるだろう?」
「まさに、そうです。ただ、その」
紅はちらりと白磁を見上げた。当の白磁は涼しい顔、というか気難しい表情のまま真っ直ぐと階下を見つめている。
白磁は魔道府の副長だ。クコ皇国の現状、それに関わる形で先日紅が魔道府に呼ばれたことを承知していると予想できる。
(首都に怪しい空気が立ち込める中、わざわざ地方を回っていた。きっと地方が異常な状態ではない、もしくは影響が少ないという裏づけを取りに行っていたんだろうな)
ソレはまさに――首都にこそ原因があるということを証明する重要な任務だ。
とはいえ、紅から直接聞きにくいことも事実だ。
そうこうしているうちに溜まりについてしまった。すんと息を吸うと、ため息の代わりだったにも関わらず、心が落ち着いた。嗅ぎ慣れた匂いだ。
「突然の訪問、お許しください。麒淵殿。管理代理の紅暁殿の許しを得まして、魔道府が副長、白磁がご挨拶奉る」
溜まりに足をつくなり、白磁は恭しく膝を折った。そして深々と頭を垂れる。階段の最後の段を降りずにいる旭宇も黙ってならっている。
「あぁ、白磁か。この事態の中、なにようだ」
ゆらりと振り返った麒淵。その瞳は陰っている。声だけはいつもと変わらないものだが、視点は定まらずぼんやりとしている。
(昨日会ったときはまだ焦点があっていたのに! そこまで華憐堂の偽溜まりの影響が出ているのか)
紅はぎりっと歯を鳴らした。
いつもの麒淵なら、紅の動揺に目ざとく気がつき『どあほう。紅が気に病むことかいな』と笑うのに……ふわふわと小さな体で飛んでくる麒淵は、何も見ていないようだった。
「形式上、お伺いしただけです」
白磁の平坦な声に反応したのは、麒淵ではなく紅の方だった。
「えっ?」
よほど間の抜けた反応だったらしく、後ろから旭宇の忍び笑いが聞こえてくる。
だが、今は元先輩の前で格好の悪いところを見せてしまったという羞恥はない。
「紅暁、よく考えてみなさい。今、魔道府が心葉堂を糾弾してなんとなる」
白磁はやはり静かに話しかけてくる。
紅とて白磁が言わんとする意味は理解している。国が大変な時に内部分裂している時か、という意味ではないだろう。
魔道府は監査的役割の色合いが濃い。むろんそれだけではないか、国防という役割では武道府や政を担う宮の方が重い。
「白磁副長は、もうちょっと補足って言葉を覚えてくださいよぉ」
「……知らん。結論は出しているのだ。理由を思索し考究するのは本人次第だ」
「そうもいってられない状況でしょうがー。もー、ほんと損な性分なんですから」
旭宇が盛大なため息をついた。白磁も自覚があるのか、わずかに体を背けた。
少なからずあった緊張がほどけたせいか、紅の思考が幾分か鮮明になっていく。
「ひっひとまず、おかけください」
紅は円卓の椅子をひき、仕草で白磁に席を勧める。
一瞬首を振りかけた白磁だが、麒淵が円卓に降り立ったのを見ると黙って椅子に腰を下ろした。
「白磁副長、無礼を承知でオレが考える理由を述べてもよろしいでしょうか」
「むろん」
白磁は魔道府の制服である外套をただし、深く頷いた。純白な生地に呪文が青い――正確に表現すると藍色の糸で刺繍されている外套。
純白は誠実さを、藍色は平穏と秩序を表す。
だが、紅は白龍にこっそり教わったことがある。純白は漆黒となりやすく、藍色は冷徹さともなりやすい。反するものになりやすいからこそ、人は自戒することができるからこそ、魔道府の組織色として選ばれたのだと。
(オレの言動ひとつで、心葉堂をつぶし、蒼やおじい、それに麒淵を不幸にしてしまう。正直、オレはどこまでの人を――そして自分の力量を信じたらいいのかわからない)
紅は込み上げかけた思いに、はっとなった。麒淵がやたら快い調子で紅の手の甲を叩いてきたから。
「麒淵、なにやってんだよ」
「しらん。叩きやすい場所に紅の手があるのが悪い」
しれっと応えた麒淵。瞳が陰っていようが麒淵は麒淵だ。
紅は思わずぷはっと笑ってしまった。そして、蒼みたいだと思った。思ったが、これを口にすると何故か麒淵はひどく照れて拗ね、そしてなぜか後で落ち込むこともあるのでやめておくことにした。
「では。そもそも各溜まりには状況報告が数ヶ月に一度義務づけられています。それも、月ごとの情報を提供することを。それは何も紙面に限らない。採取した溜まりの水の提出も義務づけられている。それが実際に再分析されているかはさておき」
紅の言葉にも動じず、白磁は同じ色の視線で見つめてくる。
実際のところ、数値の分析はともかく提出された溜まりの水の行方や用途は公表されていない。名目上は水質管理らしいが……魔道府の中でも最高機密のひとつなのである。誰に尋ねても建国当時からの習わしだからとしか認識していない。
「定例の報告会で、心葉堂の溜まりは何ら問題ないとされています。加えるならば、この異常気象の中で行われた現地監査もあわせて」
紅は続ける。
「皇族贔屓の華憐堂の娘が心葉堂の水で傷を負ったという事実があるとはいえ、何度も公的監査をこなしていますから、簡単に覆せるものではありません」
「魔道府をどうにかしたい一部の方々が利用してるけどなぁー」
旭宇の愚痴には、紅も苦笑を零してしまう。
そもそも情報改ざんという魔道府と心葉堂の癒着という話も上がっているらしい。けれど、公的監査には国が認可した魔道具を使用するため、魔道具協会から裏道で抗議が招く羽目になったとか。
「それに、心葉堂は建国以来、弐の溜まりの称号を持ち続けているうえに、今代のフーシオの店でもあります」
「ましてや、公にはなっとらん皇族との『密約』があるからのう」
麒淵がぽつりと呟いた。
紅は少し意外だった。麒淵はかなり相手を選んで会話をする。それは態度を変えるという意味とは異なるし、魔道府副長の白磁にならばさもありなんと思える。ただ、紅には店長代理として深い事情も話すようになったものの、未だに家系的な縁は控えている節があるのだ。
「ということは、ますます報告会からまもなく起こった今回の事件で心葉堂に問題ありとするのは、魔道府、率いては国の本意から外れているでしょう」
「……ほんに紅は聡いのう。もそっと欲張りに尋ねても良いのだぞ?」
そう肩を竦めた麒淵の瞳にはいつもどおりの光が宿っていたものだから、紅は思わず頬を綻ばせてしまった。当然、麒淵はすぐに紅の様子に気が付いてそっぽを向いてしまった。
「比較対象が蒼なら、好奇心お化けのあいつと比較されるオレが可哀そうだよ」
好奇心お化けも大好きな麒淵は、さらにぶすりと襟に顔を沈めてしまった。
空気を読んだのは旭宇だ。円卓の菓子をひょいっと摘まんで頬張った。
「どちらかといえば、発見されたばかりで制御も不安定な華憐堂を疑うべきだ、と言い出す人のが多いっすよねー」
「そう。そこなんですよね」
他の溜まりの結果が公表されることはない。
しかし、おかしいのは華憐堂の情報は一般どころか魔道府の長官ですら、目を通すことを許可されていないのだ。
紅が魔道府で聞いたところによると、定例の報告会には報告書の提出はなく、報告書自体は宮廷の上層部を介してさらに上に渡されているらしい。そこで確認された後、形だけの通知が魔道府に降りてきている、と。
「実際、華憐堂の後ろにいる皇族だって、一部の派閥だと耳にしたことがあります。心葉堂も老舗ですから、帝をはじめとして、皇族や上層部の方々のご贔屓だって大勢います。華憐堂の後ろ盾というのは、それを越える権力がある方々なのでしょうか」
白磁はさすがにのってこなかったが、静かに瞬きを繰り返した。肯定でもなければ否定でもない。
(魔道府で聞いた話から、華憐堂の後ろ盾は皇太子であることはほぼ間違いないだろう)
華憐堂は皇太子が若い頃、外遊中に世話になった恩人であると上層部にのみ公示されている。真偽はともかく、皇太子と華憐堂に強い繋がりがあるのは確かだ。
「やはり華憐堂贔屓の皇族や周囲からは、心葉堂に非があると押す意見も出ます。もっと言うなら、うら若い娘が負傷したのもあって、世論は完全に華憐堂の味方になっているでしょうね」
「世論は実感しています」
世論についてもっと言うならば、禁忌草に近い華憐堂の茶の中毒に陥っている人々は、である。この都でも八割方は、本来の人格とは違う人相や態度になっている。
所在なさっげに指をいじる紅。
白磁はいくぶんかの沈黙の後、ついっと視線を上にあげた。
「門の外に、何枚もの張り紙があったな」
「蒼の目に入らないように、定期的に剥がしに行ってはいるんですけど。知り合いの名前が書いてあることもあって、少々堪えますね。正気じゃないって理解していても」
口にして、紅はひどく暗い気分になった。
(はたして、本当に華憐堂の茶の影響だけなのだろうか。人々の心の奥底に元々あった感情なのかも……)
そう考えると、苦しくなる。
「おおぅい、紅――」
落ち込みかけて、紅は己の頬を叩いた。洞窟様な空間に木霊す音。
「失礼しました! 感傷的になっている場合ではありませんでした! 問題は国を取り巻く状況です」
「へぇ、随分と冷静に状況把握できてるじゃないかぁ。自分の店や妹のことより、国のことかい? さすがは魔道府期待の星だった紅だ!」
「旭宇。茶々を入れずに聞いておれ」
からかうように笑った旭宇を、白磁がぴしゃりと諫めた。
制された旭宇といえば、はやり軽い様子で肩をすくめ「はーい」と笑った。
「すまなかった、紅。良い気分はしないだろうが、続けてくれ」
「いえ、大丈夫です。旭宇先輩の意地悪さはどこかの次席副長仕込みだってわかっているので」
「えぇー自分ってば、いまやすっかり白磁副長仕込みな真人間なのにぃー?」
旭宇の抗議は白磁のひと睨みによって、あっさり引っ込んだ。




