白磁副長①―二人組の訪問者―
「すみません、お待たせしました」
警戒しつつも魔道を繰り門を開けると、意外な人物たちが立っていた。
雨よけの外套から垣間見える顔は、紅もよく知った人物だった。痩せすぎかと思うくらい頬がこけた男性と、反対にふっくらと盛り上がった頬の男性が二人、これまた対照的な表情を浮かべている。
「白磁副長に旭宇先輩。ご無沙汰しております」
「うむ。師傅がご不在の中、しかもこのような時間帯にすまぬ」
白磁が低く掠れのある声で短く答えた。
白磁は魔道府の二人いる副長の一人だ。不健康そうな痩せ具合もあって、実際の年齢である四十前後よりも老けて見える。長い灰色の髪もそれを助長しているのかもしれない。
「とんでもないです。ちょうど目が覚めたところでした」
次席副長である紺樹が首都で長官を補佐し魔道士たちを教育する立場ならば、白磁は皇国内の町や村を回り技術的な指導や溜まりの管理をする実働部隊の指揮官だ。
適正は反対な気がするともっぱらの噂だが、無駄な愛想がなく淡々と業務をこなす白磁の方が癒着や不正を防ぐことができて良いのだと長官が笑っていた覚えがある。
「よぉ、紅! 俺の方は半年ぶりだな。っていうかさぁ、もっと飲みに行こうよ。つか、もう先輩はやめろしっ!」
「旭宇」
「はーい、白磁副長失礼したっす。今日は仕事でしたっけ」
随分と緩く恰幅の良い旭宇は、紅の魔道府勤務時代の先輩だ。
弐の溜まりの長男であり長官の覚えもめでたい紅に対して嫉妬を露わにする人も少なくない中、裏表なく何かと世話を焼いてくれた人物だ。
「でも、可愛がっていた後輩に久しぶりに会えて浮かれる気持ちもわかってくださいよ。っていうか、わかってくださってるくせに。うりうり」
謝りながらも、旭宇は満面の笑みを浮かべている。
白磁は特に諫めることはなく、小さなため息だけを落とした。
この二人は昔からこんな感じなのだ。社交性が高く愛嬌のある旭宇は、口数が少ない白磁の通訳でもある。
「ひとまず中にどうぞ」
門付近には屋根があるとはいえ、内と外ではかなりの違いがある。
「紅暁。顔色が悪いな。それに、妹が寝込んでいるという話も聞いている」
「申し訳ございません。おっしゃる通りなので、対応できるのはオレだけで」
「蒼ちゃん、大丈夫か? いやぁ、残念だよ。折角心葉堂にきているのに蒼ちゃんが淹れてくれるお茶が飲めないなんてねぇ」
「なので――」
言いかけて、紅は口を閉ざした。繰り返された言葉の意味を察して。
「おじゃましまっす!」
敷居を越え、二人は石畳を踏む。この時点で心葉堂を守護する魔道が発動し、敷地内での魔道の発動は制限される。どの溜まりでも仕掛けられている結界だが、監査の際は解除の命をもって門をくぐることがほとんどだ。
白磁はそれを命じなかった。というか、命じる時の決まり仕草はとったが言葉にはしなかったのだ。
「旭宇。この後に旨い酒をおごってやるから、黙って着いてこい」
豪雨に消されそうな音量で囁く白磁。
嬉しそうな旭宇は、大きく踏み出した。足がとんととんと楽しげに石を鳴らした。直後、紅の視界がぶぉんと音を立てて揺れた。
「紅暁、案内を」
白磁は切れ長の目を溜まりの方向に向けている。吐き出される白い息さえ、蔵の方に流れているように見えた。
紅は大きく返事をして、先頭を歩き始める。旭宇の隣を通り過ぎる際、茶目っ気たっぷりに片目を瞑られた。
(さっき旭宇さんが踏み出した時、幻影魔道が発動された。一見すると浮かれているだけに見えたけれど、足底に仕込まれた魔道を詠唱ではなく足の動きで発動させたのか。すごい)
紅は内心で冷や汗をかく。
旭宇の能力に対してもだが、繕わなければいけない事情があることにだ。
(おそらく華憐堂の後見人となっている皇族側の見張りがついているな。その目を誤魔化すために、結界内にいる者しかわからないように術を発動させたのだろう。結界内ということを利用して)
そう考えると納得はできるが、落ち着くことはできない。
「俺、おごってもらうなら典明堂の満漢全席の方がいいっすよー。もちろん酒も飲みたいけど」
「二人なのに宴会料理を頼む奴がいるか」
「俺っす。俺がいるっすよ。っていうか、たまには他の奴も誘ってやってくださいよ。あっ紅、お前もこいよ。いつも二人だと、いい加減ネタが尽きるんだよ。っていうかっていうか、紺樹副長も連れてこいっての」
後ろから聞こえてくる会話に微笑みそうになり、紅はそっと自分の腿をつねった。
✿✿✿
心葉堂の溜まりは、広大な敷地内の中央にある蔵の地下深くに存在している。
「やっぱ、ながいよなぁ」
とは、旭宇の感想である。
紅と魔道府副長の白磁、その部下である旭宇の三人は、溜まりへと続く螺旋階段を降りているところだ。
「前に来た時の俺の記憶は間違ってなかったかぁ。他の溜まりと違って、心葉堂はすんごい歩くよなぁ。俺、首都の担当じゃなくてほんっとーに良かったよ」
心底安堵した声を石階段に響かせたのは旭宇だ。豊かな体のせいか、はたまた白磁が痩せすぎなのか。ともかく、他の二人より旭宇の足音は大きい。
紅が振り返ると、白磁の後ろにいる旭宇は両腕を頭に回し、緩い顔で笑っていた。思わず苦い笑いが漏れる。
「旭宇さん。白磁副長が諫める前に突っ込んでおきますが、そういう情報はあまり口にしない方がいいのでは?」
「あははー。いやぁ、俺だって他では控えてるよ。でも、だってさぁ。クコ皇国のしかも首都の弐の溜まりである心葉堂で繕ってもね。逆に、いやいや、地方の溜まりの方がすごかったとか言ったらやばいでしょ」
うっかり頷きかけたが、少々論点がずれている。勢いで通そうとする元先輩に、紅はから笑いを反す。
「旭宇、お前の声は反響する」
白磁と言えば、ため息すらつかず涼しげに一言呟いただけだった。
「白磁副長のおっしゃるとおりです。後少しなので我慢してください」
紅が口にした矢先、空間が揺れた。耳鳴りを伴い、目眩を誘う感覚が全員を襲う。
クコ皇国で一番濃いアゥマを持つ溜まり。それは言うまでもなく、皇族所有の壱の溜まりだ。宮の果てしなく下にあると言われている溜まりに足を踏み入れられる者は、原則歴代の皇帝と正妃、宰相、魔道府長官に限られている。
その次位に当たる心葉堂も、壱には遙か及ばずともそれなりに深部にあるのだ。
「これこれ! 前に一回来たっきりだけど、この魔道しびれるわぁ」
旭宇の声が定まらない方向から聞こえてくる。
痺れをもたらしているのは、初代が仕掛けたという空間移動の魔道だ。今となっては術式不明な仕組みの忘れ去られた技術。
同じモノが壱の溜まりと参の溜まりにもあるという。どの溜まりもあまりの深さに、普通に歩いていては日が暮れるどころか遭難してしまうからだ。
「痺れはわかりますが、足を止めないでくださいね。共鳴し過ぎると精神を持っていかれます」
足を踏み出す度、鼻から口から、いや、もはや肌から極上のアゥマが染みこんでくる。それが溜まりに近づいている合図だ。
(やはり、いつもよりアゥマの色が薄い。蒼なら元気がないというだろうな)
先頭を歩く紅は、数秒だけ力を発動した。赤い牡丹色の瞳が薄氷色に変わっている。
そこら中にふわふわと漂ったり壁にくっついていたりする綿毛のようなアゥマは、いつもより色が薄く――くすんで見えている。
視えているわけではない蒼が、昨日『アゥマがひなびてるっていうか、しょぼくれてる』と表現したのを思い出す。熱のせいでそう感じるのだと部屋に引っ張って戻した紅だったが、なんというか、的確な表現だと思ったのを覚えている。
(蒼は視えてはいないけれど、繋がりやすい。オレとの違いは目を閉じてるか、開いているかだろう。脳の中で直接光景が再生される分、蒼の感化能力の方が本当にすごいよ)
最後の一段を降りると途端に体が重くなった。何かが背中にのし掛かってくるような感覚。
寝起きに感じたのと同じだ。それはここ数日特にひどくなっているアゥマの濁りによるものに他ならない。
(うちですら影響を感じるんだ。感染源を絶たなければ、これは広がり続けるだろうな)
これは、クコ皇国を取り巻く状況がいよいよ悪化していることを示している。果たして、白龍が調査から帰ってくるのは間に合うだろうか。紅の拳がぎゅっと握られた。
「紅暁、どうかしたか?」
白磁に声をかけられ、紅は振り向いた。目の前にいる白磁は相変わらず無表情だ。しかし、わずかにだが眉間に皺が寄っている。それが彼の心内を表しているようだった。
「いえ。ここから直線階段になりますのでお気をつけください」
紅の言葉に、白磁は静かに頷いた。




