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紅暁①―出生―

「オレは父さんの子どもじゃ……ない? しかも、しかも。本当は、父さんの兄さんの子?」



 震える紅の手は小さい。幼い彼の手から、手紙が落ちていく。

 床に落ちる乾いた紙音がやけに鮮明に、大人になった紅の耳に届いた。紅は、自分の胸にあてた手から視線をあげた。


(これは、昔のことを夢に見ているのか。オレは確か――華憐堂での一件以来、熱にふせっている蒼を看病してるんだっけか。最近、あの頃のことは夢に見ることがなかったのに、弱ってるのかな)


 紅は、少し離れたところから幼い自分を眺めている。

 場所は心葉堂の蔵の中だ。

 久しぶりの胸の痛みは、余計に苦みを連れてくるモノだと思った。前に見たのは、両親が亡くなった時だったはずだ。


(心を強く持つべき時ほど、この悪夢が心を襲う)


 幼い紅の膝から力が抜けていき、気がつけば冷たい木の床に座り込んだ。


 これは紅が自分の生い立ちを知ってしまった時の記憶だ。


 何度も思う。自分が余計なものを見なければ、両親も祖父も、そして自分も思い悩まずに生きられたのでは、と。


「うそ、だよな。だれか、うそだって言ってくれよ」


 幼い紅から嗚咽が漏れる。顔を覆って、流れ続ける涙を必死に拭っている。


(自業自得なのにな)


 大人になった紅は、そう呆れた。

 周りの大人が必死になって隠してくれていた事実を、子どもの自分が無邪気を盾に無理やり暴いてしまった。

 そうやって過去の自分を否定する頬にも、肌を焼くような熱いものが流れているのは気づかない振りをして。


✿✿✿


 きっかけはただの好奇心だった。


 様々な書類や文献が収められている蔵の一角に、絶対立ち入らない区画があった。禁止されていたわけでも、冗談混じりにお化けが出ると脅されていたのでもない。

 だから、ある日突然気になり始めた。紅はそういった不自然な部分に目ざとい子どもだった。


 アゥマを確かに可視できる能力が開花してからは、殊更、視ることが楽しくなった。両親や祖父にはむやみに能力を使うことは咎められていたけれど。

 そんな中、蔵の一角に人よけの魔道がかけられていることのが気にかかった。周囲にしっかりしていると言われる紅も、年相応の少年だったのだ。

 やっかいだったのは、その好奇心に答える知識を得る環境と能力が備わっていたことだ。疑問を抱いた術、その解術を覚えるのは自然なことだった。


 最も紅の興味をそそったのは、木箱の底にある漆の箱だった。それは最上級の封印がなされていた。

 アゥマが視えるようになった紅には、アゥマが手を引いてくれるように思えるほど術の解除が容易だった。かちりと箱の蓋が音を立てて上がった際は、これ以上ないほどに頬が紅潮したのを覚えている。



「やった! 父さんやおじいに言ったら誉められるかな。母さんにはどやされそうだ。蒼にはこっそり教えてあげようかな」


 幼い紅はそんなことを言いながら、満面の笑みで蓋を開けた。

 そこにあったのは、一目で上質だとわかる紙の束だった。

 幼い紅は、どこかざわつく心を押し殺し何枚かのうちから一枚を抜いた。まるで誘われるように手が動いていた。その一枚を読むように。


「えぇ⁉ これ、すごい! 弐の溜まり(うち)がすごいっていうのは知っているけど、隣国の王族とも繋がりがあるなんて!」


 印や文章から、隣国の王族からのものだとわかった。紅の好奇心はさらに刺激された。

 だが、読み進めていく中、徐々に汗がわき出てきた。難しい言い回しは理解できないが、大筋は読み解くことができるその内容に、脳が痺れていった。

 そうして、ある下りで紅の思考は停止した。


――橙などという名に変えたフラーウムにとっても、クコ皇国弐の溜まりの主や娘にとっても望まぬ子だとは理解を示そう。だからこそ、あの子を我が国に引き渡せ。紅暁は、正当な第一王子の子である。お前の不在中に娘の意に沿わず宿らされたとは言え、今は亡き王子の唯一の御子であり後継者だ。庶民に成り下がった元第二王子フラーウムの元になど置いておく道理はない。せめてもの情けで、お前たち二人の実娘からは手を引いてやる。宰相でありお前の友人である我が私的に送る手紙とは言え、これは確かに国王の意思でもある。特に紅暁は頃年、例の能力に目覚めたと聞く――


 そんな内容だった覚えがある。

 ただ、目から流れ込んできた事実が脳と心を支配していたので、今となっては良く覚えていない。そして、紅がそれ以降を読むことはできなかった。


(王子とか後継者とかそんなことよりも、ただただ、自分が大好きな両親や祖父に望まれていない存在だったとことに体が震えた。ちょっとうるさいところもあるけれど可愛い妹の蒼とも、本当の兄妹ではなかった)


 大好きな人たちに望まれていない存在という事実が、紅を苦しめた。


「みんな、オレのこと、ほんとうは、嫌いだった? 邪魔だった? 見るのもうとましかった?」


 そこで幼い紅は口を押さえ、嘔吐した。胃がひっくり返るつらさも、喉を焼く胃液の痛みも覚えている。全部出ても足りないと痙攣(けいれん)し続ける胃が苦しかった。

 頭の片隅でここを汚したら両親にばれるから駄目だと思いながらも、止まらなかった。


(あの時は吐く苦しさより、母さんが自分のために作ってくれたモノを吐き出すのが辛かった。よく覚えている。好物の卵と豚バラの炒め物だったっけ)


 理由が理由だから。大人の紅は腹部を押さえた。ここからは何も感じないはずなのに、体を追って床を叩いている少年の痛みは鮮明(リアル)に思い出せるから不思議だ。

 涙と鼻水でぐちゃぐちゃになっている幼い顔。

 そうして、大人の紅は別の罪悪感を抱く。以前、同級生から言われた何気ない一言を思い出し。


――お前、妹馬鹿だよな。俺も妹がいるけど生意気ばっかりで、最近じゃあ男臭いって近づきもしないぞ? お前のところ異常に仲が良い――


 今にして思えば、単なる愚痴とからかいだったとわかる。けれど、真実を知った後の紅にとっては、恐怖を煽る言葉でしかなかったのだ。

 自分が蒼に過保護なのは、母を無理に自分のものにした異常者の血を引いているからだとか、無意識の罪悪感からだとか。


(怖かった。自分が。とにかく、自分の思考全部が異常なんだと思えた)


 当時の紅にとっては全てが負の材料になり得たのだ。


(オレは今でも過去にとらわれているのか? いや、萌黄さんのことがきっかけか)


 そうだ。華憐堂で見た萌黄と店主の異常な雰囲気に、あてられたのだろう。

 紅は深く息を吐いた。


(いや。あれを異常だと感じたのは一瞬だった。どうしてだ)


 紅が自分の思考と心に不安定になっているのは、数秒後には二人の不自然な空気が、普通だと感じられた点なのだ。直感でしかないが、その直感が――それが普通だと感じられた所に紅の身が震えた。


✿✿✿


 そうこう考え込んでいるうちに場面が変わった。


 雨が降りしきる森の中だ。

 湿った草木の香りと雨の冷たさが肌に伝わってくる。最悪なことに、今度は幼い自分視点になっているようだ。


「ばかばか! あおのおにいちゃんは、こうきょうおにいちゃんだけだもん!」


 七歳ほどだろう。幼い蒼が泣き叫んでいる。涙と鼻水、それに雨でぐちゃぐちゃだ。足元なんて泥だらけ。

 幼い紅は、蒼の頭を撫でようとしない。当然だ。記憶に憑依しているようなものだから。

 それでも、大人の紅には堪える。。


「うるさいなっ。そんなに泥だらけになって、その服、お気に入りだろ? さっさと帰れよ」


 いくら中身が後悔していても、小さな口は勝手に歪む


「そうだけど、そうじゃない、いいんだもん! こうきょうおにいちゃんのが、だいじ!」


 言ってる途中で蒼は転び、地面に座り込んでいる状態だ。口をきゅっと結びながら、大きな涙をぼろぼろと零す蒼。

 よろよろと立ち上がる蒼を前に、紅は自分の小さな手をきつく握った。


「だから、オレは蒼の兄ちゃんなんかじゃない。生まれなきゃ良かった、人間なんだ」


 紅は口にして、ずしりと心臓が石になったようだった。それと同時に、不思議と心は軽くなった気がした。


 だれにも言えなかった、我慢していた気持ち。


 幼い紅にだって、不安をぶつける相手を間違えているのは十分理解していた。

 普段から自分についてまわり甘えてくる可愛い妹相手に、しかも、家を飛び出した自分をだれよりも先に見つけてくれた妹に八つ当たりなんて最悪だ。

 けれど、一度音にしてしまえばもう止まらない。瞳が熱くなるのと一緒で、気持ちが溢れてきて止まらない。


「オレなんかいなきゃよかったんだ。母さんはオレがいたら、ずっと幸せになれない。いらない子を産んだって、ずっと嫌な思いをするんだ」

「お母さんがそーいったの? お父さんがおにいちゃんにそんなこといったの? こうきょうおにいちゃんが、泣くようなひどいことしたの?」


 その言葉は紅の胸にずしりと響いた。それと同時に、とてつもなく苛立った。

 幼い紅には、まるで自分が責められているように感じられたのだ。

 蒼が、自分が大好きな両親がそんなことを思わせるはずがない。だから紅が勝手にいじけているだけだと言っているように思えた。


「なんだよ! オレが悪いって言いたいのかよ!」


 頭に血が上った紅は、思い切り蒼の肩を押していた。軽い蒼の体は、いとも簡単に後ろに倒れた。ずちゃと、泥が音を立てた。

 さすがに紅もまずいと思い、手が浮いた。


「あおっ!」


 手を伸ばしかけて、紅はぐっと小さな拳を握った。眼下には、両側で結んだ髪を泥に汚している蒼がいる。それどころか、顔も泥に埋まり激しくむせている。

 紅の視線が、顔から髪にあがっていく。蒼紫色の綺麗な長い髪が泥まみれになっている。耳の少し上で一束結っている部分も、例外ではない。


「あっ――」


 幼い紅も大人の紅も、蒼の一部に視線が集中した。その時、蒼は宝物の結紐(リボン)をつけていたのだ。それが見るも無惨な泥色に汚れていた。

 結紐は、紺樹が二日前に贈ったばかりのものだ。外国製のそれは線帯(レース)がふんだんにあしらわれている。真っ白だったはずのそれは、もはや見る影もない。


(紺兄から結んでもらったのを鏡で見た蒼は、めちゃくちゃ嬉しそうに目を輝かせていた……だから、絶対に嫌われたって思ったんだ。あの時のオレは。バカだよなぁ)


 当然予想できたことなのに、紅は己の血の気が引いていく音を聞いた。爪先から急激に冷えていった。自分の出生の秘密を知ってしまった時は全身が熱くなり、心臓が破裂しそうに音を立てた。怒り、悲しみ、恐怖、不安、寂しさ。色んな感情の色が混じり合って黒になった。

 しかし、今はただの白が頭を支配している気がした。


(蒼に、もうお兄ちゃんと呼んで貰えないかも。何も知らない頃なら、ただの兄妹喧嘩だって、次の日には反省して謝って仲直りできたのに。できると思っていたのに、今は違うって全身の血の気が引いたんだ)


 幼い紅はどうしていいのか、わからなかった。



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