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東屋③―最後の警告―

 燕鴇は自分の性格をよく理解している。上には媚びへつらい、下には尊大な態度をとる。同期には負けたくなくて、利益になる付き合いしかしない。自分に振りになるような情報を愚痴ったり吐露したりなど、滅多にしない。


(そんな自分がどうして初めてあった人たちに、ここまで話そうとしているのだ。自分はどうして初めてあった人たちに、ここまで話そうとしているのだ)


 酔いと居心地の良さで霧かかっていた思考が、一瞬だけ鮮明になりかける。

 伸びかけた膝にのったのは、女性特有の体温だった。押しつけるのではなく、羽のように触れている掌の持ち主の方を見る。媼は慈愛に満ちた、でも少しだけ切ない色を瞳に浮かべていた。


――ぽろんっ――


 二胡の優しい音色が雨音に混ざって、燕鴇の耳を撫でた。糸目の老人が鼻歌を刻む。

 とたん腰の力が抜け、燕鴇はどっしりと椅子に座り込んでいた。


「つらいことなら、無理に言葉にしなくてもいいのよ? 音にしなくても、貴方の心からにじみ出てくる気持ちは伝わってくるから」

「えっ?」


 燕鴇は、そんなことを言われたのは初めてだった。両親は六人兄弟の五男である燕鴇には関心がなかったし、むしろ『その狡猾さ、だれに似たのか』と嫌っている節さえある。すぐ下の末の妹は、自分への愛情の分もと思われるほど溺愛されている。


「これでもいい歳のおばあちゃんだもの」


 両腕で頭を抱かれ、髪や背中を撫でられる度、燕鴇から疑念が薄れていく。まるで、あたたかい掌に疑いが拭われているように。


「おっ己。本当はいやだったんです。あの会合に呼ばれ続けるのが。でも、呼ばれたら、あいつらの悦ぶことをしなければと、自尊心を捨て、いいなりになってしまう。嫌だと思うのと同時、そこでは自分の価値があると思ったから」


 涙混じりの声を笑う人はいない。それだけで、燕鴇は言って良かったと思えた。

 燕鴇の肩に置かれたのは、大きな手だった。糸目の老人だ。髪の豊かな老人は、燕鴇の涙声を撫でるように二胡の弦を弾いている。


「わしもちっとばかしじゃが、耳にしたことがある。特殊な趣味をもったじじいどもが、宮に使える弱い立場――少女はむろんのこと、少年や青年たちを弄んでいる会があると。監査の手を入れようにも、高官ばかりでなかなかうまくいかんらしいのう」

「しかも、真相を確かめようと動いていた第二皇子が、手入れ直前に薨去あそばされてしまったからのう」


 髪の豊かな老人は二胡を演奏する手をとめ、顎を撫でた。

 もしかして、この老人たちはかなり地位が高いのではないか。内情に疎い者の発言ではないと、どこか冷静に思った燕鴇。

 燕鴇の悪い癖が、むくむくと顔を出す。


(ならばことさら懐に入ってやろう。きっと己を助けるのに役に立つ! あぁ、今日は本当に良い日だ。己を受け入れて貰えた上に、利用できる立場の者だったなんて!)


 燕鴇はにやける口元を隠すため、杯に手をつけた。

 調子が戻ってきたのは良いが、老人たちに怪しまれては元も子もない。


「おいおい。そろそろやめておいた方がいいんじゃねぇか?」

「ご迷惑でなければ……まだいただきたいのですが」

「まぁ、おぬしがそう望むのであれば、こっちに止める理由はないが」


 糸目の老人は少し困った表情になったものの、掴んだ燕鴇の腕から早々に手をどけた。

 それにまた機嫌がよくなった燕鴇は、なみなみに酒を注ぐ。心なしか、ついさっきまでより色が濁っている気がする。


(天候と酔いのせいだろう)


 燕鴇はすぐに考えるのをやめた。

 感じていた肌寒さは、今は心臓を掴むような凍えになっていた。けれど、そう感じるのと同時、不思議なことだが体は燃えるようだ。その不均等(アンバランス)さが、燕鴇を興奮させていく。


「みなさんは皇太子と第二皇子のご関係をご存じで?」


 燕鴇が伺うように目を配ると、老人たちは目をあわせた。


「一般家庭の男兄弟にもようある関係、とはな」

「つまりは仲が悪いってことさね。ご気性というのもあるけど、政に対する方針も随分と違ったみたいだしねぇ」


 口を濁した老人に対し、老婦はきっぱりと言った。

 再び二胡を手にした老人が手持ち無沙汰に弦を弾く。どこか居心地が悪そうだ。


「燕鴇の上司がたの宮は皇太子寄り、魔道府は第二皇子や第五皇子寄りらしいのう」

「そうそう。でだ。だから、華憐堂の後見人にとある皇族がなっているっていうのに、魔道府が関与できてないってのは――」


 燕鴇はぎょっと目をむいて、糸目の老人を見上げた。


(おい、そこまで知っているのかこの老人は!)


 今後の利用どころじゃない。うまくいけば、この場でうまい情報が手に入る。燕鴇の胸が躍る。


「ちょっと、あんた!」


 燕鴇の頭を飛び越えて、老婦が老人の頭を叩く。坊主頭がやけにいい音を響かせた。下手したら二胡の音より音楽性があるんじゃないかというほどに。

 老人からは「いっでっっ!」と悲壮感溢れる叫び声があがった。


「別にいいじゃろ。燕鴇だって腹割って、話してくれたんだぞ? それに、なんだ、問題はないじゃろ」

「うんうん。わしらが美味しい思いをするだけじゃぁ、申し訳ねぇってもんだ。等価交換ってやつだ」


 髪の豊かな老人が腕を組み、頭を撫でている糸目の老人に同意を示す。老婦はうっと喉をつまらせ「そうだけど」と気遣わしげに燕鴇を横目に捉えた。



 この時が最後の警告だった。老人たちからの。精一杯の情けだった。


 そうとは知らず、燕鴇は舞い上がっていた。謎は多いが、自分にどこまでも優しくて、なおかつ、中枢の者でも知らない者の方が多い情報を持っている人間に、出会えたなどと。


「そこまでご存じなら、話しやすい。己が閨で聞いた話をただで話すのではないと安心した」


 幾分か尊大になり崩れた口調に、零れた本音。

 燕鴇はすぐさま我に返り、はっと口を覆い青い顔をあげる。が、老人たちは気にした風もなく「ほらな」と頷き合っている。


「婆さん、あんたが心配するこったねぇ。安心して続きを聞こうじゃねぇか」

「で、続きだがのう」


 翁の二人が視線で媼に座り直すように促す。

 媼はため息をつきながらも、しぶしぶ腰を落とした。どこか体調が悪いようにも見えたが、燕鴇は気のせいだろうと頭から追いやった。


(咎められなくてよかった。ぼろを出さないようにはしなければ)


 燕鴇は杯を持つ手に力を入れる。燕鴇は心地よい酔いのまま、いつもの思考に戻っていた。


「あれじゃろ? 簡単に言えば華憐堂と皇族は繋がっておる。しかも、その皇族って皇太子」

「じゃあ、あの話の信憑性があがりますね!」


 燕鴇の目が輝きと興奮を映す。思わず立ち上がり、杯を空に掲げた。わずかに零れてきた酒が顔にかかる。


「これ、燕鴇よ。落ち着け」


 突然の動きに驚いたのだろう。髪の豊かな男性がひらひらと片手を上下に動かしている。

 燕鴇はどくどくと跳ねる心臓を押さえ、ぎらついた目のまま座り直す。

 空気は冷え切っているはずなのに、体は血が沸いているように暑い。汗さえ掻いてきて、燕鴇は高笑い寸前の状態だ。


「あの話とは、まぁ、あの話じゃな?」


 頬を掻いた糸目の老人に、燕鴇は大きく頷き返した。


「はいっ! 皇太子は――」


 勢いよく口を開いたものの、その先はさすがの燕鴇でも高らかに述べることに気が引けた。不敬罪にとわれるような内容だ。

 数分前のように、燕鴇は身をかがめ老人たちの耳を引き寄せる。


「一部の話では、竜胆皇太子と、先だってのアゥマ使いの事故に巻き込まれた銀葉皇女は恋仲であったと」


 音にして、長い沈黙が訪れる。


 地面に向けていたいやらしい目つきが、徐々に不安なものに変わっていく。暑かったはずの体は冷や汗に濡れていく。血の気がすぅっと引いていくのがわかった。


(あれ、まずったか⁉ いやいや、流れ的に問題ない流れだったよな?)


 燕鴇の混乱をよそに、背を伸ばした老人たちは深く頷き合っていた。その表情は酒などの香りはまったくない。

 神妙に、だが少しばかりの憂いが混じっている。一人背を丸めたままの青年を見下ろす視線は――様々な色が混ざり合っていた。


「おい、燕鴇」


 背中を叩かれて、びくんと勢いよく短い悲鳴があがる。

 それに大きな笑い声が帰ってきて、燕鴇の心臓はようやく落ち着きを取り戻し始めた。


「驚きすぎて声がでんかったわい」

「なんじゃ、いい年したじじいが情けない。わしはその先の噂までいくつか知っておるぞ? 逆に二人の反応にびっくりしてしまったぞ」


 小突きあいを始めた老人たちに、今度こそ、ほっと全身の力が抜けていった。

 二胡の老人が、


「いうてみぃ」


と拗ねると、糸目の老人は自慢げに腕を組んだ。ちらりと片目を大きくあけて笑う。


「華憐堂の萌黄殿がまだ故郷にいた頃、周遊していた皇太子の目にとまっていたとか、皇女の遺体が華憐堂の溜まりに保存されておるとか、実は店主が古代の天才アゥマ使いのゾンビだとか、諸々な噂があるでのう。ほれ、燕鴇的にはどの話に信憑性があると思う?」


 愉快そうに指折り数える老人が、顎をしゃくり燕鴇に話を振った。老婦は額を押さえ、天を仰いでいる。どれも馬鹿げた内容だと呆れているのだろうか。

 燕鴇はそんなことを思いながらも、ぞくりと鳥肌がたった腕を撫でる。どれもネタ的には面白いが……。


(どれも生ぬるい。己が屈辱を許し得た情報はもっと、もっと!)


 粟立つ肌に堪らなく興奮していく燕鴇。

 もったいつけたいのもあるが、この空気なら話して咎められないし、なんなら、話が発展していくかもっと深い話を聞けるかも。

 安らぎから口が開いていたのが嘘のように、いつもの燕鴇に戻っていく。


「己が特別に教えてもらった話は、こうだった」


 いつものように匂わせから入るものの、媼に「あら、どんな話?」と微笑まれると、嘘のように邪気が抜かれていった。

 上がりかけていた肩が、すとんと落ちる。手を軽く握られ、視界がぼうっと陰る。体に流れ込んでくるアゥマがあまりにも甘くて、まるで子守歌みたいだと感じられた。


「えっと、つまり。宮で一番有力な話は、大衆の好奇心を煽るものでした」

「ほう。さっき言った以上のものは、わしも知らん。さすが、燕鴇」


 意識がまどろんでいく。遠くで二胡の柔らかい旋律が鳴っている。踊る音にのる唄が燕鴇の頭の中を駆け巡る。吐きそうになると、体に染みこんでくるあたたかいアゥマが宥めてくれている。

 そんな錯覚に陥る。どこか、現世にいないような感覚。


「で、どこのだれが、お前さんを苦しめて、重い情報を背負わせた」


 それが燕鴇の最後の心の鍵をかちりとあけた。

 自分でもわかっていたのだ。下級役人である燕鴇が持てあます情報であるのは。子どもに与えられる褒美の菓子みたく、自尊心を満たす程度の情報なら良かったのに。あの日はどうかしていた。陽翠に馬鹿にされ、その足で不正がないかと探りにいった魔道府副長の紺樹に影で遊ばれているのに苛ついて。数日前、魔道府で同期相手にへりくだされたのが許せなかった。


 だから。いつもならのらりくらりと交わす、あのじじいの誘い乗ってしまった。心葉堂――紅が弱っている中、とどめを刺せる情報はないかと思ったのだ。


 いつもの悪戯よりも格段に……考えていた以上に体の負担は重かった。

 であるのに、事後、もはや燕鴇など見えぬ存在のように上司は重すぎる事実を独り言のように零し、去って行った。


(去って行っただけじゃない。あいつ――)


 あまつさえ、燕鴇が上へ絶対逆らわず、今回のことを密告する術がないのを承知の上、


――良い時間であった。お前は()()()()()使()()()。だが、どこぞの口の軽い女を買って諸々漏らされては適わんからな――


 そう笑って、燕鴇に()()()()()()()()()()()を無理やり飲ませたのだ。

 燕鴇の性格からして、そんな屈辱、だれにも話せるはずがない。上司を脅すにも材料がなさ過ぎる。聞いた内容を暴露したところで、気が触れたと一蹴されるか、不敬罪で一族もろとも死罪にされるかだ。

 それを、心葉堂の没落という一時の優越感で誤魔化しているところに、こうも見知らぬ人に優しくされ落ちていった。


「おっ己だって、そこまで知りたくなかった! あんな代償を払ってまでも!」


 燕鴇は撫であげていた髪を掻きむしる。


「華憐堂の娘が溜まりを枯らして生き返った死人で、皇太子が皇女を生き返らせるために、この国の何かしらを犠牲にしようとしているなんてっ!」

「もう、いいのよ」


 ふんわりと抱かれ、燕鴇はもう泣くことしかできなかった。

 己に触れる媼の体温以外は、冷め切っていることなど知らずに。

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