白龍と麒淵①―矛盾する立場―
遠視で蒼と紅を視ていた麒淵の意識が、徐々に体に戻っていく。
離れていた心と体が馴染んでいく度、虚ろだった金色の瞳に光が灯っていくようだ。
白龍は見とれながら、そう思った。
「守霊が戻ってきて、溜まりに精気が満ちてきておる。ほんに守霊は溜まりの命そのものじゃ」
麒淵と白龍がいるのは、心葉堂の地下にある溜まりだ。
特に大きな源泉の中央にある島のような場所に、麒淵はふわふわと浮いている。小鳥ほどの大きさの体が、ぶるっと大きく震えた。
「麒淵、おつかれさんじゃったのう。各感覚に違和感は?」
少し離れた場所、溜まりの淵で麒淵を見守っていた白龍。彼は、軽く右手を挙げている。麒淵は額を押さえ頭を振ることで、それに応えた。
「感覚はバッチリ戻っているよ。ただ――」
「おおよその予想はついておったが、紅も蒼も期待は裏切らなかったようだのう」
白龍のからかうような口調に、麒淵はじとっとした視線を向けた。
白龍は、麒淵の睨みが見えていないかのように、細い橋のような道を進み始めた。少しでも足を滑らせれば、ほのかに青白く発光しているアゥマの水に落ちてしまいそうだ。いくら優秀なアゥマ使いでも、源泉の中に落ちればひとたまりもない。けれど、白龍は大通りを歩くように堂々としている。
「頭がおかしくなりそうで堪らんわい。どうして、あの子らは自ら災厄の中心へと飛び込んでいくのじゃろう。さすが、おぬしの血をひく孫たちよ」
紅や蒼が聞けば『おじいや蒼と一緒にしないでくれ』と疲れた様子で返してくるか、『麒淵のいじわる。災厄の方が、駆け寄ってくるんだよ』と唇をとがらせて拗ねるだろう。
麒淵の頬がこっそり緩んだ。
「そうだろう、そうだろう。オレの自慢の孫たちだ」
わざとらしく若い頃の口調になった白龍に、麒淵は至極うんざりとした表情を浮かべた。
であるのに、白龍は微塵も気にした様子なく、中央の椅子に腰掛けた。麒淵は白龍が肘をついている机にふわりと降り立つ。
「冗談はさておいて」
「待て、麒淵。オレは冗談など口にした覚えはないぞ」
「えぇい! いい加減、その若作りの口調はやめんかい! 今日に限ってなんぞ!」
両腕を振り上げて怒る麒淵を、白龍は腹を抱えて笑う。顔の皺をよりくしゃくしゃにしているのに、麒淵の目には完全に少年時代の彼が映っている。
しばらく据わった目で白龍を睨んでいた麒淵だが、はぁと小さく息を吐く、思い切り白龍の額をはたいた。
「たわけが。状況が深刻で背負う物が重い時ほど、おぬしがおちゃらけることなどお見通しじゃよ。人ならざるわしにまで、虚勢を張る必要があるのかいな」
もう一度、麒淵は「たわけ」と吐き出した。
同時に、ちゃぷんと溜まりのアゥマが跳ねた。
心なしか、肌寒くなってきたようだ。麒淵は着込んだ服の上から腕を摩る。
「さすがは、元相棒」
一方、白龍は一瞬ぽかんと口を開けた後、気まずそうに頭を掻いた。
「元もなにもあるもんかい。わしにとったら、歴代全員が現役で相棒じゃ。まぁ、ことさら、白龍と蒼の二人は実に面倒の見がいがあるのう」
ほぅっと、白龍が口角をあげたのは一瞬だった。
「だれよりも心葉堂を愛する初代によう似たアゥマばかの蒼。それに、だれよりも自由を求めアゥマに縛られなかったのにフーシオなんぞになった、もっとあほうの白龍」
麒淵のからかいを含んだ笑いは、逆に白龍の心を揺らしたようだ。飄飄とした態度から一変、苦虫をつぶしたような表情になった。
実際、麒淵にとったら白龍は特別だ。蒼とは出会った時から相棒という感覚だが、白龍は店を継ぐまでは親友だった。
建国以来続いている心葉堂の人間の中、今までいなかった破天荒な性格だ。
白龍はだれよりも店にもアゥマにも縛られることを嫌い、自由を愛していた。麒淵はそんな彼が気に入っていたし、世界を飛び周っては冒険者まがいの経験を楽しそうに話してくれるのも、とても好きだった。
だから、初代に匹敵する秀才であっても、ここに囚われずに世界を飛び回るのも良いだろうと思っていた。
溜まりの守霊としては間違っているのだろうが、親友として、白龍の父である青藍から逃げる手伝いもしていた。
――ありがとな、麒淵! 土産、買ってくるから楽しみに待ってろよ! あっ! 可愛い守霊を見かけたら報告するから楽しみにしてろよっ!――
にっかり笑って走って行く白龍の背中を見送ると、自分も冒険に出るみたいにわくわくした。
――守霊に可愛いもなんもあるかいな。そもそも、溜まりの守霊に土産を買ってくるという発想をもつのはおぬしくらいだぞ――
そんな風に、麒淵も毎回飽きもせずに呟いたものだ。
そんな白龍が、とある理由から一切の放浪をやめ老舗茶葉店である心葉堂を継いだ。あまつさえ、孫を連れてきたと思ったらクコ皇国アゥマ使い最高位のフーシオになった。
心葉堂にだけでなく、国家にさえ縛られる身となった。
守りたい存在が増えていく度、人は不自由になる。それと同時になにが増えるのか。
麒淵はいつかの相棒が問いかけてきた言葉を思い出していた。確か答えは――。
「麒淵?」
「……弐の溜まりを守護する家は、フーシオの地位などなくとも、他の溜まりの守護者とは比較にならないほど別格じゃ」
なんせ壱の溜まりの守霊と麒淵は、人ならば双子と呼べる存在だ。
そして、なにより弐の溜まりだけがもつ建国以来の誓いがある。今でこそ表立っての権威は薄れているものの、溜まり自体の特別さは健在だ。
麒淵はそんなことを自分から口にしておいて、的外れも良いところだという自覚もあった。
「そうじゃな。あくまでもクコ皇国の中はで、下手に手を出せんな。現状では説得力が半減するがのう」
前置きのような白龍の言葉に、麒淵はぎゅっときつく瞼を閉じた。
押さえた胸の奥。人ならば心臓がある箇所にはアゥマの粒子しかないのに、次に続く言葉が想像できて胸が締め付けられる。
「守霊と異なり、人の世では目に見えて明らかな『権力』がものを言う。人の世に疎い溜まりの守霊であるわしも、長生きしておる分、ちょいっとくらいは理解できる」
白龍が辛そうにするくらいだから、とは音にしなかった。
麒淵が口にしたところで、白龍は蒼ほど素直な感情を見せてはくれない。
(当然だ。白龍だって年を重ねておるのだ)
いくら麒淵から見たら、みんながいつまでも可愛い子どもであっても、彼らは短い年月と共に変化していく存在なのだ。
麒淵の心中など手に取るように把握しているのだろう。白龍が苦笑を浮かべた。
「あの時は、こうするのが最善だと思ったのだ。娘の藍や夫となった橙、それに藍の腹に宿った孫の紅を守るには――みなで心葉堂で過ごすには必要な地位だと思ったのだ」
随分と率直な気持ちを吐き出した白龍。
麒淵は驚きよりも喜びが勝った。
麒淵もらしくなく、白龍の頭に乗り小さな手を弾ませてみた。
「結局は、こんな状況になっておるがな。目先のことを優先しているつもりなど、欠片もなかった。実際、この二十年あまりはうまくやってきた、つもりだ」
白龍が吐き捨てた。
麒淵にはわかった。日ごろは本心を隠して演技をする自分を楽しんでいる傾向が強い白龍が、本気で嫌悪を露わにしているのが。
そして、その負の感情は全部が白龍自身に向けられているのも。
「結果、どうだ。大切な孫たちが落ち込み苦しんでいるのを知りながら、国からの任務を最優先して華憐堂に関わることには関与できない。あまつさえ、蒼を傷つけるのを承知しながら中途半端な調査協力をして、心から人を大切にする孫をおためごかしに慰めるなんぞ胸くそ悪いことをして、現状にまで誘導した」
白龍の刺々しい声を聞いたのは、いつぶりだろうか。
そんなことを考えながら、麒淵は白龍の頭に寝そべった。白檀の薫りがする豊かな白髪。目を閉じると、薫りだけは昔と同じだ。
麒淵はゆっくり数をかぞえて、目を開ける。そのまま白龍の前にある円卓に降りる。
「紅のかさぶたも剥がす様な真似をしてしまった。いや、きっとこれからはさらに深い傷を抉ることにもなろう。その手当さえも蒼にまかせっきりになるんだろうな」
なにも、白龍は蒼が茶師として成長するのを見守るためだけに、先代としても祖父として、静観していたわけではない。
そして、やっぱり麒淵は思った。白龍の根幹も同じだと。
(白は逃げぬ。弱音を吐くのも現実と向き合うためなのだ。なぜなら、白はまっすぐ前を見据えているから。皺が刻まれた顔の中で唯一、瞳の輝きは同等の――いや、より強い光を灯している)
だから、麒淵は思うがままを口にする。
「たわけが。口を出さずに子を見守るのは親の常じゃろが。おぬしたちは、祖父と孫じゃが」
麒淵が零すと、白龍は珍しく眉を下げて笑った。
「……オレのは、違う。見守るのではなく、見ているだけだ。何もかも」
白龍には、フーシオとして華憐堂を監視する命が開店初期からくだっていた。
華憐堂と繋がる皇族を怪しむ皇帝から、魔道府と共に極秘の任を賜っていた。
共謀者の立場を考えても確実な証拠を掴み、現場をおさえる必要がある。予防はできず、泳がせるしかないのだ。つまり、祖父として心葉堂や蒼たちを守る立場とは真逆の立ち位置だ。
「それは、わしとて同じじゃ」
麒淵の言葉は、決して白龍への慰めではない。
麒淵は手元の氷菓子を手にとり、小さく笑った。
「弐の溜まり守霊として、華憐堂の例の溜まりにかけられた保護の鍵を解くことに気力を使い、蒼の浄練に上の空だったこともあるのじゃから。がむしゃらに頑張る蒼に、全力で向きおうておらなんだ」
寒くて仕方がない。鼻から吸い込む空気が皮下や血液に直接混ざってきているような錯覚に陥るほどに。
そう感じたのは、麒淵か白龍か。
「けれど、蒼も紅も、事情を知らなくとも心配してくれたし、すべてが終わり知ったとしても、白龍やわしのことをただ責めることなどせぬと確信がある。説明せなんだことには、拗ねて怒って暴れるだろうがのう」
それは麒淵の願望に近かったかもしれない。けれど、願望でもなんでも、麒淵は白龍の心の痛みを減らしてやりたかったし、自分に言い聞かせたかった。
守霊である麒淵の心内を反映して、地下全体がなっている。ぽつりぽつり、しゃあしゃと、まるで雨音のように耳奥を刺激してくる。
(あぁ、アゥマが泣いている。どうか泣かないで。会うことが許されぬ我らが母よ。我の溜まりよ。だから、溜まりに人の感情は持ち込みたくなかったのだ。……昔のわしなら)
麒淵は祈るように瞼を閉じる。己の溜まりに語りかけ、心の中で歌う。生れた時から刻まれた祝詞を。見たこともない生命樹を想い、彼女が願った子の命を想う。
本能と記憶にすり込まれた感情。
麒淵たち守霊からしたら、アゥマは単なる浄化物質以上の存在だ。汚染された世界を救った生命樹であるヴェレ・ウェレル・ラウルスが、生んだ命を想い、命に寄り添ったからこそ生まれたものだ。だからこそ使いようによっては、とんでもない人の願いさえ叶えてしまえるのだ。
(命の器を作り、あたかも死人を蘇らせたような。それこそ、きっと生命樹の望み)
麒淵は、本当に理とは理不尽なものだと思う。人であっても、国であっても。
蒼たちの両親を巻き込んだ件のように、溜まりを存続するために国は人の命を奪う。なのに、偽りの溜まりは、亡くなったはずの命に偽りの魂を与えたりもする。
(人は一体なにを大事に思うのか。個人の命か、生きていく国か。守霊の己でさえ、勝手な想いが大事な存在を傷つけると理解できるというのに)
麒淵は、憂う。
あの日、麒淵は守霊であり続けるよりも、人に寄り添うことを選んだ。それでも、生まれ持った認識の根幹はどうにもならない。
(のう、初代。わしは未だにわからぬよ。こればっかりは。そして、みながわしという存在に縛られているのだけはわかってしまうのだ。その血がゆえに)
守霊である麒淵にも、ある意味では理解できた。人が国を大事にする意味が。
国中のアゥマ使いが亡くなった先の件の真相を知るものは少ないだろう。事故として片付けられ、真相は一部の皇族と各溜まりの守霊が知るところだ。
そう思えば思うほど、やるせなくなる。
(アゥマは人を救いたいのか、惑わせたいのか)
それだけは、未だに麒淵も答えが出せずにいる。




