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掴んだ尻尾

 時間は少しばかり遡る。紅が湯庵(ゆあん)の後をついて行き、個室で腰を下ろした頃にまで。



 通りに面した個室は、大人四人ほどでいっぱいになる広さだ。


「ささ、心葉堂の若旦那。雨で冷えましたでしょう。ただでさえ、天候が不安定でございますからねぇ」


 紅の目の前には、ふんわりと湯気をあげている硝子の茶壺がひとつある。丸まった茶葉がふわりとほぐれていく様に、心が安らぐ。そして、柔らかくほのかに香る花の香り。

 花茶の中でも最高級と言われる『茉莉龍珠(まつりはくりゅうじゅ)』だろう。香りだけではなくまろやかな口当たりに、深い味わい。心葉堂でも入手が困難な時がある茶葉だ。


(それが華憐堂で、どう浄練されているのか味わってみたい)


 ごくりと、紅の喉があからさまに上下した。警戒しているはずなのに、だ。

 湯庵はそれを見逃さず、にやりと嫌らしい笑みを浮かべた。一方、萌黄はどこかぼんやりとして、ただただ茶器に注がれる茶を眺めている。


「さすが老舗茶葉堂の若旦那でいらっしゃる。すぐにこれが茉莉白龍珠と判断がつくとは」

「見た目も香りも特徴的ですからね。特に今は入手しにくいでしょう。茶葉店を営むオレよりも、お客さんたちに出していただいた方が、同業者としても嬉しいですね」


 あまり稀少なものを出されて、変な恩を売られても困る。それらしい理由をつけて、紅は席を立とうと腰をあげかけ……手首をとんでもない強さで握られて、痛みで奥歯を噛んだ。

 護身用で袖口に仕込んだ無詠唱魔道札を発動する。毒物への抵抗力だけではなく、ある程度の防衛魔道が脳からの信号だけで発動が可能になるものだ。


「まぁまぁ、茉莉白龍珠とおわかりになられたのが嬉しいんでやんすよ」


 紅の手首から指を離した湯庵がけろりとした様子で笑い声を響かせた。

 紅は見逃さない。裾の奥に隠した掌が火傷のように爛れているのを。


(桃華堂の札にうちの溜まりの水を含ませた華香札がきいている!)


 邪を祓う華香札に穢れを浄化する溜まりの水。

 このかなり強化された魔道具が効いたという事実に、紅は彼の存在に対して深い確信を得た。

 そして証拠となる札を人知れず長官の元へと飛ばそうと、指の組だけで術式を編む。札は湯庵の異質なアゥマを存分に吸収しているはずだ。


「随分と強引な制止でしたね。このままオレが茶を飲まずに帰るのに不都合でも?」


 空間移動術の発動を誤魔化すため、紅はわざと大きな声を出した。

 そして、立ち上がる振りをして椅子を倒し、注目をずらす。一同の視線がずれたのを確認して、術を発動した。反対の手を持ち上げて警戒の意味を込めて魔道を繰っていたおかげか、華憐堂の面子が紅の真意に気が付くことはなかった。


「おかしな心配はしないでくだせい。確かに、商売敵の若君の反応が見たかったのは認めます」


 湯庵が両掌を擦り合わせる。軽快な調子に驚きつつも、紅はしかと見た。

 驚くことに数秒の間に火傷は完全に治癒したようだ。彼の手には皴だけが刻まれている。


「もとは浄練の失敗作なんでやんすよ。とはいえ、排毒に問題はありやせんから、遠慮なく飲み干してくだせい。折角淹れたのに、若旦那に飲まれなかったら捨ててしまうわけですし」


 白龍は紅の祖父の名でもある。

 読み方自体は茶の『はくりゅう』と名の『はくろん』と異なるが、わざわざ失敗作と表現した上に捨てるとは少々というよりも、通常なら礼儀を欠いている。他意はなくとも、だ。

 白龍はクコ皇国弐の溜まり心葉堂の先々代というよりも、現役の国のアゥマ使い最高峰にあるフーシオなのだ。


(いや、華憐堂規模ほどの店守が、誤解を招くような発言をさらりとするだろうか。この部類の発言をする人間は二種類だ。警告か自己顕示欲からくるものか。恐らくは両方だろうな)


 紅はぐっと堪え、困ったように笑ってみせる。


「いやだな、湯庵さん。まさかいくら浄練が思うようにいかなかったとはいえ、こんな稀少で香りが良い茶を捨てるなんてあり得ませんよ」


 言いながらも、紅は考え続ける。紅の印象では、湯庵は上にはごまをすれるだけすり、自ら敵にまわす部類の人間ではない。


(どっちにしろ、こちらがどの程度把握しているのか探られている状況である可能性は高いな)


 紅のアゥマを可視できる能力は魔道府に勤めている時だって、知っているのは魔道府長官と当時からの副長である白磁くらいだった。家族同然の紺樹は別として。

 けれど、紅は国のアゥマ使い最高位であるフーシオの白龍の家族である。フーシオの一族は有事には全員で身をなげうつ義務を背負っている。当然、皇子である蘇芳を始め、おおよその皇族は紅の出生を含め能力も把握しているだろう。


(ということはつまり、情報が漏れていると考えておいた方が良いだろうな)


 華憐堂の後見人となっている皇族が、なんらかの理由で華憐堂に手を貸しているとすれば、なおさらだ。


「一度、お客人にお淹れしたものを家人がいただく訳にもいかないのは、おわかりでしょうに。ねぇ、萌黄お嬢さまからもなんとかおっしゃってくださいな」


 湯庵の皺だらけの手が萌黄の肩に触れる。一見すると添えられているだけだが、武術を嗜む紅には、見た目以上の力が込められているのも、相応の痛みがある掴み方であるのもわかった。

 いくら店守とはいえ、仕える家の娘にあんな風に触れるのが許されるのだろうか。


「えっと、あの。ぼぅっとしてしまって。ごめんなさい、おと――」

「お嬢さま。今日は長いこと外に出られて体調がすぐれないのでしょう。もうお休みなさいな。()()()()()()()()もご心配なされていやした」


 湯庵がやけにしっかりと萌黄と目を合わせ、ゆっくりと言い聞かせるように口を動かした。


「ふえっくしゅ!」


 紅が茶杯を持ち上げたところで、雨に紛れて愛らしいくしゃみが聞こえてきた。

 大きな雨音の中でもわかる。蒼のくしゃみだ。こんなことを言えば、また陰翡や紺樹にからかわれて、陽翠には呆れられそうだ。


「失礼。妹がいるみたいです」


 蒼は真赭の書店の地下整理に出かけていたはずだ。どうせ書庫整理に夢中になって帰りが遅くなり、雨宿りしているに違いない。

 紅はふっと笑っていた。あまり紅が浮かべない無垢な笑みだった。


(オレと蒼は昔から不思議なくらい、偶然会うんだよな。隠れたり落ち込んだりしている時に限って)


 紅が兄として蒼を守ると決めたあの日も、そうだった。家出をした自分を追ってきて、髪は泥で、顔は涙と鼻水でぐちゃぐちゃだった蒼。決して、幼かった蒼が気軽に来られる場所ではなかったにも関わらず、蒼はひょこっと現れた。

 紅が無視して進んでも、蒼はめそめそしながら後を黙ってついてきた。そして、最後には泣いているのか笑っているのか不明な状態になった蒼が大声で叫んだ。


「ぶえっく!」


 ずいぶんと親父くさいくしゃみに、紅は我に返った。あげかけた腰を完全に伸ばすと、柔らかいものが腕に押し当てられた。健全な青年である紅は若干の焦りを伴い、衝撃をあたえてきた本人に視線を落とす。

 腕にしがみついている萌黄は、先ほどまでのぼんやりとした視線が嘘のように強い意志を灯した瞳を向けてきていた。


「あっあの、萌黄さん?」


 本人のきらきらした瞳よりも、湯庵のじとっと伺うような視線の方がつらい。紅は窓に近寄りつつ、必死で萌黄をはがそうと試みる。

 とりあえずと窓を叩けば、蒼が大きな牡丹色の瞳で見上げてきた。少し前までは陰っていた瞳が、どこか大人めいた色を伴っているように思えた。雨が淡藤色の髪を肌にはりつけているせいだろうか。


「妹がずぶ濡れになっているので、一刻も早く自宅につれて帰ります。失礼」


 仕草で蒼に店から離れるように伝えるが、当の蒼は楽しそうに笑うだけだ。普段なら愛らしいと思える笑顔だが、今は『空気を読め!』と恨めしくなる。華憐堂に近づけたくないのに。

 紅はより大きな仕草で蒼に店から離れろと伝える。


「……どうして、あちらばかりを見るのです?」


 ぞくりと冷たいものが背中を駆けた。蒼がこちらにくるのを止めるより、腕に絡みつく氷の体温が、紅を凍らせた。

 視線の先には、見たことがない無表情の萌黄がいた。


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