禁書⑤―曖昧な指令―
(長官は、オレが言わんとしている意味を理解している……!)
幼い外見や言動に惑わされる人間も多い。けれど、目の前の女性は、国の重要機関である魔道府の長官を長年に渡り務め続けている人物なのだ。
最も長けているのは、人の心を掴む方面以外のモノだろう。
(考えろ。長官はこんな状況を作ってまで、なぜオレが答えに辿り着くように仕向けているんだ)
長官は、反魂の術の正体を詳細に記した箇所を紅に提示せずにいる。そのこと自体は、事の重大さを考えれば何ら不思議ではない。
しかし、反魂の術の内容がどうであれ、ソレを発動し得る材料が揃っているのと、これから探すのでは、対応や調査に費やすことができる時間が段違いだ。
(きっと反魂の術が生き返りかそれ以外なんてのは二の次だ。これまでの流れからして重要なのは――手順と材料。きっと魔道府は術者と術と望む者は見当がついている)
そもそも紅に依頼されているのは、あくまでも確証集めだ。
そんな紅の思考も全てお見通しだというように、長官は微笑を浮かべて優雅に茶をすすっている。
「聞き方を変えます、長官!」
かっと、血が沸く。紅は椅子を倒し、立ち上がっていた。試すにもほどがある。
「禁書でもあるコノ古書に書かれた術形式――反魂の術について詳細が記述されている部分は、この世に存在しているんですか? いや、『術を施行しうる知識』が、クコ皇国に確かに存在しているんですね?」
紅の押し殺した低い声が、部屋の温度を下げていく。張り詰めた空気に、それを発したはずの本人さえ、鳥肌が立った。
しかし、鋭い声に射抜かれたはずの長官は、小さな手を前に出し、相変わらず笑みを浮かべている。細くて小さな指が、何度か机を弾く。昔、よく遊んでもらった時の暗号。
(『確かに』の肯定か。長官の反応が答えなら、反魂の術の発動を整えられる環境が、すでに用意され始めている、というか整っているってことか⁉)
だからこそ、皇族は余所者である人間に、前例の無いほど肩入れしている。
(ということはつまり、実績があることを意味する。禁書に記載があるだけの術や誤魔化し程度の実験体をもって、国全体を犠牲にするほど、クコ皇国の価値は低くない)
術の成功例は、人々に溶け込み生活している。術を施されているのを証明する手立ては不明だが、アゥマからでも身体からでも確認可能だろう。
ならば、あとは術を施行する知識が必要だ。文字としての記憶か、あるいは知識を持った人間か……いずれにせよ、術の形式だけを得たとしても、発動させられなければ無意味だ。クコ皇国に、それだけの実力者は不在とは言い切らないが、表向きの最高術者は、紅の祖父である白龍だ。
「オレにはそんなの、おじい以外には想像できません」
なら……関与しているのは、アゥマ使いの最高峰フーシオである白龍を越える術者。
しかし、そのような脅威を国が野放しにするだろうか。位を与えるか、あるいは特権を与えるか。いずれにせよ、白龍が受けている縛りと同等、もしくはそれ以上の義務を負わせるはずだ。見返り、と表現してもいいだろう。
「『術を施行しうる知識の存在』とは、言いえて妙なのです」
長官は反動をつけて椅子を降りる。
立ちすくむ紅を横目で見ると、鈴のような笑い声を零した。嫌味は感じない。むしろ、紅の言いように感心しているようにさえ思われる笑みだ。
「長官。まどろっこしい言い方はやめます」
ゆっくりと執務机に近づいていく長官の背中が、どうしてだか、大きく見えた。
そのままの表情で、長官は身軽に腰掛けた。小柄な彼女に合わせて作られた椅子のおかげで、大きく立派な机からも、十分に顔は見えている。長官は組んだ両手の上に、顎を置いて、机上の通信球を眺めている。
「あの店の関係者が禁書を持っているか、あの人に術をかけた術者が、クコ皇国にいるんですよね。でも、あの店は必要以上に注目を浴びていたし、それだけの術者がいれば、いくらなんでも噂ぐらいにはなるんじゃ?」
「紅は、華憐堂の一族がいた国を、どこまで知ってるです?」
紅が無意識で避けていた呼称。長官は、はっきりと口にした。
華憐堂の一族がいた国。
紅は記憶を辿る。探ってみるが、考え込むほどの情報は持たない。萌黄と出会った当初に聞いたのと、巷の噂程度だ。萌黄から聞いたのは、アゥマの枯渇で国が滅び、一族でクコ皇国に移住してきたという話。市井では、内乱で滅んだらしいという状況も不確定な井戸端会議のネタだ。
「内乱で王族は全員死亡、魔道の暴走で国民ごと消失。……聞いた話では、溜まりの枯渇が、一因だとも」
話の組み立ては若干変えたが、大よそ沿っているだろう。
紅は躊躇いを感じながらも、溜まりの話も包み隠さず口にした。少し前の時点では非現実的な話と思っていたのもあって、紺樹にも言ってしまった。
(なんだよ。今になって考えると、あの時の紺兄の鋭い目つきは単なる職業病からくる警戒というよりも、華憐堂側からの情報漏洩を危惧したゆえの反応だったんだろうな)
情報の重要性を加味すれば魔道府にとっても華憐堂、それに一部の皇族にとっても、情報の漏れは有益だとは思いにくい。
「……まさか、ここに繋がるなんて。己の未熟さを痛感しています。店主代理なんて」
『心葉堂』の店主という立場は、ただ単に溜まりを管理しているという以上の意味を持つ。
心葉堂はクコ皇国立国以来の老舗であり、なおかつ国の管理外である溜まりの以外の中で筆頭となる『弐の溜まり』の称号を持つ。
しかも、前々店主である白龍は、現役でアゥマ使い最高峰であるフーシオの称号を仰せつかっているのだ。
そんな心葉堂を預かりながら、幼馴染という理由で紺樹にまで気を抜いたのは、うかつだった。紅は自分の失態に、舌を打ちたくなってしまった。
「噂話とは言え、副長の前でも話すべきじゃなかった」
至った結論に、紅の心臓が跳ねた。思い出した結果の反省だが、元魔道府の人間として、心葉堂を預かる店主見習いとして、うかつな発言は控えるべきだった。
「何の話なのですか? それよりも、溜まりに関してはだれからの情報なのです? 紺樹から?」
机を挟んで向き合った長官は、目を瞬かせていた。
紅は内心、首を傾げた。てっきり、紺樹から長官へ情報が上がっているだろうと考えていたからだ。ささいな噂話も収集し、不正や異変を見逃さないのが紺樹のやり方だ。
いや、と紅は頭を振る。長官の表面上の反応に、いちいち振り回されている自分を叱咤する。
「萌黄さんから、一度だけ聞きました。副長の前でも一度だけ噂話としては口しましたが、彼からは何も聞いていません」
「紺樹以外には話したのです?」
「おじいと蒼、それに先ほど申し上げてたように紺樹副長だけです。世間では内乱という話になっていますし、信じがたい事象とはいえ、言いまわっていいような内容だとも思えなかったので」
長官はぴっと一本指を立てて、おどけた様子で大きく頷いた。
「身内に留めておいたのは賢明なのです。紅は調査に協力してくれるのですし、根本的な情報を提供しておきますのです」
紅は正直、拍子抜けだった。叱責こそされても、褒められるなど予想外過ぎる。
「亡国は、各方面に関して非常に規制が厳しい国だったのです。国は円状に壁が設けられ、中心部から王宮、研究所や各国政機関、貴族とアゥマ使い、特別商業地区、一般国民の居住区と分かれていたのです。もちろん、それぞれの地区への往来は厳重に管理されており、特別商業地区より内部の特権階級の人間でさえ、外部へ出るには秘匿の術をかけられるのは必須だったのですよ? とにかく、息がつまる国だったのですよぉ」
紅の牡丹色の瞳が大きく開いた。そうしてすぐ、萌黄の言葉を思い出し、軽く頷いた。
クコ皇国とは正反対と言っていいほど窮屈な国だが、おそらく溜まりの数が関係している。萌黄は、亡国はアゥマが豊かでないと言っていた。限られた資源は特権階級とアゥマ研究に優先してまわされる。そして、研究結果を守秘するため、他国からの侵略を防ぐためアゥマの量の漏洩を防ぐため、厳重に管理したのだろう。
それならば、現状の情報量にも納得がいった。
「余談なのですが。秘匿の術の開発者は抹殺されたーって話になっているのですが、実は式神を寄越していて生き延びた、という裏話があるのです。まぁ、どこぞの森に呆れるくらい長年引きこもっていた旧友は『命奪う程度じゃ弱ぇよ。記憶組織壊すくらいやれっての』って、鼻で笑ってやがったのですけどね。極悪人面で。懐かしい思い出なのですよ」
ふっと、長官の視線が遠くにいってしまった。紅は、長官の年齢相応な表情を、始めて目の当たりにした気がした。
と同時に、とんでもない裏話をさらりとされ、紅は愛想笑いを返すのがやっとだ。
(というか、この人は、なんで、内情を詳しく知ってるんだ⁉ っていうか、長官の旧友って一体!)
紅の冷や汗に気がついたのか。視線を戻した長官は、にこりと音を立てて微笑む。
「もちろん、ここだけのお話ってやつなのですよ? じゃないと、わたし。おえらいさんたちに捕獲されて、拷問されて頭の中の情報全部吸い上げられた挙げ句、いやんいやんになっちゃうのですぅ」
指を頬に当てて可愛らしく微笑まれても、今の紅には恐怖をあおる原因にしかならなかった。しかも、口にしているのは、可愛らしさが全力で隠れん坊でもした内容だ。
自分は信頼されているのだ。紅は拳を強く握り、心の中で何度も頷く。そうして、無理に自分を納得させることにした。
「ただ、当事者である華憐堂の娘が紅に漏らしたとなると、やはりかなりの進行具合――」
ぽつりと零れた言葉。
広い執務室に落ちた低い声色は、やけに紅の耳奥に残った。しかし、硬い調子を感じ取っただけで、言葉そのものは明確には聞き取れなかった。
紅は背を正し、長官へ向き直った。
「すみません、良く聞こえなかったんですが」
けれど、長官は紅の言葉には答えず、通信球を軽く叩いている。肩をすくめたのか、長官を包み込んでいる外套が、かさりと衣擦れが鳴った。
口元あたりまで埋まってしまっている顔では、眉尻が垂れていた。
「残念ながら、時間切れなのですよ」
「ですが、長官」
「ともかく、紅には華憐堂の溜まりと、術の被験体の変化には気をつけておいてほしいのです。華憐堂の溜まりの性質を読み解いて欲しいのもあるのですが、特に後者のアゥマの綻びは最優先事項なのです。アゥマを視覚的に捉えられる紅なら、ささいな変化でも、いち早く気付けるのですよ」
執務机の通信球が、再び輝きを取り戻していく。角灯がともっている部屋の中でも、水晶で作られている通信球がひときわ明るくなっている。あれは、この執務室に人が近づいている証だ。
長官の『残念』という言葉を察するに、各部署へ書類を配りに出ていた陽翠と陰翡が戻ってきたのだろう。きっと、魔道府外へ出掛けていたという紺樹も一緒だろう。
「かしこまりました。オレの役割は充分すぎるほど理解しました。ちなみに、依頼の件は――」
「もちろん、紅とわたし、ふたりだけのあまーい内緒ないしょなお話なのですよ。前者はともかく、後者は蜜月並みなのです」
長官の言葉の選択はともかく、紅は得心がいった。
わざわざ陽翠と陰翡を騙してまで、紅に古書――禁書を読ませた理由。
(それは魔道府として表向きな依頼は、華憐堂の溜まりに関する調査だ。それだけならば、古書の知識は不要だったはず)
だが、反魂の術を施されている被験体が存在する証拠を見つけ、何らかの対応をするのであれば、必要不可欠な知識だ。
紅は、深く息を吐く。正直、今日知りえた事実に、頭は爆発寸前だ。心も揺らいでいる。
(けれど、外側からやきもきするよりは断然ましだ。自分の手で、心葉堂を――蒼を守れる)
紅の拳に力が入った。




