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禁書①―紅の決意―

 長官室から出ていく陰翡と陽翠。

 その背中を頭巾の中から上目で見つめていた長官は、重厚な扉が完全に閉まったのを確認するとため息をついた。小さな指が報告書に落ちて、微動だにしない。


「それで、オレの仕事ですが」

「えっ、はい。って紅、陽翠の話聞いていたのですか?」


 つんっと、長官の唇が尖った。右手で頬杖を付き、恨めしそうな目で紅を見つめてくる。左手は、先程から動いていない。

 紅の人差し指が、報告書の角を叩いた。


「今から心弾む話をしようとしている人間は、そんな重々しいため息つきませんよ。長官のことです。陽翠に言われた通りおしゃべりするにしても、報告書を視界に入らない所に置きますよね? なのに、ずっと、触れてます。それに、何より――」


 紅は射抜くように長官を見やる。

 身を引いた長官は、胸の前で腕を交差させた。身を守っているつもりだろうか。怯えられるほど、距離を詰めたつもりはなかったのだが。


「えっと。すみません」


 紅は後頭部を掻いた。大きめの裾がずり落ちた。


「それに、わざわざ陰翡と陽翠を部屋から出してまで、おしゃべりに興じる長官じゃないこと位、わかってますよ。一人のんびりしたいなんて思わないっていうのも、重々承知ですから」

「あぅ。わざとらしかったですかね、やっぱり」

「いえ、あまり普段と変わりなかったですよ」


 紅はとぼけた顔を作る。長官の耳がわずかに染まった。そして、居心地が悪そうに


「それはそれで、嫌なのですよ」


と、そそくさ長官席に逃げていってしまった。

 長官は背伸びをして、机上の通信球に小さな指を触れさせた。小さく唇を動かすと、通信球は眩しい光を放ち、ぶぉんと音を立てたかと思うと、ただの水晶玉になってしまった。


(受信の調節もできる通信を遮断するほど、警戒すべき内容が記されているのか……)


 紅は手元の報告書を見つめる。飲み込んだ唾液が、喉の奥で引っ掛かった。今日だけで、何度目だろう。


「こういう時は、まず深呼吸するといいのです」


 いつの間に戻ってきたのか。はっとして顔を上げた紅の隣には、渋面の長官が腰掛けていた。


(自分は、よほどひどい顔をしていたのか)


 紅は恥ずかしさと緊張で、大きく息を吐いた。そのまま背を伸ばしながら、呼吸を整えた。

 紅は重々しい装丁の報告書を、両手で持ち上げる。


「この報告書、厳重な封印を施されている割に、随分と薄いですね?」


 陽翠からも魔道府で集められた資料が微少なことは聞いた。しかし、手にしている報告書の厚みは、片手で容易に掴めている。衝撃的な内容が量少なく記されているのだろうか。それにしても、厳重な封印に守られていた。

 長官が扉へと目を移す。紅に戻ってきた瞳には、底知れない光が宿っていた。


「紅に見て欲しいのは、裏表紙の中にある資料の方なのです」

「裏表紙の中?」


 言葉を繰り返した紅に、長官は


「なのです」


と掌を打ち合わせた。

 紅は報告書を裏返し、立派な装丁を叩いて開こうとするが、びくりともしない。

 

「ちょっと待ってくださいなのですよ」


 長官がおもむろに服の中から首飾りを取り出した。水晶の中にアゥマが入っているが、紅は見たことのない色だ。長官の手が報告書の裏側へ伸びると、七色の光が溢れた。咄嗟に、紅の身は引いていた。封印が施されていることに、全く気がつかなかった。


「これは――」


 裏表紙を捲ると、ややくたびれた紙が出てきた。

 これが、封印を悟らせない必要がある程、重要な機密。

 高鳴る胸を押さえ、文字に目を滑らせる。が、古語で綴られていて、全く解読できなかった。


「それは、とある貴重な古書の一部なのです。特殊技能職人を意味する『クネパ』という言葉が消え、『ティエンチ-天職-』という言葉が使われるようになった年代のモノなのですよ」

「『クネパ』ですか」


 紅にとっては未知の単語でもなかった。修行途中に里帰りしてきた蒼に、知っているかと尋ねられたことがある。しかし、残念ながら、紅には妹の疑問に答えてやれる知識はなかった。蒼もどうしても知りたいという訳ではなかったらしく、すぐ別の話題に移ってしまった。

 気になった紅は、その後も文献を色々あたってみたが、めぼしい情報は得られず仕舞いだった。が、余計なことは言うまい。


「所有者さえも不明なのですが」


 長官の小さな人差し指が、ぴんと元気よく立った。


「世界中で完全な状態で保有されているのは、ほぼないと思って間違いないほど、希少な――というよりも、古代行われた焚書(ふんしょ)対象になった禁書なのですよ。また、古書自体に施されている封印を解除可能な人間が限られているモノなのです」

「焚書ですか。古代行われた、特定の思想や学問それに宗教など排斥したっていう、言論統制ですね。アゥマや溜まりを悪用したり権利を独占したりしようとした集団が横行した時代に行われたと、歴書で読んだことがあります」


 今までの話だけでも、相当貴重な古書だとは充分わかった。

 大枠を理解しても、極秘情報とされる古書の一部にどんな記述があるのか、紅に具体的な内容の想像はできない。

 けれど、存在自体が異端なことは明白だ。


「長官?」


 てっきり歴史講義を始めてくれると思った長官は、さっさと手を下ろしてしまっていた。

 一瞬、紅は、長官に焚書を語りたくない思い出でもあるのだろうかと考える


(いや。幾ら長官が姿を変えながら数百年生きているとはいえ、ほとんど記録の残っていない言葉が、広く使われていた時代まで遡ることはないだろう)


 紅はたいして気に留めず、報告書に目を落とした。


「難解な古語で書かれていますね。しかも、古書自体にも厳重な封印が施されている気配があります。一体、どういった内容の本なんですか?」


 前半に綴られている数枚の紙とは異なり、古書の一部という紙はやや黄ばんでいる。それでも、古書の年代を考えると、触れても崩れないあたり、申し分ないくらい保管状態は良い方だろう。下手をすると、つい最近空気に触れた色にも見えるから不思議だ。

 もしかしたら、どこか厳重に保管されていた場所から、今回の情報として、近日出されてきた可能性もある。


「簡単に言ってしまえば、古書全体としては、古代からの歴史や溜まりについて書かれた本なのです。わたしが読み上げてもいいのですが、できれば紅に直接読んで欲しいのですよ」


 長官は魔道に深く通じている。もちろん、ありとあらゆる古代語に精通もしている。であるのに、手間を掛けてまで、直接紅の目で読んで欲しいというのか。


「オレも有名どころな古語は解読できますが、これを即訳するのは……」

「そこは、長官におまかせなのですよ」


 長官は硬く瞼を閉じた。右の指先に意識を集中させる。爪先にほのかな灯が宿り、紙へと吸い込まれていった。額に滲み出てきた汗が、首筋を流れていく。

 そうして、じっと古書と向き合って長官は、ややあって古語に指を滑らせた。指を追って光の帯が現れ、文字が姿を変えていった。


「さすがですね。あっという間に、全て現代語に訳されています」


 紅は両腕を伸ばし、古書全体を眺める。長官の静かな様子から簡単な術に見えるが、かなりの技術を要する解読術だ。

 長官は長く息を吐くと、取り出した手絹で汗を拭いた。心地よい汗をかいた風だ。硝子杯を煽り、一気に茶を流し込んだ。


「紅も知ってのとおり、古代語の解読には、二通り方法があるのです。古語を覚え訳す、それと魔道の解読術を駆使して現代の言葉に置き換える。後者は、術者のアゥマ制御の能力に大きく左右されるので、時々、とんでもない訳になることもありますです」

「そうですね。でも、長官のように、変える古語自体の知識があれば、正確に訳せますよね」


 字面だけを流し見るが、奇妙な文字は見当たらない。きっと内容も、原語と寸分違わないのだろう。

 紅の視線を受けて、長官は胸を張った。右の人差し指が楽しそうに左右に振られる。


「なのです。訳を書き写すよりは、断然楽なのですよー」


 しれっと口にしたが、彼女(レベル)の術と知識者だからこその台詞だ。

 紅はこっそり肩を竦めた。

 それと同時に、この人と立ち並んで会話が成立している白龍は一体何者だと、孫ながら本気で首を傾げてしまうのであった。


「長官ならではの、お言葉ですね。本当にすごいです」

「そうですかぁ? 白だったら、憎らしいくらい、表情も変えずに、ぺぺっとやりそうなのです」


 紅が考えていたように、長官は白龍を引き合いに出してきた。


「おじいは不思議な人ですから」


 紅が報告書に目を落とせば、普段読む本のように自然と内容が流れ込んできた。途端、紅は恐ろしくなり、目を逸らしてしまった。



(焚書を逃れた古代の禁書の一部を、自分が読もうとしている。識ろうとしている)


 好奇心に胸が踊るのと同時、識ってしまう重責に全身が痺れた。

 心臓から気持ち悪いほど、どろついた血液が巡っている。手の感覚が鈍くなっている。


「紅が珍しく動揺している姿を見られるのは楽しいなのですけど、肩の力を抜いてくださいなのです」


 長官が、くすりと笑った。

 決して馬鹿にされているのではないのは、わかる。けれど、いつか母親に向けられた表情と重なって、ほっとしつつ、紅は気恥ずかしさで頬を打った。

 これが心葉堂の書庫や、古書店で手にしていたなら、好奇心とわずかな恐れだけで済んだのだろう。

 しかし、今、紅は魔道府長官の眼前で、任務のため識ろうとしているのだ。


「やはり……少し怖いです。識ってしまったことは、記憶から消せないから」


 それが知識とは異なる情報だったとしても。

 いや……紅の直観だ。

 これから目の当たりにする情報はきっと単純に『知識』と処理するものとは違う次元――何かしらの感情が絡んでくるだろう。


(心身が裂かれ続ける痛みと苦しみ。オレはしっている)


 紅は今でも覚えている。忘れられない。あの日の、瞳と喉が焼ける絶望を。


「紅の言うとおりなのです」


 長官のささやきほどの声に、沈みかけた紅の顔がわずかにあがる。


「向上心や探究心があれば、今の時代、知るという行為自体はさして難しいことではないのです。それは最早、人の感情に触れるのと同等と言っても過言ではないのでしょう」


 紅の肩がびくりと動いた。長官が敢えて、後半を付け足した意味を理解して、己の未熟さに嫌気がさした。


「知った後、どう行動するか、考え受け止めるか。何よりも、それが大切なのですよ。『知る』を『識る』に変える行為こそ、大事なのですよ? そして、紅はわかっているはずなのです。だからこそ、今の紅があるのです。優しくて、家族思いで、信念を持つ、紅がいるのです」


 不覚にも、紅の目がじんわりと熱くなった。


 幼いあの頃、知ってしまった自分の生い立ち。


 ただ紅は、全てが長官の評価通りではないと思っている。紅が苦しんだ挙げ句、考え受け止められたのは、蒼のおかげだ。ひどい態度を取り続けた自分を諦めず、しがみ付いてくれた蒼。そして、寄り添ってくれた家族のおかげだ。


「オレが今のオレでいられるのは」


 紅が今度こそしっかり前を見据える。


「蒼がオレを諦めずにいてくれたからです。自暴自棄になっていた時、蒼がオレにくれた想いと言葉がなければ、きっとあのまま、荒んだ人間のままでした」


 長官は頬を緩ませた。幼子の姿には似合わないくらい、柔らかく。


「それでも、蒼の想いを受け入れたのは、間違いなく、紅自身なのですよ」

「受け入れた、というか甘えた、というか」


 一変して、年齢相応な様子で頭を掻く紅。

 長官といえば、そんな紅を前に、さらに深い笑みを浮かべた。それはそれは、嬉しそうに。


「蒼や家族の想いを心底理解し、寄り添ってくれる想いを受け止めて、素直に感謝する。それって、人が考えているよりもずっと、とってもとても難しいのです。特に甘いだけの言葉でないほど」


 伏せられた珊瑚色の瞳に、潤みが漂った。


「何気ない、そして受け入れがたい塊。自分を否定する雑音として払いのけるか、まっすぐ自分に向けられた針として痛みを感じるか。それは大きな分岐点となる」


 なぜだろう。長官の温かい言葉は、紅だけに向けられたモノではない気がした。どこか、自分に言い聞かせているようにも、思えた。


(それでも、今の言葉は――たぶん長官が踏み込んで欲しくて零した音とは違う。オレのための言葉だ)


 紅は、そう思った。だから、歯を食いしばる。


「ありがとうございます。そう言っていただけたことに恥じない自分であるよう努めます」


 今の自分には守るべきものがある。知った事実をどう生かしていくのかが問題なのだ。

 紅は腹をくくった。


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