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クコ皇国の茶葉堂②―兄妹と紺樹―

 蒼が作業机に幾つかの壷を並べ始め、しばらくして。鈴の音が店先に響いた。それと同時に、蒼の手元にある硝子(ガラス)製の角灯が明かりを灯した。

 細い柄の付いた置き型のそれは店先にもあり、来客があると共鳴しあう仕組みになっている。奥の備品庫にいても客に気がつくことができる優れものだ。


(朝一に来てくれた雄黄さんぶりのお客さんだっ!)


 蒼は顔を輝かせながら大急ぎで踵を返す。


「いらっしゃい――」


 仕切り布から勢い良く顔を覗かせると、両端で高めに束ねた髪が跳ねた。その直後、店内に漂う空気に冷や汗が流れた。蒼はすぐさま状況を理解する。

 蒼が恐る恐る布をくぐると、長身の見知った青年が笑顔で手を振ってきた。


「やぁ、蒼は今日も元気ですね。その笑顔を向けられただけで、私も気力がわきます」

 

 女性のみならず、老若男女を魅了する甘い微笑み。おまけに低すぎず、高すぎず心地よい声。

 それを向けられた蒼は頬を赤らめたりなどせずに、前にいる兄へにじり寄る。蒼がちらりと視線を向ければ、案の定、紅は殺気満載に目を吊り上げていた。


「いらっしゃいました。がっ! 魔道府副長殿、お帰りは回れ右して見えた扉から駆け足でどうぞっ!」


 蒼の『いらっしゃい――』という言葉の後を継いだつもりなのか。客に、どうにも失礼な台詞をぶつけたのは紅だった。

 想定内の展開に、蒼としてはある意味で安堵した。胸を撫でおろして、青年に向き直る。


「あらためまして、こんにちは。蒼に紅」


 一方、紅から失礼極まりない不機嫌さをぶつけられた青年は、笑顔を保っている。

 青年は二十代半ばといったところ。夏の天高い午後、海から吹いてくるような爽やかな空気を漂わせている。踝まである裾の長いすっきりとした青紫基調の、黒く縁取られた胴衣を身に着けている。衣服は肩から胸にかけて、月や唐草模様が入り混じった細かい赤金の刺繍が施されている。

 ひと目で上質な服だとわかる魔道府の上席のみに支給される制服だ。それを嫌味なく着こなしているのが、もはや嫌味っぽいと言えるだろう。


「いやはや。それにしても、愉快なお出迎えでしたね」


 軽い中音程の笑い声が、静かな店に心地よく広がった。

 しかし、それを心地よいと感じたのは蒼だけだったようで。紅は、思い切り口を歪めている。そして、先ほどの、口調は至極丁寧に、けれど語気は随分と棘のある低音の挨拶を直訳し、


「そっこく帰れ。蒼にちょっかい出しにだけくる、厄介者め」


再度、青年に投げつけたのだった。

 容赦ない言葉をかけられても、相変わらず晴れやかな顔で手を振る青年に、蒼は少し苦めの笑みを浮かべた。兄の心情も理解して、若干口元が引きつってしまったのだ。


「気苦労のあまり、正しい言葉が使えなくなってしまったのですか? ねぇ、紅」


 そう言いながらも、笑みを崩さない青年。それがまた、胡散臭い笑顔の清涼感を増した。


「はい、はい。いらっしゃいませ、紺樹(こじゅ)次席副長殿。それでもって、店長代理をからかわないでくださいよ」


 蒼が腰を折ると、紺樹と呼ばれた青年が胡散臭い笑みを深めた。『あぁ、これは兄と副長の両方から面倒臭い反応がくるやつだ』と蒼はうんざりしてしまう。


「蒼のよそよそしさに胸が痛んでしまったので、至急、心を癒すお茶が必要です」


 実年齢よりも幼く見えると評判の顔は、笑顔を浮かべていると一層ぐんと年齢をさげた。


「っていうか。茶番はやめるよ。紺君ってば、紅をいじるのが目的ならやめてよね」


 蒼はため息交じりに目を据わらせるが、睨みを利かせている紅と、年齢の離れた幼馴染の紺樹の静かな攻防は終わらない。


「それにしても」


 蒼は空気を変えようと大げさに両の手を握り、紅に哀れみの目を向けた。

 こんな時は兄を標的にした方が話は進むのだと、彼らの()()()()が始まってからの経験上で知っている。


「紅ってば若いみそらで憐れなこと、この上ないよ。脳疲労に効くお茶、浄練しようか?」

「だれのせいだ、だれの。つーか、お前のせいだと自覚しろよ、妹よ」

「責任転嫁は感心しませんね」

「副長はうっさいですよ。兄妹の事情に口を挟まないでくれますか?」


 十六の蒼と二十六の紺樹、二人の間の年であるはずの二十一の紅は、この中のだれよりも疲れた様子で大きく肩を落とした。人知れず横腹に添えられた手が、哀愁を深める。深く皺がよった紅の眉間を見ている蒼の方が、苦しくなりそうだ。

 けれど、そんな兄の様子を無視して「あっ、やっぱり?」と、蒼は軽い調子で笑う。


「やれやれ」


 実際にそう呟いてみせる人間も、そういないとは思うのだが。男性陣のどちらからともなく、呆れたような乾いた声が漏れた。


 そんなため息に、蒼はさすがに自分が標的となったことをまずいと考え、あたかも今気が付いたというように掌を打った。

 予想以上に響いた音。その音にひかれるように、紅は諦めた様子で顔をあげた。紺樹も、腕を組んで円卓に腰を預けたまま、上半身だけ蒼へと向けなおした。蒼は紺樹の両隣を指差し、首を傾げる。


「そういえばさ、紺君」


 うっかり、慣れた呼び方をしてしまう。一旦言葉を切り、横目でちらりと紅を見る。視線の端に写った紅は、予想にたがわぬ表情を浮かべていた。今日は殊更不機嫌な兄の視線を受けて、


「――じゃなくて、副長は珍しく補佐殿たちは一緒じゃないんですね?」


蒼は面倒くさそうに訂正をした。

 紺樹も『昔のように呼んでください』などとは、いつも以上に毛を逆立てている番犬の前で口にしない。空気が読めなさそうで意外に敏感な紺樹は、蒼と目を合わせて困ったように口の端をあげるだけ。

 紅だって学院卒業までは『紺兄』、魔道府に入府してからは『紺樹先輩』と慕ってくれていたのにと、寂しく思っている紺樹の心情を察して蒼は小さく乾いた笑い声をもらした。


「彼らは野暮用でね。特別に私のおもりはお休みです」

「自分で言ってしまわれるあたり、救いようがないですね。っていうか『おもりされている』自覚はあったんですか」

「おや、紅。心外ですね」


 何がどう心外なのか。紅が反論する前に、紺樹は櫃台へ近づくとやたらと真面目な顔をつくってみせた。そのまま、折りたたまれた紙を蒼に渡す。


「あれ、紺く――副長、この注文って」


 蒼は紺樹から受け取った注文票に目を走らせながら、首を傾げた。

 紺樹は、そんな蒼の様子を楽しそうに眺めている。口の端を頬にまで伸ばし笑顔全開で。子どもみたく、櫃台に頬杖をついたままの彼は、


「注文については蒼に任せますよ。それは置いておいて。最近、忙しくて」


と付け足した。

 幼少期からの付き合いである蒼は、紺樹があからさまに話題を切り替える時は深く追求しないように心掛けている。ただ、紅からは「へぇっ」と憎々しい声があがった。


「忙しい部下を置いて、自分はそれこそ野暮用のお使いですか。こういうことこそ、オレの元同期である翡翠双子に任せればいいものを」

「何を言うんですか。我らが長である魔道府長官殿が口にされるお茶ですよ? いくら魔道府御用達の店とはいえ、瓶に詰められるところまで私が直接確認しなければ」


 わざとらしく。紺樹はひどく驚いたといった様子で目を見開いた。

 この国の中でも老舗中の老舗である心葉堂。いくら紺樹が国の重要機関に務める人間とはいえ、その店に対しての発言としては失礼だ。とは思わない。少なくとも蒼は。理由をあげればいくつかあるが、紺樹は蒼が六歳のころから家族同然の付き合いをしてきているのだから。

 紅とて同じ気持ちだろうに。紅は攻撃のきっかけを見つけたと言わんばかりに、目を細めた。


「あぁ、そうですか。なぁ、蒼」

「え? そこで私にふるの?」

「聞いての通り。副長殿は、歴史ある、しかも蒼とオレが切り盛りする、両親から受け継いだ大事な店を疑っていらっしゃるそうだ。副長殿も十六の頃からうちの両親に可愛がってもらっていたにも関わらず」

「紅ってば、苗おばさんと一緒に茶房にいるおじいの存在は無視しちゃうのかな」

「いや、気にかけるところが違うだろ。お願いだからオレの話を聞いてくれ、っていうか、言わんとしている事を察してくれ」


 顔を覆った紅を前に、蒼は堪えきれずに笑い声を響かせた。

 もちろん、紅が自分を味方につけようとしたのはわかってはいたが、ついつい逆に苛めてしまう。大げさに櫃台に崩れ落ちる兄の反応は、いつもながら愉快だから。

 一方、紺樹といえば……。鋭い紅の目を軽くかわし、


「蒼に会いに来られるなら、いくら誤解されても構いませんよ」


などと、爽やかな笑顔を浮かべた。灯籠の淡い灯が広がる店内でもはっきりわかるほど隙のない笑顔。通りがかりの人ならば、老若男女問わずに、頬を染めるのだろう。

 けれど、蒼は立てた人差し指を左右に揺らし、抗議の声をあげる。


「紺君さぁ。それって嬉しいようで、実は微妙じゃないかな? 結構、自分本位だよ」


 蒼としては純粋に素直に嬉しい言葉だが、かなり一方的な感じがする言葉でもある。

 紺樹は、実年齢に不相応な少年さながらの食えない笑みを浮かべた。


「蒼、大丈夫です。自覚はしていますから」

「副長、それ全然大丈夫違いますから」


 蒼は紅と目を合わせ、頬をひきつらせた。

 紺樹は昔から飄々とした人物で、どこからどこまで本気かわかりにくい人ではあった。


(少なくとも、私が修行から帰ってくる前は、割と融通がきかない硬派だったよなぁ。なのに、最近はもっぱら冗談か判断しがたいことばかり口にするから、反応に困ってしまうんだよね)


 数ヶ月前に両親が他界した後、兄の紅は魔道府を辞めた。魔道府は国の中でアゥマ関係を取り仕切る精鋭機関(エリート)だ。首都の防衛からアゥマの研究まで幅広く取り扱っている。

 蒼が思うに、紅が幼少の頃から憧れていた勤め先でもある。紅本人は口が裂けても言わないが、蒼も知る彼の親友たちは一様に、紅は魔道府の期待の星と称えていた。


(なのに、お父さんとお母さんが亡くなった時に、すぱっと辞めちゃったんだよね。紅は違う理由を言うけれど。店を継ぐ私が修行半ばの半端者だったんだもん。お兄ちゃんが支えなきゃって思ったんだろうな)


 今の時代では慣習になってしまってはいるが、職人は他店へ二年間修行に出る決まりだ。蒼も、祖父のかつての好敵手(ライバル)だった師匠についた。


 だが、蒼が国外での修行を始めてから約一年半ほどして、両親は不慮の事故で他界した。アゥマ使いの大規模な会合中に大事故が起きたため、被害者はかなりの数にのぼった。

 それにより、首都だけではなく、溜まり管理者である国中の店が世代交代を余儀なくされた。

 心葉堂も同じだ。両親が切り盛りしていた心葉堂を、先々代の茶師である祖父の白龍と兄の紅、そして修行半ばで帰ってきた蒼の三人で切り盛りせざるを得なかった。


 それから、紅が人食い薔薇を背負うようになった。紺樹に対してだけ。

 正直なところ、蒼は自分が不在の間に大きないざこざでもあったのだろうかと思ったくらいだ。蒼が修行に出る前は、紅は紺樹を尊敬し、紺樹は自分の弟よりも紅を可愛がっている節があったのだから。

 ところが、紅は問題発生を否定するし、紺樹は曖昧に笑って誤魔化すだけだ。


(まぁ、紺君が発する得体の知れない寒気で、若造茶師だと知ってちょっかいをかけてくる冷やかしの客を減らしてくれていることには、感謝しているけど)


 ついでに、若い男の客が店に滞在する時間が短くなったと、白龍がにやついていたのは気になるところだが。蒼としては実害が減っているので感謝するだけだ。

 もはや幼馴染というより保護者の暗躍をする紺樹に、蒼はくすぐったく笑ってしまう。


「あっ、でも、それは紺君がいない時も同じだから関係ないか。むしろ、帳簿――閻魔帳と睨めっこしている紅の方が怖いかも」


 ぽつりと、蒼は独り言を呟く。まさに、ちょうど今のような状況だ。

 視線を向けた先で、紅は飽きることなく低く唸っている。そのうち目を血走らせるのではと、さすがに心配になった。


「さて、店長さん」


 蒼は仕事をするために、腰をあげた。


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