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鍵②―あの日― 

 蒼の意識の中に風景が流れ込んでくる。どれも記憶の中にはない。幻の風景の中にいるのだ。

 あまりの無音状態で、耳が痛んだ。一方、あんなにも苦しかった呼吸は、平常通りに戻っている。鉛のように重かった身体が、嘘のように軽い。むしろ羽でも生えたのかと思えるほどだ。


「あれ? 私、書庫で倒れたはずなのに」


 蒼はぐるりと辺りを見渡した。立ち上がった目線に広がるのは、真っ白な空間。

 どうしてだろう。蒼にはこれはアゥマが見せている幻、もしくは夢の中だとわかった。

 蒼は右の掌を覗き込む。


「やっぱり。懐中時計が見当たらない。でも、強い力は未だに感じられる」


 あんなにも根を張るように付いていた懐中時計が突然消えるとは考えがたいし、未だに共鳴が続いている感覚がある。とすれば、ここはやはり、アゥマが見せる幻影の世界と考えるのが自然だ。蒼は自分でも驚くほど、すんなりと、そんな考えが浮かんできたのだった。


「このアゥマは、ひどく強い香りがする」


 先程、実際目にしたアゥマも、どろっとしていて重みがありそうだった。現代のアゥマが清涼でまろやかなのに対して、電気を発しているようにぴりっとした刺激を与えてきた。触れた際も、いつものように心安らぐのではなく、緊張感で全身が強ばってしまった。


(濃密なアゥマって、もっと澄んでいて馴染むものだと思ってた。だけど、これは……毒、しかもとても強い性質のものみたいだ)


 アゥマは全ての穢れや汚れを『浄化』するもの。そう教えられてきたし、実際、蒼はアゥマ使いとして『浄錬』を行っている。

 浄化作用を持つはずのアゥマ。それ自体を『毒』だと考えてしまうなんて。浮かび上がる矛盾で、眉が思い切り顰められた。

 ぎゅっと強く瞼を瞑った蒼だったが、そこでふと思い出す。丹茶の存在を。


 丹茶とは、現在の蒼が作れずにいる特殊な茶のことだ。


 身体の病には原因となる性質の菌類を、心の病には近い性質のアゥマの粒子を、核を保つぎりぎりの状態まで浄錬し茶葉に練りこむ。そうして、最終的に、利用者の診断を行い、個人に合わせた再浄錬を施行し完成するとても手間のかかる茶だ。

 病の元や心の奥底に触れるため危険を伴う。だから、精錬された技術を要する。そして何よりもアゥマとの共鳴の才により効果を左右されてしまうので、作る人間が限られてしまう茶葉なのだ。

 それと似ていると、蒼は喉を鳴らした。


「毒を以って毒を制す」

 白龍や紺樹が、政の話をしている時に耳にする言葉だが、以前は師匠から言葉通りの『毒』という意味でも教わったことのある諺だ。


 その際にあわせて教えて貰ったのが、修行場となった桃源郷以外では伝わっていない歴史だ。

かつてこの世界は、穢れによってあらゆる生命が壊滅寸前だった。それを救ったのが、生命の樹であるヴェレ・ウェレル・ラウルス。樹から生み出されるアゥマが、この世界を瀕死状態から救ったという。

 ここからだ、その隠された歴史。その原始のアゥマは『浄化』というよりはむしろ、より強い毒の性質を持ち、毒を抑えたとも言われていた。また、人間はその毒を取り込むことによって何かしらの対価を払い、古代の人間と同じ形態を保ったまま生き延びられたのだと。


 蒼は驚愕と共に興味も抱き、師匠へ詳細を教えて欲しいとねだったのだが……。


――つい、興が乗ってよけいな話をした。これはあくまでも数多ある原始研究の一説であり、今では禁書に分類される文献にある記述なのだから忘れるように――


 普段は物静かな師匠に、珍しく強い口調で釘を刺されてしまった。

 薄れていく身体の感覚に反して、やけに思考は冴えていく。覚えていると、師匠の言い付けを破って調べてしまいそうなので、忘れようと修行に没頭した。


「そのあとは自然に忘れてしまっていたことなのに」


 そうこうしている間にも、蒼の周りで風景は流れている。蒼を取り囲むようにぐるぐるとまわっては姿を変えている。もしかして、この濃い――原始の、と言ってもいいのかもしれない――アゥマが見せている記憶なのだろうか。


「七色の花びらが舞う滝に、空へと登っていく雫」


 この世のものとは思えない美しい光景だ。

 そうかと思うと、赤黒い物体が積み重なっている灰色の大地や重々しい雲がぎっしりと詰まっている天が現れた。雲はひしめき合いながら、息苦しそうに流れていく。


「ありとあらゆる場所のアゥマが、この濃密なそれに引き寄せられているみたい」


 けれど、蒼が客観的に見つめる余裕はなくなっていく。

 見る景色が増えて行くほどに、苦痛を感じるようになっていた。軽くなったはずの身体が押しつぶされそうに重くなっている。ひたすら頭が割れそうに痛むし、喉の奥がきつく締り呼吸もままならない。全身から吹き出してくる汗が、気持ち悪い。

 しかも、それらが本当に自分の体に起きていることなのか、幻の中にいる自分にだけなのかは、わからなくなっていくのだ。

 ついに、蒼は膝から崩れ落ちた。


(アゥマが身体を支配していく。こんな感覚は初めて)


 いつもは血液に混ざり、穏やかに全身に廻るアゥマ。それが、浄錬を行う時に意識を集中させると、肌に温度を感じるようになる。とくんとくんと、身幹から指先まで行き渡っていくのを感じられるのだ。それが、とても心地よい。

 けれど、今はどうだろう。蒼は胸騒ぎを覚えていた。アゥマが、皮膚にねじ込まれているようだ。いつもの共鳴をはかる際の、柔らかに染み込んでくる感覚とは全く違う。身体へ侵入してきたアゥマは、気持ち悪く皮膚の内側を走っていく。そうして、いつの間にか血の流れに混ざり、頭へと到達してきていた。


「いっや、だ。まるで、私が、私いがいの、なにかに、なっちゃうみたいな感じが、する」


 最初は決して拒否感など抱かなかった。現代のアゥマは非常に穏やかで、ほとんど癖もない。しかし、白龍が出先から持ち帰る品や、時々ではあるが心葉堂の溜まりに沸いてくるアゥマの中には、非常に個性的で人間に対して反発するモノも存在はする。そういうアゥマとは時間をかけて向き合うか、強引に体内へ招きいれ溶けあうこともある。

 だが、この濃いアゥマにはそういった隙が全くない。それを悟ってしまうと、蒼は戸惑いを隠せなくなっていった。最初は強引な干渉の仕方にこそ驚いたものの、嫌悪を感じたり抵抗したりするつもりは毛頭なかったのに。


「乗っ取られる……?」


 ふと零れ落ちた言葉に、蒼は驚愕した。まさか、そんなことあり得るのかと。

 もしかしたら、原始のアゥマとは、本当に毒と紙一重の存在だったのだろうか。

 アゥマが身体の隅々まで支配したのではと思った瞬間。このままでは、蒼自身を見失ってしまうのだと感じた、その刹那。


――おとーさ……ん、おか……さん――


 それは蒼の声だったのか、それとも耳元で泣いただれかの痛切な呼びかけだったのか。

 蒼が気にするよりも早く、目の前に現れたのは――とても大切で、大好きな両親だった。


「お父さん! お母さん!」


 今度こそ蒼が声をあげた。必死に体を起こす。手を伸ばせば、つんのめってまた倒れ込んでしまった。

 周りには両親の他にも大勢の人々がいる。ほとんどの人々が下を向き沈んだ表情を浮かべる。

 それまでの映像の大部分は風景が占めていたのに対し、今は人間の姿だけがやけにはっきり浮かび上がっている。逆に、周りの状況はぼんやりとしていてほとんど認識できない。

 涙で頬を濡らしている者もいる。皆、蒼が良く知っている顔だ。浄錬の儀式を行う際の衣装を身に纏っている。けれど、それ以上は霞がかかってしまっていて、非常に不明瞭だ。


「お母さん、お父さん!」


 蒼は痺れている腕を、なんとか前へ伸ばそうとする。

 死に目に会うことができなかった、大好きな両親。現実でも幻でも、どっちでもいい。目の前に両親の姿が見える。その事実だけで、アゥマを振り払い、反射的に手を突き出していた。

 しかしながら、蒼の想いも虚しく両親に触れるどころか、数歩進むことすら叶わない。


(どうして! どうして、いつも肝心な時に、私は無力なのっ!)


 絶望で蹲り、地面に額を擦りつける。


――あなた、大丈夫よ。紅と蒼なら、絶対に幸せになる道を選択できるから――


 母のあたたかい声が降ってきて、目の前に波紋が広がっていった。波は蒼よりも一回り大きく広がっただけで、すぐに消えてしまう。まるで、その範囲だけが蒼の居場所であると言うかのように。

 蒼は、苦痛に歪む視界を何とか広げて、顔を上げる。へたり込んだ状態で、何とか上半身だけは、起こすことが出来た。


(ここは、たまり?)


 そう、両親たちは溜まりにいるのだ。だけど、どこのだろうか。どうしてだろう。それ自体は見慣れているはずなのに、違和感が胸をざわめかせる。

 基本的に、己の鎮守する溜まりに、他者が足を踏み入れることは禁忌だ。禁じられているというよりは、一種の縄張りのようなものだ。

 話を聞く限りでは、溜まりによって管理者の特徴があり、光景は異なっているのだそうだ。とすれば、ここはどこの溜まりなのだろう。疑問が蒼の頭を埋めていく間も、事は進んでいく。


(煙?)


 突然、何かを話している両親の姿を遮るように、蒼の眼前に小さな黒い煙が現れた。蒼の頭上よりも幾分か高い宙で、徐々に膨らんでいく。やがて手毬ほどまで大きくなった煙。中心あたりはわずかに色が薄く、灰色をしている。それが、まるで厭らしい笑みを浮かべているみたいで、気色悪い。

 蒼は目を見開き、それを見上げた。すると、さらに奇妙なことに、球体の両側から黒い腕らしきものが生えてくるではないか。丸い身体に異様に長い腕、三本指の大きすぎる手。全ての均衡がとれていないと感じられる姿だ。


(私、知ってる。あれを、知ってる)


 それは、幼いあの日。川に落ちた蒼の足を掴んだ正体不明な存在の手に似ていた。片方は蒼の方へ、もう片方は両親たちのいる方へ伸びていく。

 蒼は何とか立ち上がろうと、躍起になった。過去を掴もうなど、なんとも愚かなことだろう。承知はしていても、別れを告げられなかった大切な、とても大切な人たちが目の前にいるのだ。その人たちに向かって、恐ろしいものが襲い掛かろうとしている。動かずにはいられなかった。


(体が、ちっとも動かない!)


 伸ばしていたはずの腕は床に落ち、身体さえ這い蹲っている状況だ。神経が痛み筋肉が裂けるような感覚が蒼を襲う。骨が軋む。そのまま人形のように、簡単にばらばらになってしまいそうだ。

 両親の死に向き合えたと思っていたのに。辛さを乗り越えたと思っていたのに。過去は変えられないと悲しいほどにわかっているのに。

 いや。そんなことはどうでも良かった。ただ、今、そこにいる両親に危険が迫っていると感じたから、守りたいと思う。それが、現実になんら影響を及ぼさないとしても。


(あれは危険だっ! 理由なんてわからないけど、駄目! お母さんもお父さんも、連れて行かれちゃう!!)


 蒼は、自分と彼らを隔てている霞みをがむしゃらに掻き分けた。激痛のあまり上手く動かせないでいるため、ただ肩を大きく動かし腕を放り投げているだけに見えるかもしれなかったけれど。遮られていく姿を追い求めて。

 蒼自身へも、黒い手は絡みついてくる。どんなに振り払っても、肌を焦がして触れてきて。飛び散った手の一部が小さな紙切れのようになり、蒼の口腔内から体内へと入り込んできた。


 呼吸が、とまった。


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