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鍵①―黒い意志―

 どれくらい沈黙が流れたか。静かな空間には、相変わらず浅葱が鳴らす音のみが響いている。



 とてつもなく広い書庫なうえ、天井も高い。今、蒼たちがいる最上段でさえ、地上の家屋の屋根を遥かに超えている。そんな場所で聞こえてくる音が浅葱の足音や茶器たちが擦れ合うものだけだと改めて考えると、奇妙な気持ちが湧いてきた。

 大きく動いていた真赭の肩は、大分落ち着きを取り戻している。変わらず、蒼の腕は掴まれたままだが、先程よりは大分痛みもひいている。


「あお」


 蒼に、小さい声が掛けられた。いつもの真赭の声で。


「……ごめん、なさい。腕が内出血して赤くなっているわ。それに、しばらく痣が残りそう」

「全然、平気だよ? 真赭の細い指がつけた痣なんて、すぐおじいが治してくれるよ! ちょちょいってね! それより、真赭の方が、息苦しくない?」

「えぇ……私は、大丈夫。頭が少しくらくらするだけ。胸は苦しくはないわ」


 そうは言うものの。真赭の肌は青白いままだ。けれど、いつもと同じ穏やかな口調には戻っている。どうやら、呼吸の方は本当に問題ないようだ。ただ、唇がひどく乾いているようで、珍しく、そこを窄めて湿らせている。


「真赭、大丈夫だよ」


 まだ緊張しているのだろうか。蒼は今度は小さく名を呼んだあと、強く抱きしめた。

すると、真赭の体から、力が抜けていくのを感じられた。

 蒼が口を開こうとしたのと同時、


「ほーい、真赭お待たせ!」


浅葱の元気な足音と声が響いた。


「蒼の茶葉で煎れたお茶だよぉー」

「浅葱、ありがとね。ほら、真赭。休憩しよう」


 蒼の言葉が合図となり、真赭がゆっくりと自力で身体を起こした。

 真赭が「だいじょうぶ」と零したのを確認してから、蒼は手を離す。そして、心葉堂から持ってきた水を硝子急須に流し入れた。瓶の蓋のように、きっちりと口を塞ぐことが可能な急須だ。今日は動いて暑くなるだろうからと、水出し用の茶葉を持ってきていたのだ。小さな袋に煎れた茶葉を急須に止め、味を出す形式のお茶だ。


「じゃあ、ボクはちゃちゃっとこっちを準備しちゃおうかな」


 言うが早いか。浅葱が、東屋で休息を楽しむように、床に千鳥模様の布を広げた。その上に茶器や菓子を広げる。手際よくお茶の準備をしていく浅葱に、思わず蒼の顔に笑みが浮かんだ。

 幼い頃に時々あった光景だ。珍しく三人で喧嘩をすると、いつもは我が道をゆく浅葱が率先してお茶の用意をしたものだ。


「真赭。大丈夫。怖いことなんて、何もないよ。だって、浅葱も私もここにいるよ?」

「蒼……」


 お茶を淹れ終えた蒼は、小さく震える真赭の体を再び抱きしめた。そのまま、子どもをあやすように、真赭の背中を撫で続ける。

 彼女が何に対して、こんなにも怯えているのかはわからない。ともすれば、悩みに潰されそうになるほど、自分の中に抱えてしまう親友。けれど、自分たちが傍にいることを忘れないで。そんな気持ちを込めて、蒼は、真赭を抱く腕に力をいれた。


✿✿✿


「……ありがとう」


 真赭は長いため息を吐き出した。それと一緒に、真赭を縛り付けていた恐怖も出ていったのか。ゆっくりとだが、顔に血の気も戻ってきた。


「もう、大丈夫」

「そう? 私の胸ならいつでも貸すから!」

「……それは普通、男の人が言う台詞だと思うわ」


 すっかり肩の力を抜いた真赭が、いつものように、呆れた表情を浮かべた。

 どうやら、調子を取り戻したらしい。蒼は膝で立った状態で、腰に手をあてて胸をはった。


「そうかな? 男女とか別にして、真赭はもっと私たちに頼ってくれて良いんだよ!」


 いつもは自分が頼りっぱなしだ。たまには、蒼も真赭の支えになりたいのだ。


「ほら、二人の世界に入ってないでさぁ。早くお茶とお菓子をいただこうよぉー」

「あっ、うん。浅葱、準備ありがと! さっ、真赭、一休みしよう」


 蒼が「よいしょっ」という掛け声を出しながら立ち上がった。真赭が、物言いたげな表情で見上げてきたが、それには敢えて触れないでおくことにした。

 蒼は誤魔化すように満面の笑みで手を差し出す。すると、真赭が微笑みを浮かべて、それをとった。ぐいっと力強く上へひいてやると、細身の真赭は思いの外、いとも簡単に浮いてしまった。ちゃんと食べているのかと不安になる軽さだ。


「真赭、もっと食べたほうが良いんじゃ――」


 そう言いかけた蒼の声に、鈍い金属音が重なった。大理石のような床と重みのある金属が喧嘩したような、耳に痛い音。


「あっ!」


 真赭の手を握ったまま、蒼の視線が音の元を探す。そうして、それは容易に見つけられた。続いて、からんからんと、まるで抗議の声をあげるように弧を描いているソレ自体を認識する。


「おばあ様の懐中時計。大事な鍵」


 慌てた様子の真赭が、再びしゃがみかける。けれど、立ち眩でもしたのだろう。ぺたりと床に座り込み、掌で顔を覆ってしまった。


「ごめん、真赭。私が急に引っ張ったからだね。真赭は無理しないで。私が拾うよ」


 代わりにと、蒼が懐中時計を拾い上げる。

 落ちた衝撃からか。蒼が手にとった瞬間、時計の蓋が勢い良く開いてしまった。

 鍵となる媒体が、その中身を曝け出すことは皆無。術者から解除の干渉すらしていないとなると殊更だ。


「あれ? この時計――」

「蒼ってばどうしたのさ? 中の硝子にひびでもはいった?」


 浅葱に答えることもできず。蒼は、手の中のものを凝視したまま固まってしまう。

 装飾された美しい蓋と一緒に、文字盤もわずかに浮いている。わずかに角度を変えてみる。光を受けると、青白く見える不思議な石が文字盤の下に見えた。そして、さらに石の下でゆらりと揺れたものに、蒼は釘付けになってしまった。


(ちょっと、待って。これって、もしかして)


 一向に動かない蒼と真赭に痺れを切らし、浅葱が蒼の手元を覗き込んできた。すると、彼女も同じように固まってしまう。そうして、蒼と浅葱は、目を合わせた。


「もしかして、これってアゥマ⁉」


 重なった声。なおかつ、同時に音を立てて真赭を見る。

 しかし、真赭は沈黙を続ける。いつもなら『目に映った通りでしょ』とか『蒼と浅葱がそう認知したのを、否定しろと?』などと、皮肉交じりに肯定するにも関わらず。


「まそ、ほ?」


 蒼には、真赭が向けてくる眼差しに心当たりがあった。

 

(あれは、幼い頃の自分だ)


 本能や知識では正解だと認識しているのに、両親や紺樹からも答え――いや、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


「真赭。私は確信をもって聞くよ。これはアゥマだね」


 だから、蒼は断定した。

 ややあって、真赭がこくりと頷いた。肯定しているのに、まるで認めるのが苦痛だと謂わんばかりの涙目で。


「……えぇ」

「ややっ! いや、待ってよぉー! こんなアゥマが存在するの⁉」


 慌てたのは浅葱だ。どうやら、彼女は否定して欲しかったらしい。


「浅葱、落ち着こうよ」

「逆になんで蒼はそんなに冷静なのさっ! こんな存在、溜まりの管理人なら百人中九十九人と半分が否定したくなる存在値なんですけどぉ⁉」


 半分とは。思わず突っ込みそうになった蒼は、ぐっとその問いは飲み込んだ。


「冷静とは正反対だよ、内心は。でも、こんな異質なアゥマを前にしたら、逆に反応できない」


 蒼の口から「ははっ」と乾いた笑いが零れる。

 アゥマの本質を可視し解析できる紅ならともかく、共鳴という感覚から分析している蒼が冷静を保てると情報かと問われれば否だ。


「うそだぁ。あのアゥマバカの蒼が無反応なんて。ボクは正直むちゃくちゃ怖い。それが一番恐怖だよぅ」

「私は浅葱のその基準が怖いっていうか、なんだかなーって思うよ……」


 懐中時計に閉じ込められているのは、極わずかな水状のアゥマ。

 よくよく見れば、月長石のなかにも僅かな粒が混ざっている。このような意匠を凝らしている装飾品自体は珍しくはない。いや、しばしば見かけるものと言っても良いだろう。贈り物として、またお守りとしても人気のある作りだ。


 しかし、この懐中時計で問題なのは、その『質』だ。


 真赭も、二人がいわんとしていることは十分に察しているのだろう。深く長いながい、今日一番のため息を落とした。


「私、こんなに濃いアゥマ、溜まりでさえ触れたことないよ。うぅん、守護石を通り越してでも感じる。純度っていう話じゃない。これは『アゥマそのもの』みたいだ」


 こうして手に持っているのが恐ろしいと思うくらい、濃密にアゥマを感じられる。ひどく震える、蒼の右手。

 顔中の筋肉が引きつっていくのが自分でもわかった。アゥマに恐怖を感じたのは、幼い頃に川で溺れた以来だろうか。いや、あの時はアゥマというよりは足を引きずられた何かに畏怖したのだ。アゥマ自体には初めてだろう。


「あっ、あれ?」


 蒼の全身が痺れていく。呼吸が乱れ荒くなり、それに伴って胸が爆発しそうに暴れ始めていた。


「くる……し……い」


 ふっと足の力が抜けた。蒼はそのまま、崩れるように、床に座り込んでしまった。

 左手を前につき、なんとか倒れ込むのを回避する。体中から汗が噴き出し、額や腕からほとばしっていく。体が、とてつもなく重い。

 蒼はついに倒れ込んでしまった。


「蒼! ()()()()共鳴を解いて!」


 遠くなる意識の向こうから、真赭が叫んでいるのが微かに聞こえてくる。

 けれど、蒼は自分から感応をはかってなどいなかった。アゥマの方から強烈に働きかけてくるのだ。

 通常、アゥマから人間に直接意識に影響してくることは、ほとんどないと言われている。あったとしてもいたって柔らかい信号を送ってくるくらいだ。


「っていうか、蒼ってば無意識に共鳴してるっぽくない⁉」


 蒼は己の溜まりや茶葉に含まれるアゥマから同調を受けることはあるが、彼らが決して無理矢理入り込んでくることはない。蒼に対してとても友好的であり、限りなく優しい。

 だから、こんなにも痛烈で強引に刺激を送ってくるアゥマなど初めてだ。


(やばいっ! 圧倒的な力がすごい勢いで流れ込んでくる! アゥマが濃い溜まりで強引な干渉がないのは麒淵がいるからだ。ってことは、制御者がいないうえ、アゥマそのものみたいな存在に入り込まれたら――精神が壊れる‼)


 蒼は必死に切り離そうと試みる。だが、共鳴を解くのはまったく叶わない。それどころか、蒼が抵抗するほどに謎のアゥマは一方的に流れ込む力を強める。


「真赭、これ一体なんなんだよぉー! 強制的に共鳴を絶たせようと干渉しても、すぐアゥマが邪魔してくるんだけどぉー! 未熟な時に拒否されるってのはあったけど、あからさまな悪意をもって邪魔されるなんて初めてだよぅー!」


 浅葱は涙目で、それでもなんとか蒼と懐中時計を離そうと試みる。


「だから、鍵だって説明したはずよ!」

「別に存在自体について説明を求めてないよぅー! わーん、それがわかっているのか反射突っ込みなのかわからないけど、真赭も大混乱じゃないかぁー!」


 真赭も焦っている自覚があるのだろう。緊迫した場面でほどよくまわる浅葱の舌を引っ張るのでもなく、巻き起こっている風に向き合うだけだ。


「きっと、蒼が無意識に、しかもわずかに共鳴しただけで、起動してしまっていたんだわ! いえ、もしかしたら、ここに来た時から、ずっと……?」

「あー! もう! ボクらの司令塔の真赭が一歩引いたところにいないでよぅ」


 浅葱の嘆きに、真赭はぎくりと大きく体を跳ねた。


「なになに、その反応ってば! っていうか、蒼もなんかしゃべっておくれよ!」


 

 蒼は遠のく意識の中、ぼんやりと思った。


 乗っ取られてしまいそうだ。


 そう感じた瞬間、蒼の中で何かが弾けた。



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