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蛍雪堂④―川に落ちた蒼―

 ひとしきり笑いあったあと、蒼と真赭、それに浅葱は書庫の片付けを再開していた。



「じゃあ、共鳴を徐々に高めていくね。右から順番にいくね」


 最もアゥマの扱いが上手い蒼が、古書と書架のアゥマの種類を見極めて共鳴をはかる。書架は幾つかの箱のように区切られている。その箱の間、太い区切り部分には大きな玉がはめ込まれており、その玉がアゥマを読み取りやすくする役割を果たしているのだ。

 本棚から少し離れた場にある小さな円卓。その上にのった硝子玉の中には、それらと同じ種類の玉が閉じ込められており、花びらのように漂っている。


「うん。大丈夫そう。玉と花弁がうまく誘導してくれる」


 蒼の顔よりも大きな硝子玉を浮遊させているのは、交差している薄い厚さのふたつの輪。それを包み込むように、蒼は両の掌を翳して、アゥマと共鳴しているのだ。

 そして、真赭と浅葱が、既に収められている古書たちの間に掌を翳かざす。書架に己のアゥマと古書が持つアゥマを注ぎ込む。すると、不思議なことに、隙間がなかった筈の場所に空間が生まれた。


「いやぁ、摩訶不思議だよ。ぴっちり本が収められているはずなのに、空間が出来るなんて」

「そうね。この本棚全体がおばぁ様と白様の作品なのだけど、元々有形の物質ではなく、こうして大きくなっていっているものだから」


 浅葱は、両手を腰にあて感嘆の息を吐いた。そして、真赭の言葉を受けて、ひたすらに広い空間を見渡した。浅葱の口から


「うひゃぁ……」


という奇妙な声が溢れた。

 真赭はそんな浅葱に視線を向けることはなく、遠くを眺める。いつもであれば、彼女の祖母のことは、誇らしげに口にするのだが今に限っては、少しばかり沈んでいるように感じられた。けれど、それに触れられることを望んでいないように思われて。蒼は、真赭から視線を外した。


「確かに、何度見て見惚れる光景だよね」


 書架は、微妙に大きくなっている気がするという錯覚程度の認識だけもたらす。

 毎日少しずつ収めていくのであれば、きっと、大きさが変化したことにも、しばらくは気がつくことはないだろう


「本を食べて、成長してるみたい」


 特に深く考えず、そう呟いた蒼。

 本を『吸収』した棚が、その瞬間わずかに見せるアゥマの高潮。それを直接感じていると、そんな考えが浮かんできた。それはあくまでも直感的に思っただけで、蒼とて思慮深い意図があっての発言ではなかった。

 浅葱が、


「それ面白い表現だねぇ」


と笑い声をあげる。しかし、真赭は、顎に手を当てて沈黙してしまった。

 真赭が言葉少なであるのは平常運転だが、今のように考え込んでしまっていることは、そう多くはない。

 蒼と浅葱は顔を見合わせ、「真赭?」と彼女の名前を呼んだ。


「……私、うぅん、ごめん。なんでもないわ」


 真赭は言い淀んで、目を逸らしてしまった。そう口にした真赭は、どう見ても『なんでもない』ようには思えない。

 やや眉間に皺を寄せて何事か思案している真赭に、踏み込んで聞いてもよいものだろうか。そう蒼が躊躇していると……。


「えー、真赭! すんごい気になるんだけどなぁーそんな顔されるとぉー」


 浅葱があっけらかんとした口調で言い放った。そうして、そのまま唇を尖らせた。

 惚けてしまっている蒼を他所に、浅葱は拗ねた顔のまま棚を軽く叩いている。

 真赭と言えば、先程よりもさらに渋面(じゅうめん)を作り口元を歪めた。その表情が、投げかけられた疑問にではなく、本棚を叩いたことによって作られたのだと、蒼は思った。真赭の鋭い視線が、浅葱の顔ではなく手元に向けられていたから。


「浅葱、とりあえず、その手を止めて。でないと、叩き折るわよ」

「ちょっ! 真赭、目が笑ってないんだけどぉー!」

「浅葱、真赭ってば本気だよ? それに、本たちのアゥマも色めきだってる」


 蒼の言葉は、もちろん冗談だ。けれど、浅葱は慌てて本棚から身を引いた。滑稽な格好で手摺りぎりぎりまで下がってしまったまま固まっている浅葱が、あまりにも愉快で、蒼は大きな声をあげて笑ってしまう。


「浅葱ってば、ごめんね、冗談だよ」

「もー! 蒼が言うと洒落に聞こえないんだからさぁ。勘弁だよー! で?」


 浅葱は真剣な顔で、額の冷や汗を拭った。そうして、次いで出た催促の言葉。投げかけられた真赭は、再び顔に影を作り沈黙を決め込んでしまった。

 思いの外、思い詰めた表情になってしまっている真赭。蒼と浅葱とて、ここまでの空気になるとは考えてはいなかった。真面目な幼馴染を追い詰めてはと、蒼と浅葱は無言で頷きあった。作業に戻ろう、と。


「本当はね」


 ふいに、真赭の口が重々しく開かれた。


「白様がいらしてから言おうと思っていたのだけれど」

「真赭、言いにくいことなら、無理に言わなくて大丈夫だから」


 蒼は軽い調子で右手を振る。浅葱は聞きたいと好奇心いっぱいの目をしているが。

 けれど、真赭は些か激しい様子で、頭を動かした。耳下までの、ふわりとした髪が揺れる。


「言いたくない訳じゃ、ないの。どう話し始めたら良いか、測りかねているだけで」


 ゆっくりと視線をあげた真赭の瞳の色が、あまりにも暗く。蒼はごくりと唾を飲み込んだ。緊張が体を縛る。


「蒼が小さい頃、川に落ちたことがあるでしょう?」


 そうして、出てきた真赭の言葉は、全く予想が外れたものだった。

 蒼は面食らいつつ、こめかみに指をあて、幼い頃の事故を思い出す。


「え? あっ、うん。そうだね、えーと、六・七歳のころだったかな」

「あーあったねぇ。小川を、船で渡ってた時かぁ。魔道学院に入る前の子どもたちが集められて、街をめぐる体験学習みたいな。ボクは隣の船だったけど、覚えてるよ」


 戸惑った蒼をおいて、浅葱はすらすらと思い出を引っ張ってきた。蒼は、人の発言の中身にあまり引っ張られない浅葱がほんの少し羨ましくなった。


 確か、船頭の大人の目を盗んでは、やたらと真赭に絡んでくる男子がいたのだ。

 しばらくは二人して無視を決め込んでいたのだが、あまりにも激しい勢いで真赭の髪が掴まれ、怒った蒼が男子と取っ組み合いになり――蒼は、川に突き飛ばされる形で落ちてしまったのだ。


 蒼がつらつらと思い出していると、真赭が「あの当時」と呟いた。


「源水から離れていたとはいえ、それなりにアゥマの濃い川に落ちたって、大騒ぎになったよね。それに、蒼ってば見た目に反して手が出るの早かったから」


 蒼の両親は世捨て人のようなおおらかさがあり、年の離れた兄は優しくて甘やかされた。

 けれど、からかい上手な祖父の白龍や負けん気の強い祖母――桃香という――に日々色んな意味で鍛えられていたので、小さい蒼はかなり負けん気が強かった。


「おばぁの信念だったから! 自分が間違ってると思ったらちゃんと向き合って、大切な人が危険に晒されているなら全力で守れって!」

「桃香おばぁねぇ。かっこよくってボクも憧れたなぁー。結構、手も早かったよねぇ」

「おばぁの手の速さはともかく。私だって、最初はちゃんと言葉でやめてってお願いしたのに、あいつらときたらよけいに真赭を『本バカ』って突き飛ばしたからね!」


 蒼が十歳になる前に早世した、いつも瞳を輝かせて白龍と仲睦まじかった祖母。

 アゥマについてはしゃいで語る蒼に、飽きもせずに付き合ってくれた。祖母の故郷の不思議話を聞くのも大好きだった。

 だから、『自分のことについてはある程度なら我慢しろ、ただし大事な人が嫌な目にあっている時は全力で守ってやれ』という祖母の信念のもと、蒼はやり返してやったのだ。


「水晶板の上にさらに水が流れてるっていっても、普通だと足を水晶板の隙間に挟むか頭まで浸かっちゃうくらいなんだけどね。子どもだったから、格子になってる水晶板のない部分から、本流に落ちちゃったの。それにしても、浅葱はあの時は隣の船にいたのに、よく覚えてたね」

「かなりの大事だったし、うちの親父が白様と酒飲みながら未だに話してるの、聴いてるしねぇ。それに蒼、しばらくは、泳ぐのも船も駄目だったじゃん?」


 そうなのだ。幾ら溜まりを管理している環境におり、他の子どもよりは濃厚なアゥマに触れ、なおかつ耐性のある一族とはいえ、幼子が川の深くに沈んでしまうということは、とても危険なこと。


「うん。あれ以来、しばらくは泳ぐことが怖かったもんな」


 溜まりに入ったり、川に足を浸したりする分には全く問題はない。それであっても、今でも泳いだり船の淵に立ったりするのは苦手だ。


 アゥマの濃い川に落ちたことも突き飛ばされたことは、それほど怖くなかった。

 蒼の体に刻まれている恐怖。それは、引きずり込まれた時、蒼の足に絡んできた得体のしれない黒い物。


 流れ込んできた真っ黒な気持ちに、全身が震えたのだ。蒼はそれを悪だと認識しなかった。だから、怖かった。悲しくて、寂しくて、寄り添って欲しい。どうか自分を切り捨てないでと願っている塊だと、認識したからこそ恐ろしかった。そこに共鳴しかけた自分が。その共鳴の先に待つものが、怖かった。


「自分的には、目を覚ました時が一番修羅場だったけどね」


 蒼は蘇りかけたあの時の血が凍る感覚を払拭したくて、わざとらしく肩を竦めた。


「蒼が目を覚ますまでは、みんな気が気じゃなかったもの」


 蒼は目を覚ました時、既に自宅の寝台に寝かせられていた。家族全員に紺樹、それに医者など、ともかく色んな人に囲まれていたのを覚えている。

 それに、泣きすぎで顔が溶けていた真赭が、蒼の手を握って離さなかったことも。真赭は、どれだけ蒼自身が悪かったのだと言って聞かせても、目を真っ赤にして首を振り続けていた。あの時、蒼は知ったのだ。自分の行動が傷つけるのは己の身体以外にもあることを。


「でも、今更どうしたの? もしかして、浅葱が言ったようなこと、まだ気にしてるとか言わないよね?」


 そうだと、蒼は我に帰る。懐かしい話が本題とは思えない。


「まさか。そこは安心してちょうだいな」

「良かった。っていうか、急に昔話なんてして、どうしたのさ?」


 真赭は苦笑いを浮かべ、手元の本を撫でた。そして、意を決したように顔をあげ、真っ直ぐに蒼を見つめた。


「蒼、これ」

「これって……鍵?」

「え? 鍵なの? ボクにはただの懐中時計に見えるんだけどなぁ」


 浅葱の言うとおりだ。真赭が胸元から出したのは、どう見ても懐中時計の形をしている。真赭の白い掌に乗せられているそれを、三人で覗き込む。


「うん。たぶん、間違いないと思う」


 一足先に指先で懐中時計に触れた蒼は、すぐにそれが何かしらの鍵であることに気がついた。人差し指と中指を揃え、改めて懐中時計に触れさせる。瞼を閉じて意識を集中させると、瞼の裏に暗号らしきものが、薄く映し出されてきた。


「やっぱり何かしらの封印を解くための鍵だよ。謎解きは、おじいや紅の方が得意だから、すぐに用途までは解析できないけど」


 蒼は精製や共鳴の技こそ優れているが、作られた暗号を解いたり流れを手繰たぐったりする技術に関しては、紅の方が断然優秀なのだ。

 それに、目の前の鍵が、先程の話とどう繋がるのかも謎だ。


(真赭の性格が考えたら、この流れからしてなにかしらの関係はあるはずだよね)


 蒼は小首を傾げながら真赭を見つめた。

 ひとまず、彼女を落ち着かせようと、蒼は真赭の肩を撫で座るように促した。


「真赭、座ろうよぉ。ボクも疲れちゃった。立ちっぱなしで」


 腕を派手に回しながら、浅葱が真先に腰をおろした。両手を後ろにつき、未だに立っている蒼と真赭を見上げてくる顔には、笑みが乗っている。浅葱にしては珍しく、空気を読んでいるのだろう。


「ほら、真赭もさ――」

「違うの! 私、怖くて。最初は白様に笑い飛ばしてもらおうと思っていた。けれど――」


 蒼の腕に、痛みが走った。

 華奢な真赭の指が、蒼の両腕を掴んでいる。素肌に食い込んでくる、長い指。けれど、蒼が苦痛を感じたのは、ほんの一瞬だった。蒼の瞳に映りこんだ、真赭の姿。それが、それ以上に蒼の胸を締め付けてきた。


「私、私。ちゃんと守らなかったから!」


 追い詰められた表情に怯えを混ぜた様子。真赭の白い顔が、青白くなってしまっている。

 尋常ならざるものを感じた。あまりの緊張感に、浅葱の腰もあがる。

 蒼は自分の動揺を隠しながら、できるだけ柔らかい声で、親友の名を呼んだ。


「私……! あの日、見てしまったの! ここで!」


 真赭は瞳を潤ませて、苦しそうに言葉を吐き出しただけだった。


「真赭」


 蒼は、いつになく静かな声を出す。眼前で怯える親友の名を、出来るだけ柔らかく呼んだ。

 真赭は、平素の彼女からは想像もつかないほど、ひどく取り乱している。蒼の腕も、変わらずに握り締められているのだが。先程までは上げていた視線を、今は床に向けてしまっている。


「わ、私――!」


 真赭の華奢な指は、力の込めすぎで青白くなり、なおかつ、小刻みに震えているのは確かだった。だから、蒼には真赭がどのような表情でいるのか、核心が持っていた。

 病気がちな彼女は、普段から血の気が引いた色をしている。そんな顔色をさらに悪くし、苦しそうに眉間に皺を寄せているだろう。

 その尋常でない様子を呆然と見ていた浅葱だったが、蒼の声で我に返ったようだ。小さくなって怯えている真赭の手に己の手を重ね、幼子をあやすように軽く二・三回優しく叩いた。


「ね? 真赭、座ろう? 膝がガクガク揺れていて、まるで小鹿だ」

「蒼の言うとおりだよぉ。ついでにほら、深呼吸しちゃおうかぁー」


 浅葱が冗談めかして大きく両腕を広げる。


「浅葱は深呼吸しすぎだよ。それじゃ、真赭が吸う空気が薄くなっちゃう」


 体を動かせない蒼は、そんな浅葱に頭をぶつけて抗議をした。もちろん、どちらもおどけた調子で。

 そんな軽口を叩きあっている間も、蒼の手は真赭の背を摩り続けた。あまり自由には動かせないので、不格好になってしまってはいるけれど。


「もぅ、なに、言ってるのよ……」


 真赭も幾分かは落ち着きを取り戻したのだろう。さすがに吹き出すとまではいかないものの、蒼の腕を握っている力を緩め、わずかに髪を揺らした。そうして、そのまま、崩れるように座り込んでしまった。


(この少しの合間に、いったいぜんたい、真赭の中で何が起きてしまっんだろう)


 蒼は大理石状の冷たい床に片膝をつき己の記憶を辿っていた。先程まで、真赭の様子に変わったところや、これほどまで深刻に思い悩んでいる様子などはなかった。

 真赭は感情を表に出すことが苦手だ。しかし、生まれた頃からの付き合いである蒼は、機微を感じられると自負している。もちろん、浅葱も同様のことを思っているだろう。


「とりあえず、ボク、下から水瓶とってくるよぉ」


 蛙のような姿勢で腰を屈めていた浅葱が、思いついたように立ち上がった。

 この書庫は、相当な階層にある。そのため、菓子以外にも飲食物を持ってきている。蒼は、今更ながらに思い出した。


「そだね。ありがとう、浅葱」

「ついでに軽食も持ってくるよぉー」


 浅葱は、長い上着を翻し、足早に階段を降りていった。顎まである前髪から垣間見えた表情は思ったよりも硬いもので……。飄々として見える彼女も、冷静な真赭の取り乱しように動揺しているのが伺えた。


 そうして、蒼が思う以上に早く、浅葱の足音は遠くなっていった。


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