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蛍雪堂③―恋バナなんかじゃない―

 蒼は立ち上がり、少し離れた場所に置いてある淡い水色の巾着を手にとった。控えめな藤色の花模様が刺繍されている。

 蒼は、その中から一枚の札を取り出した。この書庫の本棚に貼るために、浅葱が店から持ってきた焚染札だ。それを真赭に手渡すと、再び座布団の上に腰をおろした。


「浅葱にも、もう少し踏み込んだ意味がわかるように言うけれど……。焚染札も、大昔よりは技術が精錬されて、用途も広がってきたわ。だけど、元々の意味である『邪を祓う』という技術はどう?」

「あー! わかった、わかった。確かにさぁ、異形の者や毒素を取り除く意味での『邪祓』の必要性は薄れてきてるねぇ。じいちゃんの幼い頃は、今より強い効果である必要があって、職人の腕も格段に良かったのにって、ぼやいてるよ!」


 ようやく真赭が伝えたかったことを理解した浅葱から、大きな声が飛び出した。書庫中に響きわたった声が、綺麗なこだまになる。ついでにと、硬い床が勢い良く叩かれた。手が痛くないのではと、心配になる勢いだ。


「元気だなぁ」


 蒼は笑顔で耳を塞ぎ、真赭は思い切り眉間に皺を寄せた。

 細めた目で、ちらりと巨大な棚に収まっている本を気遣う真赭。浅葱が起こす振動程度で、ここの本が落ちることはない。しかも、特殊な守護術がかけられている棚だ。ただし、真赭にはそんなこと関係ないのだろう。本の無事を確認した真赭の表情が、元に戻った。


「そうでしょう? 古書には、そういう失われた技術が記され封印されているのに加え、本自体にも古代の濃密なアゥマが練りこめられているの。当時の魔道の力を読み解く鍵になるだけではなくて、直接触れることも出来る貴重な存在だわ」


 真赭の声が、わずかに弾んだ。表に出ているのが『わずか』となると、本人の心内では大興奮の部類だ。蒼と浅葱は、よく知っている。

 今度顔を見合わせたのは蒼と浅葱だった。そこには笑みが浮かんでいる。


「より高い技術のものになると、さっきの本みたいに、本来の記述を隠すために文字に加工を施したり、映像で表紙を隠したりできるんだよね?」

「そうなの。希少な古書ほど、念入りな鍵がかけられているわ。その鍵を読み解くのが、私たち古書堂の人間。協力で複雑な術ほど、使う人を選ぶ。未熟な腕で術式を組めば、しっぺ返しは大きくなる」

「おぉ。ボク、人生で一番『古書堂』の役割を理解していると思うよ」


 古書堂の老舗中の老舗である蛍雪堂、その人間と幼馴染である人間の口から出たとは思えない言葉だ。

 全然褒められたことではないのだが、当の本人があまりにも尊敬の念を込めた眼差しを向けてくるものだから……真赭は珍しく責める気にはなれなかった。


「あと、この際だから浅葱に追い打ちをかけて理解してもらうけれど……身近な例で言うと、紺樹さんの魔道書もよ? あれも、古代からのアゥマが魔道陣に取り込められていて、それを引き出して、かつ再構築するものね。この再構築が最高に難しいの」

「へぇ、紺兄のあれも古書に入るのか」


 蒼は正直なところ、浅葱の納得は内心で止めておけばいいのにと思った。


「一応、聞いておくわ。浅葱は、紺樹さんの魔道書を何だと思っていたの?」


 真赭の問いの答えなど、彼女自身も容易に想像がつくだろうに、と。

 思うのと同時、真赭が尋ねずにはいられない性格なのも承知しているので、口は噤んでおく。


「へっ? そりゃー、不思議本だなって思ってたよ。なんかすっごいアゥマが閉じ込められた、なんかやばいすごーい本だなぁって」


 案の定、浅葱は間の抜けた表情で口を開いた。


「ふっ不思議本――逆に、どうしてソレが古書と結びつかないかの方が、驚きなのだけれど!」

「そりゃ、真赭みたいな古書馬鹿じゃないから?」


 余計な一言をからっと笑って発した浅葱。哀れかな。真赭の拳骨を食らう羽目になった。


 紺樹が得意とする、魔道書を媒介とした術。

 彼のソレは古書に分類されるものだ。しかも、紺樹が所有しているものは、かなり貴重なもので古代から近代のありとあらゆる術の系列が印されている。

 さらに、膨大な術が書かれているにも関わらず、持ち運べるよう、文字や魔道陣に加工が施されているのだ。紺樹自身が様々な古書を編集して、新たに術を施した物らしい。


(小さい頃は紺君の膝にのせてもらいながら、よく話を聞かせてもらったな)


 そんなことが思い出されて、わずかに蒼の頬が染まってしまった。本に視線を落としている二人に気づかれないように、蒼は耳たぶをつねる。

 今の自分の立場で昔を振り返ると、どうしても赤面したくなる行動が多い。蒼と紺樹とは十歳の差があるので当然だ。ただ、最近は出会った頃の紺樹と同年齢になったせいか、どうしても羞恥してしまうのだ。


「ボクの店にも、古書を手に入れるために遺跡をまわってる冒険者たちが来るよぉ。焚染札ってアゥマ力は低い人間でも魔道を使役できる道具(アイテム)だからね。まぁ、遺跡で古書を手に入れて転売したり国の依頼を受けてたりと、理由は様々だけどねぇ」


 悶える蒼を他所に、真赭と浅葱は会話を続けていく。

 いや。小さくなって体を振わせている蒼を、真赭が一瞥だけした。昔から真赭にはどんな感情も筒抜けなのだ。反して、浅葱は全くそんな素振りを見せないのも救いだった。


「今はアゥマをそこまで使うことができなくても、濃密なアゥマを閉じ込めた焚染札や水晶を持っていれば、本を入手する位は可能になったから。本自体の価値を知らずに、転売だけが目的の人も増えたわ。おかげで鑑定部門の方が大忙しなの」


 自分の傍らにある本に、愛おしそうに触れる真赭。

 そもそも、古書自体を愛する真赭にとって、金銭の価値にだけ興味がある冒険者の存在は許し難いのだろう。もちろん、全ての冒険者の古書に対する価値観が同じとは言い難い。けれど、取り扱い方はともかく、金銭価値で見ているという共通点はある傾向は強い。

 欲する者がいるからこそ、売却者がいる。売却者がいるからこそ、購入者がいる。これは、いつの時代でも避けられない需要と供給の因果だ。


「時代の流れもあるだろうし、収集品(コレクション)と言っても適切な保管をしてくれれば良いのだけれど」


 今の真赭の気持ちが、蒼には痛いほど理解できた。

 華憐堂に対する自分の葛藤と良く似ている。

 大切な茶葉を――何よりも人の体に直接影響を与えてしまう茶葉を、あのように大量生産するなんて。

 そう、心が揺れる。けれど、それを超えるほど魅力的な茶葉を浄錬できない自分の力量のなさが一番問題なのだ。蒼は、真赭と同じように目を伏せた。


「なるほどねぇ! やっと古書の偉大さに気が付けたよ、ボク! ついでに、紺兄がすごいってこともねぇ」


 沈んだ雰囲気に気を遣ったのか。浅葱がやけに明るい調子で膝を打った。

 自由奔放な彼女にしては珍しい。いや、途中までは正直な感想だったのだろうけれど、最後の紺樹に関する一言は明らかに蒼を意識してのものだろうと容易に察することができた。


「ねぇ、蒼? 紺兄って、昔は真面目でこじらせお兄ちゃんって感じだったけど、今はもっとやっかいな方向のこじらせ具合で、本人も葛藤してそうなうっかりこじらせ人間って印象が強いけどさ」


 浅葱は糸ほどに細めた目で意味深な笑みを浮かべている。

 先程、自分が紺樹のことを考えていたことを読まれたような気がして、蒼はわざと冷ややかな目つきをつくった。


「紺君は――まぁ今はちょっと緩すぎるし、ただの軽くて優男な印象が強いかもだけれど、実力面では昔から純粋にすごい人だよ? っていうか、『こじらせ』を連発って、浅葱は紺君をどういう目で見てるのさ」

「いや、蒼もさり気なくひどいよね。まぁ、でも、強いて言うならねぇ」


 浅葱がもったいぶった調子で言葉を切った。こういう口調の時の彼女は、大抵、何かしらを知っていながら隠している傾向にある。

 蒼は、抱え直した膝に顔を埋めた。別に強いて言わなくてもいいのにと思いながら、やはり、少しは気になる。自分の目以外に映っている彼が自分と絡んでいなくても、だ。


「何を強いて言うのさ。っていうかは二度目だけど、浅葱にしてはもったいぶるじゃん」


 以前は、自分が知っている紺樹を信じていれば良いと考えていた。けれど、蒼の中にいる紺樹以外にも、色んな彼を知ってみたいと最近は思うようになっている。

 そんな蒼の内心も知らないだろうに。浅葱は背を伸ばし、にやりと口の端をあげた。


「紺兄ってば、蒼が思っている以上に蒼を大切に思ってる蒼バカで、蒼を幼馴染として大事にしてるって公言して、周囲は生暖かい目で『せやか』って見てて、だれよりも蒼を大切にしているくせに煮え切らず、まぁなんか蒼が大好き過ぎで迷走してるんだろうな、っていう目で見てるかなぁ。要するに、蒼のことで頭の中がいっぱいな人ってことだねぇ」

「なっ――‼」


 蒼は思わず座布団を吹っ飛ばして立ち上がっていた。結わった長い両束の髪の毛が魔道力で逆立つほどには、興奮している。魔道力は高まるのに、声を発することはできない。

 しばらく、わなわなと震えた後、蒼はようやく両腕を振り上げた。


「なっなにそれ! どんな根拠があっての見解なの! 偏見がすごいよね⁉」

「うーん。蒼の幼馴染の一人としては妬けちゃうから、まだ内緒とだけ言っておこうかねぇ」


 ただの思いつきかもしれない言葉が『内緒』と付け加えられるだけで、自分が知らない根拠となる事実があるのかもしれないと思えてしまう。それを気にしないでいられる蒼ではないことも、浅葱は承知だ。

 それでなくとも、蒼の次の反応を面白がっているのは、彼女の表情から簡単に予想がつく。


「あさぎっ! 紺君とのことで相談を控えたのを根に持ってるでしょ⁉」


 目元どころか首まで赤く染まった蒼が、浅葱を睨んだ。

 蒼に凄まれても、浅葱は内緒の内容を語る気はないらしい。無言のまま、にかりと歯を見せて笑いかけてきた。その攻防に負けたのは蒼だった。


「っていうか、私の名前つけすぎ!! それに、その言い方って、私と紺君の関係の見方じゃない!」

「うん、まぁ、紺兄と言えば蒼っていうかさぁ。切っても切れないっていうかねぇ」


 浅葱は頭の後ろに両腕をまわし、さらりと蒼の言い分を認めた。

 思わず蒼は乗り出した姿勢のまま固まってしまった。胸の横で構えた拳どころが、全身がふるふると揺れている。以前は素直に嬉しく思えて微笑むことができたのに、羞恥が広がる。


「わっ私っていうか、心葉堂の茶葉って意味の方が強いと思うよ!」

「鶏が先か、ひよこが先かって話だねぇ」


 けらっと笑って見せた浅葱だが、ふいに真面目な表情を浮かべた。

 思わず、蒼も真赭も瞬きを繰り返してしまった。


「ボク、常々思ってるんだけどさ。っていうか、さっき蒼も言っるけど。紺兄ってば、蒼が修行から帰って来てから、なーんか胡散臭くなったよね。あれってなんでだろう」


 正直、蒼の心臓がぎゅうぅっとしぼんだ。


「たっ確かに、紺君が敬語になったり、へらとしてるようになったりは、その時期からだけど」

「それは、私も思うわ。けれどね、二人とも?」


 興奮して声を大きくしてしまっている蒼の耳に、冷静な声が届いた。

 蒼の言葉に、やはり、意味深な言い回しで返した浅葱ではない。二人のやりとりを傍観していた真赭の声だ。

 真赭は己の手に持っている本を前に突き出した。

 蒼と浅葱は、揃いの表情で「あっ」と声を漏らし、正座で背を正した。


「古書の話、していたのよね? 恋バナは地上に戻ってからじっくりとしましょう?」

「すみませんでした!」


 そうして、声を揃えて真赭に頭を下げたのだった。

 蒼だけは、決して恋バナなんかじゃないと不満に思いながら。



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