蛍雪堂②―古書と言う存在―
「おばぁ様から託された『鍵』をやっと使えたわ。魔道府の人たちにも、この場所だけは秘密だったみたいだし、動けなかったのもあるから」
「国の役人たちも、この上の階層の書庫までしか気がつかなかったんだろう? 間抜けな話だよねぇ」
わざとらしく竦められた浅葱の肩。身内がいるからといって遠慮しないをしないのが浅葱の良いところだ。
とはいえ、真赭にも言い分はあるだろう。蒼は苦笑を浮かべた。
「仕方ないよ。この階の直前まででも、すごく大規模の書庫だもん。私も昔はおじいと一緒に連れて来てもらった記憶があるけど、まさか、また入れてもらえるなんて思ってなかったし」
「あーそれはボクも。っていうか、ボクは初めてだけど。もしかして、思った以上に散らかっていたから、その肉体労働にもってこいだと思ったとか言わないよねぇ」
「それは想像に任せるわ」
本を口元にあて、怪しく微笑んだ真赭。それに本気で怯えた浅葱は置いておいて。魔道府の人間がこの場所を発見できなかったことには、首を捻ってしまう。人間よりもアゥマを巧みに扱える一族である魔道府長官や、稀少能力でもある魔道書を扱える紺樹までいるのに。それとも、彼らほどの使い手ならば、わざわざ踏み入れなくとも有害ではないと判断をくだせたのだろうか。
蒼はそんな疑問を抱きつつ、ぐるりと周囲を見渡した。
広くて天井が高い空間は、ひんやりとした空気が漂っている。それにしても、なぜ、書庫の最下部であり最奥であるこの場所だけ、こんなにも荒れているのだろうか。棚から本がはみ出ているだけにとどまらず、床にあたる部分にも積み重ねられている。棚に収まっている本には、覚え書きの紙が至るところに挟み込まれてもいる。しかも、この一角だけ、どう見ても鍵も仕掛けもない、ただの普通の本棚だ。どうにも、整然と収納されている他の本や、大仕掛けの棚とは違いすぎる。
「ねぇ、真赭。ちょっとした疑問なんだけどさ。この場所だけ、こんなに散らかってるのは、なんでだろう」
「それが、私も不思議なの。おばぁ様が亡くなる数ヶ月前に来た時は、こんなにも無造作に床に本が散らばってはいなかったわ」
「泥棒がはいったとかじゃん?」
「それはないよ。こんなに厳重な結界がはられてるんだもん」
もちろん、蒼とて、浅葱が本気でそれを口にしたとは思ってはいない。けれど、改めて自分に言い聞かせたくなる程の状況だ。
「雑然と置かれているにしては、すごく濃密なアゥマを用いた術で鍵がかけられているよ?」
蒼は本を一冊だけ手に取る。それは、指で捲ることができる普通の書籍だ。
「見ててね」
蒼は開いた本の一項に指を滑らせた。
すると、撫でた文字が光を放ち、その形を変えていった。内容が変わったのだ。だが、注いだアゥマと読み解きが足りないのか。文字が変化したのは一部だけで、ちぐはぐな意味になってしまっている。この読み解きをするのも、古書堂の仕事のひとつなのだ。今回、真赭が白龍に依頼したかったのは、この手強い本たちの鍵解きだった。
蒼の手元をのぞき込み、浅葱は「へぇー」と感嘆の声をあげた。そんな彼女を睨んだのは真赭だ。
「今まで何度くらい話したかしら? 古書絡みの能力を」
「えーと、すみません。今、人生で一番古書について知りたいと思ってるボクに、優しくわかりやすく説明して貰えますか?」
幼い頃から語り尽くしてきた筈のことを全く理解していなかった幼馴染に、真赭は盛大なため息をついた。だだっ広い古書に響きわたるため息。今度は、浅葱が耳を塞いだ。
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「浅葱にも理解しやすいように説明するから」
真赭と浅葱、それに蒼は円になって床へ座っている。
大理石状の床はひんやりとしているが、それぞれ座布団を敷いているので辛くはない。
「はい、よろしくお願いしまーす。真赭せんせーい」
「まーたぁ。浅葱ってば緩いなぁ」
蒼は両膝を抱えて二人の様子を見守る。見守るというのは、真赭の浅葱を見る目が、まるでデキの悪い生徒に教鞭をとる教師のように見えたからだ。
真赭も蒼と同じことを考えていたのだろう。真赭の締まっていた口元が、わずかに緩んだ。
「まったく、調子が良いのだから」
真赭は緩んだ口を隠すように下を向く。そして、膝の上に乗せている古書をひと撫でした。
彼女と古書のアゥマが共鳴して、微小な粒子がしゃぼん玉のような光となって宙に舞う。消えずに昇っていった光を目で追うと、大理石状の天井に溶け込んでいった。
「おぉー! 古書のアゥマ反応ってこんな風なんだねぇ!」
興味がない話は右から左へと聞き流していく浅葱も、流石に古書が放つ空気と書庫の雰囲気にあてられたのだろう。真赭の指先でふわりと浮いて消えた光の余波を見るために、前屈みになった。
真赭は浅葱の様子に笑みを零し、手元の古書を顔の横に掲げた。
「では、始めるわ」
静かな空間に、真赭の落ち着いた声が響く。しかし、いつものそれとは少しばかり異なり、高揚感が見え隠れしている。あからさまに見て取れないところが、彼女らしい。それに、その空気が、余計に蒼や浅葱の好奇心を刺激してくる。
茶葉と同じくらいアゥマという物質に愛着を感じている蒼は、小さな頃から真赭の話に耳を傾けてきたし、幅広い知識を持った祖父の白龍から幾度も語ってもらっている。だから、もう耳にたこができる程、聞いている話ではある。
(それでも、今日はなんだかいつもとちょっと違う雰囲気だ)
今いる場所が影響しているのか。蒼の鼓動は、とくんとくんと、心地よく高鳴ってきていた。
幼い頃、母親から物語を読んでもらった時の気持ちに似ている。蒼は、少しばかり懐かしくなった。
「まず、大前提として言っておくけれど。この世界――文明の前に存在した古代文明が滅びた原因は世界の汚染。その汚染を生き抜くために、生命の樹によって私たち生物に与えられた力が『アゥマ』よね」
言わずもがな。アゥマを扱う者なら、だれしも知っている歴史だ。しかしながら、その樹の存在自体は、世界の汚染が弱まるにつれて伝説や物語の中でだけ生きるようになってしまってはいる。そんな現代でも、必ず家族や魔道学院で教えられることである。
特に、クコ皇国は世界の中でも指折りのアゥマが豊かな国なのだし、生活の中で身をもって感じられる。
当然、浅葱の店で扱う焚染札もアゥマを使用して作り上げる。だから、浅葱もそのようなことは、今更言われるまでもないだろう。しかし、浅葱は余計なことは口にせず、大人しく頷いただけだった。
「その古代文明に関する記載がある貴重な本を、古書と言うのだけれど」
真赭が一旦言葉を切り、隣に積み上げられている一冊の本を手にとった。そのまま、両手で表紙が見えるように持ち直し、蒼と浅葱の方へと差し出す。
深緑の色をした、細かい装丁が施されている本だ。この場所に保管されているくらいなのだから、相当年代も古いものなのだろう。けれど、見る限り、埃を被っている様子もなければ色が鮮やかだ。
「うん?」
蒼は小首を傾げながら、差し出されている本にそっと指先を触れさせた。
ひと呼吸した後、ゆらりと本の存在が揺れた。いや、揺れたというよりも、ぶれたというべきだろうか。
「世界の汚染が弱まると同時に、アゥマの重要性や必需性も薄れてきているわよね?」
「そうだね。現に食物に関してだって、浄化の必要性自体は薄まっているもんね。アゥマという存在が、世界自体に溶け込んだとも言えるよね。食物や植物、それに生き物。程度の差はあっても、ありとあらゆるものにアゥマが含まれるようになったって研究結果も出ているし」
蒼は先程の本がどういう意味での『古書』なのかは、すぐに理解できた。けれど、真赭が特にそこには触れず、前の言葉を継いで話し始めたので、あわせることにした。
浅葱といえば、真赭の手にある本を食い入るように見つめている。聞いているのだろうけれど、前のめりの姿勢で顎に手を当て。
「あら、珍しい」
蒼と真赭は顔を見合わせ、小さく微笑みあった。この幼馴染が、ここまで古書に興味を示したのは初めてだ。
もちろん、己の生業である焚染札に関する書物は別だが、少なくとも幅広い意味での古書に関しては間違いなく初めてのことだ。
「ほらほら、真赭。つまりは、どういうこと? ボクには真赭が言わんとしていることにどう繋がるのか、さっぱりなんだけど」
言葉を切ってしまった真赭に先を促し、浅葱が数度瞬いた。
その視線を受けた当人である真赭は、蒼へ顔を向けてくる。真赭も、ある意味では浅葱と似ている。古書に関するアゥマを語るのは好むのだが、それ以外の話は疲れてしまうのだ。浅葱が待ちきれず催促の言葉を発したので、代わりにと、蒼が口を開く。
「つまりはね。これまでは、日常級でアゥマを応用する技術が広まり、なおかつ活用される必要があったんだよ」
「あぁ、わかった。表現がまどろっこしかったよぉー薄まってきたっていうより『薄める必要があった』ってことかぁ」
浅葱が納得いったように手を打った。
この幼馴染は意図せず確信を付いてくる。
蒼と真赭、どちらともなく乾いた笑いが零れた。いや、笑ったのは蒼だ。真赭は、なぜこの要点の突き方をもっと広範囲で発揮できないのかと頭を抱えた。
「浅葱の言う通りだね。そこで問題になるのは、どうしたら万人がアゥマ扱えるのかってことなんだよ。だから、術は色々研究されて改良されていく」
「人間は進歩する生き物だもんねぇ。うんうん」
「ただ、それと並行して長い年月をかけて、世界自体も徐々に浄化されてきた。そうなると、アゥマを活かす程度も下がったんだろうね。アゥマを繰る術が便利・簡潔に改良され広まる一方で、使い手がいなくなった難度の高い術も出てきたってことを、真赭は言いたかったんじゃないかな?」
蒼が真赭に向き直ると、彼女の真っ白な頬がわずかに色を帯びた。
真赭が照れ臭そうにしたのは、蒼がいつもあまりにも的確に代弁してくれることに対してだろう。
「えぇ。人の記憶や伝承からは、必要なくなった大規模な浄練の術式などは衰退していくわ。そして、技術だけじゃなくて知識としても消えていく」
「なるほどねぇ。多かれ少なかれ現代の人はアゥマを纏っているしなぁ。ってことは、汚染当時はアゥマ自体が特別というか特異な存在だったけど、現在はもう当たり前ってことかい?」
「浅葱、そこじゃない。気づいて、言葉にして欲しかったのは。……間違っても、いないけれど」
真赭から、ため息混じりのぼやきが落ちた。だが、それは冷たい空気を纏ったものではなかった。
半分は察しない浅葱に、本気で呆れているのかもしれない。けれど、蒼には、真赭が浅葱のことを半分は誉めているのがわかった。いつものように、話し始めたとたん寝ないことに対してなのか、興味を持って考えていることに対してなのかは不明だが。
「へっ?」
浅葱は、きょとんと不思議そうな顔で真赭を見つめた。




