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清めの場④―残念なこと―


「ごめん。っていうか、紅たちが早かったんだよ。先に店に入ってくれてたら良かったのに」


 蒼は、浮かべた苦笑いの前で両手をあわせ、一応謝罪を口にする。けれど、謝りながらも、唇を尖らせた。蒼たちが遅れをとったことは事実だが、それ以上に紅たちの進む速度が早かったのだからと。

 そこで、ふとした違和感に、蒼は周囲を見渡した。


「あれ?」


 思わずこぼれた声と視線の動きに気がついたのか。わずかに視線をずらした紅が、後頭部を撫でる。そういえば、紅の隣には白龍だけが立っている。

 蒼は体を傾け、店の奥を覗き込む。店内には簡素な木の台車が置かれており、色とりどりの札が並べられている。並べられている、というよりは浮いていると言ったほうが正確だろうか。台車の内側には、見事に夜光貝が敷き詰められており、そこに心葉堂や庭にもある水晶板――非常に濃いアゥマを含んだ水の上――が張られている。紙で出来ている筈の札は、その水に溶けることもなく、浮いているのだ。見本として並べられているのと同時に、結界としての役割も担っている。

 変な話、邪を払う道具を扱っている場所には、その清さを求めて、邪に憑かれた魂が寄ってくるらしい。この店の娘である浅葱から、蒼もそういった話を聞かされる。 とても興味深い話ばかりだが、周囲から見ると、聞かされるというよりは語られるといった調子だろう。普段はのんびりと間延びした浅葱の口調が早くなり、相槌のみが許される空間になるから。


(そっか。共鳴しなくても感じるくらい、アゥマが騒めいている割に、声がしないからか)


 見渡していた顔を台車に向けると、濃いアゥマを湛えた清浄な水に微細な波紋が出来ていた。

 違和感の正体に気がつき、蒼が口を開こうとした瞬間。隣に立っていた紺樹が、先に言葉を発した。遠くまで見渡すように額に手を翳し、首を回しながら。


「そういえば、萌黄さんは何処に行かれたのですか?」

「それがのう。太陽のように輝かせておった表情が、店に着いたとたんに固くなってな。忙しなく辺を見回したと思うたら、ほれ、北東に有名な桃があると聞いたとかで、そちらに行くと言い出してのう。いやはや、乙女心と秋の空、とは良く言ったものよ」


 白龍は腰に当てていない右手を上げ、手首をくるりと回転させた。そうして、北東の方向を指さした。その指には、花びらが摘まれている。蒼たちを待っている間、手持ち無沙汰だったのだろうか。恐らく、舞っているものを捕まえたのだ。しかし、その花の色は、不自然なほど褪せ萎びていた。


「残念なことじゃて」


 退屈そうな仕草をする白龍だが、その表情に全くそんな雰囲気は皆無だ。けれど、目上の白龍を待たせたことを申し訳ないと思ったのか。紺樹は、白龍へ難しい顔を向けて、


「師傅にはお手数をおかけしました」


少々的外れと思えるような謝罪の言葉を口にした。待たせた詫びにしては、些かずれている。

 そんな紺樹と白龍のやりとりをじっと見ていた蒼だったが。思いの外、真剣な空気に何となく気まずくなってしまった。

 そんな気まずさから逃げるように、未だに仁王立ちしている紅の近くに寄った。蒼の顔には、思いっきり悪戯な笑みを浮かんでいる。


「紅は寂しくなっちゃったんじゃないの?」


 蒼が紅の肩を突っつきながらへらず口を叩く。すると、思い切りしかめられた紅の眉。紅の不機嫌さが増してしまった。


「少し顔色が明るくなったと思ったら、そんな憎まれ口か。ずいぶんとご機嫌だな」

「いっ! いしゃい、いしゃい! べふに、あきゃるく、なっちぇないほっ」


 蒼の柔らかい両頬が、思い切り引っ張られた。さほど痛くはなかったのだが、上手く言い訳ができない。暗に紺樹と何かあったのかと勘ぐられたようで、蒼としてはきちんと言い返したかったのだが。

 白龍に


「紅よ。そのあたりでもういいじゃろう」


と肩を軽く叩かれて、ようやく紅が手を離した。そうして、紅は再び腕を組み仁王立ちになってしまった。


「可愛さからほど遠い照れ隠しかたっ!」


 蒼は解放された頬を撫で、唇を尖らせて抗議する。

 けれど、再び紅の体がぴくりと反応を示したのが目にはいり、慌てて紺樹の後ろに隠れた。今日の紅は変に殺気立っている。

 蒼は大きな背中から顔を覗かせ、舌を出す。


「おやおや、紅。蒼に八つ当たりとは感心しませんね」

「別に副長に感心してもらおうとも思ってませんからね」


 紅は、ぶっきらぼうな口調で紺樹を突っぱねた。


「安心して下さい、と言い換えましょう。蒼に何もしていませんよ。手を繋いできただけで」


 しかし、それを受けた紺樹は肩を竦めて「こちらに怒っているのでしょう?」と余計な口をきく。それも、至極愉快そうに。


 その発言で、蒼の口元が歪んでしまう。錆びた瓶の蓋を開けているような軋んだ動きで紅の方を見ると……。想像通り、紅は般若のような顔で紺樹を睨んでいた。吹いてくる風も、思いなしか、冷たさと勢いを増したような気さえする程の恐ろしさだ。


 紅の顔には『人の不幸を楽しんだうえに、わざと怒らせるようなことを言いやがって』と書いてある。まったく、本当に何故こんな関係になってしまったのかと、蒼は心底、嘆いた。


「あのね、紅。繋いできたっていうより、引っ張られてきたっていうかさ。ゆっくり歩いて遅れてきたわけじゃないんだよ? っていうか、紺君の言い方が紅を煽ってるなんて、ここ数か月の当たり前じゃん。落ち着きなって」


 紺樹の背後から出てきた蒼が、聞いて下さいと右手を上下させる。決して、萌黄に振り回されている紅の存在を忘れていたのではないと主張する。が、また鋭い瞳で睨みつけられ、大人しく紺樹の後へ体を引っ込めた。


「はいはい。わるぅございました」


 蒼が顔を覗かせている間、軽く上げられていた紺樹の右腕がゆっくりと下ろされた。 目が合うと、お互いに微苦笑が浮かぶ。どうやら、今の紅には何を言っても許して貰えなさそうだ。

 それならば、と蒼は諦め背を正した。萌黄が別行動している間に用事を済ませてしまおう。


「ほら、じゃあさ。早く用事を済ませて、うちでゆっくりお茶でも飲もうよ」


「そうじゃな。ほれ、わしは店先で萌黄殿を待っておるよ。戻ってきた際に、あの方の性格からして、初見の店に入るのには躊躇する性格じゃて。紅と蒼は、焚染札を購入してきておくれ」

「それでは、私も師傅のおそばに。これ以上、紅に睨まれては視線で引き裂かれてしまいそうですから」


 まだ何か不満があるのか。口を開きかけた紅。蒼はそんな彼の腕を引き、店の敷居を跨いだ。


(紅ってば、どうしてこんなにも紺君に敵意をむき出しにするんだろう)


 兄が心配症なのは知っている。そんなのは昔からだ。

 ただ、自分が修行半ばで帰り店を継いでからというもの、度が増した気がする。特に、十年以上も付き合いがある、しかも家族同然の紺樹に対してだ。

 以前は紅だって紺樹を慕っていたし、尊敬すらしていた。それは紅が魔道府に入府してからも変わらなかった。紺樹の性格が昔よりかなり緩んだとは言え、紅が表面上だけで人を判断するのもあり得ない。


(私が修行にいっている間に、何かあったのかな)


 今更ではあるが、蒼は首を傾げた。

 疑問に思いながらも、紅の腕だけはきちんと掴み狭い廊下へと足と踏み入れた。少しばかり強引に引いたからか。後ろから続いた紅が、少しばかり高くなっている敷居に足を取られそうになってしまう。石畳で頭を打っては惨事になると、蒼は掴んでいた紅の腕を離した。


「おじい、萌黄さんが戻ってきたら、よろしくな」

「オゥ」


 何とか姿勢を立て直した紅は、短くそれだけを言い残すと、先に店奧へと進んでしまった。蒼も続こうと、石の床を踏む。清涼な空気が頬を撫でた。

 心葉堂と同じように、床の中央部分は水晶の道になっている。その水晶板の下には、やはり、アゥマを含んだ水が流れている。心葉堂と異なるのは、その流路に香りの葉が閉じ込められた丸硝子が漂っていることだろうか。


「うん。相変わらずいい香り」


 一歩踏み出せば、店の中は優しい匂いに満ちている。狭い入り口と同じく、奥へと続く廊香もさほど大きさは変わらない。恰幅のよい大人が挟まる広さだ。両側には、硝子の箱をはめ込まれた檜の薄い棚が続いている。その硝子箱の中には、店頭に置かれていた物と同じ様に、アゥマの水に浮かべられている札が飾られている。

 紅や蒼が前を通ると、札が仄かな光を纏った。蒼にはそれが通行の許可を出されているように思われるのだ。実際、邪を纏ったモノが通ると何かしらの術が発動する仕組みだ。


「おやじ、お客さんみたいだよぉー!」

「あいよ。っつーか、客の前では店主だろうがよ! 騒がしくてごめんよ、紅」


 奥から店主とその娘――蒼の幼馴染でもある浅葱の声が聞こえてきた。どうやら紅は既に札を選んでいるらしかった。


「また、ぼやっとしてんなって怒られちゃう」


 蒼は自分の頬を軽くはたいた。

 保守的なように見えて、実はとても行動力のある紅。気を抜くと先を行ってしまうのだ。

 逆に蒼は行動力があるように見えて、興味のあることに気を取られると、つい自分の世界に入ってしまい固まってしまう。昔から紅によく叱られ、手を引かれていたことが思い出される。


「なんだか懐かしい思い出が浮かんじゃった」


 ふっと、思い出された記憶。()()()()()は、後をついていく蒼の手を握らなかった紅。怒っているようであって、泣いているようでもあった背中。幼い兄妹の過去。

 あの時、蒼はとても悲しかった。紅に突き放されたことよりも、自分を無理やり思考から除外しようとする兄がひどく傷ついていたのが。大好きな兄が自身を傷めつけるしかない状況が。


「――ですね」

「まだ――いや、しかし」


 後ろから白龍と紺樹の声が聞こえてきて、蒼は我に返る。

 ちらりと後ろに視線を走らせてしまったのは、その声が押し殺されていたから。葉のざわめきも遮られた空間にいる蒼には、逆に気になってしまう音量だった。

 何となく。振り返るのが躊躇われてしまい、棚を見る振りをして首をわずかに回した。棚の硝子に指を這わすと、アゥマの水が震え波紋が起きる。実際、触れているわけでもないのだが、蒼の纏うアゥマに反応したのだろう。先程と変わらず、優しい色が硝子に反射した。


「花びら?」


 垣間見えたのは、白龍の指に摘まれた花びら。先程と同じ花びらだろうか。その花びらは、やはり、鮮やかだったはずの色を失い茶色い。枯れてしまった花びらを見つめている白龍と紺樹。いや、必ずしも話の内容と視線が合致しているわけではないだろうけれど。やけに気になってしまった。


「帰るべきは、どこか」


 ふわりと吹いた風に飛ばされたその花びらが、建物の中に迷い込んできた。二人が自分の方を向くのではと、蒼は慌てて前へ進む。流れる髪の間に見えたのは、塵になった花弁だった。

 廊下全体のアゥマが身を震わせ、きぃんと鳴った。耳が痛む。それはまるで負の感情。アゥマが怒りを露わにしているように感じられた。


(痛い。でも、理由はわからない。ただ、痛い感情が焦げて散る)


 散り散りになった花が落ちた水晶板が、鈍い光を放っていた。冷たいものが背を走り。蒼は小走りで、紅の元へと進む。その際、聞こえた会話が、さらに蒼の鼓動を早めた。


「取り越し苦労であればと、願っていたのだがのう」

「かなり憂慮すべき状態ということでしょうか」

「その可能性は高いのう。しかし……過去の偉人も酷な術を練り上げたものよ。だれもが縋ってしまうだろうに」


 深い意味までは汲み取れなくとも、胸騒ぎを感じるには充分な単語。それが織り交ぜられていたから……蒼は足を前にだけ踏み出した。


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