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蒼の茶葉③―ちょっとだけ―

「なんじゃ、今にもぶっ倒れそうな顔色しおってからに」


 溜まりへ駆け込んだ蒼。麒淵は心配とも呆れともとれる顔で迎えてくれた。どちらかというと後者を色濃く含んだ瞳だが、蒼は黙って彼の横を通り過ぎた。

 店から全速力で中庭を走ってきたので、全身から汗が流れ、体温も心拍数も激しく上昇している。それでもなお、青白い顔に見えてしまうのは、よほどひどい顔をしているのだろう。

 蒼は息を整えようと深呼吸をする。きんっと張り詰めた溜まりの空気が、肌を刺してきた。


「そんな、こと、ないよ」


 なんとか呟くが、その声はか細く震えており説得力など皆無。それが、自分自身でも分かってしまう程だった。

 自分の中に渦巻いている暗い感情のせいだろう。いつもなら溜まりに入った瞬間、清涼な空気で落ち着くのに。今日は、先ほど飲み込んだ嗚咽で、喉奥が詰まったままだ。


「ちょっと、休憩、させてね。お昼の、きゅーけい、じかん」


 静かに近づいてきた麒淵と目を合わせず。蒼は天秤が置かれた机に、崩れるようにうつ伏せた。冷たい円卓に触れた肌から、熱が移っていく。ようやく、蒼は、ほぅと息を吐いた。本来であれば、溜まりは長袖を身に付けていないと、寒さに鳥肌が立つような場所だ。けれど、今は露出した肌に湿気寒さが心地よい。

 大きく上下していた肩の動きが、次第に静まっていく。けれど、やはり、全身で感じる違和感を拭うことはできなかった。


(まるで、アゥマから拒否されているかのようで、たまらなく苦しくなる)


 蒼が幼い時分に溜まりの守霊と契約を結べたのはアゥマを感じ取りやすく、そして影響を受けやすい体質だからこそと聞いたことがある。ならば、いま蒼が感じている拒否感は、現実のもの――ここにあるアゥマを纏った茶葉や道具たちから発せられているもの、なのだとも言えるのか。そんな風に考え始めると、悪い方向にばかり考えてしまう。

 蒼は螺旋階段を上下し続けている錯覚に陥っていく。


「最近、根を詰めておったようだからのう」


 麒淵が音もなく、蒼に近づいてくるのがわかった。空気でわかる。


「そんなんでは、アゥマを扱うことすら身体の負担になってしまうぞ?」

「大丈夫、だもん。私の方が負担に思うことなんて絶対にないもん」


 顔を伏せたまま絞り出した声はくぐもっていたが、洞窟のような作りになっている溜まりでは良く響いた。岩肌に反響して戻ってくる声は、耳鳴りを誘う。

 情けない声が悔しくて、蒼はぎゅっと腕を掴んだ。肌が赤くなるほどに掴んで、さらに額を机に擦りつけた。


「あほうが。おぬしがいくつの頃からの付き合いだと思っとるのだ。それこそ、藍の腹の中にいる大きさの時から、やたらアゥマと共鳴したがる気配を感じていたのじゃぞ?」


 蒼の頭の上で、麒淵がため息をついた。そのままつむじを軽く叩かれて。いや、撫でられて。蒼はきつく唇を結んだ。そうしないと、再び涙腺が緩んでしまいそうだったから。

 優しくされることが辛かった。あたたかい言葉が、よけいに胸を締め付けてくる。それら全てが、蒼の未熟さを象徴しているかのようだ。あくまでも蒼の主観だとは理解している。知っているからこそ、蒼は自己嫌悪の悪循環にはまってしまう。


「変なところ、撫でないでよぉ」

「どっどあほうが! 人が優しくしてやっておると言うのに! おぬしの方が可笑しなこと言うとるわいっ!」


 蒼から様子は伺えないが、麒淵は本気で慌てているらしく、身体に不似合いな大きい声が飛び出てきた。それと同時に、後頭部を強く叩かれてしまう。込められた力に、麒淵の動揺が詰め込まれているようで、結構な痛みが蒼を襲った。しかし、どういうわけか、それが合図になり、瞼が急に重みを増してきた。

 蒼はようやく顔をあげて、瞼を擦った。既に半分ほどは視界が狭くなっているのか、麒淵の


「……ちっと寝ておけ」


という優しい囁きがやけに遠く聞こえた。


「んっ。でも……」


 蒼の返事が珍しく躊躇の色を含む。しかし、それも麒淵には予想のうちだったのか、麒淵は小さく笑った。


「紅には、わしから居場所を伝えておこう。なに、わしもすぐに戻ってくる。寝坊の心配はせんと、思う存分寝てよいぞ」

「う……ん、わか……た」


 なんとか。それだけ麒淵へ返すと、蒼の意識は急速に遠のいていった。

 まどろむ意識の中、蒼は夢を見ないようにと願った。肌に刺すわずかな違和感がそう思わせたのか、それとも、様々な辛い思い出が溢れ出てきて、悲しみに飲まれそうだと考えたのか。

 蒼自身、どちらかはわからなかったけれど、ひとつだけはっきりしていた。今だけは自分が大切にしている居場所で、静かに眠りたいということ。


(目を覚ましたら、また頑張れるから。能天気な私に戻れるから。ちょっとだけ――)


 蒼は、全身の息を吐きだす勢いで深くため息をついた。

 ふわりと背中に感じた滑らかな絹の感触。それが遠い両親との思い出を引っ張ってきたので、それ以上、蒼が頭を悩ませることはなかった。


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