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蒼の茶葉②―蒼の茶葉じゃない―

「あっあのさ! 本来なら、僕みたいなイチ客が言っても良いか、迷うけれどっ!」


 雄黄は、櫃台(カウンター)を強く叩いた。乱暴な調子というより、熱意がこもった音が鳴った。


「僕は蒼茶師の茶が好きだから言うね! 蒼茶師の茶葉なのかな、って感じてしまったんだ。茶葉の香りも淹れた後の味も。いつもなら舌に染みてくる優しさが、そのなんていうか」


 断言した割に言い淀んでしまったのは、雄黄の根っから温和な性格からだろう。

 だからこそ、蒼の胸をえぐってくる。

 蒼が耳を塞ぎかけたところで、紅が「はい」と相槌を打った。


「雄黄さんの心の声を、教えてください。どうか」


 紅の真っすぐな視線に、雄黄は何度か喉を鳴らして、ぎゅっと胸元を掴んだ。


「柔らかかったり、賑やかだったり、しっとりだったり。蒼茶師の優しさは多彩なんだ。それが、尖った新鮮さによって追いやられている気がしちゃって、鼓動が激しくなっちゃったんだ」

「蒼の、茶葉じゃない……」


 深思の声で、紅が雄黄の言葉を繰り返した。

 蒼はいま直ぐにでもこの場を去ってしまいたいのに。だれかが、二人の会話を最後まで聞けと足を縛っているように力が抜けていく。怖くて、いますぐにでも耳を塞ぎたいのに。


「もちろん、診断や浄練はいつも通りすごく丁寧だったよ! 種類の提案はしてくれつつ、押し付けてくるのではなく、寄り添ってくれたんだ。だけど、華憐堂の茶葉に似ているかなって。って、あっー! 僕の語彙では、紅君にしっくり届く表現まで及べないのがもどかしいよ!」


 紅の噛み締める口調から、彼が怒っていると勘違いしたのか。雄黄が慌てた声で蒼を庇った。


「いえ。雄黄さんの想いがすごく伝わってきました。それこそ、雄黄さんならではの表現で」


 紅が、ひどく柔らかい声を出した。雄黄の真摯な想いに応えるのと同時、相手を落ち着かせる時に出す声だ。

 そんな紅の空気に感化されたのか、雄黄がたっぷりと息を吸って、そして一気に吐き出した。


「僕も彼女も、本当にね。本当に、すっごく蒼茶師のお茶が好きなんだ。とってもね、それこそとても、辛い時に心をほぐしてくれたお茶。そして、日常でもあたたかさをくれる」


 雄黄がほつりと零した声は、蒼の心をえぐる。沁みてくる記憶が垣間見えるような声だから、今は蒼を傷つけてくる。


「オレは、妹の茶葉をそんな風に楽しんでくださっている方がいて、本当に嬉しいです。蒼は良い表現をすると感受性が豊かです。悪い言い方をすると単純で真っすぐすぎる」

「僕にしたら、どっちも良い表現な気がするけども」

「それ、あいつの前では言わないでくださいね。調子に乗るんで」


 客の前ではめったにしない調子で、ふはっと笑った紅。

 素に近い苦笑に安心したのか、雄黄も少しだけ歯を見せて笑った。


「そんなんだから、少なからず先進的な華憐堂さんの影響を受けたのかもしれませんね」


 かちゃりと、瓶がぶつかった音がした。心葉堂の家紋が押印された紙袋から、茶瓶を出したのだろう。音だけで、蒼には客が茶瓶を扱う仕草や表情が想像できた。

 幼い頃からずっと、この場所にいるのだ。幼い頃から、ずっと心葉堂が、蒼の居場所だった。


(家族の場所。守りたいところ。なのに、私は無力どころか、紅にあんなこと言わせた)


 蒼はふと視線をあげる。幾日振りかに雲のない晴れた空が、渡り廊下側にある開け放たれた扉から見えた。降り注ぐ木漏れ日も暖かく、水晶の床部分に反射しては煌いている。


「僕は、華憐堂さんの茶葉も買ってみたんだ。確かに、癖にはなる味がする。けど、こう、厳しいというか冷たいというか。それに、皆は力が出るっていうのだけど、僕は変に疲れちゃってね。疲れるっていうか、身体が熱くなった後に急激に冷えるというか」

「あまりオレの言葉に引っ張るのは憚られますが――もしかして、脱力に近い感覚ですか?」


 紅の補足(フォロー)に雄黄が身を乗り出した。ぽっちゃり気味の腹が櫃台で潰される。それもお構いなしに雄黄は大きく何度も頷いた。


「そうなんだよ! まさに、それ! 他の人は毒素が排出(デトックス)された好転反応だって笑うんだけど、僕はその部類の一時的な作用なのかは首を傾げてしまうんだよね」


 好転反応は、有害物質や老廃物が一時的に血液中を流れることが要因で起こると考えられる現象だ。

 雄黄は数秒考えこんで、ぱちんと指を鳴らした。子どもさながらに目を輝かせて。


「そうだっ! さっき紅店長が口にした脱力というのに納得したんだけど。自分の言葉で表現するなら、身体の綺麗な血まで濁されて、体に力が入らない状態というのが一番しっくりとくるかも! 毒素が体外には出ずに、内側で蓄積するために作用しているなぁって」


 雄黄はすっきりしたと、本当に汗を拭った。ゆったりとした裾がやや滲んでいる。

 雄黄が手で顔を仰いでも、さらに頬の赤みは増していく。


「ごめんね。思考がすっきりしたとたん、汗が噴き出てきちゃって」


 紅は櫃台の下から冷魔道でほどよく冷えた綿布(タオル)を取り出し、雄黄に差し出す。

 雄黄は礼を口にしつつ、やはり顔を拭いているところを見られるのには躊躇するようで、紅に背を向けた。せっせと冷気を取り込んでいる背中は、やたらと愛嬌がある。

 そして、紅は静かに瞼を閉じて――再び空気に触れた瞳の色は変わっていた。薄水色(アイスブルー)の瞳が、雄黄の首筋を流れる汗、そして汗が滲んだ裾を射抜く。


(雄黄さん自身はアゥマ使いを名乗る制御力は持っていない。けれど、彼の潜在能力はかなり高い。はっきりと華憐堂の茶は毒だと認識したことで、無意識のうちに体内のアゥマで得体のしれないものを解毒したのか? そんなアゥマが入り混じっている。けど、これは――)


 そこまで考えて。血管を破らんばかりの頭痛が紅を襲った。

 嘔吐しそうになる喉を押えて、きつく瞼を閉じる。顎をめいいっぱい上げて、天井の風車を目で追う。薄く滲む程度の模様。そして、水晶の床下でちゃぽんと踊る音に耳を傾ける。


「お茶ってさ」


 そして、真っ赤な頬を押えた雄黄が振り返る頃には、紅の瞳はいつもの優しい牡丹色を浮かべていた。正直、危なかったと紅は安堵で胸を撫でおろしたが。


「大切な人と大切な時間に飲んだり、癒してくれるものだったり、初めての人を、心を込めて出迎える時の相棒だと思っているからさ、蒼茶師の優しいお茶が、すごく好きなんだ! だから、余計なお世話かもしれないけども。どうしたのかなって、ちょっと気になってしまって」


 雄黄の熱弁が静かな店に響いた。

 最高の褒め言葉なはずなのに、全く心が踊らない。むしろ、喉がしまって息苦しかった。胸が締め付けられた。どこからも、どんな角度からも、どう頑張っても。四方上下全てから否定されているようで、今の蒼にとっては、ただ自分を刺す鋭い刃になる気がした。


(どうすればいいのかも、どうしたいかさえも霧の中)


 蒼は、喉の奥から湧き上がってくる嗚咽を、必死で抑える。不安を吹き飛ばすように行動を起こす元気はないのに、やるせなさを吐き出す力はあるのかと、自分の身体が恨めしくなった。

 優しい音で聞こえる紅の苦笑さえも、蒼の心をえぐる。


「すみません。きっとあいつ、華憐堂さんの商人根性に驚いてるところがあると思います。これまで茶葉のことばっかり考えてきたものだから、今まで街にいなかった性質の店に、びびっちゃてるんでしょう。でも、今の雄黄さんの言葉を聞いたら、あいつ喜びますよ」

「そっか。そうだと良いね。蒼茶師はあぁ見えて繊細で、茶葉もそうだからね。街の皆も、新しいもの好きなだけだから、きっともう少ししたら、落ち着いてくるんじゃないかな」

「あっ、今の『あぁ見えて』っていうのには、怒るかもしれませんよ?」


 紅が少し意地悪そうに口の端を上げる。


「いや、それは怖いな……蒼茶師の場合、正真正銘のお茶に対してだけは繊細なんです! って怒りそう。あぁ見えてじゃなくて、そのまんまですって、胸を張りそうだよ」


 紅がぱちくりと瞬きを繰り返して――くしゃりと笑った。それはあまりに年相応の笑みだったから。雄黄も、


「もしかして、僕にしては的確な表現だったかなぁ」


などと照れ笑いで手を躍らせた。

 蒼の桃色の服が色を深めていく。染みていくのは、硬く閉じた瞳から零れていく、大粒の雫。蒼をわかってくれている客がいるのだと、蒼の茶を好いていてくれる人間がいるのだと胸が熱くなる一方、ずっと悩んでいることが心を埋め尽くす。


(心葉堂のお客さんは、私を見ているだけで、お茶の味で選んでいるのではないのかも。心葉堂は大好きだ。ずっと心葉堂の茶師になるのが当たり前だった。でも、それって、私個人は関係なかったのか。もちろん看板を背負う意味は理解している。それでも――)


 蒼が浄練する茶葉だから、そう感じられるのか。それとも、蒼が浄練したと知らなくとも、茶葉の味だけでも、雄黄が言う様な気持ちが湧いてくるのか。

 前者であれば、どれだけ努力しようとも現状を変えることが敵わないと、蒼は思う。だからこそ、新しい風を取り入れようとした。けれど、きっと、蒼がしていることは……。


「じゃあ、また来るよ。今日もこれから天気が崩れてくるらしいから、紅君も蒼茶師それに白龍様もあったかくして元気でいてね。他の店みたいに、体調不良で休業は悲しいからね」


 かつんと、人が動く音がした。靴と床がぶつかる音。


「ありがとうございます。雄黄さんも。今度は彼女さんとのご来店をお待ちしています。お気をつけてお帰り下さい」


 しゃらん、と。 何時もと変わらない調子で、店の扉の鈴が透き通った音で鳴った。雄黄が店から出たのを知ると、急に蒼の体が軽くなった。

 紅が櫃台で台帳を開き、紙の擦れる音が蒼の耳に届く。

 蒼は這うようにして店から離れていく。自宅へと繋がる水晶板の廊下へ出ると、無意識で走り出していた。茶葉たちが並んだ場所から逃げるように、足が動き続ける。一刻も早く、溜まりへ――麒淵の傍に行きたかった。


 珍しく晴れ渡っている空は、群青よりも深い色をした深縹(こきはなだ)。そんな空を背に舞い踊る桜の色が、庭園に溢れる緑と鮮やかに溶け合って。やけに綺麗だった。


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