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蒼の茶葉①―常連客の雄黄―

 あれから蒼は随分と色んなことを考えては行動し、その度に落ち込んでしまっている。


「はぁ。やっぱり私ってだめだな」


 蒼から小さなため息を落ちた。その拍子に、わずかだが、肩が下がった。

 数秒の間を挟んで、予想以上に大きい動作になってしまったことに気がついた蒼は、棚の下方にある瓶を手に取る振りをして、勢い良く屈み込む。その拍子にふらついてしまった。


「蒼茶師? どうかしたのかい?」


 逆にその動作に驚いたのだろう。店内でたった一人の客――常連客の雄黄(ゆうおう)が振り返った。


「雄黄さん、驚かせてごめんなさい。えっと、あれです。危険な、なにがしな、物体を落としかけて、びっくり反射で、思いのほか勢いよく、しゃがんでしまっただけで」

「そうなのかい? 蒼茶師は反射神経が良いから。落とさなかったようで良かったね」


 雄黄が天然で助かった。蒼は割と本気で感謝した。なんせ、櫃台にいる紅からは『なにがしな物体って、お前の脳みそだろ』と言いたげな、絶対零度な視線を投げつけられているから。

 蒼は紅に明るく突っ込みでも入れようと足に力を入れる。けれど、どうにも体が重くて膝をついてしまった。幾ら個人用浄練の診断を終えたばかりとはいえ、首を捻る状態だ。


(ううん。不思議なことはないか。新しい浄練方法に挑戦したからだ)


 客の体調や纏うアゥマの量を見定め、あらかじめ溜まりで浄練を終えた茶葉を、さらに個人に合わせて浄練し仕上げていく診断。

 今回は、なかなかアゥマが制御できなかったのもあるが、それよりも、茶葉のアゥマが雄黄のアゥマとの調整に馴染んでくれなかったことが疲労の大きな要因だろう。


(物事の変わり目って、きっといつだってこんな感じだ)


 蒼自身、茶葉に対して妥協する自分をらしくもないと思いはする。


「よっこらせ!」


 そんな考えを払拭するように大き目の掛け声を出して、背を伸ばした。商品棚に並んだ瓶が、一瞬、くらりと歪む。さすがに、これ以上店に出ているのは危険だと判断し、蒼はすぐ傍の円卓に置いてあった冊子を手に取った。


「紅、ごめん。ちょっと裏に在庫を見に行って来るね」

「あぁ。ちょうど良かったよ。白茶の棚に、これを戻しておいてくれ」

「うん、わかった。じゃあ、雄黄さん、ゆっくりしていってくださいね」


 蒼は雄黄としっかり目を合わせ、いつもの微笑みを浮かべなおす。

 すると、雄黄は数秒ぽかんとしたもの、静かな笑みを浮かべて手を振ってくれた。

 雄黄の反応が若干気になった者の、蒼は会釈をして暖簾をくぐる。


(在庫を見るついでに、冷たい茶でも飲んで頭を冷やそう)


 蒼は小さく頭を振る。髪が揺れた瞬間、再びぐらりと視界がまわり、目の前が真っ白になった。倒れこそしなかったものの、壁に寄りかかった身体が、そのまま落ちていった。


(大丈夫。紅がこっちを覗きに来る気配は感じない)


 住居へと抜ける途中にある小休憩兼在庫置き場とはいえ、小さな音なら店先には届かない。


「寝不足かな。思考も身体も全部、重いや」


 呟いた声は想像以上に掠れていた。

 確かに、ここ数日まともに睡眠をとっていなかった。浄錬を見直そうという気持ちから、研究に没頭して溜まりに入り浸っていたからだ。

 けれど、それは今までだって繰り返してきたこと。ここまで体調が崩れるのは珍しいことだ。


(少しばかり溜まりにこもる時間が、長すぎなのかな)


 蒼は深呼吸を繰り返す。

 濃密なアゥマが集まった溜まりは、太い龍脈の通り道でもある。相棒と呼べる守霊が管理している溜まりとは異なり、龍脈は世界中を循環する流れだ。いくら濃いアゥマに慣れた職人であっても、いわゆる野良アゥマの影響は少なからず受ける。


「先生が桃源郷で浄練してくれた丹茶が良いかな。私が色んなアゥマと共鳴しすぎて酔った時に、先生の丹茶を飲むと落ち着けた。今はそれが一番効く気がする」


 蒼は自室へ目的地を変えることにした。

 いつの間にか溢れてきていた汗を、手の甲で荒く拭う。足に力を入れるが、まだ上手く立ち上がれない。蒼は、しばらくは大人しく壁に背を預けることにした。


✿✿✿


「はい、雄黄さんこれで最後です」

「うん、これで揃ったね。ありがとうね。お代はこちらで」


 蒼がうとりとしかけた時、紅と雄黄の会話が耳に入ってきた。目を擦って、棚の一角に置かれた懐中時計を確認する。おおよそだが、湯が沸くほどの時間だけ経過していたようだ。


「本当は雨の日でも来店したいんだけどねぇ。僕は運動神経が良くないから橋で滑りそうで」


 雄黄は紅よりも二・三歳ほどだけ上なのだが、のんびりとした話し方のせいか落ち着いた印象を受ける。


(そう言えば、個人用の茶葉とは別に、香りの茶が欲しいって言ってた気がする。それなのに、私、引っ込んじゃって。あぁ、そうか。だから、雄黄さん、びっくりしてたのか)


 やってしまったと、蒼は顔を覆った。いつものお勧め熱により暴走するのとは異なる。客が伝えてくれた要望をまるっと失念してしまった自分に、だれよりも蒼が自分に失望した。

 ということは、つまり。蒼の代わりに紅が要望に沿った茶葉や菓子を選んでくれたのだろう。


「紅君に選んでもらうのも良いよねぇ。これで彼女がいつ隣街から来ても大丈夫だ」


 気に入ったものが見つかったようで、雄黄の声には喜びが滲んでいた。


「蒼が店を継いですぐに一緒に来てくださった方ですね」

「そうなんだよ。あれから彼女、すごく蒼茶師の茶葉と茶瓶が気に入ったみたいでね。せがまれて、香りの茶だけは送ってはいたんだ。近いうちに一緒に来るからさ。よろしくね」


 雄黄の声が弾んだ。どんなところを気に入ってくれたのか、熱弁を始める。

 雄黄の恋人は蒼も良く覚えている。柔らかい雰囲気だが、意志のある強い瞳をしていて、艷めいた黒髪が白い肌に映えた、とても美しい女性だ。なにより、そわそわと茶葉を選びながら、色んな質問をしてくれたので特に印象深かった。二度目の調整の際もいたく感想して、家族も連れてきたいと語ってくれた。そして、彼女を優しい表情で見つめていた雄黄との関係も、素敵だと思った。興奮する彼女を、雄黄は全身で愛し気に受け止めていると思った。


「ただ……蒼茶師、どうかしたのかい?」


 ふと間が空いて。雄黄が遠慮がちに、紅に尋ねた。

 急に音量が下がったのが、余計に蒼の耳を打った。耳鳴りがひどくなった。


「診断中、何かありましたか? 最近あいつ、新しい調整方法の模索に夢中なのか、暴走気味なんですよ。それともいつも通り、茶葉について暑苦しく語っていましたか?」


 雄黄の言葉を受けた紅は、あくまで平静な声で対応している。いや、語調は穏やかだか、普段より軽めの言い方をしているあたり、心の中では蒼の頭を叩いている可能性は高い。

 紅の反応に安心したのか、雄黄は口篭りながらも「先ほど」と続ける。


「診断中に茶を飲んで感じたのだけど、いつも違うというか。いやね、美味しいのはいつもと同じなんだよ? でも、僕はなんていうか、ちょっと……個人的な感覚だから」

「と、言いますと?」


 いつもと違う。それ自体は、蒼にとって前向きな単語だ。華憐堂のように、新しくて癖になる味が出せるように研究中なのだから。

 これを知ったら、間違いなく紅は怒るだろう。麒淵だって梅干しみたいになる。しかし、未熟な蒼にとって、店を守るためには必要なことだと思われた。今までの心葉堂の味に慣れ親しんでくれた客たちには、蒼の茶葉は物足りないと感じられているのではないか。ならば、違う特徴を出さなければ、と。


 迷いに迷って、方向は定まったはずだ。


 それなのに、どうしてだろう。蒼の心は、ずっと曇ったままだ。だから、雄黄が何を口にしようとしているのか想像がついて、心臓が大きく跳ねた。鈍い鼓動が眩暈を誘った。


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