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兄妹と祖父

 紅が捲り上げていた袖を下ろした所へ、店奥から祖父の白龍(はくろん)が戻ってきた。


「おじい、こっちの拭き掃除は終わったよ」

「おぅ。わしの方も一段落したわい」


 紅が身につけている薄藍の袖は綺麗に折られていたからか、すっと伸ばした腕に沿って裾が降りた。

 逆に、白の袖は押し上げられていただけだ。


「って、おじい。また、そんな雑なあげ方して――いいけどさ」


 洗濯物を干す際、ついてしまった皺を伸ばすのが面倒だといつも紅が釘をさしている。

 白龍は、それも『あまり口うるさいと、もてぬぞ?』と笑うだけだ。

 だから、掃除で疲弊してしまっている今日は、頭の中に浮かんだ続きを言葉にするのはやめておくことにした。


「なんじゃ、今日の紅は寛容じゃな」

「寛容じゃなくって、疲れているから余計な説教は控えただけだよ」

「ははっ、ご苦労さん。いや、しかし。客が少なかったせいか、いつもより念入りに掃除が出来てよかったわい」


 白龍が愉快げに笑い声をあげた。

 その声に嫌味など一切含まれていないのは紅にも十分理解できているのだが……紅はそんな白龍を軽く睨んだ。


「おじい、その台詞は間違っても蒼の前で言うなよ。それに全然よくない」


 紅は不機嫌を隠しもせず、口元をひきつらせた。

 心優しい孫の厳しい声色に、白龍は「悪い、悪い」とは言いながらも、全く悪びれた様子もなく手を振った。そのまま、櫃台近くに置いてある椅子へ腰掛ける。白は足を組むと、少し困った顔を浮かべた。

 しかし、そんな表情の中にも、紅は何かしらの企みを感じてしまう。


「されとて、店が空いておるのは、蒼のせいではなかろうに。天候が崩れておることで、皆が外出を控えてきておる影響もあるのじゃから。アゥマの流れも微妙な変化を見せておるしのう」

「それでもだ! 事実とは関係ないんだよ、今のあいつには」

「そういうものかの。情報として現状を正確に判断することも大事じゃがのう」


 白龍は納得いかないように頬杖をつくが、やはり、目じりには皺の波が刻まれている。切れ長の瞳が、悪戯な色を浮かべて細められる。

 紅は、心配性な自分へのからかいの色が含まれていることを直ぐに察したが、ぶすりと表情にだけ不満を出した。腕を組み仁王立ちになってみせるが、白龍は目を細めたまま――いや、さらに視界を狭めた。


「厳しいことを言うようじゃが。心の乱れはアゥマの制御を鈍らせる。つまり、浄練が散漫になる。それはさらに蒼を落ち込ませる原因になるじゃろう。ただでさえ、心葉堂の歴代の目玉商品である、薬となる茶を作ることができぬ、今は」

「おじい、それはっ――」


 紅が苦り切って、口を開きかける。

 そんな反応も見越したかのように、白龍は一層ひやかしの色を濃くした。年の割に豊かな己の髪に指を滑らせ、口の端をあげた。


「それに、あれこれ気にしすぎると禿げるぞ、紅よ」

「おじい! 気に病んでいるのは――オ・レ・じゃ・な・い!」


 白龍の発言を全力で否定する紅。白龍の最後の言葉を気にしたのか。心なしか、短く切られた言葉尻には、力が入っていた。大きく息を吸い込んだせいか。音量も大きくなる。二人しかいない店の中に響き渡る声。

 そんな紅の様子に、ついぞ白龍が腹を抱えて笑い出す。顔を赤くした紅は、


「もう好きにしてくれ」


と苦しそうにむせる祖父を、呆れた目で見るしかない。こうなってしまっては、紅にはお手上げだ。

 紅が店奥に踵を返そうとしたのと同時、背後で扉が開き、店の中に外の清冷な空気が流れ込んできた。


「ただいま!」


 高めの柔らかい声が店の中に響いて、思わず二人の頬が緩んだ。

 ぽっと心をあたためてくれるような声。


「おかえり」

 紅と白龍の視線の先には、腕を擦っている蒼が寒さに頬を赤くして立っていた。


✿✿✿


 店内は茶葉に合わせた温度を保っている。蒼はその差に反応した自分の鼻をつまみ、くしゃみを堪えた。


「こんな時期なのに、夕は冷えるね!」

「随分遅かったんだな」

「紅よ、野暮なこと言うものではない。蒼とて年頃じゃ。そんな日もあろう」


 老人にしては随分と艶のある笑みを、意味深に浮かべたのは白龍だ。

 後姿にそれを受けた紅は、先程以上に複雑な表情のままで口元を歪めた。目にしなくとも、紅には白龍がどんな表情で何をいわんとしているのかが、手に取るようにわかる。


(おじいは、私たちが子どものころから変らないなぁ)


 わかっていながらも、白龍のからかいを一々真面目に受け取る紅に、蒼は微笑する。これでは、どちらが保護者なのか。


「魔道府への定例の報告、無事に終わりました。それで、真赭(まそほ)のところに寄って古書の片付けの手伝いしてきたの。おじいには言ってあったはずだけど」


 真赭とは蒼の赤ん坊の頃からの幼馴染みであり、由緒正しき古書堂の娘だ。真赭の祖母と白龍が、これまた幼馴染みでもある。

 紅は「おじい」と厳しい声をだしながらも胸を撫で下ろし、白龍はつまらなそうに「寄り道なしかい」と欠伸交じりに呟いた。

 紅がもうひと睨みすると、白龍は背を正して髭を撫でた。


「真赭のばぁさんも亡くなったばかりだからのう」

「うん。地下なんかの至る場所に本が保管されているみたいで、まず見つけるのが大変そう」


 凝った肩をまわしながら言う蒼を、紅が年寄りみたいだと笑った。

 普段気苦労が多い紅から言われると、微妙な気持ちになる。まぁその気苦労は主に蒼自身のせいなのだけれど。


「そういえば、魔道府で陰翡お兄ちゃんと陽翠お姉ちゃんに会ったよ」

「そっか。陰翡には先日オレも街中で会ったよ。相変わらず元気だったろ?」


 蒼の表情がほんの僅かに翳った。紅の瞳が懐かしそうに、蕩けたから。

 兄の珍しい反応に、蒼の胸が痛む。紅が纏う空気はひどく優しいものであるはずなのに。


(紅は戻りたいと思っていないのかな。目標に向かって、ひたすら頑張れていたあの頃に)


 今の紅の立場とは異なり、充実した執務にあたる彼らを取り巻く光の眩しさで、紅の目が細められたように思われた。

 そして、そう感じさせているとしたら、それは蒼自身の力の足りなさからだから。

 蒼は傲慢とは思いながら、つい眉尻を下げてしまう。


「さて、わしは茉莉花(ジャスミン)茶でも淹れてくるかのう。それを飲んだら夕餉(ゆうげ)にするぞ」


 蒼の様子を察してか否か。白龍は腰を伸ばしながら、すくりと立ち上がった。


「あっ、おじい。私が淹れるよ!」

「じじいは動かないと身体が固まってしまうのだよ」


 白龍は慌てる蒼の肩を軽く叩き、言葉とは反対のしなやか動きで足を滑らせ、店の奥へと入っていった。

 どこが年寄りだと、兄妹は肩を竦めた。


「じゃあ、オレは掃除道具片付けてくるかな」


 いつもの表情に戻った紅が、蒼に背を向けた。室内には、紅の手元から発せられるだけ音が響く。

 しばらくは椅子に腰掛け、じっと紅の様子を見ていた蒼。静かに流れる時間の中、とても聞きにくいことが蒼の頭に浮かぶ。


「ねぇ、紅」


 紅の答えを予想しながらも、口にせずにはいられなかった。


「うん? どうした、蒼。やけにかしこまって」

「紅は――魔道府を辞めたこと、ほんとに後悔してない?」


 蒼が小さくちいさく呟いた。吐息とまざって消えてしまいそうなほど。

 蒼は膝を両手で掴む。掌がひどく熱くて、汗がじんわりと布へ染みていく気がした。

 ただ、それよりも気になったのは、いつもは眠たそうに瞼を若干下げている紅が、目の前で満月以上に瞳を丸くしていることだった。


「蒼は、変なところを気にするな」


 しかし、蒼の不安はあっけなく払拭された。紅の大きな手が、蒼の頭を少々乱暴に撫でた。

 遠慮のない調子に、蒼はぐっと口を引く。そうしないと、込み上げてくる感情を抑えられなかった。


「当たり前だろ、そんなの。オレは自分で決めて魔道府を辞めたんだ。それに、店をきちんと管理するのがオレの使命だって、オレ自身が思ったわけだから」

「でもっ!」

「お前だって一度決めたことは、がんとして聞かないだろ。オレだって同じだよ。兄妹なんだからわかってるだろ? あきらめろ」


 思い切り、胸を張って満足げな顔で言われて――蒼はくしゃりと顔を崩した。

 今、鏡を覗き込んだならきっと、猿尻の色をした顔で涙を堪えている自分が映るんだろう。蒼はそんな風に考えながら、白い袖で目を擦った。余計に赤みが増すことを知りながらも。

 兄に涙を見せることへの意地と共に、こみ上げる感情に素直になっては、それがまた、彼の足枷になるのではと思えた。


「紅は――おにいちゃんは、ずるいよ」


 もしかしたら、優しい紅のことだから無理をしているのではないかと時々思ったりもした。蒼の夢を、祖父や両親が残してきた店を見捨てることができず。

 紅は昔から自己犠牲的な面があって、蒼はそれがすごく嫌だった。癇癪を起すくらい、とんでもなく嫌だった。紅は大抵、そうやって蒼が過呼吸になるほど泣き叫んでようやく『なんで蒼がそんな風になるんだよ……』と呆れて折れた。

 だから、その嫌なことを自分がさせていると思うと、苦しくて悲しくて堪らなくなる。


「オレは蒼が考えているよりずっと、自分本位だよ」

「うそばっかり」


 だから、こうして気分が落ち込んでいる時などは、不安が蒼の喉をぎゅっと締め呼吸を苦しくするのだ。

 本当なら、今日だって疑問を口にする気なんて微塵もなかった。けれど、閑散とした店のことを考えると、どうしても聞かずにはいられなかった。


(紅は、私の真剣な質問には本当だけを返してくれる)


 だからこそ憚られる質問もあるものの、答えの内容がどうであれ、それは蒼が前へ進む原動力になる。


「本当だよ。そもそも魔道府に入ったのだって、人脈作りみたいなところもあったからな」

「それが目的なら、新人が押し付けられる仕事を進んでやったりしないでしょうに」

「……副長か陰翡か」


 紅は珍しい調子で苦々しく舌打ちをした。


「残念。陽翠おねえちゃんだよ」

「まぁ、それなら、しかたないか。陽翠はなにかと手伝ってくれたしな。ただ、それだって勉強になるから受けたんだよ。紺樹副長が胡散臭すぎて霞んでいるかもしれないが、オレだって十分打算的に動く人間だからな?」


 弱々しく頭を掻く姿に説得力は皆無だ。

 紅が口にすることを全部信じたわけではないが、蒼は少しだけ肩の力が抜けた気がした。


「紅もちゃんと人生設計してたんだね。よかった」


 蒼は照れ隠しのつもりで、真面目な顔を作って頷いた。

 偉そうに組まれた腕は、揺れた蒼自身の心を語るように、頷く動作に合わせて大げさに上下した。憎まれ口を叩いても、いまいち決まらない。

 けれど、紅はいつもと同じように眉を下げ、思い切り口元を歪めてくれた。


「なんだよ、それ……」


 紅は心外だと言わんばかりに瞳を開いたから、蒼は甘えた笑みを浮かべてしまうのだ。


「いや、紅って頑固とはいえ、結構流されやすいからね。魔道府でだって期待の星で出世確実の噂の君だったのに、もったいないなぁって」

「さすがのオレでも人生まで漂流はしない。っていうか、だれが言ってたんだよ、そんなこと。オレは初耳だ。どうせ陰翡がでっちあげた話だろ……」


 苦々しく、全部を否定してみせた紅。

 紅がいつだって信念を持って生きていることなんて、蒼はわかっている。だけども、その信念の根本にあるのが家族への愛情だから、心配になるのだ。


(もし、紅が――お兄ちゃんが、昔の約束を引きずっているだけなのなら。守って欲しい約束が、お兄ちゃんを縛っている鎖になってしまっていたら。私――)


 蒼は思う。それは、幼いあの日以来、鎖のように紅を縛っているのではないだろうか。

 紅は蒼が知っているとは思わないだろう。


 紅が隠したがっている――()()()()()


 その事実が紅を必要以上に家族に縛り付けているとしても、蒼からソレを告げてはいけないと考えている。だから、紅から話してくれるのを待っている。


(でも、それって本物の優しさなのかな。私が知っている現実に、紅が心底傷つく姿を見るのが怖いだけで、全部紅任せにしているだけなのかも。とどのつまり、私は自分が紅を傷つける形になるのが怖いだけ)


 考え始めたら、どんどん沈んでいく。

 蒼は紅の袖を掴み、潤む視線で紅を捉える。ひゅっと息が喉に流れてきた、が。


「紅も蒼も、本当にいじらしく健気に育ちおってからに! おじいは嬉しいぞい!」


 紅と蒼は戻ってきた白龍に二人まとめて勢い良く抱きしめられた。

 紅も蒼も平均より高い方だが、長身の白龍の腕に首をひっぱられては逃れる術はない。

 紅は呆れながら、蒼は頬を思い切り柔らかそうに緩めた。


「おじい。孫ばかっていうんだぞ、それ」

「ほんとに! お母さんが聞いたら『娘の時は放任主義だったくせに』って拗ねそう」


 蒼も紅も、出かかっていた気持ちを飲み込んだ。


「放任主義自体は今もじゃがな。いやはや、自立している孫に頭があがらぬな」


 月光を浴びて淡く煌く色硝子の扉。それを揺らすほどの笑い声が店を満たした。



 幸せな家族は、その奥で彩を飲み込むほどの暗い影が広がっていることなど、気づくはずもなく。合流した麒淵を交えて、住居へと移動していく。


 そして、扉一枚隔てた向こうに佇む闇は、ギギギッと硬く醜い音を絞り出していた。その闇は、ゆっくりとクコ皇国を侵食してくことになる。


第一章はここまでです。

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