魔道府②―魔道府長官―
ヴェレ・ウェレル・ラウルスとアゥマを具現化し描いた紋章が刻まれている、重厚な扉。陽翠が紋章へ掌を翳し、
「魔道府次席副長付き、陽翠でございます」
埋め込まれた宝玉に向かって名を名乗った。
すると宝玉は色を変え、
「どうぞなのですよー」
高めの甘い声が聞こえてきた。初めて耳にした者は、本当に長官室か疑うような口調と声だ。
幼子のような声と正反対の音を鳴らしながら、扉が両脇へと引いていく。部屋の中から溢れ出てきたまばゆい光が、蒼の顔を直撃したものだから思わず両手で顔を覆ってしまった。
「ちょうどいっちゃん日が差し込んでくる時間やからな」
「そうでした。蒼、目は大丈夫ですか?」
隣にいる陰翡がカラカラと笑い、少し前にいる陽翠は心配そうに顔を覗き込んできた。
「うぅ。失礼しました」
二人の優しさを受け、自分が子どもっぽい行動をしてしまったと反省する蒼。
蒼は気を取り直し、挨拶をするために一歩前へと進み出る。蒼は頭を垂れ両の袖をあわせたまま部屋の中央へ進むと、片膝を軽く床についた。
「クコ皇国が弐の溜まり、時欠の称号を承りし『心葉堂』が蒼月。魔道府長官殿へのご報告のため、拝謁願います」
蒼の畏まった声だけが部屋に響いた。甘い声に気を抜かれてしまうが、一歩部屋に踏み入れば張りつめている空気を肌に感じた。
心葉堂を継いでから何度か足を運んできたものの、やはり、この緊張感には強張ってしまう。
「はーい! 蒼、お久しぶりですぅ」
そんな緊迫の膜を破ったのは、先ほどと同じく高めの甘い声だった。
果物というよりは砂糖菓子の甘さ。舌ったらずなところが、それを冗長している。
「お久しぶりです、長官殿」
毎度のことながらと拍子抜けしつつ、蒼は少し固めの笑みを浮かべた。
「はーい、はい。そのとおりなのですよ」
長官席の真後ろには魔道陣が描かれた捨印犬裸子がある。先ほど日差しが眩しかったのは、この美しい色とりどりの硝子窓の影響も大きかっただろう。
その窓の前にある執務机に座しているのは、頭の両横で赤みのある珊瑚色の髪を束ねた少女――女性だ。小柄な体にあわせて作られたのであろう外套でさえも、すっぽりと彼女の体を包み込んでいる。
(いつお会いしても、可愛く見えちゃう。これで何百年も生きてらっしゃるんだから、人って不思議だなぁ。私の師匠もかなり長生きみたいだけど、外見は紺君と同じ位だもんね)
魔道府は各部署の責任者と二人の副長官、それを束ねる長官が管理職として就いている。蒼の年の離れた幼馴染である紺樹は副長の一人だ。しかも、魔道府第二位の次席副長である。
「長官殿の体調は副長殿から伺っておりましたが、お元気そうで安心いたしました」
「長官としては元気なのですけど、一個人としてはぼろぼろなのですよー」
そして、目の前の十代、いや下手をすればそれよりも幼く見える女性が、魔道府を束ねる長官なのだ。
長官は、ふくふくとした丸い頬をめいいっぱい膨らませ、小さい両手を机についている。前のめりになって机に乗り上げているあたり、椅子の上に立っているのだろう。
「どっかの鬼次席副長のせいで、心葉堂にお茶をしに行けない地獄の日々を過ごしているのですぅ。でもでも、魔道府だと蒼のしっかりさんな姿が見れるので新鮮でもあって、これはこれで美味しいですよぅ」
蒼に向けて嬉しそうに小さな手を振ってくる長官。
その様子に蒼の緊張が解れていく。蒼は嬉しくなり笑みを浮かべ、そのまま長官の隣にいる紺樹に視線を向けた。
紺樹のわざとらしい咳払いが部屋に響く。
「長官。それでは、心を鬼にして申し上げましょう。口元に最中の欠片がついていらっしゃいますし、まるで蒼が店ではしっかりしていないとも取れ、誤解を招く発言ですよ」
半目の紺樹が一呼吸の早口で意見した。心なしか棒読みな気もする。
紺樹が副長の地位についてからというもの、彼があからさまな態度で塩対応する人間は限られている。蒼がぱっと浮かぶ限りでは、魔道府長官、それと紺樹と魔道学院時代からの旧友であり元同僚の第五皇子の蘇芳と翁衆くらいだろう。
「紺樹の意地悪!」
蒼に満面の笑みで手を振っていた長官の表情が一変した。両横結髪が逆立ちそうな勢いで牙をむいている。
「後者はお姉さん視点ですし、最中だってわざわざ皆に聞こえるようにいうなんて! 心葉堂にだって、ほんとはわたしが行きたいのに、紺樹がいっちゃうものだから、せめて蒼に配達に来てもらいたいのに! それもだめっていうし! ダメダメの勢ぞろいなのですよぉー!」
長官の柔らかそうな頬がめいっぱい膨らむのをよそに、紺樹を始め翡翠双子もそ知らぬ顔で書類を確認しだした。
だれも長官の味方をするつもりはないらしい。
(あっあははっ。魔道府の長官室で、紺君や長官に気軽に突っ込む訳にもいかないよね)
紅が聞いたら店でも止めろと言われそうなことを考え、蒼は空笑いを絞り出してしまった。雰囲気を変えようにも、あいにくと蒼の唯一の武器である茶葉も茶道具も持ち合わせていない。
困ったように両手を握った蒼が横目に入ったようだ。書類に視線を落としたままの陽翠が、先ほど陰翡にしたのと同じようなため息を吐いた。
「長官、お年を召すほど若くなられるのは、外見だけにしてください。加えると、報告者を戸惑わせる言動は追加質問があった際に良い影響を及ぼしません」
「えー! 陽翠まで、そういうこと言うのですかぁ?」
「ほんまに。でないと、まーた天敵な武道府のおっさんにいちゃもんつけられるで?」
「あぅっ」
長官は双子の言葉矢に射られ、机に突っ伏してしまった。
「鼓膜が破ける声量をぶつけられたくはないのですよ。わたしの繊細な耳が大打撃なのですぅ」
担っている役目の性質からか、何かとぶつかることが多い魔道府と武道府。
おまけに、長官同士は馬があわず、よく口げんかをしていると紺樹から聞いたことがある。もちろん、側近を除いた部下たちの目に届かないところでのようだが。
溶けた餅のごとく机に顔を沈めた長官の様子から、大変な思いをしているのは事実なのだなと、蒼は独りで納得してしまった。
「すみませんね、蒼。相変わらず緊張感不足な場所で」
「副長殿。いえ、魔道府に来ると緊張で肩があがってしまうので、この部屋に来るとほっとします。……報告以外の用事ならもっと良いのですけど」
つい口から出てしまった言葉に、蒼は鞄から取り出した報告書で口元を隠した。
目元だけ出した状態で、上目に紺樹を見る。
「では、早めに受け取っておきましょう」
紺樹は柔らかい笑顔を浮かべ、蒼へと手を差し出してきた。
蒼が掲げるようにして両手に乗せた書類を差し出すと、紺樹は「恭しいですね」などと眉を八の字にして笑った。蒼の様子がツボに入ったのだろう。紺樹は片手に書類を抱えなおした後、さらに片手を口にあて笑い声をあげた。
(なななっなんで、ここで無防備に笑うのかな⁉ 私生活でも貴重な姿なのに!)
まさか紺樹が昔みたいな笑顔を魔道府長官室で見せてくるとは思わなくて――蒼は得体の知れない熱を感じてしまった。挙動不審に視線をさまよわせているのをすぐさま自覚して周囲を確認するが、幸い長官も双子も余所を向いていた。
ほっと胸を撫でおろした蒼は、すでに長官の傍に移動している紺樹を改めて眺める。
(今日は珍しく手袋をきちんとはめて、外套も身に着けているんだなぁ)
紺樹の日頃の姿といえば、魔道府指定である手袋を外套も脱ぎ、あまつさえ長袖を捲り上げて詰め襟を開いている。
魔道府の制服は他部署のものより女性人気が高い。加えて、長袖を捲り上げている姿は一部の筋肉好きな層に大人気だと、蒼も馴染みの客たちに聞いたことがある。
(って、違う、違うよ! 今日は街中の溜まり管轄者が報告書を持ってくるんだから、紺君だって正装しているのが当たり前だよ。この街以外からも届くものに目を通すんだもの。そもそも、私は魔道府で『副長』として働いている紺君なんて、知らないに等しいんだ)
そうして、蒼はすぐに思い直す。自分と紺樹は、そもそも仕事人としての歴に差がある。紺樹には蒼が幼い頃からの自分を知られているが、蒼が知っている紺樹など――。
(あー。しっかりしろ、自分。まだ報告書を持ってくる人がいるはず。私、いくらみんながあったかく見守ってくれているからって、魔道府で何を考えているんだか)
蒼がはっとして顔をあげると、長官は机に置かれた帖の文字を指でなぞり独り言を零し始めたところだった。目があった紺樹は口元に人差し指を当て、片目をつぶった。
蒼は陽翠に勧められた椅子に腰掛けたものの、手持ちぶたさと緊張で室内を見渡してしまう。
(おじいや紅なら、こういう時間を上手く使って情勢を聞いたりできるんだろうなぁ)
そう考えられるものに、蒼が実際にしていることと言えば組んだ手の爪を眺めることだけだ。
(これまでなら、むしろ仕事をしている皆さんを見たり、ここにいられたりするのが嬉しいなって思っていたのになぁ。なんでだろう。今は、ちょっと――苦しい、かも)
蒼が両腕を組んで唸っていると、やけに視線を感じた。
落としていた瞼ちらっとあげると、案の定、全員の視線が蒼に集まっていた。完全に目を開いた蒼が耳まで染まると、これまた一斉に目が逸らされた。しかも、各々小刻みに体を震わせているではないか。
「わっ私、そんなに愉快な様子でしたか?」
「いえ、そんなことは決して。蒼は全部表情や仕草に出るから面白いなんて思っていませんよ」
辛うじてという調子で答えた紺樹。だが、顔を明後日の方向に背けている。さらに、紺樹の脇腹を長官が思いっきり肘で突っついた。
あの自由気ままな長官が突っ込むほど、自分は奇妙な動きをしていたのか。蒼の全身が赤くなったり青くなったりと忙しく変化する。
「蒼はなーんにも悪くないので、もうちょっとだけ待っていてくださいなのです」
長官の一言で、しんと空気が鳴った。蒼の体は自然と椅子の背もたれに沈んでいく。まるで彼女の一言が額を押したみたいに、全身が後ろに倒れたのだ。




